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「なんで俺まで・・・」
手分けした荷物を抱え、中央宮殿の廊下を行く間、コンラートさんは青い顔で何度も何度も繰り返す。
「他に人がいないんだから、仕方ないじゃないですか」
プレゼン会議は午後の一番に開かれる。クリフたちのおかげで準備は万端だが、資料配りなどは私一人では手が足りない。なのでコンラートさんに本番での補助をしてもらうことにした。
「企画が通ったら魔技師の人員を増やしてもらいましょう」
「それはそれで新人教育とか大変じゃないか~」
「最初だけですよ。さ、がんばりましょう。何かあったらフォローお願いしますね」
「やめて。俺にお前と同じ度胸を求めないで」
頼りにならない人。でも、こんな助手みたいなことを気軽に頼めるのは助かる。なんだかんだで、優しい先輩なんだよな。
やがて、私たちを案内してくれている兵士が、廊下の先にそびえる門に突き当たって立ち止まった。複雑な模様が刻まれた重厚な扉が左右に開き、案内人は脇にどく。
中の広間には、コの字型に長机が設置され、左右に威圧感のある髭面がずらりと並んでいた。
そして正面奥には威厳を湛えた王が。右にわずか視線をずらせば、レナード宰相の姿もある。
だけど何より驚いたのは王の隣に座る人。
なんと、アレクがいる!
入口で、礼をするのも忘れて思わず目を剥く。まさかここで会えるとは思いもしなかった。これも政務を学ぶ一環か、あるいは私を応援しに来てくれたのか?
なんにせよ、これほど嬉しいことはない。
アレクは青い瞳でまっすぐこちらを見つめ、一度頷いた。「がんばれ」と言ってくれているみたい。それだけで、ほんのわずか生じた緊張が解けた。笑みが自然と口元に浮かぶ。
――っよし、やろう。アレクに情けない姿は見せられない。
心奮い立ち、王の御前に進み出た。
「まず、今回のエールアリーの疫病事件について。これは、ヒ素という鉱山に存在する金属が、水に溶け出してしまったことが原因でした」
コの字型の真ん中辺りに立ち、最初は公害の話。設置してあるヒ素除去装置について、その有効性と必要性を王たちへ説明する。これらのことは、すでに報告が他からも上がっているので、簡単に済ませて問題ない。なお、コンラートさんは資料を配り終えたら、広間の隅へ自主的に引っ込んだ。
「金属がただの水に溶けるのか?」
おじさんたちは、いちいち王の許可を取らず自由に質疑を繰り出して良いらしい。うん、そのほうがやりやすい。
「雨滴で穿たれた石をご覧になったことはありませんか? 金属も水で削れますし溶けます。それが事実であることは、設置した魔道具で患者の体調が改善されたことで、証明できています」
ここで、一つ提案がある。
「他にも、水に溶け出してしまうと良くない金属があります。銅や鉄なども、あまり多量に水に含まれていると健康を害す恐れがあります。ですから、他の鉱山にもエールアリーのように浄化設備を作るべきです」
「それは、すべての鉱山に魔道具を設置するということかい?」
レナード宰相が穏やかに問いかけた。
「その通りです。知られていないだけで、被害がすでに出ている可能性はあります。早急な対応が必要です」
「魔道具でなければ叶えられないのだね?」
「最も効率的で有効なのが魔道具なんです。他に方法がないとは申しませんが、あえて最良を選ばない理由が見つかりません」
「なるほど。もっともな意見だ」
レナード宰相は深く頷き、主を仰いだ。
「陛下、この件に関しては私も賛同いたします。普遍的に存在するものが疫病を引き起こした以上、対処せねば民の間に不安が広がってゆくばかりでございましょう」
「・・・そうだな」
宰相閣下の後押しのおかげで、国王陛下もなかば納得している。ま、他の解決法が見つからない限り、却下はされないだろう。他の人たちも複雑な表情をしながら、何も言えないでいる。
問題は、この後だ。
「しかしっ、ただのランプなどに魔石を用いるのは明らかな無駄ではございませんか!」
まだ説明してないのに、先んじて声を荒げる人がいた。
「ランプだけではありませんよ。ちょっと失礼。コンラートさん」
呼び出しを受け、果てしなく嫌そうにしながら、コンラートさんが隅から出て来て鞄を開く。この日のために試作品を用意しておいたのだ。
まず、私は石を一つ取り出した。
「これが問題のランプです。石を叩くだけで点灯するようにしてみました。ご覧あれ!」
物売りのように、ぐるりと周囲に商品を見せ、黄色の石を爪で弾いてみせる。と、窓から注ぐものと同じ強い白光が石から発せられた。
眩しさに目をすがめるご一同。驚くのはまだ早い。
「お好みで光の色を変えられますよ。赤橙黄緑青藍紫、ご注文いただければいくらでも!」
床に七つ石を並べ、斜め上へ向けて光を放つ。アレクや王の頭上に人工の虹をかけた。本物よりも色濃く、天井を走るそれを、皆がぽかんと口を開けて見上げていた。
「ランプだけじゃありません。こちらは『ライター』。それから『コンロ』も」
ライターは手のひらに収まる金属棒の先に石をくっつけ、撃鉄でかちんと打ち鳴らすと、火が灯る。そしてコンロは、弱火で一つ、中火で二つ、強火で三つの石が発動するように設計した。
彼らは同じ王宮で魔法使いたちと働きながらも、あまり魔法を見る機会がない。声を荒げていた人も、呆気に取られて黙ってしまった。
「これらはすべて、鉱山で大量に放棄されている魔力の少ない魔石を加工したものです。この方法なら、現在の魔石のストックを減らすことなく、日用品の魔道具を作れます。他にもまだ作成はしていませんが、火を使わない暖房器具、農機具や、動力としての活用など、案として考えているものはまだまだあります。ささやかな道具が、国民の生活を劇的に便利なものにするでしょう。皆さんも、これらを家で使ってみたいとは思われませんか?」
思ったなら、賛成してほしい。だけどそう簡単にはいかない。
「しかし、他国へ魔石を流出させることになるのではないか」
大きな問題はそこ。魔石に刻まれた呪文は表面を削ってしまえば、他のことに流用できてしまう。でもこの解決法はすでに老師が知っていた。
「そこで、コーティングの呪文です。これは石が削れないようにするための魔法なのです」
透明な粒子が高密度に表面に集まって、物理的な衝撃を弾くのである。この粒子の正体が実を言うと、よくわからない。もしかすると、この世界に特有の元素か何かなのかもしれない。ルクスさんの持っていた元素周期表には私の知らないものがあって、この魔法陣にはその知らない元素の文字が使われているから。
「コーティングの魔法を解くには封緘の呪文を唱えて、石の魔力を封じなければいけません。それ以外では、石の魔力が尽きるまでこの魔法を解くことができません。なので、仮に魔石が他国へ渡ってしまったとしても、封緘の呪文がわからない限り、魔石を加工し直すことはできないんです」
ランプとして作られた魔道具はランプとして一生を終えるしかなくなるのだ。他へ流用はできない。これならむしろ、他国へ積極的に売っていくのもアリなんじゃないか?
原料はほぼタダ。使えるようにするための手間はかかるが、作る人が増えればなんとかなる。省力化については後々、考えていくことができるだろう。
コスト低下、軍事用魔石数の保持、悪用の防止、考えられる問題は解決させた。
さあ、どうだ。
「――それらは、まことに必要なものでしょうか?」
誰かが、静かに異を唱えた。
「ランプなどはすでに出回り、火をつける術もある。疫病の件とは異なり、それらには魔石を使わねばならぬ理由がございません。未利用の魔石は軍事転用させるほうが国益となるでしょう」
やっぱりな! 言うと思った!
軍事用の魔石を減らせないから、未利用資源を使おうって話してんのに!
「確かに、そうですね」
「貴重な資源を民の間で遊ばせるのは如何なものか」
「その新しい技術を用いれば、膨大な魔力を蓄積させた魔石を製造し、より強力な魔法を開発することができるのでは?」
話が一方向に流れていく。危険な結論に向かって。
こうなることは、予想できている。なんとしても、ここで止めなくちゃならない。
「ならば何のために、フィリア姫はガレシュへ嫁がれるのですか」
話し声は、瞬時に消えた。
「その強力な魔法はどこへ向けるものですか? 王女殿下が輿入れされるガレシュ王国? それとも、王妃殿下の故郷であるティルニ王国ですか? 私たちは、ようやく真の平和を迎えるのに」
まっすぐ、正面を見据える。話し相手は愛国心溢れるおじさんたちでなく、かの姫の父親である人だ。
「想像してみてください。日が沈み、夜が来ると同時に妻は明かりを灯して、遅くまで働いてきた夫を出迎えます。雨の日でも手間取ることなく竈に火をつけ、温かい夕食を出すことができるでしょう。魔石で街灯を作れば、炎よりも長い間、暗い夜道を月の光よりも確かに照らしてくれます。それがどれだけ不安を晴らしてくれることか」
ささやかな願いでも、喜ぶ人がいるなら十分に叶える意味がある。
「力は誰かが独占して、溜めこんでおくものではないはずです」
政治の機微など知らないが、ひたすら金庫の中に魔石をしまい込んで、私からすればそちらのほうがずっともったいない。
「多くの人が王家の下で力を合わせ、トラウィスの国を創ったように、力は皆で出し合って分け合うものです。一人きりで生きていけるなら、国にいる意味なんてありません。私たちはそれぞれに色々なものを分け合って生きています。だから魔石も」
一つ取って掲げ、訴える。
「少しでもいいので、どうか皆に分けてください。敵と戦うためだけではなく、日々の家族の幸福のためにも、力を使っていきませんか?」
もちろん、この世界は三国だけじゃない。海の向こうにも国はある。『いつか』のために、武力を備えておきたい気持ちはわかる。
でも、それにはキリがない。強弱は相対値。どんなに強力な武器があっても、安心なんてきっとできない。生物にとって絶対に安全な場所などないんだから。平和を維持するための、たゆまぬ努力と勇気が私たちには必要だ。いつまでも、怯える心で誰かを傷つけるようではいけない。
「魔法学校の卒業式で、陛下は神でなく我々魔法使いに、全国民にとっての幸福を願われましたね。今回のご提案は、陛下の御心にかなうものであると思います。ですから、どうかよろしく、ご検討願います」
跪いて、礼をとる。
「・・・そなたの国を想う心はよくわかった」
厳かに、王が言葉を紡ぐ。顔を上げると、優しい瞳があった。
「エールアリーでの働きは大義であった。次の仕事まで、ゆっくり休むがよい。その間、何が最も民のためとなるのか、私もいま一度考えよう」
この場で結論は出せないが、議論はしてくれるってことだ。
「ありがとうございます」
話を聞いてくれたことへの感謝を込めて、最後は全員に向かって頭を下げた。
廊下に出て、深呼吸。
手応えは、まあまあといったところか。左右のおじさんたちは反論がたくさんありそうだったから、どう転ぶかはまだわからない。ま、なるようになるだろう。
「あぁ・・・一生分の緊張した」
歩きながら、コンラートさんも安堵の息を吐く。
「ありがとうございます。助かりました」
「おかげで胃が痛いよ」
「胃薬作ってあげましょうか? 私、薬屋で働いてたんで作れますよ」
「あー、そういえば、姉さんが医療部にいるんだっけ? どうせお礼のつもりなら、そっちを紹介してくれよ」
「嫌です。これ以上、姉の周りをややこしくしたくありません」
大体、まだリル姉帰って来てないしな。大丈夫かなあ。何も変なこと起きてないかなあ。そっちのほうが実は心配だ。
「そこの魔技師」
突然、ぶっきらぼうな呼びかけに止められた。
前方から、先程の会議の場にはいなかった少年がやって来る。一瞬驚いたものの、すぐに笑みを浮かべて応える。
「何かご用でしょうか、ロデリック様。お久しぶりですね」
敬語を使えば、やはりどこか痒そうに彼は顔をしかめる。学校にいた時の白いローブ姿ではもちろんなく、立派な近衛兵の制服にマントを羽織り、ベルトに剣を差していた。
「お前とは久しいという気がしないが」
「どういう意味ですか」
「姿がなくとも騒がしさだけは聞こえてくるのだ。付いて来い」
どこへ、とは告げずに、ロックは正面玄関とは別の方向へさっさと行ってしまう。
「コンラートさんっ、荷物お願いしますね!」
「え、うそ。え? どこに行くの? どゆこと?」
困惑する先輩に荷物を全部押し付けて、急ぎ足でロックを追いかける。
彼は中央宮殿の裏門から、中庭に出た。芝は青くなり始めているが、春にはまだほんの少し早いため、花などは咲いてない。そこをさらに越えていく。政務が行われる中央宮殿の奥となると、もしかして王族の居住区か? 後宮とか、そういう感じの。
水色のカーペットが敷かれた廊下を進む間、どこからか音楽がかすかに聞こえる気がした。なんだか雅な雰囲気だな。それから応接間のようなところに通され、ソファに座ってしばし待つ。
やがて――――
扉を開けて、現れたのは金色の王子殿下だ。
私はすぐに席を立ち、口を開いたが、咄嗟にどういう言葉をかけるべきなのか迷った。えーっと、他にはロックしかいないけど、普通に話していいのかな? ここは跪くべき? 次の動作に悩む私に、彼は微笑みかけた。
「久しぶり、エメ」
その言葉で、悩むことなどないと悟る。
「――久しぶり、アレク! 会いに来たよ!」
目の前にいる人は、王子じゃなくて単なる親友。
駆け寄る間に、話したいことが次々と頭に思い浮かんでいた。




