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「できた」
作業台に針と虫眼鏡を投げ出し、ぐいーっと伸びをする。ランプの明かりに小指の先程の黒い破片をかざし、その出来に自己満足。手先だけはだいぶ上達した。
すでに夜となって何時間経ったかわからない。ランプに注いだ油がかなり減っている。魔法で明かりを点けることも可能だが、いかんせん、私は極力自分で魔法を使いたくない。気持ち悪いのが邪魔で彫るのに集中できないし。
今日は魔剣の運び出しなどをやっていて修業に時間を取れなかったので、初めて残業してみた。別に誰に強要されたわけではないが、一刻も早く色々なことができるようになりたかったのだ。どうやら一人でがんばらねばならないってことが、この間わかってしまったから。
王宮の門は日暮れを過ぎれば閉じられるので、今日は寮の空き部屋に泊まりだ。研究が佳境に入った時のため、常に余分に部屋が用意されているというのだから、ここは研究所としてかなり最高な環境。
作業を終え、何気なく老師の部屋を見やる。
扉の隙間から明かりが漏れているので、まだ起きてはいるようだ。完成品を見せて評価を仰ごうか迷うが、さすがにそれは明日でいいか。
工房を出る前に、石を削った破片を手で集めてきれいに。ゴミ箱にしている木箱を作業台の下まで持って来て中に落とした。
これで良し、と出口に向かおうとした足を二歩目で止める。
何か今、唐突に引っかかった。
工房の隅に寄せたゴミ箱の傍にランプを置いて、くしゃくしゃにされて捨てられている紙の束を手に取ってみる。
それは老師が書いた設計図。ここにあるのは私が就職してから捨てられた物。だってゴミ箱を設置したのは私だから。
しかし私が来てからはずっと魔剣の整備を行っており、製造はしていないのに、新たな設計図を書く必要がどこにあっただろうか? しかも捨てられているということは、これは使われなかった魔法陣。
一枚一枚、解読しているうちにいつしか私は夢中になって、床に座り込んでしまう。
そして思い出した。
初出勤の日、私は同じものを見ている。色々知った今ならわかる。これが、武器に使われる魔法陣とは異なるものであるということが。
居ても立ってもいられず、紙の束を握りしめ、老師の部屋の扉を開けた。
途端、アルコールの匂いが鼻をつく。
「老師!」
自分で買って来たのか寮の使用人にでも届けさせたのか、酒瓶の一本が老師の座るベッドの上に転がり、もう一本を老師が握ってラッパ飲みしている。
飲んじゃだめだろとかそんな注意はひとまず置いといて、ベッドの上に紙を広げた。
「これ、明かりをつける魔法ですよね? そしてこっちは火をつけるための」
魔法陣はなんら複雑な構造をしてはいない。その魔力量を見ると、魔剣で設定されているものよりずっとずっと低い。これは戦いに使える設計ではないとすぐにわかった。
「私が言い出す前から、老師も同じことを考えていたんじゃないですか。なのにどうして、くだらないことだなんて」
「くだらねえよ」
焦点の合わない視線を紙の上に滑らせて、老師は私の言葉を遮った。
「実現できもしねえ。一生、わしゃあ人殺しの道具を作らされるんじゃ。どこに、行っても」
老師は自嘲するような笑みを漏らす。
「ガレシュからぁ、逃げて、二度と武器なんぞ作るまいと思ったのによぉ。結局、このざまじゃ。他にゃあ食い扶持稼げねえんじゃよ、わしゃあ」
「・・・あなたは、亡命してすぐに王宮に仕えたわけではないんですよね?」
笑いながら痙攣している老人に、私はなるべく抑えた声音で尋ねた。
「魔技師ではない道で生きようとしたんですか?」
「おうさ。なぁんでもやった、なぁんでも、ガレシュで過ごした忌まわしい歳月に比べりゃあ、マシじゃった。この国で女房に会ってぇ、年いってからのガキもできてよぉ。だがよぉ、お前さん、知っとるか? わしが何人殺したか」
それは、直接的にということではなくて、彼が戦時中に製造した武器で、人が何人死んだかという質問なんだろう。
「わかりません」
「わしもじゃ」
老師は笑みを消し、また憮然とした表情になった。
「わからんほど殺した。だのにわしは、女房の薬代欲しさにまた魔技師になって、結局、女房も死なせちまった」
「奥さんはご病気だったんですか?」
「なんじゃ、最後は痩せ細ってな、血ぃ吐いて死んじまった。可哀想になあ、呪いを受けるのはわしだけで良かったのに」
老師の赤い瞳がランプの明かりを照り返して光る。涙が浮かんでいるのだ。
奥さんが病気にかかって、その薬代を得るために魔技師としての自分を王宮に売ったのか。しかしすでに手遅れだったと。
なんて不幸な話だろうか。
「お子さんはどうしたんですか?」
「出て行った。女房が死んですぐにな。もう帰っては来んじゃろう」
家族を失い、老いた身が罪悪感を抱えてこの世に独り。だから酒に溺れたくなった?
可哀想な人生だと思う。しかし私の中には同情ではなく、別の感情が湧いていた。
「お前さんも、後悔する前にとっとと逃げぃ。わしのようになりたくなけりゃあな」
老師が言いながら酒瓶に口を付ける、寸前に私はそれをひったくって一気に呷った。
液体が大量に通り過ぎ、熱を持って疼く喉を、盛大に震わせ叫ぶ。
「なぜあなたは怒らないんですか!?」
酔いが回って一瞬くらりときたが、目線だけは老人から外さなかった。
「不幸を全部受け入れて怠惰に余生を過ごしてる場合じゃないですよ!! 命を奪うことの罪深さを知る人が、どうして声を荒げずにいられるんですか!?」
ここに来てから今一番、この人にムカついた。
私なんかよりもずっと、取り返しのつかないことがあるのを身に染みてよく知っているくせに、何をとっくに諦めて絶望して飲んだくれて大人しくなってしまってるんだ。
「あなたはどうしてこの魔法陣を設計したんですか? 誰が使うことを想像したんですか?」
問い詰めると、老師は驚きに目を見開いたままうわ言のように漏らした。
「・・・女房じゃ。夜が来た時に、すぐ明かりをつけられたらいいと言っとった・・・」
「それはくだらないことですか?」
老師は口を噤んだ。
「ささやかな願いです。命に関わる話ではありません。でも、くだらなくはないですよね? 確かに武器はまだ必要なんでしょう、平和条約を結んでもいきなり軍備縮小はできない。当然この考えは上に拒否されるでしょう。だからこそ、ふてくされてる場合じゃないんですよ。無理解な周囲に怒りを燃やし、声高に異を唱えるんです! 物わかりの良いジジイなんて魔剣よりも使えませんよ!」
周りを納得させられるだけの材料が今はなくとも、諦めるにはまだ早い。方法はきっとある。機は巡って来るものだ。それまで身の内の炎を絶やしてはいけない。
「わしとて言った! 最初はな!」
たまらず老師が悲痛な叫びを上げた。真っ赤な顔がさらに赤くなり、涙が干からびた頬を伝う。
「じゃが誰も聞く耳持たん! なんも変わらんかった! もう、わしゃあ疲れた・・・」
「変わるまでやんなきゃ意味ないんです!」
負けじと私もさらに怒鳴り返した。
「世界なんてそうそう変わりませんよ! だけど歯車が一つ動けばどこかしらが連動するんです! そうして少しずつでも変わっていくと、信じて動き続けるしかないじゃないですか!」
だから勝手に止まるな。勝手に止めるな。
たぶん、どの道に行っても後悔だらけ。何をしてたって不幸はやって来る。ならば覚悟を決めて、いつだって晴れ晴れと困難に立ち向かって行くんだ。
「わしは、もう老いた」
「ええそうですね。老いで動けないというのなら、私があなたの分まで動き回ります。そのかわり、私にあなたの知恵をください」
フィン老師はまだ、完全に立ち止まったわけではないはずだ。もしそうなら、奥さんの望んだ魔法陣を今も考えていたりなんかしないだろう。
「だめもとでも、やってみましょうよ。ただの人殺しとして死ぬよりはマシでしょう?」
明るい声で伺う。
老師はしばらく沈黙していた。私も黙って答えを待っていた。
やがて彼は頭の後ろを掻きながら、呟いたのだ。
「・・・容赦のない娘じゃ。死にかけの老体に鞭打つというのか」
「老師はまだまだお若いですよ」
「よく言うわ」
涙を拭う老師の前に、私は真っ白な新しい紙を広げた。
「老師の設計を見ていたら照明器具の開発をまずやりたくなりました。発想は単純ですけど実はすごく画期的だと思うんですよ」
「設計は大体できとる。問題は金じゃ」
二人とも赤ら顔で頭を寄せ合い、作戦会議は翌朝まで続いたのだった。




