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「今回はまた、格段に乳のない小娘が来おったな」
出勤初日早々、なぜに私は育ちの悪い体を初対面の老人に非難されねばならないのか。しかも仕事場で酒かっくらって、ついさっきまで寝こけていた相手に。あんたが今飲んでる水は私が汲んできたやつだからな。
「わしと変わらんじゃねえの、えぇ? 小娘じゃなくて小僧か?」
「あ、ほら老師、そういうこと言うとまた逃げられちゃいますって。所長に怒られるの俺なんで勘弁してくださいよ」
弱ったような声で、窓からやって来た青年が言う。念のため、不審者ではない。青年は貴族的な青白い肌をして、白いローブをまとっていた。
「何が悪い。ないものをあるとふぁ・・・言えんじゃろ」
眠たそうにあくびをしながら反論する老人。離れたところにいてもその呼気は酒臭い。
「本当のことを言っちゃ可哀想でしょう。本人だって気にしてるんでしょうから」
「気にしてません」
黙って聞いてりゃ好き勝手に言ってくれやがって。
心底馬鹿馬鹿しい会話を続ける彼らこそ、残念ながら、この研究所に勤める魔技師たちだ。老人がフィン、青年がコンラート・ノーリッシュと名乗った。コンラートさんは老人のことを老師と呼ぶ。上司じゃなくて師匠。ますます研究所っぽくない。
「まあ、まだ十代なんだろ? 希望はあると思うぞ」
「甘いな。この年頃に育ってない奴ぁ大概、一生ないもんじゃ」
「いい加減やめろその話!」
乳なんぞなくていいわ! 仰向けもうつ伏せも苦にならないし! そもそもあんたらには関係ない!
初対面だけど、年上だけど、あっちがまるで遠慮してこないのでこっちも遠慮なく怒鳴ってやることにした。
はあ、ったく、いきなり疲れた。魔道具開発部門には、このセクハラ野郎二人以外に誰もいないというのだから、頭の痛いことである。
彼らについて語る言葉を私はまだ多くは持たない。わかっていることは少しだけ。コンラートさんが窓から出勤して来たのは遅刻したところを所長に見つかって怒られたくないためで、フィン老師が酒を飲んで寝ていたのはそこが彼の私室であるため、とのことだ。
コンラートさんはとりあえず良い。真面目な人でないことはわかった。不思議なのが職場に自分の部屋を持つフィン老師だ。彼は私と同様に苗字がない。そして皺だらけの顔立ちがこの国の人と少し違った。
「フィン老師はガレシュからの移民でなー。魔石加工の確かな技術をもたらしてくれたのも、この人なんで敬うように」
コンラートさんの説明を聞いたら、単なる酔っ払いセクハラ老人じゃなく見えてきた。
フィリア姫が嫁ぐ予定のガレシュ王国は、戦前から魔石加工の盛んな国だと聞いている。かわって、ここトラウィス王国に魔石加工の技術がきちんと伝わったのはわずか20年程前のことだそうで、それ以前はあやふやな知識しかなく、まともな魔道具がほとんど作れなかった。魔法は戦乱の中で伝わっていったものなので、初期の頃は知識に穴が多かったのだ。
「フィン老師は亡命したということですか?」
「そんな大層なもんじゃないわい。戦時中のごたごたで偶然この国に流れて来たのを、そのまんま住み着いて雇ってもらっただけじゃ」
ざっくり語っただけで老師は顔をそむけてしまった。魔技師ならガレシュの王宮に勤めていたんだろうし、停戦協定が結ばれる前に移って来たのは意味深。でもトラウィスの王宮に勤めるようになったのは20年前ってことは、しばらくは魔技師としてじゃなく暮らしていたのか? 一体どういう経緯でここに勤めることになったんだろ。
色々と疑問が湧いたが、初対面で根掘り葉掘り訊くのはいくらなんでも無礼が過ぎる。いずれ、機会があれば。とりあえずは敬意を持って、先達にご挨拶しておこう。
「物知らずな若輩ですので、どうぞご指導ご鞭撻をよろしくお願い致しますフィン老師、コンラートさん」
「ああ、よろしくよろしく。そんな畏まらなくて良いぞ。ここにお偉いさんはいないからさー」
コンラートさんは軽い感じで返してくれ、フィン老師は無愛想に鼻を鳴らした。
「魔剣なんて言ってもさ、実際大したことはないんだよな」
片付けた作業台の上で、ブローチより小さな緑の魔石に、針のように先が細い錐で文字を彫り込みながら、コンラートさんが言う。私は老師に見学を命じられたので、横に椅子を並べてその手元を覗いていた。
かなり繊細な作業をしながらも、彼の手つきは慣れた様子で、お喋りをする余裕さえあった。
「兵士が全員魔法を使えたら怖そうですけど」
率直に思ったことを口にすると、コンラートさんは視線を石に固定したまま笑い声を洩らした。
「そう思うだろ? だけどなあ、所詮、魔法使いには敵わない。非魔法使いに魔法を使えるようにするには、魔石にいわゆる呪文と、発動の合図、それから放出できる魔力量を細かく決めて彫り込まなきゃならないんで、威力の強いのや複雑なのは設定できないんだよなあ」
「? よくわかりません。詳しくお願いします」
いまいち要領を得ないコンラートさんの説明を何度か聞き返し、まとめると、つまりはこういうことだった。
まず、非魔法使いは魔石と繋がる《回路》を持たないため、魔石に対してなんの作用も及ぼせない。魔法使いと同じ呪文を口にしたところで何も起こらないのである。よって、魔道具に付ける魔石にあらかじめ呪文を彫り込んでおかねばらない。
これが一つ目の問題。
呪文を彫り込んでしまった魔石はそれ以外の魔法を使えない。魔法使いが一つの魔石であらゆる魔法を使えるのに対して、魔道具に付けられた魔石はワンパターンになる。別の魔法を使いたかったら、魔石の表面を一度きれいに削り取って新たに彫らねばならない。もったいない上に手間である。
そして次に、魔石には位置と向きを指定した呪文だけでなく、魔力量というものを刻む必要がある。
距離の単位を持っていないミトアの民だが、魔力に関する単位は持っていた。メクタと読み、その文字をミトアの数字と共に並べて記す。これは魔石からどれくらいの魔力を引き出すかという単位であり、自分で威力の調整ができない非魔法使いのため、常に一定の魔力が放出されるようにしておくのだ。
これが第二の問題。
常に一定の魔力が、というのは魔道具を使用していない時も含まれるのである。なぜなら非魔法使いは開封、封緘いずれの呪文を唱えても、石が応えてくれないためだ。
え、じゃあ魔法が発動しっぱなし? と疑問を持ったがそんなわけはない。
口頭での呪文以外で、魔法が発動する条件をプログラミングしておくのだ。例えば、指で魔石を叩いた時、剣を思いきり振り降ろした時、というように。こちらであらかじめ開封の呪文を唱えて石の魔力を解放しておき、いざ戦闘になった際は、兵士に発動条件にあたる行動を取ってもらえば魔法を使える。止める時も同様だ。
この仕組みは電化製品に例えるとわかりやすい。つまり、開封の呪文を唱えることがコンセントにプラグを差し込むことで、魔石を叩くなどの行為がスイッチになるというわけ。コンセントに差し込んだままでは当然、待機電圧がかかるわけで。それだけ魔石の魔力が無駄になり、下手すりゃ一回もまともに使わないうちに石の魔力がなくなる、なんてこともあり得る。
放出される魔力量をある程度抑えれば長く保存し使えるが、魔法の威力は弱くなる。威力が強い魔剣を作っても、直近で使う予定がない場合は単なる魔石の浪費となる。
「当分戦争の予定はないしな、製造だって別に急がれてない。俺らの仕事は、大方が今ある魔剣の整備だけ」
それが壁際に積まれた剣の山。ちなみに、剣自体の修理は王宮外の鍛冶屋に委託しているそうだ。ここでやるのは、不具合があった魔石の回収と修正。・・・地味。
「魔剣なんてのは、兵士を少しでも強そうに見せるだけのお飾りさ。まあ、魔石加工の技術は伝えていく必要があるけどなー」
学校にいた時から薄々、感じてはいた。この国では魔道具が軽視されている。その原因の一つは今日知った。だが一番大きいのは、過去にいた天才の影響だろう。
すなわち、エリス・レインが強過ぎたのだ。
兵士一人一人の戦闘力をわずかに上昇させるよりかは、彼のように強力な魔法使いを生み出し、強力な呪文を開発し、一個師団を瞬殺できたほうがいいと、上は考えているんだ。戦時中のトラウィスでは魔石加工技術が未熟だったため、魔道具が主力になり得なかった記憶がいまだ残っているのだろう。
そのため、採れた魔石はなるべく研究やストックのほうに回され、この魔道具開発部門に回ってくる魔石はほんのわずかなのだという。
「魔剣しか作っていないんですか?」
「え? まあ・・・あ、槍とか盾も少しあるけど」
「そうじゃなくて、武器しか作らないんですか?」
「そりゃあ、え? どういうこと? 武器以外に何を作れっての?」
コンラートさんはまったく発想すらないって感じだ。
「だって武器としてあまり優秀でないのなら、別の便利な道具を作ればいいじゃないですか。日常生活に役立つものとか。そっちのほうが絶対需要ありますよ」
「あー、うーん、いやあ、言ってることよくわからんけど、まず、許可が下りないだろ。武器以外に魔石を使うなんてことは」
「だって戦争はないんですよ?」
「とも言い切れない。あるいは、三国が均等に力を持っているから、戦争がないって話にもできるわな」
それは・・・わからなくないけどさ。しかし私はもう知ってしまっている。魔石が人を救う素晴らしい道具になれるってことを。だからどうしても、軍事にしか使わないほうがもったいなく感じるのだ。
「まあそんなに深く考えるなよ。今までここに来た奴らも仕事が地味だから変えるとかあったけど、まあ大半は老師と気が合わないのが原因だったけど、俺はこの仕事最高だと思うね。頭使わず老師の設計図通りに文字を彫るだけで十分な給料をもらえて、自由な時間は趣味に没頭できる。人生の至福ってこういうことじゃないか?」
人の生き方にケチをつけたくはないが・・・だめだ、この人。仕事にやる気がないから遅刻するんだろ。
「何が趣味なんですか」
まったく興味ないが、社交辞令だ。
「観劇。まあ、芝居小屋に通ってるだけだけど」
「貴族用の劇場じゃなく?」
「あそこは上級貴族専門。貧乏田舎貴族の次男坊なんてほぼ平民みたいなもんさ。魔法使い特権で陛下に拝謁叶っても、功を立てなきゃ領地や爵位までは貰えないしな」
コンラートさんの貴族らしからぬ気安さは、どうやら生まれから来るもののようだ。領地と爵位は基本的に長男が継ぐんだったかな。
無闇に高飛車でないのはやりやすくて助かる。勤労の意欲が乏しいだけで、悪い人ではないんだよなあ。
「よーし、できた。剣くれ」
机に立てかけてある剣をコンラートさんに手渡す。彼は柄の窪みのところに石を、文字を刻んである面を反対にして嵌め込んだ。
「見えないようにするんですか?」
「というより、彫った文字が擦れて消えないようにするためだ。本当は表面をコーティングする呪文も彫り込んでおければ良いんだけど、無駄に魔力喰うからなー。あとほら、石が小さいからそんなにたくさんの命令式は刻めないんだ。大きい石を付けたら邪魔になるだろうし」
なるほど。ジル姉の魔剣もだから文字が見えなかったんだ。一つの魔剣が完成したら、コンラートさんは隣で酒瓶片手に作業している老師を呼んだ。まだ飲んでやがる。いいのか? これ。
「老師、説明終わりましたー」
「んじゃあ、剣の石取りでもさせとけ」
老師はこちらを見向きもしない。
「あの、できれば彫り方とか文字の構成とか先に教えてほしいんですが」
「お前の仕事は雑用じゃ。四の五の文句言うな」
「・・・いずれは教えてもらえるんですよね?」
「さあのう」
なぜとぼける。私、単なる雑用係として配属されたわけじゃないよな? 魔技師になれる、よね?
「最初のうちはそんなもんだ。はいこれ」
コンラートさんには工具と紙を一枚、渡された。そこには番号と共にミトア語が走り書きされてあった。
「剣の鍔に番号が刻んであるから、それと照らし合わせて封緘の呪文を唱えて、魔石を取り外してくれ。で、刃こぼれしてたり折れてたりするやつは昼過ぎに鍛冶屋が取りに来るから玄関まで運んどいて」
え、私一人でこの山を運ぶの? リヤカーとかもなく? 何往復しろってんだ。人使い荒くないか。と咄嗟に文句が浮かんだものの、ぐっと飲み込んだ。
「わかりました」
多少期待を裏切られはしたが、いいやまだ始まったばかり。新人が雑用を押し付けられるなんて普通の職場でもあることだ。まずは黙って働こう。
「乳がなけりゃ剣を抱えやすいじゃろ」
だけど仕事の前に、老師をいっぺん叩いて良いだろうか。




