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やっと国の名前を決めました。
王都に軽快な楽の音が響き渡っている。
ノリのいい曲に合わせて、ペイントを施した派手な仮装の集団がおもしろおかしく舞い踊る。
頭上には一等星の光を模した水色と白の国旗が紐にくくられていくつも連なり、それと一緒に花を編み込んだ飾り縄が、カラフルな家々を繋いでいて目にも鮮やか。
よく晴れた空の下、老若男女の誰も彼もが歓喜している。素晴らしい、この良き日を祝して。
「リル姉見て! あっち、何かやってる!」
「わ、わ、すごいわね!」
私も今日はペンを置き、大切な人と共に、賑やかな街中を朝からはしゃぎ回っていた。
いつも祭りのような騒ぎの王都には、10年に一度、さらに華やぐ時がやって来る。
トラウィス王国、建国60周年記念の日。と同時に、戦後50周年記念でもある。
戦時中に興ったこの国の歴史はまだ浅く、戦争を体験した人も多く生きており、だからこそ平和を祝う祭りには国民の心からの喜びが表されていた。
一週間にも及ぶ祭り期間中に授業はなく、リル姉も休みを貰えた。医療部長のフランツさんが、祭りが初めてのリル姉に、たくさん楽しんでおいでと言ってくれたそうだ。
今より10年前も生まれてはいたが、街で祭りをやっていたかどうかなどわかったもんじゃない。それどころではない生活だった。
ちなみにオーウェン将軍はリル姉を誘わなかったようだ。当然と言えば当然。軍部の彼には警備の仕事がある。おかげで私は一人で祭りを回らずに済んだ。なにせ私の友人たちは皆、気軽に誘える相手じゃないもんだからさ。
通りの露店はいつもの倍は増えているように思う。王都の外からも人が来ており、他国の人間も混じっているのか、やや趣の違う衣装や聞きなれない言葉を話す人々と時折すれ違った。
「エメ、なんでも食べたいものを言いなさい? お姉ちゃんが買ってあげるっ。魔法使いになれたお祝いも兼ねてね」
わが姉は財布を取り出し得意げに胸を張る。すられる、すられるから、そんなこれ見よがしに掲げてたら。
でもまあ、せっかくなので甘ったるい匂いを漂わせているフルーツパイを買ってもらった。程良く溶けた中の果実のとろぉっとした触感が何とも言えない幸福感を提供してくれる。
「私たち、お菓子を買えるまでになったんだね・・・っ」
「そうね・・・っ」
特に空腹でもないのに、正直ちょっと割高だなと思える祭りの価格を値切りもせずに、ぽんと出した。そんなことをできる日が来ようとは。
パイを齧りながら姉妹そろって店の前で涙ぐんでいたものだから、店主はそれ程にうまかったのかと機嫌を良くし、もう一個おまけしてくれた。ラッキー。
「こんな贅沢できるのも、リル姉ががんばって働いてくれてるおかげだよ」
「ううん、エメが偉い人の目に留まるくらい優秀だったおかげよ」
「そんなのきっかけに過ぎないよ。就職したら今度は私がリル姉におごるからねっ」
そんでもって次の祭りはジル姉とも回るのだ。早く一人前になりたーい!
突然、喧騒を割るファンファーレが響いた。
ついでに、けたたましい打楽器の音が大通りのほうから聞こえる。音につられて人が続々そちらへ流れていった。
「きっとパレードだ。行ってみよリル姉!」
残りのパイを口に放り込み、私たちも流れに乗って大通りへ急ぐ。
アレクに教えてもらっていた。
昼前に、王宮で何やらの宗教的な儀式を終えた後、王族たちが一の門の外側をぐるりと回って北の祭祀場へ向かうのだと。
友人の晴れ姿をぜひ見てやろうと思い、リル姉を引っ張り人混みをすり抜け(こういう時、小さな体は便利)、通りに集まった人を押さえている兵士の筋肉壁の前まで無理やり出てみた。
軍隊のごとき楽団が見事な行進で先導しているのがちょうど見えた。色々な長さの先の広がった金属棒、あれはトランペットなのだろうか? を、それぞれのパートで吹き鳴らすことで曲になっている。加えて盛大に鳴らされている打楽器の数々。とにかく音の迫力がすごい。骨まで震える。
楽団に続きやって来たのは、たてがみを切りそろえられた首の長い美しい馬に乗り、壮麗な鎧をまとった上級兵士の軍団。周囲が騒いでいても興奮せずきっちり整列して、賢そうな馬たちだなあ。
「あ!」
リル姉が不意に声を上げた。理由を尋ねる前に、視線を辿れば白馬に跨るオーウェン将軍の姿が。
おぉ、ちゃんと仕事しとる。
兜をしていなかったので、秀麗な顔がよく見える。将軍が前を通る時には後ろから黄色い悲鳴が響いた。誰だかはよくわからなくてもイケメンにはとりあえず騒いでおく女のサガ的な。
「遠い人よね」
対してリル姉は静かに、眩しそうに将軍の背を見送っていた。
「普段からお会いしているとわからなくなってしまうけれど、この距離が、本当なのよね」
「・・・まあね」
馬鹿馬鹿しいが、無視はできないこの隔たり。
「寂しい?」
下から覗き込んで、訊いてみるとリル姉は「え?」と驚いた顔をした後で、パレードの列に目を戻し、
「そう・・・ね」
自分でも不思議そうに、小さく首を傾げていた。
やがて、花と薄絹で飾られた屋根のない大きな馬車が、騎馬軍団の後にやって来た。
金色の王一家が観衆に向けてにこやかに手を振っている。
立派な髭の国王と美しい王妃が並んで座り、その左右には母親に良く似た王女と、正装したアレク。皆、明るい金髪だ。
王妃は確か他国、ティルニ王国から嫁いできた人だとか聞いたかな。具体的にどこと指摘できる程、さして大きく顔立ちが違うというわけではないのだが、どこか雰囲気が異なる。その違和感がかえって彼女の比類なき美しさを際立たせているのではと思えた。
アレクも美人だが、そういうのは感じないからきっと彼は父親似なんだろう。
国王は渋さと穏やかさが良い具合に調和したかっこいいおじ様って感じ。優しげな中にも威厳をたたえ、体が大きいからまるで大樹を想像させる。目の前にしたら反射的に頭を下げてしまいそうな。
国の統治者であり祭司でもある王たちの登場に、人々は小さな国旗を激しく振って、一層盛大な歓声を上げていた。
「完全に見世物だなあ」
下から眺めて抱いた感想はそれ。
「どうかしたの?」
今度はリル姉が私を覗き込む。
「たぶん、人は自分より下がいないと嫌だし上がいないと不安になるものなんだろうね。王は民衆を支える人柱なのかな」
「? よくわからないわ。何を言ってるの?」
「この国にはまだまだ権威ある血筋が必要なんだなってこと」
血の崇拝思想は肌になじまない。クリフとも議論したように、やっぱり理屈がおかしいから、心から納得はできない。だが、平和の中で人々の歓声を浴びているアレクたちの姿を見ていると、この世には必要な仕組みなんだろうと思えた。
身分は貴族王族が優遇されるためだけにあるのではないのだろう。
「身分の上下は所詮人が決めた曖昧な基準であって、認識一つ変えれば明日にでも簡単に覆せてしまうものだからこそ、平民も貴族も王族も、必死になって自分の立場を守るんだろうね」
停滞し、過去と不変であることが、平穏を繋ぐ一番簡単な方法なのだ。基本的に、分けた上下を混ぜてはいけない。
「でも私は、リル姉の味方だからね」
「え?」
「リル姉が何を望んでも、最後は必ず幸せになれるように、きっと力になる」
何をと言うか、誰をと言うか。
念のために宣言しておくと、リル姉はちょっと困ったような顔をした。
「私のことより、エメは自分の幸せをちゃんと考えなさい」
「リル姉が幸せなら私は幸せだよ?」
「エメが幸せじゃなきゃ私は幸せになれないわ。だからちゃんと自分のことも考えなきゃだめよ?」
「もちろん考えてるよ。とりあえず魔法使いにはなれたから仕事のことは大丈夫。結婚とかは、まあまだ早いし、あんまり興味もないし」
前世の時も正直、まともに考えたことがなかった。結婚なんか一生できない気がしてる。相手を見つける暇もなければ家庭を維持できる自信もないね。「仕事と私どっちが大事なの!?」と言われるタイプだと思う、私は。
っていうか、あれ? なんでこんな話になったんだっけ?
絶対、祭りの最中にする話じゃないよな。
「―――ま、今日は難しいことは置いとこう? 心配しなくても人生なるようになるよ」
アレクたちの馬車はとっくに行き過ぎて、すでに知らない偉そうな人の列に入っている。私たちは人混みを掻き分け、何かおもしろいものはないか再び露店の並ぶ通りに繰り出した。
大体一時間くらい見て回った頃だろうか。昼食に、お菓子じゃなくてまともなご飯をと思い、惣菜系のお店を物色していた。
カリカリに焼いた肉を挟んだパンもいいし、野菜と魚を煮込んだスープも悪くない。芋を潰して小麦と混ぜて焼き、特製ソースをかけたものもいいね。蜂蜜を垂らしたお茶が付けば最高だ。
しかしさすがに全部とはいくまい。どーれーにしーよーかな?
リル姉と相談し、色んな具材が入ってお腹も膨れそうな豆のスープにしようと決め、その店に並んでいると、隣から何やら揉める声が聞こえてきた。
隣は串に刺して蜜漬けにしたフルーツを売る店であり、店主が頭にストールを巻いた娘さんらしき客に怒鳴っている。断片的な内容を聞く限り、どうやら支払いが済む前に客が商品を取って齧ってしまったらしい。
「ほんとに、本当にお金は持っていたのです。どこに落してしまったのかしら」
・・・ん!?
一旦は視線を逸らした私だが、か細く聞こえた娘さんの声に、再び振り見ずにはいられなかった。
娘さんの格好は地味な緑のスカートに臙脂のストールで、普通の庶民と同じもの。
だが、発音は明らかに上流階級のアクセント。
貴族の中に混じって生活している私には間違いなくわかる。
列からはみ出し、覗き込んでみてさらに驚いた。
白い肌と、海のような深い青の瞳に。なぜ、店主は気づかないのだ。
「はいはい! 私が払います!」
自分の財布からきっちり代金分、怒る店主の前に差し出して、急いで娘さんの手を引っ張りその場を離れた。
向かい合って話せる場所まで出ると、リル姉も慌てて私たちを追いかけてきた。そして娘さんの顔を見、わが口を押さえる。
私はこの先を想像してすでに疲れ、溜息混じりに言ってしまった。
「王女様が、なんでここにいらっしゃるんですか・・・」
「っ!? どうしてわかったんですの!?」
―――だから! なんでこの国のお偉いさんはそろいもそろって異様にフットワークが軽いんだ!?




