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早朝。
研究室に誰もいないことを確認し、こっそり作業開始。時間をかけているうちに、やがて所長とその秘書が出勤してきた。
「おはようございます」
入り口で立ち止まる彼らに、至って普通に挨拶をする。所長はデスクを囲む衝立の内側に、針でびっしり刺し並べられた企画書を見るや顔をしかめた。
「これは、なんのつもりだ」
「お忙しいとお聞きしましたので、わずかな時間にでも読んでいただけるように工夫してみました」
非常識な手段かもしれないが、こっちはぶん投げられてるんだからお互い様だ。あの後も何度か隙を狙ってみたが一向にイレーナさんを突破できなかった。リル姉に軟膏を塗ってもらったものの、連続で叩きつけられた腰が痛む。歩けなくなったらどうしてくれる。
しかし所長は読んでくれずにすぐさま秘書に片付けを命じた。ちっ。
「悪い子ねえ」
私の首を締めて工房まで連行する道すがら、イレーナさんが呆れたように言う。
「無理なものは無理なのよ。そのくらい理解する頭はあるはずでしょう?」
「無理だと思い込んでいるだけです! っ、て、いうか、マジで苦しいんですけど!」
「そうね、喉を潰してしまえば生意気を言えなくなるかしら」
怖いこの人っ!
そして工房に着いた時、運悪く窓から出勤して来たコンラートさんをイレーナさんは見つけ、彼にも声をかけた。
「コンくん、後輩の教育はちゃーんとしておきなさいね?」
「・・・は、はい」
コンラートさんは蛇に睨まれた蛙みたいに硬直し、ぎこちなく頷く。彼が窓から入って来たことに関しては何も言わないまま、イレーナさんは工房を出て行った。
うーむ、やはり、彼女をなんとかして所長から引き離す必要があるなあ。
「コンラートさん、リベンジする気はありませんか?」
「俺を巻き込まないでくれよ頼むからぁ」
泣きそうな顔で懇願された。意気地のない人。
目的を達するためには、思いつく限りの方法を試すべきだ。それが多少、自分に不都合なものであっても。
「よぉ、イレーナ」
昼の休憩時、研究所の通路を進む美女を、背後から黒髪の男が呼び止めた。
「相変わらず月のごとき麗しさだな」
「心にもないお世辞をありがとうハロルド。今日はこっちにいるのね」
そう言いつつイレーナさんは表情を緩めた。同じ平民出身で、年頃も近い二人は比較的仲が良いそうだ。どういう仲なのかは知らないが。
「最近の調子はどうだ?」
「そうね、あなたの教え子がさっそく問題を起こしている以外は、おおむね順調よ」
うん、私のことを言ってるね。ハロルド先生が鼻から笑いを含んだ息を漏らした。
「アレは俺たちと違う生き物だから仕方がない」
「そうかもしれないわね」
よくわからんが失礼なことを言われている気がする。いいから早くどっか行ってくんないか。
「あなたはさっきから何をしてるのよ」
「しーっ!」
後ろから急に話しかけてきたメリーを慌てて黙らせた。私は今、教育部門のオフィスの衝立に隠れて様子を窺っているのである。今日の教育実習が終わり、学校から帰って来た彼女は私に合わせて隣にしゃがんだ。
「ハロルド先生と所長の秘書? あの人たちがなんなの?」
「今、作戦実行中だから静かにしてて。見つかるとぶん投げられるよ」
「要するに、また馬鹿なことをしてるのね」
また、ってなんだよ。
そうこうする間に大人の会話は進んでいた。
「ところで、ご主人様はどうした?」
「食堂でご昼食を召し上がっているところよ。何かご用?」
「小娘の相手でお疲れの秘書殿を食事に誘おうかと思ってる。たまには庶民の臭いメシを食べたくならないか?」
「あなたの奢りで?」
「もちろん」
「あら。珍しいこともあるものね」
イレーナさんは少し迷っているような間をあけ、背後をちらりと見やった。
「あいつなら、さっき買い出しだとかで外に行ったぞ。ついでに俺の用事も押し付けてやったから、しばらく戻らないだろ」
「そう?」
おそらく、休憩時間を過ごす所長のもとへ私が突撃しないよう、見張りに行こうとしていたのだろう。すっかり警戒されてしまっているのだ。しかし今、私がいないと信じた彼女は食事の誘いに乗った。
「なら行こうかしら。あなたの気が変わらないうちに」
よし。
二人の姿が消えるのを見届けた後、衝立の陰から出た。
「じゃあねメリー、お邪魔しました」
「あなたって暇なの?」
「遊んでるわけじゃないよ!」
失礼な友人には適当に返し、寮の食堂へ一目散に走った。
コンラートさんの意気地がないので、不本意ながらハロルド先生に頼んでハニートラップ風味なことを仕掛けてみたのだ。二人の仲を風の噂で聞いたもんで。彼に借りを作るのは心底気が進まなかったが、できることはすべてやってみる。
昼食は外に出る人が半分、寮の食堂で済ませる人が半分くらい。王都の外には出られないが、王宮の出入りはわりと自由。そんな中で、所長は他の職員と離れた長机の端に一人座って黙々と食事をとっていた。
「お隣、失礼します」
彼が顔を上げると同時に座り、机の上に企画書を広げる。
「召し上がりながらで良いので見てください。そして聞いてください。じゃないと次はお屋敷の前でお会いすることになりますよ」
老師との作戦会議中にわりと本気で出た案、家に押しかける。ストーカーじみてるがそれくらい真剣ってこと。
所長にはあからさまに溜息を吐かれた。
「結果はわかっているだろう」
「やらずに諦めるのは怠慢ですから。――――見てください、ランプは王宮にある最小の魔石を使っても計算上10年はもちます。蝋燭や松明をいちいち用意するよりも楽なんです。手始めに王宮の門に設置してはいかがでしょう」
国民に配るのがだめだというなら攻め口を変えてみる。とりあえず軍事利用以外のことに目を向けさせるのだ。
「あるいは街灯として道に設置すれば防犯になります。これも国防に繋がりませんか? またランプには他にも使い道があります」
紙をめくり、示したのは試しに描いてみた四角い部屋の設計図。所長の視線は一応、その上に落ちた。
「なんだこれは」
「《温室》と言います」
老師にランプの話を聞いた時に、ひらめいたことだった。
「簡単に言えば家の中に畑を作るみたいなことです。例えば天気が悪くて作物が育ちにくい時でも、この中で光を浴びせれば一定の収量を見込めます。蝋燭やオイルランプの光量では到底足りませんが、魔石の白光であれば叶えられるかもしれません。日射量の少ない厳しい寒冷地などでこれは非常に役立つと思われます」
温度・湿度管理もできれば完璧な人工気象室。研究にも大いに使える。単なる日用品では終わらない、人が生きるために必要な食糧生産に関わることもできるのだから、これは画期的だと言うのだ。
所長は今や食事の手を止め、リジェクトされるたびに書き直して書き足した企画書に指を触れさせている。少しは興味を持ってもらえたのかもしれない。あともう一押し。
ところが、再び書類は放り投げられてしまった。
「・・・だめ、ですか」
わずかに希望を持った分、前より落胆が大きかった。
「意見したくばそれなりの実績を積め。何も成していない者の言葉には誰も耳を貸さん」
厳しい目がこちらへ向く。
下っ端じゃだめだってこと? しかし私は反論したかった。
彼らは老師の言葉すら無下にしたじゃないか。その時の所長はこの人ではなかっただろうが、きっと同じだ。
憤慨を吐き出すために口を開いたのと同時、眉間に指を突きつけられた。なぜか一瞬、剣の刃先に思え、驚いた拍子に言葉が消えた。
「エールアリーへ行け」
「えーるあり・・・?」
なんの単語だ? 必死に頭の中に検索をかけ、確か地名ではなかったかと思い出す。
そうだ、トラウィス王国の西方、ガレシュ王国との国境付近、魔石を産出している鉱山都市の名前。
「与えられた仕事を確実にこなし、信用を獲得しろ。それなくして並べ立てられた言葉には重みがない」
冷静な声音で何やらを諭されてる気がするが、ちょっと待て。
・・・まさかの、左遷?
***********
やり過ぎたか――――うっかり後悔しそうになった。
だっていきなり僻地に行けと言われたのだ、思考も停止する。しかし昼休憩を終え、所長のデスクの前に立って詳しく話を聞いてみると、左遷、ではなかった。
「エールアリーを含む近辺で疫病が発生しているのだ」
あるいはもっと悪い話かもしれなかった。
「これにより王女殿下の興し入れが延期された。早急な事態の解決が望まれている」
婚約発表から約一年が過ぎ、諸々の話し合いを終え、フィリア姫がトラウィス王国を旅立つ日は間近に迫っているはずだった。しかし旅のルートに含まれていた地域で疫病が発生してしまい、王女を出発させることができなくなった。海路でも行けないわけではないのだが、国民が病に苦しんでいる時におめでたいことはできない。
輿入れの日は今後の状況によるが、とりあえず一年様子を見ることに決め、ガレシュの了承も取りつけ近日中に国民にも知らされるとのことだ。
事態は把握できた。問題は、なぜ私が今この話を所長にされているか、だ。
「少し前からある噂が流れている。すなわち、今回のエールアリーで発生した疫病は、魔石の影響なのではないか、とな」
「・・・魔力が人体に悪影響を及ぼしている、ということですか?」
こんなわけのわからない力だ、なきにしもあらず・・・と言いたいところだが。
「あり得ません」
魔法使いなら誰もが断言できた。
魔石は魔法使いが開封の呪文を唱えなければ、どうやっても魔力を取り出せない。それが原則にある以上、鉱山で採れる魔石から勝手に魔力が漏れ出すなんてことはあり得ないし、この原則は決して間違っていないことを私たちは実感として知っている。
「そうだ。あり得ないことだ」
所長も同意した。・・・が。
魔法使いでない人たちにとっては、そんなの知ったこっちゃないんだ。
「民に安堵をもたらすためにも、エールアリーに魔法使いを派遣し、確かに魔力が漏れ出していないかを調査しろとの通告が来た。そこでエメ、お前に行ってもらう」
「なぜ私なんですか」
何事も万全を期して調査することに異論はない。だがなぜそんな大事な調査に勤続四か月ぽっちのひよっ子を使う。しかも私一人で、って、なんの冗談だ。護衛が付くと言われたけどそういう問題じゃなくて。
しかし所長は涼しい顔を崩さなかった。
「魔力が漏れ出すのはあり得ないことだ。そもそも魔力が身体に害を及ぼすならば魔法使いは皆早死にだ。しかしそのような傾向は一切ない。魔道具を所持している兵士たちに関しても同じことが言える。民衆はただ安心を得たいだけだ。目の前でそれらしい調査をした者から問題ないとの言葉が聞きたいだけなのだ。それごときのために何人もを派遣する必要はない」
「私のような子供では逆に不安を煽りませんか?」
魔力が漏れているかの確認なんて傍に立てばわかる至極簡単なことだが、やっぱ14歳の娘が来たんじゃあ、気持ち的に、ねえ。
「疫病は老人に多く発症していると報告されている。よってなるべく若い者を選抜し、派遣することに決定した」
・・・確かにその理屈で言えば私が一番適任だろうけど!? 老人に多いからって若者は大丈夫ってわけでもなくない!?
魔石が原因じゃないとしても、鉱山ならまず公害を疑いたくなるのだが、これがもし感染性の病気だったのなら下手すりゃ現地で死ぬ可能性ありですよね!?
「同じく不信を訴えている他の地域の鉱山にも若い者から順に派遣する。お前一人ではない」
でも一番危ないところは私なんですよね。
平民だからなのか、新入りのくせにうるさくしたせいなのか。
だがなんにせよ、誰かが行かなきゃいけないのは変わらない。だったら私が行っても良いのだ。そりゃ行きたくないけどさ、危ない場所だとわかっていてじゃあ誰か他の人行って、なんて言えないじゃないか。
たぶん、きっと、おそらく、平気だろう。私って体だけは丈夫だし。年中青白い顔をしている貴族よりは病原への耐性が強いと信じよう。
「――――わかりました。行ってきます」
私の覚悟を聞いた所長は最後に告げた。
「よく知らぬ者に関しては、その過去の行いから人は評価を下し、主張を聞き入れるかを判断する。今回、疫病の蔓延する地へ自ら赴くことは、お前の愛国と勤労の精神を示すことになるだろう」
そう・・・なのか? 自ら赴くってか他の選択肢を消されてるだけなんだが。それに世界平和は願っても愛国精神は特にないぞ。
まあよくわからないが、なんとなく、応援されてる気がするのは気のせいだろうか。
もしかして、ずっと押し問答をしているばかりではなかったのかな。
昔、老師が訴えた時、にこりとも笑ってくれないこの人が所長だったのなら、すでに変化が訪れていたのかもしれない、なんて思った。




