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忙しい、忙しい。
と連呼していると、なんだかまるで倒産間際の会社経営者のようだが、事実、わずかな休憩を終えた後の私はひっきりなしに動き回っていた。
魔石の新しい利用法についてお偉い方に引き続き理解を働きかけたり、魔道具を開発したり、各地の鉱山に赴き浄水設備を作ったり。むろん、通常の業務も消えてなくなりはしない。
さすがに一人じゃ無理な仕事量なので、嘆くコンラートさんをどうにか励まし、働いてもらった。私よりも魔技師としての経験を積んでいる兄弟子は本来、器用で要領が良く、やる気さえ出してくれれば有能な人なのだ。だらだらしつつも、毎日、定時で帰れていたのはそういうこと。
私とコンラートさんの両方が地方の鉱山に出張している時は、王宮での業務を老師が一人で酒を飲まずにがんばってくれていた。依存症から立ち直る最良の方法は、人生にやりがいを見つけることである。
こうして、魔道具開発部門の面々が、にわかな忙しさに目を回す日々はしばらく続き、明けて翌年。
新年を迎えて大勢の人が沸き立つその日、所長に呼び出され、努力の結果をついに得た。
直後に、私は工房へ駆け込んだ。
ほとんど蹴破るように扉を開けると、正月でも休む間のない魔技師たちが驚き顔を上げる。その前に、所長から受け取った羊皮紙を上下に持って広げた。
「勅許ですっっ!!」
記されているのは、国王による魔道具の店を開く許可の証。
からん、と老師が魔石を床に落とした音が響いた。作業台の前の椅子を立ち、ふらつきながらやって来て、紙に触れる。
「本物か・・・?」
「もちろん。こんなの偽造したら怒られるだけじゃ済みませんよ」
老師の指が、王の署名と印をなぞる。
エールアリーで作った魔道具の評判は徐々に王宮へ届いていた。新しい用途への意識ができ始めたところへ根気強く説得し、王宮で試しにランプを使ってみて、便利さを確認してもらったり、懸命に働きかけてきたのだ。
それからたぶん、私の知らないところでも動いてくれた人が、大なり小なりいたんだと思う。近いところでは、所長がとても忙しそうにしていた。
まだ信じられないように何度も何度も書面を読み返す老師に、私は思いきり笑顔を突き出した。
「世界が変わりました」
ほんのささいな変化だけど。
この人が、どれほど待ち望んだ変化であったことか。
「・・・転がり始めれば、早いもんじゃのう」
老師は皺くちゃの目元を緩めた。良かった。でも、感動に浸っている暇はあんまりない。
「さ、開店の準備をしましょう老師。開発・製造は基本的にはこの工房で行うようにして、店では販売・修理を行うようにするそうです。それにあたって、魔技師を増員してもらえることになりましたよ。老師もコンラートさんも今度こそまともに新人教育お願いしますね」
「わかっとるわい」
「めんどくさいなあ」
やる気に満ちた老師と反対に、奥の椅子に座っている兄弟子がぼやく。
「店のほうは正式に私が担当になりましたんで、工房のほうはコンラートさんががんばってくれないと困りますよ」
「・・・まあ、客商売よりは良いけどさあ」
一応、この工房の責任者はコンラートさんである。老師は上司であっても、その出自の関係から、他とは違う扱いなのだ。
なので自然と、店のほうは言いだしっぺの私が担当するということで、どこからも文句が出なかった。作ってもらえるの、一軒だけだしな。これから評判が上がって魔技師が増えれば、チェーン展開していけると期待している。
お許しが出たことの報告は、同僚たちだけに留まらない。
「リル姉いるっ!?」
夕方、研究所から急いで帰宅し、また扉を蹴破る勢いで部屋に入ったせいで、ベッドに座って寛いでいたリル姉がカップを落としそうになっていた。ごめん。
「どうしたの?」
「王都に魔道具のお店を開くことになったの!」
「え、ほんと!? おめでとう!」
リル姉も私の口から事の経緯を聞いてきている。苦労してきたこと知っているから、同じように喜んでくれていた。
「いつ、どこにできるの?」
立ち上がり、弾む声音で尋ねるリル姉。
「予定では春頃には、一の門近くにできるよ。それでね?」
ここからが、リル姉に聞いてほしい話。
「魔石の管理の関係で、私は店か、そのすぐ近くに住むことになったの」
「それじゃあ、ここを出なくちゃいけないってこと?」
「うん。で、聞いたら予定地の隣が空き家らしいんだよ。だからこの際、そこ買って薬屋にしない?」
「え・・・」
リル姉は咄嗟の言葉を失っていた。私の頭の中ではずっと考えていたことだったが、まだちゃんと言ってなかったか、そういえば。リル姉がエールアリーから帰って来た後も、私は王都を出たり入ったりで忙しくて、あんまりゆっくり話す暇がなかったもんなあ。
「私もリル姉もエールアリーのことで褒賞金もらえたし、貯金がそこそこ溜まってるでしょ? 頭金は出せると思うんだよね」
「エメ、それって」
私は大きく頷く。
「ジル姉を呼ぼう!」
数えれば四年。長かったような短かったような。
「どうせここを出るんだったら、隣に三人で暮らせる場所を買ったらどうかなあと。リル姉はどう思う?」
ベッドの上に腰かけ、ひとまずは落ち着いて話を。でもお互い、いつもより声が高くなってしまうのは仕方がなかった。
「反対なんてしないわっ。だってそのために働いてきたんだものっ」
「そう言ってくれると思った! ただ、私は魔道具のお店のほうもやっていかなきゃいけないんだけど、リル姉は今の仕事どうする?」
するとリル姉は少し考え込む。
「・・・ジェドさんやフランツさんに相談してみるわ。もともと、お店ができるまでと思っていたところではあるもの。後任が見つからないうちはもちろん、辞めるわけにはいかないけど、その間も少しはお店を手伝えるわ」
「そう? 無理に辞めなくても、リル姉も王宮の仕事を続けて、薬屋のほうは他に人を雇うのでも良いとは思うよ。基本はジル姉のためのお店だからね。私も手伝える時は手伝うし」
「うん、でも、相談してみるわ。ちょうど良い機会かもしれないし・・・」
「? 何が?」
「あ、ううん、なんでもないの」
リル姉は慌てて首と手を振る。その反応は一体。
「何かあったの?」
「何もないわ。何もないから、私もジル姉とエメとお店をやりたいの」
「・・・なんか言ってることおかしくない?」
「そ、そんなことないわよ?」
あからさまに、ごまかされている。医療部で何かあったのかな。真っ先に思い当たる要因はあるが。アレと引き離せるなら、リル姉が王宮を辞めることはちっとも悪くない。
「それよりも、ジル姉は王都に来れるのかしら」
話を逸らされた。かなり気になるが、まあ、追求は後にしよう。今は未来の話。
リル姉の懸念はもっともなことなのだ。
「わかんない。私が一人前になる頃には行けるにようになってるかもとは言ってたから、何かのほとぼりが冷めるのを待ってるのかなーと思ってるけど」
「それって、その、例えば捕まるようなことをしたってことじゃ、ないわよね? ジル姉に限ってないわよね?」
「たぶん、ね?」
うっかり二人とも疑問形になってしまったが、いやいやジル姉は見た目が怖いだけで至って善良な人だ。大丈夫なはず。
「――そうだ、まずレナード宰相に訊いてみない? ちょうど新年だし、ご挨拶がてらさ」
「あ、そうね。それが確実ね」
絶対に事情を知っているあの人なら、ジル姉が来れるかどうか判定できるだろう。ついでに、そろそろ私たちにも何があったのかを教えてほしいわ。誰にも言わないからさ。
**
「ちょうど良い時期に重なったねえ」
レナード宰相は、自宅の応接室のソファに座り、正面に座る私たちの話を聞き終えるとそう言った。
「どういうことですか?」
「いや、すまない。こちらの話さ」
そうしてお茶と一緒に言葉を飲み込んでしまう。
偉い人は他にもご挨拶などが多くて忙しいらしく、お話したい旨があることを手紙で伝え、こうしてこの場に来るまで七日かかった。それでも疲れた顔一つせず、相談に乗ってくれるのは感謝するが、事情を教えてくれないのはやはりつまらない。
レナード宰相はいつも通り、本音を見せない朗らかでにこやかな笑みを浮かべている。
「姉に店をプレゼントしようと言うわけだね。実に素晴らしい計画だと思うよ」
えーっと、この会話の流れからすると、結論は、
「では、ジル姉を王都に呼んでもよろしいのでしょうか」
リル姉の尋ねに、レナード宰相は頷いた。
「準備が整うのは春なのだろう? その頃ならば、ジゼルが王都にいても問題はないはずだ」
デッドラインが今年の春? だからさっき、ちょうど良い時期だと?
「本当ですか? 良かった!」
リル姉がほっとした顔で、嬉しそうに微笑む。私も、嬉しいことは嬉しいのだが。
「ジル姉が王都に来れなかった理由は、一生尋ねてはいけないことなんですか?」
「知ったところで得することのない話なのだよ。ただこれだけは伝えておこう。君たちが心配するような大した事情はないよ。ささいな、と言ってしまえば当人たちに怒られてしまうかもしれないがね。冷静な者からすればそんな話さ」
どんな話だ。ささいな事情で王宮追放されるってどういうことよ。逆に気になるわ。
「店の完成を私も楽しみにしているよ。応援が必要ならばなんでも言ってくれ」
結局、真相は語られずに話を逸らされてしまう。ジル姉と一緒に暮らせるというのなら、まあ、良いんだけども。
「――応援と言えば、レナード宰相も魔道具のことで陛下たちに働きかけてくれていたんですよね?」
ジル姉のこととついでに。
アレクが宰相からガレシュでの魔石の利用法について聞き、それを踏まえて日用品化に賛成していたところを見ると、陰ながら後押ししてくれていたのだと思う。プレゼンの時も助けてくれたしね。
「ありがとうございました」
座ったままだが、深く頭を下げる。するとレナード宰相は、かすかな笑い声を漏らした。
「実を言えば、君たちが活躍すると私もおいしいのだよ」
「え?」
レナード宰相は口髭の先をつまんで、上機嫌に言う。
「優秀な卒業生のおかげで、私の学校建設計画も良い具合に後押しされているんだ。もっといくらでも派手に活躍してくれて構わないよ。協力は惜しまない」
そういえば、もともと私の魔法学校入学も彼の計画を推し進めるための一手だったんだよな。すっかり忘れていた。ただただ目の前の問題を解決するために起こしている行動が、全然別の場面で利用されているのだと言われても、実感がなく妙な心地だ。
「君たちにしてもジゼルにしても、この国には優秀な人材が埋もれ過ぎている」
続けて宰相はかく語る。
「それらは積極的に掘り起こさねばならない。才能が身分ごとに画一化されることはないのだからね。しかし現状は見出す努力を怠り、いたずらに才人たちを失ってしまっている。そこが、私が最もこの国を許せないところなのだよ」
微笑みのまま、けっこー過激なことを言った、この人。思わずリル姉と顔を見合わせてしまう。周囲の批判を無視して勝手に自分の領地に学校を建てた時点で、大人しい人ではないんだろうが。
要するに、すべての人に機会を均等に与えたいということだよな。封建社会で、彼はやけに先進的な考えを持っている。
自国のことしか知らない人なら、こんなことは考えないと思う。きっとレナード宰相は他のあらゆる国や思想のことを、よく勉強しているんだろう。
ともあれ。
「私たちは私たちの仕事をしていきます。それでお役に立てるのであれば光栄です」
せっかく与えてもらえた機会を無駄にしない。きっと、この人に対する恩返しはそれで良いんだろう。
私とリル姉を交互に見つめ、宰相は満足げに頷いた。
「よろしく頼む。君たちは準備を進めておきなさい。ジゼルには私が知らせよう。彼女のことは、すべてこちらにまかせてくれて構わないよ」
わざわざ言うってことは、やっぱり何か面倒事の始末があるんだろうかと勘繰ってしまう。
よくわからないことが多くて、完全にすっきりした気持ちでお屋敷を失礼することはできなかったものの、
「――ま、春にはジル姉に会えるってことなんだよね」
門の前で、リル姉と私はその事実を改めて確認し、嬉しさを堪え切れず頬を紅潮させた。
これからまだ忙しくなる。でもその先にあるものを思えば、心浮き立つ幸せな苦労だった。




