34
世には美女と呼ばれる人がごまんといるだろう。これまた基準が幅広く曖昧で、実際に目の当たりにした時に「美女・・・か?」みたいなことが多く、反応に困るものだ。
好みは様々あるだろうが、一般的に均整のとれたものが美しいと言われるようである。目鼻口のパーツのバランスが大体良ければ美人に分類されるのだ。
おもしろいことに、大勢の人間の顔を混ぜ合わせ、平均顔をコンピュータで作ると美男美女になる。とすれば美人とは大衆の平均。その顔には整っている以外にこれといった特徴がなく、記憶に残りにくい。アイドルが皆同じに見える現象はこのためではないだろうか。決して脳の老化だけが原因なのではなく、事実、似たような顔なのだ。
しかし今、私の目の前で肉を包んだおやきを齧っている彼女は、そんな凡庸な美人ではない。
目の覚めるような美女。
陳腐な表現だがこれしかない。年の頃ならリル姉と大体同じ。長いまつ毛に縁取られた、大きな青の瞳に吸い込まれそう。前に突き出た顎とまっすぐ伸びた鼻が意志の強さを象徴する。頬や唇がきれいな桃色をしているが、化粧をしているふうには見えない。彼女は顔のバランスが取れているだけではないのだ。隅々まで印象深く、溌剌とした美しさに溢れていた。
「この安っぽい脂の味がたまりませんわ」
トラウィス王国の至宝、フィリア姫は庶民食をジャンクフード感覚で楽しんでいる模様。
「お金はきっと後で返しますね」
「いえ、まあ、気にしないでください」
かえって面倒に思えたので、やんわり断っておく。
本来であれば、祭祀場で今も式典に参加しているはずのアレクのお姉さんがなぜ庶民に扮し、一人でここにいるのか、落ちついて事情を聞くために、ひとまず街路に特設された丸テーブルに座り、ついでに食事をすることになった。
最初はひどく狼狽していたフィリア姫だったが、幸いと私は今日もローブ姿でおり、すぐさま身分を証明することができた。厄介事があった時のためにと思い、着ておいて正解だった。さすがに王女との遭遇は想定外だが。
だめ押しでアレクと同級生であることを話せばすっかり信用を得られた。なんと王女様はアレクから私のことを聞いたことがあったらしいのだ。しかも名前まで覚えられていた。「エメは短くて覚えやすくて、とっても良い名前ですわ」だって。この人、褒め言葉のセンスがない。
王女様がここにいた理由は単純に祭りを楽しむためだった。いわゆるお忍び。
「いつかきっと王都を見て回るのだと決めていましたの。周囲の者は、王宮の外は危険だなんだと申して私を部屋に閉じ込めようとするのですが、それはおかしいと思いますの。王の足下が危険であるだなんて、統治が不完全であると遠回しに言っているようなものではありませんか」
彼女の偉大な父親がそんな無能な者ではないはずだと信じ、王宮の外へ出られる機会をずっと待っていたのだという。
「自力で門を越えるのはさすがに骨が折れますもの」
がんばれば越えられるんかい。つっこみたくなったが我慢した。
フィリア姫は式典の最中に気分が悪くなったと言って奥へ引っ込み、休憩室で隙を見てスカートの中に隠していた衣装に着替え、こっそり窓から抜け出したのだそうだ。普段の王宮ではなくて誰もが慣れない場所であったために、周囲の監視が幾分か甘く、成功してしまったらしい。
脱出がうまくいった影には、服の調達や祭祀場の見取り図入手などの周到な準備があったようで、ご本人が得意げに詳細を語ってくれた。
お転婆娘がなまじ知恵を持っていると厄介なんだなということはわかった。
「本当にお一人なんですか? お供も誰もなく?」
「あら、エメは知らないのですね。冒険の始まりはいつも一人。仲間は旅先で見つけるものですわ」
冒険小説でも読んだの? しかもこの流れでいけば私とリル姉はパーティ入りか?
予想は的中した。
「ここで出会えたのも何かの縁。せっかくですから一緒に回りませんこと?」
そう言われても・・・姉妹で顔を見合わせるばかりだ。だって何かあったら責任取れないし。本音を言えばとっとと兵士に引き渡したい。今頃、祭祀場は大騒ぎだろう。
するとフィリア姫は縋るような目を向けてきた。
「お願いです。私はそう遠くはないうちに国を離れることが決まっているのです。最後のお祭りくらい、思う存分楽しませてくれても良いではありませんか。あなたたちに悪いことは決して起きませんからどうか、お願いします」
フィリア姫はガレシュ王国に嫁ぐことが正式に決まり、この間国民にも発表された。
もともと、トラウィス、ティルニ、ガレシュの三国は停戦協定を結んでいただけで、平和条約を結んだわけではないので厳密に言えば終戦になってはいなかった。しかし実際は50年もの間、戦争が再び起こる気配はなかったのである。三国ともに傷ついた人と土地とを回復させるために、それぞれの国で交易がぽつぽつと始まり平和の時代が到来したのだ。
今のトラウィスの王がティルニの姫を迎えた際に、つまりアレクたちのお父さんとお母さんが結婚した時に、二国間で和平同盟が結ばれた。そしてこのたび、トラウィスとティルニ王家の血を継いだフィリア姫が、先頃代替わりしたばかりの若きガレシュの王に嫁げば、三国は血の絆で結ばれるのである。すなわち本当の意味での終戦を迎え、盤石な平和が訪れる。
三国の民すべてが長年待ち望んでいたことであり、もはや流れは変えられない。たとえ姫の気持ちがどうであれ。
細かい同盟条件の話し合いや婚姻の準備等で実際に嫁ぐのは一、二年先になるそうだが、この祭りを二度と見られなくなるのはまず間違いない。最後に満喫したい心情は理解できる。しかしなあ・・・
「ねえエメ、どうにか力になって差し上げられないかしら」
優しいリル姉は早々と陥落したが、私は答えあぐねている。絶対無理なのに否とはっきり言えないのは、彼女のチワワのような哀れっぽい瞳のため。見つめられるとつらい。
「一旦戻って、護衛を連れて来てから遊ぶのではだめなんですか?」
「だめ! 結局何もできないのが目に見えています。そもそも許可が下りませんわ」
そりゃそうだ。彼女は今やこの大陸で最も重要な人物なのだから。
「ですが私たちだけでは何かあった時に危ないですよ」
「一体何が起こるというのです? このおめでたい良き日に、一体誰が、何を厭うてどんな騒ぎを起こすのです? 皆がお祭りを楽しんでいるのに、私にはその権利が与えられないのですか?」
・・・だめだ。やっぱりこのお姫様を諭すことはできない。
だって私も彼女と同じことを考えている。それに心の中では、平和のために他国へ嫁いでくれる姫のせめてもの願いを、叶えてあげたいとすでに思ってしまっているのだ。
後でめちゃくちゃ怒られるんだろうなー。でも知らない。今日はなんのためにあるか、明日に死んでも悔いを残さぬためにあるのだ。
「―――わかりました。一緒に楽しみましょう!」
そう言ってあげれば、フィリア姫は喜びのあまり飛びつくようにこちらの手を取ってきた。
「ありがとう!」
満面の笑みを向けられて、良いことをしている気分になった。
不安なのは、このささやかな冒険のパーティに戦闘員が実質一人もいないこと。私の魔法を期待してはいけないのだ。変なのに絡まれないようにしないとな。
「さっそく行きましょうか。見つかるのは時間の問題だと思いますし、それまでにいっぱい遊ばなくては」
「ええ!」
ところが席を立って、すぐだった。
「あ」
幸か不幸かたまたま通りがかった少年兵士と、それを見かけた私が同時に声を上げた。
胴体のみを保護する軽鎧姿と腰に差した剣から、彼は仕事中であることが窺える。今日は左に眼帯をしており、右目だけがフィリア姫を捉え、驚愕に見開かれていた。
不敬にも指をさし、口を開けたまま硬直している彼の腕に私はすかさず手を回す。
「よし、行こうかギート」
「・・・・・・は?」
いくらなんでも、ここで終わりでは早過ぎる。ならば旅は道連れ世は情け。
薬師と魔法使いと、そこに戦士を加えたパーティなら、大体はなんとかなるんじゃない?




