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衝立の蔭からこっそり目的の人物の姿を確かめ、その肩を叩く。
「マティ、マティ」
机に向かって何やらを悩んでいた様子の彼は、小動物のようにびくりと震えて振り返った。
「エ、メ? ど、どうしたの?」
「うん、ちょっとね。調子はどう?」
要件を切り出す前に挨拶でワンクッション。マティは気弱げな笑みを浮かべ、私に合わせ小声で答える。
「なんとか、やれてるよ。君のほうは?」
「やっと動き始めたとこ。ねえ、こっちにもう使わない魔石ってないかな? あ、もちろん黒くないやつで」
「え? つ、使わないって、どういうこと?」
「例えば、残りの魔力が少なくて研究に使えなくなったやつとか」
「え、ど、な、なんで?」
「もしあったら、うちの部署に譲ってほしいんだ」
「いや、あの、それは・・・」
「何をしている」
もう少しで押し切れそうなところで背後から不機嫌な声が。ちっ。
そのままの姿勢で見上げれば案の定、クリフだった。
「やあクリフ。元気?」
にこやかに挨拶してみるが、潔癖そうな顔は笑わない。
ともに呪文開発部門に配属されたマティとクリフだが同じグループではなく、クリフは通りすがかっただけだ。マティは椅子に座って呪文の構成を考えるデスクワークが主であり、クリフは器用さを買われて実際に構築された魔法を試し、設計通り正しく発動するか、思わぬ副作用はないか、使い心地や利便性はどうか、を検証する担当になったのだ。
「何をしに来た」
「いや、ちょっと相談をね」
「なんの相談だ」
クリフじゃなあ・・・融通利かなさそう。
でもまあ一応、魔石を譲ってほしい旨を話してみる。
「魔道具の開発をするために必要なの。上の人に話を通してもらえない?」
「魔力はすべて事前に計算し、計画通りに使い切っている」
交渉するまでもなく、答えは期待を裏切るものだった。
「あ、そうなの?」
老師と考えた照明器具等の魔道具の、動力たる魔石をいかに確保するかが最大にして唯一の問題。軍備縮小を快く思わないであろう上を納得させるには、利用価値の低い魔石を流用するのが最もリーズナブルなのでここに来てみたのだが、そっかあ、ないのかあ。あてが外れた。
「わかった。邪魔してごめんね」
「おい」
用がなくなったので去ろうとしたら、クリフに呼び止められた。
「また良からぬことを企んでいるのか?」
失礼な。疑惑に満ちた目を向けるな。
「良いことを、企んでるよっ」
「ふん。窓際で枯れるはめにならないことだな」
「はいはい」
いつもの憎まれ口。だが彼の嫌味は激励と同じだ。がんばれよ、ってこと。
「あ、あの、たぶん、ほとんどなんの力にもなれないと思うけど、僕にできることがあれば、協力するよ。君には、恩がある」
マティが珍しく声を張ったので少しびっくりした。。
「そんな大層なこと何かしたっけ?」
「僕が採用になったのは、皆と空を飛んだことを、評価してもらえたからでもあるって、最近人に聞いて・・・だから、あの計画に誘ってくれた君と殿下に、感謝してる」
へえ、危険行為がマイナスにならなかったのは何よりだ。彼の才能を示す手伝いができたというなら幸いだった。するとクリフが思い出したように呟く。
「そういえばお前が欲しいと言っている連中がいたぞ」
「はあ、だいぶ買いかぶられてんだね」
そこまで話題になっていたとは思わなんだ。ありがたいが、特に魅力は感じない。
「出世したくば今のうちに異動を願うのが賢明だろう」
「ご忠告ありがとう。でも私は、自分のしたいことができた上で出世したい」
「相変わらず、どこまでも生意気だな」
「言っとくけど君も大概だよ実は」
人を跪かせるとかなんとか公言してんだからな。まあ、張り合いがあるのは良いことだ、お互いに。
「マティもクリフもありがとね。何かあった時はまた頼むよ」
友情に感謝しつつ、すぐ次のあてに走った。
「ただいま戻りましたー」
王都の鍛冶屋から戻り、工房の扉を開けると、魔石の修正をしていた老師とコンラートさんがそろってこちらを振り見た。
「お、どうだった?」
「だめです」
コンラートさんに尋ねられ、首を横に振る。作業台に布に包まれた魔石の削りカスを広げた。
「竈の最高火力でも全然融解しませんでした」
「うまくいかんのう」
いらないものを再利用するという観点に基づき、魔石加工で否応なく出る石の削った破片をかき集め、熱で溶かして成形できないかと思ったのだが、まったく溶ける気配すらないんだから意味わからん。火力が足りないのか、そもそも液体にならない性質だったりして。
「でもこれ、試してる間に思ったんですけど、色んな石のかけらを集めて成形しちゃったら開封と封緘の呪文がごっちゃになりません?」
同じ石なら半分に割っても開封・封緘の呪文は同じ。ならば破片になっても同じ。これは予想なのだが、別々の石の欠片を集めて一つにしたら、魔法を発動・停止するための呪文を、混ぜた数だけ唱えなければならなくなって煩雑では? わけがわからなくなりそう。
一緒に考えてくれた老師も今気づいたらしく、「あ」の形に口を開けた。
「・・・そういや、そうじゃな」
「もう諦めろってことじゃないですか?」
もともと計画に乗り気でないコンラートさんはすぐ投げやりになる。ま、この人のスタンスは別にこれでも構わない。積極的に反対はしてこないし、少しは協力姿勢を見せてくれているのだから十分だ。
「今のところ、魔剣に使っている分を回してもらうしかないですね」
「それが難しいから再利用の方面で考えてたんだろ?」
トラウィス王国では採掘される魔石はすべて、国が買い占めている。原価が高いから一般で買う人などいないし、そもそも魔法使いが王宮に囲われている以上、魔石のみを手に入れたところで無意味なのだ。さらに、国外への魔石の輸出は禁止されている。
「現時点で武器に使うのは無駄ということで押し切ってみます。あとは採算が取れればなんとか」
家庭で照明に使われているのは主に蜂の巣から作られた蝋燭。オイルランプもあるにはあるが、どちらかと言えば油は調理に使うのが普通であり、しかも貴重なものなので、可燃材にするのはもったいないと考えられている。昔の日本と逆だ。
「実験してみたら、普通に売ってる蝋燭は24時間で燃え尽きました。これ一本2000ベレですから、節約して一日3時間だけ使ったとしても一年で9万はかかります。酒場など夜に開いているお店ではもっとかかっているでしょうね。魔石の原価は最安のものでも20万しますんで、大体2年半以上もつランプを作れば、蝋燭を買うよりはお得になります。もちろん利益を出すなら原価では売れませんが」
「わしの設計なら軽く10年はもたせられる。じゃが、照明器具にンな大金をぽんと出す奴ぁいねえじゃろ。使用年数を削ってでももっと安くせにゃあならん」
「じゃあ砕きましょう。4分割すれば1個5万で少しは安くなりますよ。あるいは、最初に貴族など富裕層をターゲットにしても良いですよね。そちらには高く売って庶民には安く売るとか。装飾でごまかせば多少高めの値段設定でも金持ちは買ってくれるかもしれません」
若干、詐欺まがいではあるが。これがヒットして大量生産ということになれば国庫の魔石が解放されたり魔技師人口が増えたり、ってこの辺は皮算用。
「ひとまず、これらのことを企画書にまとめてみます」
「本気なんだなあ」
今さらのことをコンラートさんがしみじみ呟く。
「いつだって本気ですよ私は」
あいた時間を使い、さっそく企画書の作成に精を出した。
オフィス群がある部屋の窓際奥に、険しい表情で書類と睨めっこしている人がいる。周囲の熱の入った議論の声など耳にも入らない様子で、王立魔法研究所所長は、まるで機械仕掛けの人形のように背筋を伸ばしたまま手元以外は微動だにせず、仕事を片付けていた。
「失礼します」
扉がないので、かわりに衝立を叩く。兵士さながらの鋭い上司の目線がこちらへ素早く向けられたのを合図に、私は戦闘態勢に入った。
大股で執務机に詰め寄り、広げられている書類の上に、持参した紙の束を乗せる。
「新たな魔道具開発に関する企画書です。お目通し願います!」
テオボルト所長の片眉がわずかに動いた。三日かけて照明器具開発の企画の意図や用途、その設計図などをわかりやすくまとめたつもりだ。これまでと魔石の使い方をまったく変える提案であるために、最終的には王の許可が必要となるがまず、この人を突破しなければ話にならない。動きを止めた所長に言葉でも説明を重ねた。
「現状、魔道具開発部で整備している魔剣は兵士の腰を飾るだけのほとんど無意味な代物と成り果て、使われもせずいたずらに魔力を放出しているだけであり、はっきりと無駄です。なのでストックを最低数にし、余った魔石を照明器具等の日用品の動力に使用し、一般へ販売することを提案します。また、」
「黙れ」
強い口調で遮られた。所長は企画書を横へ放り、すでに下の書類に目を移している。
「己の仕事を言え」
「魔道具の開発です。そして今回ご提案したのは魔道具です」
凄まれたって怯むものか。むしろさらに前に出てやる。
「所長、これは国を豊かにするための提案です。この魔道具は触れるだけで明かりをつけることができ、光のみを発するので火事を防げます。木造の家屋にはもってこいだと思われませんか?」
「魔石を民に配ることなどあり得ない」
「貴族には?」
「同じことだ」
議論はコスト以前の問題ですでに突っかかった。
「すべて配れと申しているわけではありません。ですがあと数十年は平和な時代が続くはず。今ある魔剣はおそらく次の戦乱までもつものではありませんし、単なる賊退治ならば魔力に頼る必要もなく、このトラウィスの屈強な兵士たちの自力で事足ります。現状こそ魔石の浪費に他なりません」
「我らの使命は国防である」
また所長が言葉をかぶせてきた。より強く、厳しい口調で。
「議論の余地はない。下がれ。勤労の時間をくだらぬ話に費やすな」
「これは魔法の未来に関わる話です」
「イレーナ」
誰の名前だ、と思ったら背後から現れた腕が私を机から引き離す。振り見れば美人なお姉さんの顔が。彼女はローブを着ておらず、かっちりした白のジャケットとロングスカート姿で、栗色の髪をうなじのところでまとめている。それから左の目の下に泣きぼくろ。紅を引いた唇がきれいに湾曲し、極めて理想的な微笑みを形作っていた。
「申し訳ないけれど、所長は仕事が山積しています。熱意ある新人さんのために割ける時間はほんのわずかなの」
「ちょっ、」
彼女の細い腕が首に回り、がっちりホールドされる。たぶん香水かな、かすかに甘い花の匂いがした。
「はじめまして、私は秘書のイレーナ・ブルクムントです。今後、企画を持ち込む際は私に所長の予定を確認してから持って来なさいね」
特に大柄でもないのに彼女の力は思いのほか強くて逃れ難く、衝立の外に放り投げられた。ついでに企画書も突っ返される。
「新しいことを始めたければ、まず今の仕事を必死にがんばりなさい?」
素敵な笑顔のまま、彼女は入り口を塞いで立つ。
「企画書だけでも目を通してもらえませんか」
「ですから、所長はお忙しいのです」
つまり私のために時間を割いてくれる気はないわけだ。しかし、せめて企画書くらいは受け取ってもらわなければ帰れない。
「あ!」
あさっての方向を指して彼女の気を逸らし、隙間に体をねじ込んだ――――つもりだったのだが、通り抜ける前に視界が回転し、背中を床に叩きつけられていた。
咄嗟に声が出なかった。衝撃で呼吸が止まる。たぶん足を払われて投げられたんだと思うのだが、な、なんなんだ、この人。
「さ、仕事場に戻りましょう?」
襟を掴まれ、床を引きずられて連行される。手も足も出なかった。
「な、んで、秘書がそんなに強いんですか・・・」
「あなたみたいな強引な人から、ご主人様をお守りするためよ」
秘書の仕事って、書類整理とかスケジュール管理とかじゃないの? ボディガードも含まれるのかよ。万能過ぎるだろ。ワークシェアしろ。
結局、工房まで連れ戻され、びっくりしている老師やコンラートさんにイレーナ秘書は愛想良く手を振り、扉を閉めて行ってしまった。
「あー・・・イレーナさん、久々に見たな」
「相変わらず色っぽい姉ちゃんじゃのー」
師匠と兄弟子は美人秘書の感想を呟くのに忙しく、まったく私を助け起こそうともしてもくれない。別に良いけどさ。自力で起き上がって散らばった書類を並べ直していると、老師が溜息を吐いた。
「その様子じゃあ、うまくいかんかったようじゃの」
「まさか秘書にぶん投げられるとは思いませんでした」
「あ、投げられた? 俺も俺も」
コンラートさんがなぜか嬉しそうに自分を指したので、老師が長い眉をひそめた。
「なんでお前は投げられたんじゃ」
「しつこく食事に誘ったらキレられました」
「そういうことには積極的なんですね」
「いやあ、はは、あの頃は魔法使いになりたてで調子に乗ってたもんだからさ・・・」
コンラートさんは遠い目をしていた。お灸を据えられたついでに自信とやる気まで失くしたのかな。挫けずもう少しがんばってほしいものだ。
「本気で諦めたほうがいいかもな。あの人を突破するのは現役兵士でも至難だって」
「秘書がそこまで強い必要あります? っていうか、なんでそこまで強いんですか」
「さーなあ。あの人は貴族でも魔法使いでもなくてもともと所長の家の使用人だったらしくてさ、詳しい経歴は誰も知らないんだ」
ミステリアスだね。まあどうでもいいが、ただでさえ了承を得るのが難しいというのに、障害が増えた。諦める程ではないものの。
「次はうまくやりますよ。合言葉はっ、非暴力不服従!」
「宮仕えしてる奴が服従しないのはだめだろ」
コンラートさんのつっこみは聞こえなかったことにした。




