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春に向けて、魔道具屋、薬屋、どちらの出店準備も着々と進んでいく。
後者は主にリル姉に細かい手続をしてもらっている。土地はもう押さえた。店にするため空き家をリフォームしようと思うので、夜に二人で間取りを検討したりするのが楽しい時間だ。
魔道具のほうは魔石の運搬経路を確保して、いつも魔剣を鍛え直してもらっている鍛冶屋にランプのカバー等のデザインを発注。石ころをそのまま売るのはいくらなんでも客が付かないと思うのだ。鍛冶師は職人であり、芸術家である。用途と予算を伝えて、後は彼らのセンスに全面的に委ねた。
鉱山に浄化装置を作る作業は終わり、基本的に私はもう店の準備だけを担当している。それで少し余裕ができたため、この日は昼に食堂へ行ってお世話になった友人たちに心ばかりの感謝を届けた。
「お酒?」
「そう、葡萄酒」
メリーも今日は研究所のほうにいて、私がテーブルに置いた酒瓶を物珍しげに手に取る。
「出張の帰りに通りかかった街の名産品だったの」
ここらでよく飲まれているのは麦酒で、ワインは珍しいから、これならお礼になるかと思って買ってみた。ちなみに老師には内緒だ。せっかく依存症から立ち直ってきたところに与えてはいけない。
「ナルム地方のものか。悪くはないな」
詳細を聞き、意外にも良い反応をくれたのはクリフである。
「もしかしてクリフ、けっこういけるクチ?」
「下品な聞き方をするな。嗜む程度だ」
「それ、わりと飲んでる人が言うセリフだよね」
「・・・」
返答なし。図星と見た。いや、別に良いんだよ?
「へー、意外だわ。弱そうなのに」
メリーにも見抜かれ、クリフは不機嫌そうにそちらを睨む。
「私が少々飲んだ程度で倒れるような無様な者に見えるのか」
「そこまでは言ってないでしょう。あなたって、ちょっと面倒くさいわよねえ」
「確かに」
私もメリーに同意。プライドが高いのはクリフの良いところであり、面倒くさいところである。
すると彼は腕組みしてふてくされてしまったので、慌ててフォローを入れる。
「ごめんごめん。喜んでくれたなら何よりだよ。今度、飲み会でもしよっか?」
「どういう会だそれは」
貴族は飲み会というより晩餐会なのかなあ。私は、まだもう少し体が成長しきっていないので、あんまり飲む気はないけども。ゆくゆくは、アレクやロックも一緒に皆で飲めたら素敵。
「メリーは? お酒強いほう?」
「自分で言うほど強くはないけれど、でも普通に飲めるわよ。マティが全然だめなのよね」
「え、そうなの?」
ずっと黙って会話を聞いている小柄な彼を見やれば、申し訳なさそうに肩を竦めていた。
「ごめん」
「いや、私こそごめん。マティにはまた別のお礼を持ってくるね」
「そ、そんな良いよ僕はっ。大したことしてないし、むしろ、僕のほうが・・・」
また言葉の終わりを濁す。癖はなかなか治らないもんだ。
「あ、あの、エメっ」
「はい、なに?」
少し待っていると、マティは意を決したように口を開く。
「実はその、最近、君に教えてもらった魔法陣を、口頭呪文に応用できないか試してるんだ。お、お礼なんかいらないから、術式を見てもらえないかな? あんまり、うまくいってなくて、君の意見も聞かせてもらえたら、って・・・あっ、い、忙しくなければ!」
「マティ、下手に出ることないわ」
メリーがいとこを励ますように言う。
「あれだけコキ使われたんだもの。こっちも手伝ってもらって当然よっ」
「で、でも、僕は、新しいことが学べて、楽しかったから・・・」
「マティアス。お前は当然の権利を主張しているのだ。遠慮する必要などどこにもない」
クリフまで加勢し、なんだかまるで私がひどいことをした人のようである。夜中まで彼らを付き合わせたのは、悪かったと思ってるけども。
それにしても私、マティに何を教えたんだっけ・・・? うん、興味出てきた。
「私にできることならなんでもするよ。帰る前にマティのところに寄るね」
「あ、ありがとうっ」
マティはほっとしたように控えめな笑みを見せる。
「楽しそうだなあ?」
背後から、急に腕を乗せられて頭が重くなる。
払いのけ、振り返ればハロルド先生が私の座っている椅子の背もたれに肘を乗せていた。彼のにやけた面を見るのは久しぶりだ。
私だけでなく、クリフたちも「なんか来やがった」という顔になる。そんな教え子たちの発する空気を物ともせず、彼はへらへら笑えるのだ。
「店、出すことになったんだって? おめでとう」
「・・・どうも」
何か用があるのか、ただ暇潰しに来ただけか。ひとまず会話には応じる。あんまり好きな人じゃないが、即刻追い払うのはさすがに失礼。
「自分から野に下ろうとは、つくづくご苦労な奴だ」
「責任ある仕事をまかされるのは名誉なことですよ」
「ご立派なことで。ところで、俺にはいつ恩返しをしてくれるんだ?」
「? わざわざ返すような恩がありましたっけ?」
「ひでえ言い草だな」
私が本気で思い出せなかったので、ハロルド先生は自分で言った。
「イレーナを引きつけておいてやったことがあったろう」
どうやらエールアリーに行く前の、所長たちと攻防していた時のことを指しているらしい。そんなの忘れてたよ。というか、大して役に立ってなかったんだけどなあ。結局、その後に出張を命じられたわけだし。
「むしろ、私が感謝されても良くないですか? 美人とご飯に行けたんでしょう?」
「お前を口実にしなくたって、いくらでも美人と飯に行けるんだよ、俺はな」
「それは結構なことね?」
ハロルド先生のさらに後ろから、唐突に問題の美人が現れた。
完全に油断していた先生はぎょっとし、慌てて横へ飛ぶ。お、なんか貴重な光景を見られたかも。
イレーナさんはそちらを無視し、私の前に箱を差し出してきた。赤っぽい薄めの木箱で、何も模様がない。
「なんですか? これ」
「追加のご褒美」
「え?」
訳もわからず受け取ってテーブルに置き、蓋を開けてみると、中には白い布が入っていた。上質な絹で織られたもので、宮廷魔法使いの紋章が縫われていたため、新しいローブであることがわかる。
その上に乗っているカードには見覚えのある筆跡で、私の功績を称えさらなる活躍を望むということが書かれてあった。
横と前から覗き込んできた友人たちが、最後の署名を見て目を瞠る。
「え、それ殿下からなの?」
メリーが声を上げた。
そう、カードに記されているのはアレクの名前だったのだ。
今、私が着ているローブは鉱山を走り回ったせいで、洗っても洗っても近くで見ると薄汚れている。だが王から賜ったローブは勝手に新調できないし、数年働かないと新しいものをもらえないそうなので、どうしようもなかった。
それでアレクは気を使って新しいローブを贈ってくれたのだろう。とても助かるし嬉しい。
「ありがとうございます!」
本人に直接お礼を言えないのがもどかしい。かわりにイレーナさんに頭を下げた。
「大事になさいね? あなたたちも、そのうちいただけるわよ」
前半は私に、後半はちょっと悔しそうにしているクリフたちに向けてイレーナさんは言い、去り際にハロルド先生へ「今夜奢ってね?」と小さく声をかけていった。せいぜいご機嫌取りがんばれ。
「やー、助かるなあ。どんどん汚れていくから、そのうち所長に怒られるんじゃないかと思ってたんだよね」
カードをしまい、丁重に蓋を閉める。今後、行事や交渉事に行く時などはこれを着よう。今着てるのは作業着にして。
「ご褒美っていうか、あまりにあなたがみっともないから、見かねてくださったのね」
嬉しくて漏れてしまった独り言に、メリーが返してきた。そうかもね。どっちでもいいや。
「そんなこともないだろう」
するとハロルド先生が最初の位置に戻って来て反論した。先程は引きつっていた表情も、またにやけ顔に戻っている。
いや、むしろもっと嫌な感じの笑みになっている。
「卒業して終わりかと思ったが、ふうん、そうかそうか」
「なんですか」
「王妃になったら俺に爵位くれ」
「真っ先に降格してやりますよ」
この人が私をからかいたいだけなのはわかっている。まともに相手はしていられない。
「殿下がそのような愚行を犯すはずがないだろう」
そしたらクリフが真面目に割り込んできた。愚行って、私に失礼だな。
「思い上がらず今後も誠心誠意勤めることだ」
「わかってるって。ほら、先生にはこの葡萄酒あげますんでもう行ってください。マティが飲めないらしくて余ったので」
「少しは言葉を選ぶ気ないのか?」
「先生に対してはありません」
「――ま、良いだろう。今日のところはこれで手を打ってやる」
酒瓶を持って、ようやくハロルド先生はいなくなる。
へらへらしながら人を観察し、動向を楽しんでいるようなあの人が、私はやっぱり苦手だなあと思う。
ともあれ、お世話になった友人たちにお礼できたので良し。
満足し、アレクからのご褒美を抱え仕事場に戻る途中、ふと、なんだかもう一人くらい、お礼をしなきゃいけない人がいたような気がした。
最近忙しいのが続いたせいか、記憶力が微妙に落ちてるんだよなー。
しばらく考えてみたが、思い出す前に昼休みが終わってしまい、「ま、いっか」となって結局、忘れた。




