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王都に春の足音が近づいている。
すでに立派な魔道具の店が建ち、薬屋の改装は終わって仕入れの経路も確保済み。店と生活スペースに必要な家具を運び込んだりで、頼んだ業者さんなどが頻繁に二つの店に出入りする。
私は研究所よりも魔道具店での作業が主となり、リル姉も医療部の数日休みをもらって薬屋の開店準備に専念。
なお、準備をしているのは私たち姉妹だけじゃない。
「エメさん、ランプの外装が届きました。確認をお願いします」
たまたま空いた時間に薬屋のほうの準備を手伝っていた私を、黒髪の青年が隣から呼びに来る。
彼はヴェルノさんといって、魔道具の店に番頭として勤めることになった人だ。
これからも私が王宮の魔法使いであることには変わりなく、エールアリーの件のように、王宮から長期出張を命じられる場合が今後もあるかもしれない。その時に店を守ってくれて、経営に関しても助けになってくれるような人物を、一般から公募をかけて選んだのだ。
ヴェルノさんは子供の頃から大きな商家に奉公していたそうで、商売については私よりも上手であり、字も読めるし、王都の商人たちに顔が利く。また、若く見えるが妻帯者である。
勤勉で実直な人柄は、年下の店長にちゃんと敬語を使って確認を仰いでくれることからも察せられる。まあ、そういう人を選んだわけだが。選抜には私も一枚噛ませてもらっている。
「どうも、ありがとうございましたー! 今後ともよろしくお願いいたしまぁすっ!」
確認が終わると、ヴェルノさんは店先までランプの外装を届けてくれた運送屋の人たちに、全力で頭を下げていた。お客はこっちなのにね。
そして彼らの姿が見えなくなるまで頭を下げきってから、私のほうへ爽やかなままのスマイルを向ける。
「それから売り子についてなんですが、すでに何人か私のほうで候補を手配しましたので、そちらも確認願えますか?」
「仕事早いですよねえ」
彼は商売人の鑑だと思う。
こうしたヴェルノさんの尽力もあり、二つの店の準備は順調に進み、やがて。
王都に、春がやって来た。
**
「リル姉っ、リル姉! あの馬車じゃない?」
店の前の通りに出て、窓から中にいるリル姉を呼ぶ。
「来た? ほんと?」
店の整理をしていたリル姉は慌てて出て来て、まだ遠くに小さく見える馬車に目を凝らす。
今朝から何度、二人で同じ行為を繰り返していることか。王都の往来は荷馬車がひっきりなしに走っているんだから、ややこしい。
今度こそ、今度こそと逸る心で待ち続けていると、幌付きの荷馬車は本当に私たちの前で止まった。
そして荷台から、王都でも類を見ない大男が現れる。
でも、その人は男じゃない。
今日、来ることはわかっていたはずなのに、いざ目の前にした状況がとても信じられず、ぽかんと口を開けて、私もリル姉も咄嗟に何も言えないでいると、馬車を降りたその人は、私たちの頭に手を乗せた。
「大きくなったな」
変わらないニヒルな笑みも、温かい手も、絶対に夢ではなくて。
嬉しさが身の内に収まらず、私たちは彼女に飛び付いた。
「~~ジル姉っ!!」
ようやく会えた。これでようやく、家族がそろった。
話したいことがたくさんある。聞きたいこともたくさんある。でも今はひたすらに嬉しくて、言葉なんかろくに出てこなかった。
そんな私たちの頭上から、低い笑い声が降る。
「積もる話は後だ。荷物を運ぶのを手伝ってくれ」
軽く背中を叩かれて、促された。うん、そうだ、いつまでも馬車を止めて往来を妨げていられない。
話を急ぐ必要はない。だって、これからはずっと一緒にいられるんだから。
ジル姉が持って来た荷物というのは、前の店の在庫がほとんど。生活に必要な家具などは私たちのほうでそろえてある。
「どうぞジル姉!」
リル姉が弾けんばかりの笑顔で、新しい店の扉を開けた。
「おぉ、広いな」
思わず、といった感じのジル姉の第一声。ふ、両側に収納棚が迫って圧迫感のあった前の店とは違うんだぜ。
棚は入り口の左手にでかいのが場所を取っているものの、中央に十分な空間があり、奥にカウンターが控える。ここで見てほしいのは、入って右手に設置した、診察台のつもりの板の間だ。
「ほら、こういうのがあれば奥まで運ばなくても、ここですぐ急患を診られるでしょ? それに混んでる時はお客さんに座って待ってもらえる」
「なるほどな」
板の間に布団を敷けばベッドと同じ。座りやすいように一段高くしてあるから、そのスペースには土足で上がらないし清潔だ。
「奥にも部屋があるのか?」
「そうよ。先に見る?」
リル姉がカウンターの後ろの内扉を開ける。
馬車から降ろした荷物は一旦、板の間に積んでおいて、まずはジル姉に中を案内することになった。
そこは前の店と同じく、竈と食卓があるダイニングキッチンだ。ここから洗い場にもつながっている。
「寝室は二階だよっ」
先導し、軽やかに階段を上がっていくと、部屋が五つある。
「一番端が客間で、隣が物置。残り三つが私たちそれぞれの部屋なのっ。ジル姉はどこがいい?」
「ちなみに造りは全部同じだよ」
身を寄せ合って寝るのも嫌ではないが、スペースは活用すべき。ということで、小さいながらも個室を作ってみました。
あらかた見て回ったジル姉は、驚いてもはや笑っていた。
「残ったところでいい。ここまで立派なものを建ててもらえるとは、思いもしなかったよ」
「ジル姉がしてくれたことに比べたら、まだまだ足りないわ」
リル姉の言う通り。
ジル姉は素性も知れない私たちを家に入れて、生きる術を与えてくれた。不幸しかなかった私たちの人生を変えてくれたのだ。感謝し過ぎることなんてない。
「・・・もう十分だと言っても、お前たちは聞かないんだろうな」
幸運だったのは私のほうだと、ジル姉は言って頭をなでてくれた。
「これだけじゃないよっ。家の裏には庭を作ったんだ。後で皆で薬草を植えようね。リル姉が種を医療部から分けてもらってきてくれたから」
「ああ」
「ジル姉、今夜は私たちがごちそうを作るわ。楽しみにしててねっ」
「わかった。それじゃあ、早いところ荷物を片付けるか」
「うん!」
それから三人で空っぽの棚に物を詰め、夕暮れには竈に火を入れて、生活の匂いに包まれた時、やっと、私たちの家は完成したのだった。
ささやかなごちそうをお腹いっぱい食べ、引っ越しの作業で疲れたので今日はすぐに寝る・・・なんてことはしない。
寝る準備を整えた私とリル姉は、示し合わせてこっそりジル姉の部屋の前に移動した。
「せーのっ」
で、ドアを勢いよく開け、蝋燭を灯したままベッドで横になっていたジル姉の上にダイブした。もちろん潰さないようにリル姉と左右に避けつつ。スプリングなどないので若干膝を痛めた。
「なんだ、どうした」
びっくりしているジル姉の横に寝転んで、笑みを浮かべる。
「今日は感動の再会の日なんだよ? 一緒に寝ようよ、昔みたいにさっ」
「自分の部屋があるのにわざわざ」
「今日は三人がいいのっ」
断固として譲るつもりのない私たちに、最終的にはジル姉も「仕方がないな」と諦めて笑った。
ジル姉用にこのベッドは少し大きめに作ってもらったのだが、三人で寝るには詰めてぎりぎり。昔だったら、もう少し余裕があったかもしれないが。
「大きくなったなあ、リルもエメも」
ジル姉がぼやいてる。昼間も同じことを言っていたっけな。
「そんなに変わった?」
「変わったよ。特にエメは、うっかり潰しそうなくらい小さかったのが、立派になった。最初に見た時は一瞬、誰かと思ったよ」
「ま、成長期ですから」
私だって、いつまでもチビのままじゃない。スラっと背の高い美人とまではいかなくてもさ。
「私はそんなに変わってないでしょ?」
リル姉が自分を指して訊く。
「いや、リルは前にも増して女らしくなった。ロッシあたりが見たら喜びそうだ」
「うわ、その名前懐かし。あ、ってか聞いてよジル姉! リル姉ってば王都でも惚れられまくって大変なんだからっ」
「へえ?」
「そ、それを言うならエメだってそうよ! ジル姉聞いて!」
「わかったわかった、順番に聞かせろ」
寝る気なんてまったくない。魔法学校でのこと、王宮でのこと、エールアリーでのことを、交互に話す私たちに、ジル姉は相槌を打って、全部聞いてくれた。
「――お前たちは本当に、予想外のことばかりしでかしてくれる」
話を聞いたジル姉は感心半分、呆れ半分といったところ。でも、その言葉をもらえたことが誇らしい。
ある程度、満足して口を閉じた私たちに、ジル姉が尋ねる。
「王子と王女の両殿下とも、お元気か?」
アレクは当然、フィリア姫に会ったことも、さっき話した。だからこその質問。
「うん、元気だけど・・・そういえば、昔は王室の警護をしてたんだっけ? ジル姉は二人のこと知ってるの?」
レナード宰相に口止めされていたので、私は彼らにジル姉のことを尋ねたことがなかったのだ。試しに訊いてみようかと考えたこともないではないが、本当に大変な事情があったら困るし、そもそもジル姉が王宮で働いていた頃はアレクもフィリア姫も子供だっただろうから、覚えてないんじゃないかとも思った。
「護衛する方のお顔くらいは知っていて当然だ。さぞ、ご立派になられたのだろうな」
ジル姉はどこか遠い目をして言っている。昔を懐かしんでいるような。
「フィリア姫のほうだったら、もしかしたらお顔を見れるかもしれないわよ? ガレシュに嫁がれる時に、大通りを花嫁行列が通るそうなの。もうすぐよ」
そう、もうすぐ。
ジル姉と再会できる春が私たちは待ち遠しかったけれど、それは同時に友達と別れなければならない季節でもあった。
疫病の原因が発覚し、復興も進んで、今は婚儀を止めるものがない。かつて相争っていた三国が結ばれるのはめでたいことだが、恋い慕っているどうしでもないのを、なんでかんでくっ付けなきゃいけないもんかと思ってしまう。今でさえなかなか会いに行けないのに、国境を越えられてしまったら、今後もう一度会えるかどうかもわからなくなる。
彼女とも、もっと色々話したかったのに。
「・・・せめて、姫に贈り物でもしてあげたいね」
物思いの末に、呟く。
異国に行っても孤独に陥らないように、故郷にはちゃんとあなたの友達がいるんだよってことがわかるようなものを、贈ってあげられたらいい。
「レナード宰相に頼めば届けてもらえるんじゃないかな。どう? リル姉も、ジル姉も何か贈ってあげない?」
「――ええ、そうね。いいと思うわ」
ジル姉の向こう側で、頭をもたげたリル姉が頷いてくれた。
「思い出に残るものがいいわよね。トラウィスらしい物とか、あと、ちょっと畏れ多いけれど、手作りでも悪くはないかも」
「うん、いいと思うよ。ジル姉はどうする?」
「私は・・・やめておく」
ほんの少し迷うそぶりを見せたものの、ジル姉はそう言った。
「王女殿下はもう私のことなど覚えていないだろう」
「覚えてるかどうかは関係ないんじゃない? この場合。昔、仕えてましたーって感じで、カードでも添えるとか」
「いい。追い出された身でそんなことをして、後でばれると面倒だ」
ジル姉は両目を閉じて、もう話を終えて寝ようとしている体勢だ。
「・・・ほんと、昔に何やらかしたの?」
「何も。しいて言うなら、兵士になったことがそもそもの間違いだった」
うーむ、もう少しで喋ってくれそうな感じなんだけどなあ。
しかしその後、しばらく粘って聞き出そうとしたものの、結局、肝心なところははぐらかされて、夜が更けた。
翌朝、あくびをしながら残りの店の準備を進める。
薬屋のほうの準備もあるが、ジル姉は物珍しがって、リル姉と一緒に魔道具店のほうをちょっと見学に来た。こちらの店の造りも大体は薬屋のほうと同じで、それよりやや広いくらい。入ってすぐに店頭販売のスペースがあり、奥に修理をする作業場や、店員の休憩スペースがある。
「ふうん、これが魔法のランプか」
魔剣以外の魔道具には初めて触れるジル姉は、カウンターに置かれた試作品のランプを指で叩いて、点けたり消したりしていた。ちなみにヴェルノさんは今、用事で外に出ている。
ランプは手のひらに乗せられるサイズで、魔石が乗った台座の上からクラゲに似た形の傘が覆うもの。玄関先にかけることもできるし、取っ手を掴んで持ち歩くこともできる。小さいながら光量は部屋を隈なく照らせるほど明るい。
さっき店で加工した魔石を以前に届いたランプの外装と合わせて、試しに組み立ててみたのだ。
「便利なもんだな」
「でしょ?」
「これがあちこちの家に灯ったら、王都は夜でも昼みたいに明るくなるんじゃない?」
「かもね。他にも、街灯を設置してもらう方向で今、話を進めてるよ。防犯になるし」
こうしてジル姉とリル姉の二人に魔法のランプについて簡単に説明していると、思わぬ人が店にやって来た。
「お邪魔するよ」
レナード宰相が、開けっ放しの店の扉から朗らかに現れる。思わぬ人だが、まあでも、そんなに驚きはしない相手だ。この人のフットワークの軽さはよく知っている。
ジル姉は急いでそちらへ向き直って頭を下げ、私もリル姉もそれにならった。
「やあジゼル、直接会うのは久しぶりだね。無事に王都に着いてよかった」
「おかげさまで。早めにご挨拶に伺えたらとは思っていたのですが」
「なに、気にすることはないさ」
詫びようとするジル姉を、レナード宰相は片手を挙げて止めていた。
ジル姉が王都に来るまで、手紙のやり取りは全部、この人を通じて行われ、ジル姉の到着日も彼の屋敷の人が走ってきて伝えてくれたのだ、ジル姉が王都にいることは彼も知っていて当然。ジル姉は貴族屋敷がある一の門の向こうへ行く資格がないから、わざわざ宰相自らが足を運んだのだろう。昨日来なかったのは、家族水入らずにしてくれたのかもしれない。
レナード宰相は少しジル姉と王都までの旅の話をしてから、私やリル姉のほうを見た。
「こうして、三姉妹そろっているところをまた見られて私も嬉しいよ。店はいつ頃開く予定なんだい?」
「薬屋のほうはもう開けるところまできています。魔道具店のほうも、フィリア姫の花嫁行列が過ぎた頃には開けると思います」
「そうか。どちらも、もうすぐだねえ」
レナード宰相は顎ひげをなでつけ、目を細める。そうだ、自分でフィリア姫の名前を出したついでに。
「すみません、突然のお願いで恐縮なのですが」
「なんだい?」
「フィリア姫に、友達として、私とリル姉から結婚の贈り物をさせてもらえませんか?」
立場を考えればそれはちょっと、と言われる覚悟もしていたが、レナード宰相はまったくそんなことはなかった。
「もちろんっ、ぜひして差し上げておくれ。友からの贈り物なら、姫もお喜びになられるだろう」
「いいんですか? よかった」
リル姉と一緒にひとまず安堵。このまま最後に会うこともできず、何もしてあげられないのは嫌だもの。
しかし安堵したのはレナード宰相のほうもそうだったようだ。
「近頃は婚儀の準備ばかりで、相当ご退屈なさっていたからねえ。心躍ることの一つでもあれば、なんとか姫君も耐えてくださる――」
言いかけた、その時だった。
「エメ、リディル! 開店おめでとうございます!! お祝いに来ましたわ!!」
気が早い言葉と共に、ストールを頭からかぶった娘さんが飛び込んできた。
一同、絶句し動きが止まる。
フットワークが軽いにも程がある、トラウィス王国の至宝、我らが姫君もまた、正面を見つめて硬直した。
印象的な青い瞳を大きく、大きく見開いて、見つめる先にいるのは―――
「・・・ダウテ?」
―――ジル姉、だ。
しかしフィリア姫はなぜか別の名を口にした。
彼女は呆然としたまま、一歩、二歩、よろめいたかと思えば、次の瞬間、深い踏み込みからいきなりジル姉に向かってダイブする。ストールが外れ、金髪が放射状に宙へ広がる。
「っ!!」
咄嗟に、ジル姉は受け止めるしかない。その首に抱き付いたフィリア姫の瞳から、大粒の涙があふれた。
「ダウテっ!! 生きて、生きていたのですねっ・・・!!」
姫は泣きながら叫んでいる。
この場面だけを切り取って見るならば、まるで生き別れた姉妹の感動の再会。
もしくは、まったく事情を欠片も知らない人が見たならば、恋人どうしの再会に思えるかもしれない。
・・・えーっと、つまり、これは、どういう状況なんだろう? 私たちはどうしたらいいんだろう。
困ってレナード宰相のほうを見ると、いつも朗らかな彼が珍しく頭を抱えて、「だから王宮の警備は見直すべきなんだ」とかなんとか、ぶつぶつ言っていた。
 




