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「・・・そう、いうことか」
揺れる船内の狭い個室で一人、息を飲む。考えに考え、目の前の魔法陣の意味がわかった時、私の体には歓喜の衝撃がひそかに走っていた。
するとタイミング良く、ノックの音がした。
「おい、そろそろ着くぞ」
相手はギートだ。こちらが良いとも言ってないのに勝手にドアを開け、私を見つけるや眉をひそめる。それに関しては無理もない。なにせ私は床に仰向けに倒れ、足だけベッドに引っかけているという、自分でもどうかと思う体勢でいたので。スカートじゃないだけ許して。
「何やってんだ?」
「ギート、君はとっても幸運な人だったんだね!」
「は?」
移動中の暇な時間に、義眼に彫られた魔法陣を写させてもらい、その内容を実に二週間かけて解読していたのだ。そのために一旦ギートには義眼を取り外してもらった。義眼を着脱するところは若干、グロかったがそんなことはどうでもいい。今はすでに別のことで頭がいっぱいだった。
「これ、すごいよ。こんな魔法陣は見たことない。ほら」
自分の受けた感動をとにかく誰かに伝えたくて、面倒そうなギートの前に魔法陣を写した紙を掲げて無理やり説明する。
「この義眼には複数の魔法陣が刻まれているんだ。魔石加工の唯一とも言える利点は、複数の魔法を同時発動できることなんだけど、その性質が最大限に活かされてるわけ。でね? 何がすごいかと言うと、複数の魔法陣が連動することによって目が見える仕組みを再現していることなんだ」
「・・・へー」
適当に相槌打ってるなこいつ。まあいいや聞いてくれ。
「確か、視神経には光を感知するものと、赤青緑の色を感知する4種類があったかと思うんだけど、その神経の働きを全部魔法陣で表してある。光を電気信号に変換して脳に伝えてるんだ。これを作った人はものすごく頭が良い人だね。魔法のことだけじゃない、人の感覚は電気信号のやり取りだってことまで知ってる。それから、君、後ろも見えるって言ってたけど、形とか距離がわかるだけなんじゃない? しかも常に感じられるわけじゃない」
「あ? ああ、気配が見えるっつーかな。舌打ちすっと見える。あんまりやると目の寿命が縮まるとか言われたが」
「やっぱり。一つだけ発動条件が書かれてる魔法陣があるんだよ。たぶんこれ、超音波を発生させる魔法だ。コウモリと同じことをしてるんだね君は」
「全然わかんねえ」
自分から始めといてなんだが、彼に説明するのは難しい。周波数や神経伝達と言った話は、この世界の知識レベルを越えている。ギートが会った魔技師は一体どうやってこれらのことを勉強したんだろ? それとも、トラウィスが遅れてるだけなんだろうか。
「とにかく、これだけ複雑な魔法を極めて簡略化した術式にまとめてあるし、眼帯越しの光も感知できるくらい一つ一つの魔法陣がかなり高性能だ。君が出会ったのは最高の魔技師だよ。それに使われてる魔石も、普通のより純度の高い最高級品だし。軽くウン百万するよこれ」
「そ、んなにすんのか」
最後のお金のところだけギートは反応を見せたが、それだけじゃないぞ。刻まれている魔法陣だって開発するまで相当苦労したはずだ。なのに見知らぬ少年にあげちゃうとか、どんだけ徳の高い人なの。
「君ってばすごく幸運な人だったんだね」
私も魔技師として、ぜひ会ってみたい。
しかしそんな私の感動に対し、なぜかギートは歯切れの悪い態度で、頭の後ろなどを掻いていた。
「なに? どうかした?」
「前から言いたかったんだが、その君っつーのやめろよ。なんかムカつく」
これまでの話と全然関係ないじゃないか。自分はお前呼びなくせに。
「じゃあ何がいいの?」
「名前で呼べばいいだろ、普通に」
「そう言うギートには一回も名前を呼ばれてない気がするんだけど。もしかして忘れてる?」
「人を馬鹿にすんな」
「なら呼んでみてよ」
反射的にギートは一文字目の形に口を開けたが、そこで止まり、声にならなかった。
「・・・お前と遊んでる暇はねえよ、いい加減降りる準備しろっ」
照れた照れた。男所帯で兵士なんかやってると女慣れしないんだろーか。
不機嫌に言い放って出て行く彼を見送り、まあ呼び方には極力気をつけてあげようと思った。
二週間の船旅で広げた荷物を急いでまとめ、間もなく港に到着した。そこでは今度、馬車に乗りかえる。エールアリーまでは約十日ほどの道のりだと聞いていた。
**
黒い煙がいくつも空へ昇っているのが遠くに見える。
鉱山麓の精錬所から排気されているのだろう。ガレシュとトラウィス王国の国境を走る、ビスカ山脈では魔石ばかりでなく鉄や銀なども採れるらしい。その麓にある鉱山都市エールアリーは、他の街のように城壁で囲まれておらず、鉱山で働く人々がそこに住み、街の外に農業を営む昔ながらの小さな村々があるそうだ。
はじめに疫病の発生が確認されたのはキクスという村で、現在では完全封鎖され、他の場所に患者が出るとすべてその村に運び込まれているのだという。感染源をなるべく一か所にまとめて広げないようにしようとしているのだろう。
リル姉は、そのキクス村で患者を診ることになる。
「気をつけてね」
厳重な木の柵で囲まれた村の前で、私はリル姉に最後の念押しをした。エールアリーに向かう途中に村があり、リル姉たち医療団はここで隊列から切り離しとなる。私は村に近づいたらいけないので本当は止まらず先へ行くはずだったのだが、グエン隊長に土下座する勢いでお願いし、短い間だけリル姉の顔を見せてもらった。
ただ時間をもらっても、公衆衛生とか病気に関して私は大して詳しくないため、ろくなアドバイスもできない。きっと今はリル姉のほうがよく勉強しているだろう。あいにくと私の専門は植物なのだ。あと環境かな。
勉強してこなかったことへの後悔は尽きないが、私は私のできることをするしかない。
「エメも気をつけてね。街中でも病気にかかる人はいるって話よ?」
「わかってる。こっちはこっちで色々調べてみるから、リル姉はがんばり過ぎないようにね。そこだけ心配」
「それ言うならエメのほうでしょ?」
こんな時でもリル姉は陽気に笑っている。
村の入り口を見やれば、王宮門のように兵士が二人立ち、消毒のつもりかやたらに大きな松明が焚かれていて物々しい。私のいる場所では中の様子まではよく見えなかったが、木と縄で作られた門の隙間から手を伸ばし、兵士に「僕は病人じゃない」と声をかけて、邪険に追い払われている人の姿なんかがあった。村が閉鎖された時、ついでに閉じ込められた人もいるのかもしれない。
リル姉もここに入ったら、自由に外には出られなくなるのだ。そう思ったらたまらず、さっさと村へ向かっている上司の医者を捕まえ、言っておかずにいられなかった。
「ジェドさん、リル姉をくれっっっぐれも、よろしくお願いしますよ。マジで、あなたが、頼りです」
「ええい触るな! どいつもこいつもっ、なんで俺が助手の面倒をみにゃならんのだっ」
ジェドさんはキレ気味に私の手を払う。他の人にもしつこく言われてたんだろうか。しかしあんたの態度だと言いたくもなるぞ。
「そこは嘘でも『まかせとけ』くらい言ってください」
「気休めは言わない主義なんでね」
「ご立派ですね!」
「エーメー?」
ジェドさんに喰ってかかる私を、リル姉がやんわり止める。ああうん、ここでわめいててもしょうがないね。落ちつこう。
「そうだリル姉、村の水とか食べ物をなるべく口にしないでね。今の私に言えるのはそれだけ」
「え? ――あ、そうね。病気のもとが食べ物に移ることもあるんだったっけ。うん、気をつけるわ」
「よろしく」
心配顔ばかりではなんだから、私も最後に微笑んでみた。
しかしリル姉と別れて、自分の馬車に戻る間にやっぱりやきもきしてくる。
「ねえ、私もあっちに行っちゃだめ!?」
答えはわかっちゃいるが、どうしても言わずにいられなかった。案の定、ギートに溜息を吐かれた。
「少しは姉離れしろ」
そんなの、死んでもするもんか。
鉱山都市エールアリーは山の一部を削った崖を背景にして立っていた。街中にはたくさんの人が行き交い、飲食店や宿屋なども多数ある。精錬所の黒い煙がやや気になるものの、目に見える程の大気の汚染はない。疫病が流行っている場所のわりには妙に賑やかで、享楽的な雰囲気が漂っていた。もともとこういう街なのか、あるいは不安感の反動だろうか。
「あなたのようなお若い魔法使いもいらっしゃるのですね」
物腰柔らかな紳士が私の横を歩きながら話している。この地方を治める領主、ディオン・マクベイン男爵はまん中分けの髪形が素敵なナイスミドルだった。
街のはずれに立つ領主館で、最初にグエン隊長と私で顔合わせをしたのだが、平民の、しかもこんな子供の魔法使いにディオン男爵はかすかに驚きを見せただけで、まったく失礼なことを口走らなかった。話している今も丁寧な口調を崩さない。できた人。服装は若干、派手めだけどな。凝ったスカーフの柄に目眩しそう。これから鉱山に行くんだぞ?
挨拶の後、状況確認と打ち合わせを終えたグエン隊長は兵の指揮に赴き、私はさっそく魔石の鉱脈を調べるべく鉱山へ向かうことになったのだが、持ち主としてディオンさんも気になったらしく、数人の私兵とともに付いて来た。私のお供はギートだけだが、領主の兵士がいれば護衛は十分だった。
街中にはちらほらと、他にも兵士の姿が見える。
「今は少々治安が悪くなっております。いかな魔法使い殿と言えど、どうかお気をつけください」
私の視線を辿り、ディオンさんが説明する。やはりこの街の雰囲気は荒んでいるようだ。街の警備、村の警備、病人の隔離と、こうやることが多くてはそりゃ人手も足りなくなるわな。
「採掘は今も普通に行われているのですか?」
「ええ。幸いながら鉱夫たちには元気な者が多いので。ご報告した通り、疫病は老人など体力のない者がかかるもののようですので、そのうち収まるのではないかと考えております。王都からわざわざ魔法使いや医療団まで寄越してくださる程ではなかったのですが」
領主は恐縮しているようだった。しかしフィリア姫の婚姻問題が絡んでいた上に、妙な噂が流れていては、国として何もしないわけにいかない。
彼にとってはとんだ災難だったろう。金の成る木に病虫が巣食ったようなものだ。不謹慎な例えだが。
「この鉱山は開かれてからどのくらい経ちますか?」
「大体80年程ですね。トラウィスが建国される以前はガレシュ王国の所領でした。ここは昔から何度も奪い合われた波乱の土地なのです」
資源確保は戦争の大きな理由の一つだな。仲良く分けたら良いのに。それにしても鉱山寿命がわりと長い感じがするのだが、やはり採掘技術があまり進んでいないんだろうか。
鉱山の入り口では多くの鉱夫たちが忙しく坑道を出入りしていた。そのうちの一人が領主に呼ばれ、ずんぐりむっくりで目付きの怖いおじさんが案内役になってくれた。ドワーフ・・・
少し山を登った後に魔石が掘り出されている坑道に辿り着く。山に対して水平に掘られた道は狭く、目算で高さと幅が2メートル程度。天井部と横にも木を組んでトンネルが崩れないように補強されている。一定の間隔でランプが壁に設置されており、濡れた地面を光らせていた。ガスが噴き出るかもしれない坑道の明かりに火が使われてるのってすごく嫌だ。こういう場所にこそ魔石のランプを使うべきだ。報告書に書いとこ。
夏の終わりの季節ではあるが、坑道の中は外気よりも冷たく、ローブの襟元をたぐり寄せた。アリの巣穴のように、あちらこちらへ伸びる複雑な迷路を進む間、何度も鉱石を背負って運ぶ鉱夫たちとすれ違った。
「ここです」
ドワーフおじさんが言ってくれるまでもなく、魔石の採掘場は見てそれとわかる程に明確だった。鉱夫たちが一列に並んでピックを突き立てている壁は、緑と赤と黄色のきらやかな輝きを放っていたのだ。
「おー・・・」
勝手に声が漏れてしまう。研磨もせずにこんなに輝くものなんだな。まるでオーロラが埋め込まれているみたいだ。
私たちが来たことで一旦作業が止められた。後ろに下がった鉱夫と入れ替わりに、さっそく壁に近づいて魔力を調べる。しばらく待ってみたが、やはり魔力が放出されている気配はなく、念のため自分の魔石をはずし、壁から突き出ている魔石に触れてみると、開封の呪文が聞こえた。これは確かに魔石が閉じられた状態にあるということを示している。
なのでその旨を領主や鉱夫たちに告げると、皆一様にほっとしたような表情を浮かべた。採掘を生業としている彼らにとっては朗報で、こちらとしても予想通りの結果ではあったが、とすれば疫病の原因は別にあるということになり、問題解決には未だ至らない。
「まだ奥にも採掘場がありますが」
「では全部回ってみましょう」
役目はきっちり果たすつもり。だが軽く返事をした私はこの時忘れていた。エールアリーはトラウィスで最も魔石の産出量が多い場所だということを。
結局、すべての採掘場を回るのに三日かかった。日頃の運動不足が祟って筋肉痛を発症し、最後の場所を調べ終えた頃には限界を迎えた。
「体力ねえなあ」
「兵士と比べないでよ・・・」
ギートの軽口に返すのも億劫だ。作業の邪魔にならないところに寄って休ませてもらった。ちなみに領主は最初に様子見しただけで二日目以降は付いて来ていない。
「ん?」
真面目な鉱夫たちの仕事風景を眺めていて、不意に足元に転がってきた石を拾い上げた。暗い色をしたブラッディレッドのこれも魔石だ。魔力が切れかけの。鉱夫たちはそれらを脇に除けている。
「これは出荷しないものですか?」
ずっと案内してくれていたドワーフおじさん、もといヒューゴさんに尋ねてみた。
「そいつはクズ石だ」
領主は丁寧に接してくれたが、ヒューゴさんはぶっきらぼうだ。それと発音に独特な癖があってやや聞き取りにくいので、よく耳を傾けないといけない。この地方の訛りなんだろう。
採掘される魔石は緑のものばかりではなく、赤や黄もあれば、大小様々な形のものがごろっと出てくる。黒みがかった石は利用価値なしと見なされ、すでにこの場で放棄されていた。
「未利用資源というわけですね」
もしかしたら魔道具に使えるかも? 試しにそのクズ石を開封し、明かりをつける呪文を唱えてみた。が、ぼやーっと目の前で2、3秒だけ光の玉が浮かんで消え、魔石は黒く染まってしまった。
つ、使えなさ過ぎる。いくら魔力の変換効率が悪い私の体だからとは言え、これはないな。
「今の魔法か?」
ギートと、ヒューゴさんも目を瞠っていた。たまたま見ていた他の作業中の鉱夫たちも同様だ。魔法を見るのは初めてか。
「お前、ほんとに魔法使いだったんだな」
「他になんだと思ってたの」
ギートにつっこんでから、またヒューゴさんのほうに向き直り、その奥の道を指した。
「あちらには何があるんですか?」
「あぁ? 排水道だ。それがどうした」
山を掘れば水が出る。土の中では空気が必要。だから排水、通気用の坑道が主要坑道とともに存在する。山は穴だらけだ。
「排水は川に流れますよね?」
「だったらどうした」
ヒューゴさんの声に苛立ちがまじってきた。なんだか、せっかちな人だな。
「いえ、少し気になっただけです。ところで、このクズ石をいくつかいただけますか?」
「・・・好きにしろ」
「ありがとうございます」
というわけで石をローブのポケットに入るだけ入れて、体力が戻ったら山を降りた。
魔法使いとしての調査はこれで終わり。
しかし今のヒューゴさんの話を聞く限り、科学者として調べることはまだあるな。もちろん最初から疑っていたことではあるが。
すなわち、公害の可能性だ。




