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「リル姉マジで気をつけてね!!」
「う、うん、エメ、だからその、何に?」
「将軍に!」
「だから、どうして?」
何度も何度も念を押すも、本人は相変わらずきょとんとしている。
一日かけて各方面に出向き、嫌々ながらに帰る準備を整えた最後に、救護所に赴いてしつこくリル姉に注意を促すが、どうにも不安だ。
「ギートやグエンさんにもお願いしといたから、何かあったら相談してね。ジェドさんじゃ頼りにならなそうだし」
「もう何もないわよ。エメが全部解決してくれたじゃない」
リル姉はそうして、私の頭を優しくなでてくれた。
「たくさん、がんばったわね。お疲れ様」
「・・・うん」
解決できてないことも、あるけど。リル姉に労わられたら少しだけ、心が楽になった。
「私も、たぶんもうすぐ帰ることになると思うわ。心配しないで」
「わかった。――そうだ、あのねリル姉、私、今、計画してることがあるんだ」
「計画?」
「うん。リル姉の手も借りることになると思う。王都に帰ったらまた忙しいかも」
まだ秘密ね、と人差し指を唇に当てる。リル姉はくすくす笑っていた。
「私でよければ、いくらでも手伝うわ。楽しみにしてる」
「ありがと」
「気をつけて帰ってね」
「うん、リル姉もね」
話を終えたら、後ろで待っていたイレーナさんに合流する。
彼女はずっと、救護所の中や外を見回していた。
「ルクスという魔法使いはどこにいるのかしら?」
大いに助けてもらったことを、報告しないわけにもいかなかったから、私は王都へ提出した書類にルクスさんのことを書いていた。老師の息子さんであるということも。
トラウィスは魔法使いを王都に囲う。イレーナさんの役目は、私を連れ帰るだけではなかったのだろう。
だが、帰る準備をしている間も今も、どこにもルクスさんの姿がない。いつも使っていた作業小屋にもいなかったのだ。まるで捕まることを予見して、逃げ出したみたい。しかし、さっき小屋を見た時はまだ、荷物が残っていた。
「手分けして探しましょう。村にはいるのでしょうから」
「でも、イレーナさんはルクスさんの顔を知りませんよね?」
「見ればわかるわ。絶対に」
イレーナさんはいやに自信満々で、行ってしまった。
その背を見送り、私は反対側を探すことにする。――――と。
「エメ、エメ」
すぐに、民家の陰で手招きしているルクスさんを発見した。なにやってんだ。
ともあれ、イレーナさんのことは呼ばずに傍に寄っていく。
ルクスさんはいつの間にか、置き去りにしていた旅鞄を肩にかけて、冬用の厚い外套を羽織り、長い杖も持って、すでに旅立つ格好になっていた。
「僕もそろそろ行くよ」
私は『帰る』で、彼は『行く』か。
「老師のもとに、戻る気はないんですか?」
「ない」
迷う素振りすらなかった。
「もう何年も会っていないんですよね?」
「そうだね。何年になったかな? 途中から時間を数えることを忘れてしまったけど、家を出たのは確か12の頃だったから、ずいぶん経ったろうね」
「そんな子供の時に出て行ったんですか?」
驚きである。それから一人で旅して生きてきたと? ほとんど奇跡だ。
「ひと目くらい、会っていきませんか?」
「うーん、でも、彼は王宮にいるんだろう? 捕まるのは嫌だなあ」
だと思った。囲われるのが嫌だから、流れの魔技師なんかしてるんだろう。彼を王宮に報告していいものかどうかは、最後まで悩んだ。多くの人にすでに目撃されていたし、隠しても無駄だと思って書いてしまったが。どうにか捕まらずに老師に会わせてあげられないだろうか。
「それに、彼も今の僕には会いたくないんじゃないかな」
ところが、ルクスさんがそんなことを言い出す。
「彼は僕が魔法を学ぶことを、ひどく嫌がっていたんだよ。同じ轍を踏ませたくなかったんだろうけど、僕には、どうにも耐えられなかった」
ルクスさんは疲れたように、首を横に振る。
「エメ、君ならわかる? 知りたくてたまらないことを取り上げられて、暴れ出したくなるほど苦しくなる気持ち。彼が酒に溺れて、なんの判断もできなくなった時、絶好の機会が巡ってきたんだと思ったよ。家にあった魔法に関する資料を全部持って、飛び出した」
そして今に至る、と。私は、なんとも言うことができなかった。
フードの下で、ルクスさんは明るく笑う。
「僕は戻らない。でも、君とはまた会いたいな。見てほしいものがたくさんあるんだ。今すぐ連れて行きたいくらい。あ、もしかして連れて行ってもいい?」
「困ります」
即座に断ると、残念そうに肩を落とされた。が、彼はすぐさま気を取り直す。
「じゃあ、君がまた何か作ったら、こっそり見に行くよ。その時は、僕が作ったものも見て」
「・・・ええ、わかりました。楽しみにしています」
彼の意志は、きっと変わらない。人の生き方に口を出す気はない。特に、迷いがない人には。だから、よけいなことは言わずに頷いておいた。
「もう行きますか?」
「うん。あ、そうだ、これずっと返してなかったね」
半分に割った私の魔石が差し出された。少し魔力を使ってしまったものの、まだ石は黄色だ。
「どうぞ持っていってください。せめてもの感謝と、友情の印に」
「・・・友情?」
「色々助けていただきましたから。ルクスさんが困った時は、今度は私が力になります」
ルクスさんは不思議そうな顔をして、ややあってから、「・・・ああ、そっか」と何かに納得していた。
「君が、そうなんだね。なるほど、友達は良いものだ」
彼はどこか嬉しそうに、微笑んだ。
「見つからずに行けますか? 手伝います?」
「大丈夫」
イレーナさんが私の後ろから、現れたのはその時だ。
ルクスさんは左足を一歩後ろへ引くと同時に、新しい魔石が嵌め込まれている杖の、竹馬のように出っ張っている部分に右足をかける。
途端、杖の魔石が輝き、イレーナさんが手を伸ばしても届かない、遥か高い空へと浮かび上がった。
「それじゃあエメ、また会う日まで!」
別れの言葉を足下へ投げ、空の彼方へ飛んでいってしまった。
・・・私たちは、五人がかりでイカダまで作って、ようやく飛べたというのに。
鮮やかにあっさり飛びやがった! なんだよあれ反重力か!? これだから、これだからっ、天才ってやつはっっ!!
いっそ清々しいまでの敗北感。悔しいのを通り越して、遥かな憧憬が胸に湧く。
私ももっと、がんばりたいな。がんばらなくちゃ。
ルクスさんが消えた空を見上げて、気合を入れ直した。
**
馬車に揺られるのは久しぶり。冬になり、風の関係で船が使えないらしく、雪の少ない南側の地域を通って王都に帰ることになった。周りを知らない顔の兵士に囲まれて、運ばれるのはなんだか罪人のような気分。ふと領主のことを思い出した。
「ディオン領主はどうなったんですか?」
道中、隣に座るイレーナさんに訊いてみた。
「特に何も。自主的に、王へ領地を返還しただけ」
それは、実質の領地剥奪ってことか?
聞けば、今は親戚のもとに家族で身を寄せているそうだ。それならいつか、領地を見に戻ってくることはできるかな。
「あなたにはご褒美が出るわよ」
イレーナさんは続けて、そう教えてくれた。
「何かくれるんですか?」
「今回の功績に対する褒賞金が出るわ。認められて良かったわね」
へえ、ボーナスか。それはありがたい。足元の、中にたくさんクズ石が詰まった自分の鞄に、自然と目がいく。
「また、良からぬことを考えていそうね?」
「私はいつも良いことしか考えていませんよ?」
「あの魔技師を逃がしたくせに」
美しい微笑みのまま責められた。あれから、ずっと怒っている。
「なぜそんなにルクスさんを捕まえたいんですか?」
「彼はトラウィスの魔法使いだもの。王のもとにいるべきよ」
「それだけですか?」
「他に何があると思うの?」
そこは教えてくれないらしい。
だけど私には、そろそろ察しがついてきていた。
**
王都に着いて休む間もなく、まず見るはめになったのはテオボルト所長の仏頂面。
「報告せよ」
再三の帰還命令を無視し、勝手に色々やったことに対するお怒りの言葉はなかったが、機嫌が良いとは決して言えない様子でした。うん、まあ、すいません。でも後悔はしてない。
それを済ませて、魔技師の工房へ顔を出せた時間は遅く、夕方になってからだった。
「おー! おかえり、久しぶりー」
コンラートさんの間延びした声を聞き、気が抜けた。このゆるい雰囲気が、帰って来たーって感じがする。
「ただいま戻りました。すいません、遅くなりまして」
「ほんとだよ。雑用が片付かなくて大変だったんだぞ」
「遅刻しなければ終わると思いますけど」
「それは言わない約束だ」
兄弟子のやる気も相変わらずか。工房内もまた汚れているし。まあいいや。
続いて、作業台の前に座っているフィン老師の傍へ行く。
「大事ないか」
彫刻刀を置いて、老師が赤い瞳で私を見上げる。その前にクズ石が入った鞄を掲げた。
「元気いっぱいですよ。これ、お土産です。約束通りタダじゃ転びませんでした」
一つの魔石に魔力を移す魔法陣のことは、すでに老師にも報告の手紙を書いている。
もちろん、ルクスさんが手伝ってくれたのだということも知らせてあった。
「今日はもう、仕事終わりですよね? 少し話しませんか。新しい魔法陣のことや、今後の作戦についても」
「帰って来たばっかじゃろうが。せわしない娘じゃな」
老師は軽く呆れた様子。だが、きっと老師だって早く話を聞きたいだろう。
「コンラートさんも聞いていきませんか?」
「や、俺は無理。定時過ぎて職場にいるとか気が狂いそうになる」
どんだけ働きたくないんだ、あんた。朝に遅刻しないのならば、その言い分に文句はないのだが。
コンラートさんが帰った後、私と老師は作業台のところで椅子に座って向かい合う。
新しい魔法陣のこと、今後のこと、話したいことはたくさんあるが、それより先に確認しておきたいことがあった。
「私がいない間、お酒は飲んでませんよね?」
「飲んどらんわ。この臭い茶に慣れちまったわい」
老師はカップを持って、歯を見せた。
「息子に会ったそうじゃな」
「はい」
「わしの酒癖を悪く言っとったか」
「いえ。酒に溺れてくれたおかげで、魔法を勉強できたと言ってました」
「・・・そうか」
うつむいた老師の、だいぶ寂しくなってしまった白髪頭がよく見えた。
なぜ、老師はルクスさんに魔法を学ばせたくなかったのか。
相手の様子を窺いつつ、話を続ける。
「実はですね、老師。キクス村で、ルクスさんが魔法の資料を見せてくれたんです。そこには見たことのない精霊の文字が並んでいました。トラウィスでは知られていないものばかり。どこで手に入れたのかを聞いてみたら、家から持ち出したものだと教えてくれました」
すなわち、あの元素周期表の本来の持ち主は、老師だったのだ。
彼はガレシュからの移民だと聞いていたので、ガレシュの魔法研究はトラウィスよりも進んでいるのだなあと、その時は単純に考えていた。
「でも後になって、思い出したんです」
学校の、一番最初の授業で習ったことを。ほとんど忘れかけていたことが、馬車に揺られる間、不意に蘇ってきた。
「ミトアの民は、他民族にかつて《魔族》と差別的に呼ばれていました。だけど魔法が広まって以降は、彼ら自身が自分たちに付けた名で、呼ばれるようになっています。その、意味は、ミトア語で《緑》なんですよね」
ミトアの民は、緑の民。
脳裏に、ルクスさんの緑白色の髪色が浮かぶ。
「老師は、ミトアの民の生き残りなのではありませんか?」
特異的な容姿と、魔法に関する知識は、もしかして、そういうことなのではないか。
激しい戦争の渦中にあったとしても、全員が全員、死んだとは限らない。逃げ延びた人があったとしても、おかしくはないはずだ。
老師は黙したまま、視線をじっと私へ注いでいた。
「・・・魔法が神の恩恵などというのはうそじゃ」
やがて、静かに語り出す。
「わしらは神に呪われた」
低い声で、嗤っていた。




