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二度目の王都の冬を越え、日差しが春めいてきた頃、私は再び王宮を訪れていた。
しかも足を踏み入れることなどないと思っていた白亜の中央宮殿に、魔法学校の同級生たちと共にだ。
先生に連れられ、私たちは何もない広間にやって来た。靴の音がよく響く。丹念に磨きこまれた床が柔らかな陽光を反射していた。
目の前の壁の窪みに三体の石膏像が立っている。中央のサンタみたいな髭面が初代国王のセーファス・クロノラン。王家の姓はここ、クロノラン宮殿から取られている。日本で言う皇族の宮号みたいなものか。
その向かって左に、王の像よりも少し小さめに作られている、髭のない線の細い男の像が、偉大なる創国の魔法使いエリス・レインだ。天空神の寵愛を最も享受していたとされる彼は、足元まで届く長いローブをまとった姿で天を仰いでいる。
そして右には鎧を着た偉丈夫の像。レインと同じく数々の戦功を挙げて建国に貢献した、雷鳴の如くその名とどろく大将軍、アルダス・ソニエール。険しく鋭い顔つきを足下に向け、まるで私たちの中に王に害なす輩がいないか厳しく見張っているかのようである。全然似ていないが、これがオーウェン将軍のご先祖様。そういやソニエールって名前を授業で習っていたなあと後から思い出した。ほんと、面倒な相手に・・・まあ今はいいや。
三体の芸術的な肖像を眺めているうち、やがて時間が来て、彫像でない王が現れた。
無言の合図で一斉に床に片膝をつき、首を下げて目を伏せる。
下級の貴族、あるいは平民であれば本来、拝謁叶う相手ではない。しかし今日は特別。それから私たち自身がヒエラルキーの中で特殊な位置にあるために――――正確には、今日、その特殊な地位の証を授かるために、こうして拝謁できたのだ。
「おもてを上げよ」
この台詞をリアルに聞くことになるとはなあ。王の側近の言葉で、私たちは跪いたまま顔だけ上げる。優しさと威厳を湛えた王は彫像を背にして立ち、生徒たちの顔を一つ一つ確かめるように眺めていた。
それから一人ずつ名前を呼ばれ、王の御前に進み出る。そして手ずから白いローブを、肩にかけてもらうのだ。
これが、魔法学校の卒業式だった。
課題として与えられたすべての呪文を習得し、理論を修めて魔法使いとして認められた者は王による直々の祝福を受ける。魔法使いがこの国で、大陸で、特別視されていることはこの儀式からもはっきりとわかる。
現在のトラウィス王国を統べる者、ヴィクトラン王は、目の前に出て来た私に殊更に優しげな、アレクにそっくりな微笑みを浮かべた。
「そなたには随分と世話をかけた」
息子と娘それぞれについてのことだろう、ローブをかけるついでに小声で言われた。お忍びに付き合ったり、空を飛ばしてみたりした手前、親御さんに怒られる覚悟をしていたのだが、怒りはなさそうで何よりだ。それにしても不思議なくらい王家とは縁がある。後は王妃に会えばコンプリートだなとかどうでもいいことが頭をよぎった。
こちらから王に対して勝手に口を利くことはできない。ただ頭を垂れて粛々と労いの言葉を受け、邪魔にならないうちに素早く下がる。
王子であるアレクも、今日までは一生徒として、同じように自分の父から一人前の魔法使いの証である白のローブを受け取った。
そして全員が終われば、王は再び全体に語りかけた。
「あらゆる困難を乗り越え、よくぞここまで辿り着いた。そなたらの歩む道は、余人の歩めぬ特別なものである。さらに先へと突き進み、いつか全国民にとっての幸福を導いてくれることを、神ではなくそなたらに願おう」
短い言葉を残し、多忙なヴィクトラン王は去って行った。
拝謁時間はほんのわずか。しかし、若人たちを感動に打ち震わせるには十分だった。かくいう私も少なからず。ただ私の場合は、王の激励に対してばかりではなくて。
白亜の宮殿を出た瞬間に、私は叫んだ。
「成り上がっ、ったーーーーっ!!」
みなしごになってから苦節十年、とうとう夢の高給取りだ。就職面接なんてない。この後すぐに魔法研究所のほうで説明会があって、希望先の部署を提出する。安定した公務員職。国が滅びない限りもう路頭に迷う心配はないのだ。
日を照り返す純白のローブが、第二の人生で積み上げてきたすべてを象徴している。だから良いじゃないか、ちょっとくらいはしゃいだって。そんな皆して本気で怒らなくたって。王のいる宮殿の前で騒ぐなってんだろうけどさ。「おめでとう」と言ってくれたのはアレクだけだったよ。
「アレクも説明会聞くの?」
彼と、ついでにロックもまるで当然のごとく付いて来ている。むろん、王子が研究所勤めなどするはずもない。説明を聞いたところで意味はない。
「興味がある。それに、せっかく友人と過ごせる最後の日なんだ。もう帰ってしまったら、もったいないだろう?」
すでに寮の部屋は引き払い、学校に戻ることはない。今日が終われば本当にお別れ。同じ場所にいるのに不思議な話だが。
「じゃあ最後にいっぱいアレクとロックに無礼を働いておかなきゃね」
「それ、明日から覚えていろよお前」
ロックが低い声で釘を刺してきた。冗談だってば。いつもの脅し文句だが今は現実味があるからやめてくれ。
さて、就職にあたり友人たちの間で最も気がかりになっていたのはマティのことだ。魔法を使えるだけで身分すらパスされる私たちと違い、彼には試験が課せられた。それが卒業の前のことだったので皆でそりゃもう、試験対策に協力を惜しまなかった。ただマティはもともと優秀だから、自力で十分だったのかもしれない。が、メリーが焦ってテンパり、あちこちに相談したために大事になってしまい、当の本人はひたすら恐縮していた。果たしてそれが彼のためになったのかどうか、今となっては怪しい。
ともあれ、結果は見事に合格し、彼も白いローブを羽織って説明会に参加している。魔法が使えなくても立派に魔法使いの一員というわけ。私なんかも魔法が苦手というアイデンティティ崩壊気味な魔法使いだから似たようなものかな。
王立魔法研究所は王宮の西側、以前訪れた軍部とは反対方向に建てられていた。ここもまた白と青の装飾の建物で非常に明るく、開放的であり、ぞろぞろ見学に訪れたひよっこ新入社員たちを、たまたま居合わせた人たちが拍手で迎え入れてくれた。中には先生もいたし、まったく初対面の人もいる。
「ここが主に研究を行っている場所である」
私たちを先導し、施設を案内してくれているのが研究所の所長であるテオボルト・レイン。名前を聞けばわかる通り、彼はエリス・レインの傍系だ。国は創っても子は作らなかった変わり者の英雄には弟がおり、テオボルト所長はそちらの子孫なのだそうだ。
見た目は四十くらいか。眉間に皺が刻まれているいかにも厳しい上司の顔付きが、決してコネだけでその地位にいる人ではないのだろうと思わせた。研究所の和やかな雰囲気とは対照的であるのだ。アレクの存在にも眉一つ動かさなかった。丁重な挨拶をした後にはまったく気にせずきびきびとした口調で施設の説明をしていった。立ち居振る舞いが魔法使いというより軍人っぽい。
施設は部門ごとに低い間仕切りが置かれ、オフィスのように簡単に区分けされていた。研究内容は違っても魔法という共通点がある限り、なるべく自由に互いのところを行き来して意見を交わせるほうがいい。研究は一人でできないものだ。よって最低限の協調性すらない者はあまり研究者に向かないのだと思う。
オフィスをぐるっと見て回ったところ、呪文開発の部門が一番大きく場所を占めていた。黒板に書き連ねられた呪文を前に、グループで話し合っているのを小耳に挟んだ感じでは、どうやら攻撃系の魔法について様々相談されている。やっぱ軍事利用が最優先か。学校でも、単に風を吹かせたり火を出すだけでなく、相手へ向けることを一応習ったが、できればそんな事態は勘弁願いたい。
他には魔石の特性について研究しているところがひっそりとあり、ミトアの民についての研究と学校教育を担当する部門が一緒くたになっていた。それから新たな魔法を試験、練習するための石造りの広い訓練施設や、研究員たちが寝泊まりできる寮がそれぞれ併設されている。
仕事内容は研究だけというわけではなく、上級の魔法使いともなれば兵士のように警護に駆り出されることがあるらしい。今でこそ研究主体の職種となっているが、平和な世でなければ魔法使いはやはり戦力の一つなんだろう。
私の目当ては当然、魔技師の部門である。それだけはオフィスの一群の中になかった。学校では魔石加工についての授業が行われていない。ノウハウはすべて専門の職人が知っているものであり、普通の魔法使いでは教えられないというのだ。
だからわくわくして待っていたのだが、テオボルト所長は先に魔技師の工房があると、渡り廊下の手前で紹介しただけで奥には進まなかった。なんでだよ!?
素早く挙手し(前世からの長い学生生活で、もはや染みついている)、ちゃんと見せてほしい旨を伝えたものの、「時間の都合」ということであっさりかわされた。私以外の人は大して興味がなかったらしく、誰も抗議などしなかったので、そのまま流されてしまった。
どうせ魔技師になるとは決めてるけどさ、説明を抜かすのはだめじゃない? 自分で魔力を操れる魔法使いにとっては、他人にその力を使わせるようにすることに関して、あまり熱心になれないのかもしれない。
一通り見て回った後に、紙を配られて希望の部門を書いて提出を求められた。自分が興味を持って研究したいと思うところに行くのが互いにとって一番良い。後から変更も可能だ。要するに魔法使いの仕事はほぼ全部、魔法に関しての研究なわけだから、どこでも大きな違いはない。
ちなみにマティは呪文開発の部門に採用されたのですでに決まっている。
「私は魔技師、と。メリーは? どこにするの?」
同じ丸机でアンケートを記入している彼女は、尋ねると疲れたように頭を左右に振った。
「教育にしとくわ。他は難しそうだもの」
「メリーなら警護にもお呼びがかかりそうだよね。アレクに付いたりするかも?」
「殿下お一人で対処できるように思えるけれど」
「確かに」
彼も強力な魔法使いだからなあ。その辺のならず者が襲いかかってきても絶対大丈夫だ。
傍で話を聞いていた本人は苦笑していた。
「そう言わずに、よろしく頼む」
「ええもちろん、仰せつかった際には全身全霊で役目をまっとうする所存ですわ」
背筋を伸ばし、自信に満ちた表情でメリーは応えた。
「私が呼ばれることはないだろうなー。あ、クリフはどこにしたの?」
すでに紙を提出して戻って来た彼にも尋ねる。
「開発部門だ。そこが一番、多くの魔法を覚えられる」
「なるほど。クリフは器用だから新しい魔法もすぐに使えるようになりそうだね。マティと一緒にがんばって」
「同じ研究グループに入るかは、まだ、わからないけど・・・」
言いながら、マティは気弱な微笑みをクリフに向けた。
「うん、でも、そうだよね。これからも、よろしく」
「どうせ、部門が違ったところで同じ建物の中にいるんだ。マティアスに限らず、嫌でも顔を合わせる機会は多いだろう」
嫌なのかよ。クリフはまったく素直じゃない。同期は大切にするものなんだぞ。
そんな彼に文句を付けつつ、記入したアンケートを提出し、全員分が集まると説明会は終了となった。
メリーやマティのように、地方貴族で王都に家のない者は王宮内の寮に今日から入る。ちなみにクリフは宮廷貴族、つまり内政に関与している貴族なので王都に実家がある。貴族とひとくくりに言っても種類は様々あるのだ。ま、どうでもいいけど。
私も寮に入っても良かったのだが、リル姉と一緒に暮らしたいからやめた。はじめからそのつもりで、二人で住める部屋を探したわけだし。それに今日は下宿屋主人のアンナさんがご馳走を作って待っていてくれるのだ。あとはレナード宰相のところに挨拶に行って、ジル姉に手紙を書かないと。
「――――それじゃあ」
王宮の門前まで、アレクとロックは見送りに来てくれた。
人との別れ際はいつも何を言っていいかわからない。グズグズするのも好きじゃない。だから手を差し出した。
アレクは驚いていたものの、すぐに笑みを浮かべて握り返してくれた。温かく、私よりも大きくてすでに大人の手だった。その後で戸惑うロックともなかば無理やり握手してもらう。彼は剣を使う人だから、皮が固くて豆があった。
また会おう、ずっと友達だ。そんなことが伝われば良い。
「エメ」
背を向けたところを呼び止められて、振り返るとアレクは私に頭を垂れていた。
「エメのおかげで、私はとても楽しい二年を過ごせた。もし、君に会えていなければ夢を叶えることも、友人を得ることもなかったろう。君はきっと、これからも多くの人に影響を与えていく。そんな君の、友人であることが私の一番の誇りだ」
・・・なんという、ことを。良い笑顔で言ってくれる。
そこまで言われちゃあ、何が何でも立派な人間にならなきゃいけないじゃないか。
「こちらこそ、ありがとう! 最初からアレクだけはずっと私の味方でいてくれたよね。私も、アレクのおかげで楽しく過ごせたし友達もできた。本当に感謝してる。もちろん、ロックにもね!」
「ついでに言わなくていい」
「ついでじゃないよ!」
喜びのあまりもう一度、彼らの手を取ってぶんぶん上下に振った。
「見てて! 君たちの友人の名に恥じない働きをしてみせるよ!」
自分がアレクの言う通りの人間であるかはわからないが、そうなりたければ行動することだ。行動が人格を決めるのだから。
きっと、この名を届かせよう。
別れの言葉は、未来への誓いとなった。




