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 かつて、この大陸に三つよりも多くの国があった時代。

 不思議な力を身に付けてしまったミトアの民は、その知識を多くの者に狙われていた。

 彼らにとっては地獄だったろう。これ以上、住処を蹂躙されるのならば、いっそ生まれた大地ごと、自ら滅んでやろうと思ったのかもしれない。

 だけど全員が全員、絶望したわけじゃない。滅びの前に森を逃げ出した人たちもいた。

 彼らは現在のガレシュ領内の山間に潜み、その特徴的な髪色を自然の緑に隠しながら、ひっそりと命を繋いでいたのだ。

 老師は生き残りたちの新たな集落に生まれた、新たな世代の子供だった。

 しかし、ようやく訪れた平穏も、長くは続かなかったのである。

「ガレシュに見つかったのは、わしがお前さんよりも小さい頃だったかの」

 力のない声で、老師は昔を語ってくれた。

 突然集落を大軍に襲われ、ろくに抵抗することもできず、捕まったのだそうだ。

「皆が、働かされた。女も子供も」

 魔法使いの素質は血筋では決まらない。が、ミトアの民は魔法の知識を持っているし、魔石に彫り込むミトアの文字を知っている。誰にでも等しく利用価値があった。

 老師は来る日も来る日も、争いに勝つための魔道具を作らされた。戦いに出される人もいたし、昼も夜も働かされ、過労で亡くなってしまう人もいた。老師の両親は、後者だった。

 当時、戦況が思わしくなかったガレシュでは、魔法がもたらされたことによって、形勢を逆転できたらしい。

 だが、魔法を得たのは他国も同じだ。

 他のミトアの民が滅んでいても、すでに伝えられているものがある。例えばトラウィスでは、マティが尊敬してやまない偉大なる研究者、クレメンス・クーイーが過去の記録から呪文を復活させ、最強の魔法使いエリス・レインを誕生させていた。いつまでも、ガレシュに有利な戦況は続かなかったのだ。

「奪った土地を奪い返されるたび、魔道具に求められる威力が大きくなっていった。挙句の果てに、あの兵器を作れと、言われたんじゃ」

 かつてミトアの民が森ごと自らを消した、呪いの兵器を。人には到底扱えそうもない大規模な魔法は、魔道具によるものだったらしい。

 囚われのミトアの民たちは、最後の力を振り絞って反抗した。彼らにとっては、地上のどんな事物よりも忌まわしいものであったのだから、当然だ。

 しかし王の怒りを買い、わずかに残った人々も殺された。

 一番若く体力もあった老師だけが、その間際に、仲間の手によって逃がされたのだそうだ。

 停戦協定が結ばれたのは、それから間もなくだ。戦後の混乱の中を流れ流れて、老師はトラウィスに辿り着いた。

「トラウィスではあらゆる民族の血が混ざり、混沌としておった。魔法に関する知識も浅く、この中になら、わしも紛れられると思ったんじゃ」

 もともと王都からもう少し北の地に住んでいたトラウィス王家の先祖は、戦いに敗れて逃げて来た人々を、受け入れる方針を取っていた。その寛容さから王家は崇拝されている。言葉と文化を統一し、徐々に兵力を増やしていき、やがて『トラウィス王国』になった。

 王家を除いて多種な血が混ざったこの国は、確かに紛れるのに良かったのかもしれない。

「それでも一応、髪は全部剃った。おかげで、女房に初めて会った時には、怖いと文句を言われたもんじゃ」

 老師は自分の頭をなでて笑っていた。少しだけ、寂しそうに。

 奥さんと過ごしていた頃が、短く貴重な幸福の時間だったのだろう。

 

 その後は、以前に聞いた通り。病気にかかった奥さんの薬代が欲しくて、トラウィスの王宮に身売りし、今に至る。

 フィン老師が王宮に受け入れられたのも、工房に隔離された部屋があるのも、彼がミトアの民の生き残りだったからなのだろう。

「・・・トラウィスで、ひどいことはされなかったんですか?」

 少し迷いながらも、私は尋ねてみた。

「停戦してしばらく経っておったからな。魔道具の作り方を伝えるだけで満足されたよ。強力な呪文だのも訊かれはしたが・・・間もなく女房が死に、わしがほとんど使い物にならなくなったせいで、ここに押し込められた」

 老師は自嘲するようだ。

「生き残りであることは隠されているんですか?」

 学校ではミトアの民は滅び去ったと教えられているし、馬車でのイレーナさんの態度からも、なんとなく秘密にしておきたがっている感じがした。

「ミトアの民の血は、ある種の脅威になるからじゃろう。実際のところ、わしは魔法の深層までは知らん上に、強力な魔法も己で使えはせんのじゃが、何か恐ろしいことができるように思われて、騒ぎになると面倒じゃろ」

 はじめに魔法を手に入れたミトアの民には、妙な期待と畏怖心が抱かれているんだろう。私も、その血に訊けば新しいことがわかるんだと思っていた。

「老師でも魔法の秘密は知らないんですか」

「わしが子供だったからかもしれんが、思うに集落の大人たちも、よく知っていたわけではなさそうじゃった。すべては、滅んだミトアの民たちが持っていったのじゃろう」

「・・・そうですか」

 年代が変われば、持っている知識にも差があったのかもしれない。

 秘密がわからなくなってしまったことは残念な気もするが、よけいなことを知っていたせいで、老師がもっとひどい目に遭うくらいなら、知らなくて良かった。

 老師がルクスさんに魔法を教えたくなかった理由も、その辺りにあるのだろう。


「ルクスさんは、奥さんが亡くなられてすぐに、出て行かれたんですか?」

「ああ・・・まったく、わしはだめな父親じゃった」

 老師は両手で顔を覆い、うつむいてしまった。

「己ばかりが悲しみに囚われて、幼い子の存在を一時でも忘れてしまった。見限られて当然じゃ」

「・・・」

 たぶん、老師が抱える罪悪感はルクスさんのほうも持っている。自分に会いたくないだろうと口にしていたのはきっと、そういうことだと思う。

「もっと、父親らしく、あの子が知りたがっていた魔法も、教えてやりたかった。取り上げて、叱りつけるのでは、なく・・・じゃが、こんな知識は、力は、持っていても災厄しか呼ばん。ミトアの民は、呪われたのじゃ。そして大陸中に呪いを振り撒いた」

 魔法の力を手にしたミトアの民は滅んでしまった。では、今、由来の不明瞭なその力を行使している私たちの未来はどうなるのか。

 同じ末路を辿ることがすでに決まっているのならば、確かにこれは《呪い》だろう。

「――でも、魔法のおかげでエールアリーの人々を救うことができました」

 絶望する老人が、顔を上げる。

「あなたのおかげなんですよ、老師」

 多くの苦しみと悲しみの中を懸命に生き続け、あなたが私に伝えてくれた。ルクスさんだって、間接的に老師から魔法を教わったんだ。

 魔力は何にでも変換しうるエネルギーで、そこに善悪などない。必死に考え、心がけて、私たちがこの力を恩恵であるようにすれば良い。

 誰にも二度と、絶望させないように。

「違う使い方もできるんだって、皆に教えてあげましょう!」

 すると、老師の眉間に寄った皺が緩んだ。

「・・・魔石加工を教えろとしつこく取り付いてくるお前さんを見た時、ルクスの顔が浮かんでおったよ」

「で、邪険にしてくれたわけですか」

「怒るな。悪かった」

 さて、と老師は膝頭を叩く。

「やるか」

「やりましょう」

 悲しい話はここまで。

 過去を決して忘れずに、命の限り、明日へ向かって進んでいこう。

 希望はすでに、この手にある。



 早朝。

 テオボルト・レイン所長は必ず、始業の鐘が鳴る前に出勤してくる。だが、工房に泊まり込んだ私はもっとずっと早くから、彼のデスク前で待ち構えていた。

「おはようございます」

 入口で一旦立ち止まった彼と彼の秘書に、まずはご挨拶。今度は、デスク周りに企画書を貼り付けるような真似はしていない。する必要がない。

 所長が席に着くのを見計らい、新たな企画書をデスクに置いた。

「お目通し願います」

 所長は表紙に指を触れる。すぐさま投げ出されることはなく、静かに言葉が紡がれた。

「多くの魔法使いは、他者に魔法を使わせることに興味はない。己らの能力を高めることが、国への貢献であると信じるためだ。また、それこそが己が地位を確立するための方法でもある」

「ええ。ですから私は、所長なら、魔道具の価値を理解してくださっていると思っています。魔法使いではない、あなたならば」

 天才魔法使いと血筋を同じくしていても、素質は必ずしも遺伝しない。

 企画書の中を見る前に、所長は厳しい眼差しで部下を見定める。

「策は練ったのか」

「考え得る限り」

「未利用の魔石を使うというだけでは崩せんぞ。流通させるには費用以外に大きな問題がある」

「おそらく解決できているかと。詳細は中をご覧ください。合わせて、こちらも」

 続いて、一枚の封を差し出す。

「これは・・・」

 続く言葉を失う上司に向かって、深々と頭を下げた。

「よろしく、ご検討願います」

 

 その日、私は辞表を提出した。





**


 ある日、クリフォード・リーヴィスは信じられない話を耳にした。

 業務終了後の帰り際、同僚のくだらない噂話が偶然、聞こえてきたのである。普段、不作法など決してしない彼だが、我慢できず話に無理やり割り込んでしまった。

 ―――どういうことだ。

 今、魔技師の工房へ足早に向かう彼の頭中には、疑問と憤りが交互に巡っている。

 非常に腹立だしくも、競い合える相手として認めていた者が、辞表を提出したというのだ。

 まず、そんなものが受理されうるのかという問題は置いておくとして、自ら職を辞する意を表すなど言語道断。

 ―――しかも、この私よりも先に功を立てた直後!

 クリフォードにとっては、己を侮辱されたに等しい行為だ。

 事の次第によっては、怒鳴り散らすだけでは済まない剣幕で、彼は工房の扉を思いきり開け放った。

「エメっ!! 貴様っ、一体どういう――っ!」

 怒りの言葉は、目の前の光景によって急速に勢いを失う。

 工房の中には彼の知らない老人と青年、そして友人であるマティアスとメリリースがおり、皆、床や机で懸命に書き物をしていた。

「ようこそクリフ! 助かるよ!」

 そして、書類の束を抱えた赤毛の少女が待ってましたとばかりに、入り口で呆然としているクリフォードに駆け寄っていく。

「この書類を写して、十枚!」

「な、何をしているっ」

「時間がないの! お願い、お礼は後で必ずするから!」

 わけもわからないまま紙の束を押し付けられ、無理やりペンを握らされる。当然、抗議しようとしたが、

「クリフォード、一人だけ逃げるのは卑怯者よ」

「あ、あの、できれば、手伝ってほしい。僕たち、もう、手が痛くて・・・」

 なぜかメリリースに睨まれ、マティアスに懇願され、クリフォードは閉口した。


**


 まったく、私の友人たちの情に厚いことといったらない。

 明日の大一番の勝負の前に駆けつけてくれるんだから、感謝に尽きる。

「これは一体なんなんだ」

 手だけは動かして、クリフが不機嫌な顔で訊いてきた。

「プレゼンの資料だよ」

「は?」

「明日、陛下と関連各所のお役人の前で、日用品の魔道具について紹介するの。これらはその説明に使う資料。全員に配るんだ。ほんと助かったよ。あ、できるだけ丁寧に書いてね?」

 最後の注意には、うるさそうに顔をしかめられた。まあ、クリフなら、どんなことにも手を抜かないはずだ。生真面目な性格が表れた非常にきれいな文字を書く。

「日用品の魔道具だと? それは、つまり、魔石を流通させるということか? また馬鹿な真似を」

「でも、謁見の申請を所長が通したそうよ」

 メリーが横から口を挟む。彼女の場合は気を散らすと間違えそうなので、できれば集中してほしい。

「もともと申請する前から、エールアリーの疫病事件で作った魔道具について、国王陛下に呼び出される予定だったの」

 詳細の報告書は上げていたのだが、本人から直接話を聞きたいのだそうだ。これまでとは違う魔石の使い方について、しっかり把握しておきたいのだろう。そのついでに、こっちは他の使い道についても発表させていただく。所長のGOサインは無事に得られた。

 武器以外への魔石の使用を一時的にでも認められた今、良い風が吹いている。

「では、辞表を提出したというのは説得に失敗した時のためか? 望みが叶わねば辞めるつもりか?」

 どうやらクリフも、メリーやマティ同様、その噂を聞いて来てくれたらしい。早起きした研究員の誰かから漏れた情報だろう。

「ううん、辞表は成功した時のために出しといたんだよ」

「・・・どういうことだ?」

「魔道具を流通させるには売る場所が必要でしょ」

 にっ、と私は笑ってみせた。

「魔道具のお店を城下に開くんだ!」

 特殊な道具を売るには、ただの雑貨屋では困る。専門知識を持った人が、適切な説明をして、不具合が出た際には修理までできれば安心だろう。

 どうせジル姉の薬屋を王都に開くんだから、その横に作れば都合が良い。

 それで、お店をやるなら宮仕えを辞める必要があるんじゃないかと思い、辞表を先に出しておいたのだ。

「でも、仮に開くにしても官営の店になるだろう、って所長に言われた。この王宮内にある工房の出張所みたいな感じかな。だから辞める必要はないってさ」

 そもそも、魔法使いに辞表の制度はないそうだ。

「というわけで、安心して。心配させてごめんね」

「心配など微塵もしていない」

 クリフは素直じゃない。呆れているような、一方で怒っているような口調で続けた。

「お前はよほど私に跪きたいらしいな」

「まさか」

「宮廷魔法使いから下町の商人に成り下がるのだろうが」

「上には行けなくても前には進める。最初から私は平民の魔法使いだしね。下がりはしないよ」

 明るく返すと、クリフは鼻を鳴らした。

「それほどの意気込みがあるのであれば、なぜもっと早くに周到な準備をしない」

「呼び出しが思いのほか早かったの! 私、帰って来てから七日も経ってないからね? これでもがんばって準備したほうだよ」

「時間がないのはエールアリーで無駄に粘ってたせいでしょ」

 メリーがなかなか鋭いことを言ってくれる。いや、でも無駄じゃないんだよ?

「調査自体はすぐに終わるじゃない。私はひと月で帰って来たわよ」

「メリーも調査に行かされたの? じゃあ、クリフも?」

「無論のことだ」

 エールアリー以外の魔石が採掘される鉱山にも、若い順から派遣すると所長が言っていたが、本当だったようだ。皆もけっこう大変だったんだな。

 そんなお疲れのなか、普段の仕事を終えた後にこうして手伝ってくれるのだから、本当にありがたい。

「・・・あ、あの、エメ。も、もし良ければ、これ、説明してもらえないかな?」

 手が疲れて、少し休憩しながら資料の中身を読んでいたマティが、一枚を掲げて尋ねた。

「コーティングの呪文? 魔技師じゃないとやっぱりわかんないよね」

「で、でも、時間ないかな」

「ううん、ぜひ聞いてほしい。発表の練習もしておきたいから」

 専門の違う人に話してわかってもらえれば、きっと明日も大丈夫だと自信が持てる。人に理解されない説明ほど意味がないものはないのだ。

「クリフもメリーも資料作りが終わったら練習に付き合ってよ」

「・・・あなた、私たちを帰らせないつもり?」

「せっかく駆けつけてくれたわけだし、この際とことん友情を利用させてもらおうかと」

「貴様・・・」

「下劣だわ」

 クリフとメリーは顔を引きつらせ、マティは何も言わず曖昧な笑みを浮かべていた。

「それじゃあ俺は帰っても」

「コンラートさんは絶対にだめですよ?」

 ローブの裾を踏んで逃亡を阻止。老師がすかさず弟子を睨みつける。

「わしが酒も飲まずにやっとるんじゃ。お前さんもそろそろ本腰入れて働け」

「巻き込まないでって言ったのにぃぃ!」

 情けなく泣き出す兄弟子を励ましつつ、友人たちをも巻き込んでの作戦会議は夜まで続いた。

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