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鉱山都市エールアリーまでの道のりは一カ月近くかかるらしい。となれば当然、リル姉に何も言わないわけにいかない。
しかしなんと言ったらいいものか。
ちょっと疫病の蔓延してるとこに調査行ってくるわー、とか軽いノリじゃだめかな。心配はさせたくないのだが、嘘もつきたくない。仮に逆の立場だったとしたら腹立つもんな。
ともかく正直に言おうと決め、妙に緊張して下宿に帰るとリル姉もまた微妙な表情で帰って来たものだから、ん? と思った。
そして部屋に戻って切り出したのはリル姉が先だった。
「あのねエメ。あの、実は仕事でしばらく遠くに行かなきゃいけなくなったの」
激しく嫌な予感。まさか、嘘でしょ。
「エールアリーっていうところで、病気が流行っているんですって。それで、現地の医者が足りなくて王宮の医療部から派遣されることになって、私も、行くことになったの」
嘘だと言って誰かあああ!!!
「リル姉は軍医でしょ!?」
「別に、兵士じゃなくても診れるわよ」
愕然とした。でも、そうだ、これは予想できてしかるべき。疫病の蔓延する地に必要なのは魔法使いよりも医者。
「ジェドさんが行くの。だから私も行かなくちゃ」
「あの人の助手やめさせてもらおう!?」
「無理よ」
リル姉は困った顔で笑っている。自分の仕事だと割り切りすでに覚悟してるんだろう。リル姉ってぽやぽやしてるようで意外と肝が据わってるほうだから。
なんでこうなるかなあ!?
驚きと焦りの後にはただただ深い疲労があり、私はがっくりと肩を落とした。
「私も、エールアリーに行くことになったんだよ・・・」
「え!?」
今度はリル姉が驚く番。
大変な時、私たちはいつも二人でいたけれど、今回ばかりは二人じゃなくても良かったのに。今度こそ恨むぞ神様こんちくしょう。
私にリル姉のエールアリー行きを止める権限など無論なく、おそろしく不安なまま出発当日を迎えた。
途中までは船で行く。近くの港で降り、それから陸路を移動するのが一番早いらしい。荷の積み込みが終わるまで研究所で待機し、やがて兵士が呼びにやって来た。
そうそう、ここでも驚きの出来事があったんだ。
「私もかなり運のないほうだと思うけど」
やって来た兵士の顔を見上げしみじみ呟く。
「君も相当なものだよね」
「うるせえよ」
一年と少しぶりに、また変な場面で会ってしまった少年兵士、ギートは半眼で言い返す。彼の所属する小隊が、現地まで同行するらしい。それで、私をよく見知っている彼が呼びに寄越されたのだ。
兵士と知り合いなのが意外だったのか、老師もコンラートさんも私たちの様子に首を傾げていた。
「なんじゃエメ、お前さん乳はないくせに男はおるんか」
「シリコン埋め込んだろかクソジジイ」
おっと、うっかり暴言が。意味は伝わらなかったろうが。
「そうだギート、まだ少しは時間あるよね?」
「なるべく早くしろ」
「このフィン老師に君の義眼を見せてあげてほしい」
ギートはまた眼帯をしている。これから王都の外へ行くからだろう。
魔石の義眼のことを話すと、老師も当然興味を持った。そしてギートにお願いして椅子に座ってもらい、眼帯をめくって目を覗き込む。
「おー、こんなことができるとはなー」
コンラートさんも老師の後ろから身を乗り出し、珍しく好奇心を露わにしていた。その視線にさらされているギートはとても居心地が悪そうだったが、お願いちょっと我慢して。
「ね? だから、魔石には色んな活用法があるんですよ」
「まあ、なー・・・」
コンラートさんは少しだけ納得したような顔を見せ、一方、老師は私の声なんて聞こえていないかのように熱心に魔石を観察し、ギートに尋ねた。
「おい、それを作った奴の名前は知っとるか?」
「だいぶガキの頃なんで覚えてません。――そろそろいいっすか? 出航の時間があるんで」
ギートはまた眼帯で目を隠して立ち上がり、私のほうを向く。
「行くぞ」
どんな魔法陣が刻まれているのかなど、調べたいことは色々あるのだが今やっている暇はない。移動中にでもまた見せてもらおう。
「じゃあ老師、コンラートさん、留守の間を頼みます」
ぱんぱんに膨れたショルダーバッグを持って、職場の二人にご挨拶。
「早く帰って来てくれよー? 俺が大変なんだからさー」
「善処します」
「ジジイより先にくたばるんじゃねえぞ」
暢気なコンラートさんとは対照的に、仏頂面で老師が言った。この出張の話を聞いてからずっと老師はどこか心配そうだった。奥さんを病気で亡くしているせいだろうか。
「大丈夫ですよ」
なので至って明るく応えておく。老師にもコンラートさんくらい、気楽に構えていてほしいのだ。
「せっかく採掘場へ行ける貴重な機会なんです。使えそうなものがないかよく見てきますので期待していてください。転んでもタダでは起きませんよ私は」
「転ぶ前に気ぃつけるのが賢人じゃ。・・・無事に帰って来い。それだけで良い」
「わかりました」
理想が実現するまで、かわりに動くと約束したのだ。大丈夫、もうこの人を一人にはしない。
「では行ってきます!」
扉を閉めて廊下に出ると、ギートが急に片手を差し出してきた。
「なに?」
「荷物。貸せ」
「持ってくれるの?」
そこまで意外な行動ではないのだが、なんせ相手が相手なもんだから、やたら驚いてしまった。あの生意気な少年が、女性を気遣うまでの大人になった! ちょっと感動。まあ、いらん親切だけどな。
「ありがとう。でも自分の荷物は自分で持つよ」
自力で足りることに人の力を使うのは好きじゃない。するとギートはかすかに顔をしかめた。
「持ってやるっつってんだ、素直に寄越せよ」
「ううん、遠慮する」
差し出された手を避け、歩を進めた。
「君は兵士でしょ? だったら余計な重しは持たないほうが良い。いざという時に素早く動けなかったら困るよ」
それに彼は恩人でもあるのだから、小間使いみたいなことはさせられない。
「・・・強情っ張り」
悪態をつかれたものの、ギートは諦めてくれた。せっかくの親切心を無下に断るだけでは悪いので、フォローを入れておこうか。
「それにしても、なんだか大人っぽくなったね? 背も伸びて、声も低くなったし、なんとなく落ちついた雰囲気になってる」
お世辞じゃないよ念のため。十代の一年は大きい。少し見ないだけでだいぶ変わってる。
「そいつはどうも。お前は、あんまし変わってねえな」
どこを見て言ってるのかはわかってるぞ。話してる時は人の目を見ろ目を。どいつもこいつも失礼な。
「あん時のちっちゃい嬢ちゃんが、よくぞここまで立派になったもんだ!」
熊みたいな大男が、港に響き渡る豪快な笑い声を上げ、その手のひらで私の背を叩く。かなり痛い。
久しぶりに再会したギートの上司、グエン小隊長は相変わらず快活で逞しいおじいさんだった。
「おかげさまで」
軽く咳き込みつつ、もう叩かれないようさりげなく距離を取る。気をつけないと海に叩き落とされてしまいそうだ。
港には大きな木造帆船が停泊しており、その舳先を見上げる位置で、一行の責任者たる人にご挨拶していた。
「今回は仕事仲間として、ひとつよろしく頼むぜ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「嬢ちゃんの世話係はこいつにしといたからな。よく知ってる奴のほうがいいだろ?」
そう言ってグエンさんはギートの頭に手を乗せた。護衛じゃなく、世話係ね。
「はい、ありがとうございます」
彼らの仕事は、おもには救援物資の道中護衛、人手不足の現地における警備や、患者と荷物運びの手伝いだ。私の護衛は所詮、ついで。
魔法使い自体がそもそも護衛役として駆り出されることがあるくらいなんだから、厳重な警護は必要ない。別に、何に狙われてるわけでもないしな。
できれば、私よりもリル姉を守ってほしいんだよなあ。病原から、と言っては無茶ぶりが過ぎるが。
「あの、実は私の姉もいるんです。なのでグエンさんたちもできればよく気をつけて見てあげてください。何かあったらすぐ私に教えてくださると助かります」
港には兵士や人夫など、人が多くてリル姉を見つけられない。現地でも私は病人に近づくなと命じられているため、もしかすると会う時がないかもしれないのだ。
「おう、お前さんの姉ちゃんのことなら知ってるぞ。前日にわかってな、おかげでうちの将軍様が大騒ぎして大変だったぞ」
グエンさんは心底おかしそうに笑いを噛み殺している。将軍って・・・
「オーウェン将軍ですか?」
「ああ。そちらからもよく見とくようにしつこく頼まれた。あの器量じゃ無理ねえが、にしても面倒なのに惚れられちまったなあ?」
ばれてるんだね普通に。マジで気づいてないのリル姉だけだろな、きっと。
将軍、心配するなら権力使って阻止してほしかった。リル姉は嫌がるだろうけど。あるいはもしかして、グエンさんの言ってた『大騒ぎ』ってその辺りに関連した騒動だったのかもな。
「私からもぜひ、よろしくお願いします」
「まかしとけ。嬢ちゃんはこいつをコキ使ってやってくれ。かなり頑丈に鍛えておいてあっから、遠慮はいらねえぜ」
「ありがとうございます。よろしくね、ギート」
「面倒を起こすなよ」
わざわざ言わんでも。信用ないなあ。やっぱフィリア姫の件ではめちゃくちゃ怒られたのかな。しかし面倒を起こしたのは私ではないんだが。
その時、不意に喧騒とは異なるざわめきが聞こえた気がした。
「なんだ?」
グエンさんが顔を向けたほうを見やれば、なんとそこには馬に乗った金髪将軍の姿が。
「マジかよ、ここまで来やがった」
「しょうがねえ将軍様だなあ」
ギートがぎょっとし、グエンさんは呆れた笑いを洩らしながら急ぎオーウェン将軍のもとへ向かったので、私も付いて行ってみる。
馬を降りたオーウェン将軍の前にはリル姉がいた。よく見つけられたもんだ。少し後ろの遠巻きにしたところにジェドさんや他の医療部の人の姿もある。
オーウェン将軍はリル姉の両手を取り、神妙そうな顔で何やら話している。周りを憚らないな、この人。てか、気安く触るな。
「リル姉!」
迷わず二人の空間に割り込み、反射的に手が離れた隙にさりげなくリル姉をやや後ろに押す。
「エメ! ああ良かった、出発の前に顔を見られて」
「うん、私も。ねえ、なに持ってるの?」
胸の前で重ねられているリル姉の手の間から、金色の華奢な鎖が垂れている。
「あ、うん、将軍がお守りにって・・・」
そっと広げた手の中に、青い小さな石があった。サファイアよりもやや薄くて白みがかっている。天青石かな? 丸い石が付いているだけのシンプルできれいなネックレスだ。めっちゃ高価そう。リル姉がすごく戸惑っている。
「久しぶりだなエメ」
隊長と話終えたオーウェン将軍に声をかけられる。そういや挨拶忘れてた。
「お久しぶりです将軍。わざわざ見送りに来てくださったのですか?」
「ああ。できれば、どうにか行かせないようにしたかったのだが・・・」
本気で悔しそうに呻く将軍。私も残念だ。
するとリル姉が慌てて前に出て来た。
「これは私の仕事ですから、将軍はお気になさらないでくださいっ。それにこれも、こんな高価なものはいただけませんっ」
リル姉はオーウェン将軍にネックレスを返そうとしたが、将軍は押し付けられるリル姉の手を優しく包み、ゆっくり押し返す。
「それは剣に付いていた護石で大した値打ちではない。だが、初陣の頃から幾度も私の命を救ってくれたものだ。きっとそなたの命も守ってくれるだろう」
重くね? それを聞いて、じゃあ貰うと誰が言えるんだ。案の定、リル姉はさらに慌てて押し返した。
「い、いただけません、そんな大切なものっ」
「そなたのため急いで首飾りに仕立て直したのだ。そう言わずに貰ってくれ」
「む、無理です、無理です!」
「では貸すということにしよう。無事帰って来た時に返してくれれば良い」
「で、でも失くしたりしたら大変ですっ」
「ずっと身に付けていれば失くさない。ほら、付けてやろう」
周りに人がいることを完全に忘れてやがりますね。自分の持ち物を好きな人にずっと身に付けさそうとか、なにげに狡い。
これ以上リル姉が見世物になるのは忍びなかったので、彼の手が彼女の首筋に触れる前に、再び間に割って入った。
「いつもいつも姉をお気遣いいただき感謝します。首飾りはきっとお返しいたしますね」
「エメ!?」
「長くなるから大人しく借りておこう? 失くした時は私がなんとかしてあげる」
小声でリル姉に言い含め、引き下がってもらった。どうせ失くしたってこの人は怒らない。どうせ、くれるつもりなんだから。
「エメ。リディルをよろしく頼むぞ」
「もちろんです」
あなたに言われるまでもない。
将軍の相手をしていたら、そろそろ時間がやばくなってきた。ジェドさんたちの姿なんかはもうない。たぶん途中で飽きたんだろうな。いいよなあ、他人は。
「あの調子じゃ、エールアリーまで迎えに来るんじゃねえか?」
名残惜しみまくりのオーウェン将軍の手からなんとかリル姉を引っぺがし、船に乗り込む途中でギートがぼやいた。
「うわあ、ありそう」
「ないに決まってるでしょっ」
そりゃ現実的には無理だろうけど、なんかやりかねないじゃん、あの人。
「エメ、ちょっと付けてもらえる?」
甲板の上に出ると、リル姉がネックレスを差し出してきた。
「ほんとに付けるの?」
「失くしちゃいけないから」
「ポケットの中でも良いんじゃない?」
「付けてなきゃお守りの意味ないわ。あ、でもだったらエメが付けたほうが良いかも」
「なんで? いらないよ」
しょーがないなーと思いつつ、リル姉の髪をよけてネックレスを付けてあげた。だが結局、シャツの襟の下に隠れてしまうので何も見えない。
それでもリル姉は、石のある辺りにシャツの上から指先を乗せて、嬉しそうにしていた。
「こんなにきれいなもの、初めて付けたわ」
うーん、若干、癪ではあるが、リル姉が嬉しいならまあいいか。
間もなく白い帆を広げて船が出航した。波は穏やかで天気も良し。
出発前から色々あったが、さて、この先は何があるんだろうな。私たちの行く道に神のご加護があることを、だめもとで青い空に祈っておいた。




