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ジル姉が帰って来ないまま、二日が経過した。
王家の醜聞を広めないためにとか言われて、ひっそり殺されてんじゃないかと本気で心配になってくる今日この頃。正直、仕事どころではなかったが、仕事くらいしかすることがないのも事実。とりあえず、店のカウンターの前に座ってランプ以外にも魔道具を組み立て試作する。
薬屋はもう準備ができているのに、店主不在で開くに開けない。リル姉は休みが終わってしまい、医療部に出勤している。
私も王宮に行き、こっそりジル姉を探して会おうかと一瞬思ったが、本当に王宮にいるのかもレナード宰相の説明からはよくわからなかった。もし、なおもフィリア姫に会わせないようにしているのならば、姫の行動力を考えて実は全然別のところに、という可能性もある。っていうかフィリア姫は、精神的に大丈夫なんだろうか。婚儀の準備なんかしてる余裕あるのかな。
「エメさん、何かお疲れです?」
心配事があるのは、どうもいけない。浮かない顔をしていたらしく、ヴェルノさんに気を使われてしまった。ちなみに、彼は先日の騒動など露ほどにも知らない。
あまり心配をかけないよう、ここは笑顔を見せておく。
「疲れてなんかいませんよ。お気遣いありがとうございます」
「無理をするのはよくありませんよ?」
「ヴェルノさんがたくさん働いてくれているので大丈夫です。そろそろお昼ですから、休憩してください」
ちょうど、時報の鐘が王宮のほうから鳴り響いた。
「エメさんは」
「私はまだお腹が空かないので」
「そうですか? では、すいませんがお先に」
ヴェルノさんの背中を見送るついでに、開けっ放しのドアの向こうをなんとはなしに眺めてみる。私もちょっと休憩。
街の通りは変わらず賑やかで忙しい。ついこの間、宰相が来て王女が来て、人が一人連れ去られたんだけどな。誰も気づいていないのが不思議な感じ。
そうして店の前を通り過ぎて行く知らない横顔をぼんやり見送っていると、いきなり知った顔が現れた。
「お、いたか」
「っ、ギート!」
びっくりして、つい叫んでしまう。それに驚いたギートが一瞬動きを止めた。
「な、なんだよ」
「そういえば忘れてた君のこと」
ずーっと誰かにお礼をしなきゃなあと思っていたのが、今、対象を思い出した。会うのはエールアリーで別れて以来だ。
ようやく引っかかりが解消され、すっきりした。が、「忘れてた」なんて口にしたのは悪かったかもしれない。
眼帯に隠れていないギートの右目が、あからさまな不機嫌を訴えていた。
「お前、久々に会った恩人に対する態度がそれか」
「いや、ごめん、言葉足りなかった。ギートという人自体を忘れてたわけじゃなくてね? 君に約束してたことを忘れてただけ」
怖い顔で迫って来る彼に、両手を挙げて言い訳する。カウンターに手を付いたギートは、「約束?」とけげんそうにしていた。なんだ、覚えてないじゃないか。
「王都に戻ったらご飯おごるって言ったこと」
「あ? あー、そういえば」
「ところで今日はどうしたの? お休み?」
ギートは鎧を着ていないし、剣も差していない。プライベートなのは見てわかる。
「非番だ。あ、でも別にお前にたかりに来たわけじゃねえぞっ。噂で店開いたとかって聞いたから、外出るついでに寄っただけだかんなっ」
つまり散歩がてらで、特に用があるわけではないらしい。ここで私にも余裕があればお昼に誘えるのだが、今は精神的になあ。また今度にしよう。
「どうぞ存分に見ていって。まだ開いてないけど」
「いつ開くんだ?」
「近々開けようと思ってる、けど・・・」
「? どうした。またなんか問題抱えてんのか?」
「まあ、色々ねえ・・・あ」
そういえば、王宮兵士のギートはジル姉のことで何か知ってはいないだろうか。いや、でも、近衛兵とかじゃないしなあ、やっぱり知らないかな。どうだろう。
ギートを眺め、探りを入れてみようかどうか悩んでいると、急に手が伸びてきた。
「わっ」
手のひらがそのまま、こっちの視界を塞ぐ。何してくれる。急いでギートの手を払いのけ、軽く睨んでやった。
「なんなの」
「お前こそなんだ。人の顔じろじろ見るな」
そう言いながら、右目が彼方に逸れている。ん、そっか、意味わかったぞ。
「照れたの?」
「違う」
ぶすっとして答えるのがその証拠。前よりさらに簡単に照れるようになってるなあ。まだ異性に慣れないんだろうか。思春期の少年をからかうのは愉快だが、ギートで遊ぶのが本来の目的じゃない。とりあえず、だめもとで訊いてみるか。
「ちょっと訊きたいことがあるんだけど、いい?」
「な、なんだ」
なぜか身構えるギート。取って喰いはしないって。さて、どう訊こうかな。下っ端兵士から聞き出せる範囲を考えると――
「つい最近、王宮の牢屋に入れられた人はいる?」
「・・・あ?」
おそらく、まったく予想外の問いだったろう。ギートは最初ぽかんとしていた。
軍部の近くには、罪人が入れられる塔があると聞く。まさか、ジル姉がそこまで不当な扱いを受けているとは思わないが、念のための確認だ。
「なんだそれ? なんでそんなこと」
「お願い、教えて。例えば、かなり大柄な男の人なんかが連れて来られたりしてない?」
言い募ると、ギートは眉をひそめながら答えてくれた。
「・・・よくわかんねえが、近頃は目立った捕り物もねえし、お前が言ってるようなのに心当たりはない」
「ほんと? それならいいんだけど。他の場所でも、普段見かけないような人を見かけたり、誰かが閉じ込められてるような噂を聞いてたりはしない?」
「別に、なんも」
「そっか、わかった。ありがとう」
ジル姉はけっこう目立つと思うから、噂にもなってないのなら、きっと軍部のほうにはいないんだろう。たぶん、はっきりとはわかんないけど。やはり、いるとすれば中央宮殿か後宮のほうだろうか。
「おい、一人で納得してんな。その男ってのはなんだ? お前まさか、やばい奴と付き合ってんじゃねえだろうな?」
ふと気がつけば、ギートに疑いのまなざしを向けられていた。不安になるような訊き方をしてしまったみたい。
「大丈夫。私の知り合いは全員、身元のはっきりしてる善良な人ばかりだよ」
「じゃあ誰なんだよ、そいつは」
ギートはカウンターに身を乗り出してくる。どことなく苛立っているようなのは、私が事情をなかなか話してくれないレナード宰相に対して抱いた気持ちと同じだろうか。
適当にごまかすか、でもギートは察しの良いほうだから難しいかもしれない。いっそ話してしまって、こっそり味方に引き込むのは・・・なしだな。
「知り合いがちょっとした厄介事に巻き込まれただけ。私やリル姉はそこから追い出されてる状態だから、心配いらないよ」
結局、中途半端にごまかす道を選ぶ。だがギートはそれだけで色々察してくれたらしく、乗り出していた身を引いた。
「上に口止めされてる系か?」
冷静に尋ねられたことに、頷く。
「されてる系です。でも状況が気になってしょうがないから、探りを入れてる系です」
「・・・大体わかった。余計なことしてんなよ」
賢明で慎重な彼らしく、呆れたように注意してくれる。
「うん、わかってはいるんだけどさ、何もしなかったことで後悔することになったら嫌だなあと思って」
「やって後悔することもあるぞ」
「うん。そうだね」
わかってる、わかっているが、未来はいつも見えないから、どちらかの道を選ばなくてはならない時、私は行動するほうを選びたくなる。そういう性分なのだ。かわりに、なるべく慎重であろうとは思っている。
「・・・まあ、なんか助けが必要なら言え」
「え?」
一度下に向けてしまった視線を上げると、ギートのほうはそっぽを向いて続けた。
「少しくらいなら動いてやってもいい」
「や、特に必要ないよ」
間髪いれず返したら、かっこつけた相手は盛大にこけた。
「~~ああそうかよっ」
おそらく、気恥ずかしいのを精一杯堪えて言ってくれたのだろう。こちらに恨みがましい目を向けるギートの顔はうっすら赤い。それがおもしろく、つい笑ってしまい、さらに睨まれた。
「ごめん。どうもギートはからかいやすくて」
「っ・・・」
「ごめんごめん。ありがとね、その言葉だけで嬉しいよ」
面倒事に巻き込まれるのを、あれだけ嫌がっていた彼が言った言葉とは思えない。
嬉しいのは本当。だがギートは拗ねて、背を向けてしまった。
「もういい。お前なんか二度と助けてやるか」
「そう言わずに」
うむ、ちょっと悪いことをしてしまった。ギートの機嫌直しに、もう少し頼っておいたほうがいいのかもしれない。
「えーっと・・・そうだ。ねえ、ダウテという人を知らない?」
農民出身者が王室の近衛兵にまで出世した話なんて、兵士たちの間で有名になっているんじゃないだろうか。なんでもいいからジル姉に関する情報をもらえたらなーという、その程度の希望だった。
―――が、途端にギートの態度が変わった。
「お前、ダウテを知らねえのか?」
急に振り返った彼は、まるで信じられないとでも言うようだった。
「そんなに有名なの?」
「あったりまえだろ! ダウテと言えば、たった一人で一晩で千人の賊のアジトをぶっ潰したとか、大木を拳で叩き折ったとか、狼の群れをひと睨みで全滅させたとかすげえ伝説が残ってる最強の兵士じゃねえか!」
おい、ちょっと待てそれなんの少年誌だ。
「まさかその荒唐無稽な話を本気で信じちゃいないよね?」
ギートの右目がきらきら輝き出したので不安になった。
「確かに派手に尾ひれはひれ付いてるもんはあるが、平民出身で初めて近衛隊に入ったのはマジだし、王宮主催の闘技大会で30戦無敗の記録を持ってんのも事実だ。とにかく、むちゃくちゃ強い。男なら憧れて当然だ」
本人、女だけどな。一体どこまでが事実で、どこからが尾ひれなのだろう。その境がわからないところが、ジル姉のすごいところだと思う。
王様は、ここまで強い人をみすみす辞めさせたのか。もっとも、そのおかげで私とリル姉はジル姉に会えたわけだが、非常にもったいない気がする。
「ダウテは俺の目標なんだ」
そう言って、熱く語り出したギートはもはや止まらなかった。
「俺は会ったことねえが、隊長が遠目に見てもすげえ大男だっつってた。馬に乗って両手で剣振り回せたらしいぜ? めちゃくちゃな腕力がねえと、そんなのできねえよ。まさしく超人だ。賊討伐の最中に死んじまったなんて言われてるが、俺は信じねえ。大体、崖から落ちて死体が見つかってないって話だからな、あの超人がそんなことで死ぬわけがない。きっと、どこかで生きてるはずだ。ああ、ったく、もっと早く生まれてたら王宮で会えてたかもしれねえと思うと、マジで悔しいっ――」
マジで止まらないぜ!
実は生きてますと知らせたら、どれほど狂喜するんだろうか。好きの方向性は違うが、フィリア姫と似たようなものかも。ジル姉ってばモテモテ。
さてどの辺で話を区切ろうか悩んでいると、興奮して喋っていたギートがなぜか急に口を閉じた。何かに気づいた様子である。
「――なあ、さっきの話とダウテのことが関係あるのか?」
もう教えてあげたかったが、さすがに現時点ではだめだろう。
「別に? 関係ないよー。ただ私も最近その伝説を人に聞いて気になっただけ」
「ほんとか?」
「ほんとだよー」
「ほんとにか!?」
どんどん近づいてくるギートから完全に目を逸らし、その後しばらく、ほんとか、ほんとにか、としつこく繰り返される問いをかわし続けた。




