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運命の半月後、魔法使いになれたのはわずかに十名程度だった。私の友人たちの中では、アレクとメリー、それからクリフも、お風呂に入ってゆっくりしていたら聞こえたらしい。肌身離さずとは言っていたが、風呂にまで石を持っていっていたとは驚きだ。彼は徹底している。
それぞれシチュエーションは違うが、共通するのは心を落ちつけること、だったのかもしれない。頭を空っぽにしてリラックス。ハロルド先生が諦めろと言ったのはそういうことだったんだろう。意外と的確なアドバイスをしてくれていた。それがなんとなく悔しいのはなぜだろう。
そしてマティとロックは、ついに魔石の声が聞こえなかった。いくらリラックスしていても、素質がなければ元よりだめということがはっきり示された。
ただ幸いなことに、彼らは学校を去らなかった。ロックはアレクが残るためであり、マティは呪文開発を学んで将来は研究所に勤めたいのだそうだ。
その話を聞いた際、マティは珍しく興奮気味に、彼の尊敬する偉人について語ってくれた。
「クレメンス・クーイーを知ってる? 創国の魔法使いエリス・レインの知恵袋」
エリス・レインは建国に貢献した英雄の一人。彼は史上最強の魔法使いとされており、一人で敵の一個師団を消し去ったとか、女嫌いで生涯結婚しなかっただとか、あり得ない逸話から結構どうでもいい逸話まで残されている有名人だ。
しかし前者の名は初耳だった。あるいは授業で聞いていたかもしれないが、記憶に残らない程さらりと流されたんじゃないだろうか。
「実はレインの使った魔法のほとんどはクーイーが考案したものなんだ。彼自身は魔法使いではなかったんだけれど、ミトアの民が滅んで失われた多くの呪文を、当時の様子を記したものから想像して、一から創ったんだよ。すごいことだよね。僕は、クーイーのような研究者になりたいんだ」
だから別に自分で魔法を使えなくても、一向に構わないらしい。この後でマティは照れ笑いを浮かべていた。
「いつか僕の開発した呪文を、皆が使ってくれたら、なんて・・・無理だってことは、わかってるけど」
確かに難しいことだが、確固たる理想を持っている彼にならば叶えられる夢だろう。
ちなみにマティよりもメリーのほうが落ち込んでいたのは余談である。研究所への道は狭き門。彼の将来をメリーは本人よりも心配しているのだ。
同級生の半分は学校を去り、急に周りが涼しくなってしまった。睨んでくる視線が減って張り合いがなくなったというか。もっと交流を深めておけば良かったかなあなどと今さらになって思う。
悲喜こもごもありつつ、しかし感傷に浸る暇もなく、魔法の授業がさっさと始まるのだった。
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簡単にわかる、魔法の使い方ー。
まず開封の呪文を唱える。
「ミンフェアレ」
魔法を使うのに毎度《滅びの日》なんて不吉な言葉を呟かなければならないのはどうにかならないもんか。どうにもならない。
呪文に応え、胸元に付けた魔石の鍵が開き、魔力が流れ込んでくる。異質なものに侵入される感覚に背筋がぞぞっとする。何度やっても慣れない。嫌だ。気持ち悪い。けど我慢だ。
なかなかすっと入って来ないその力を体内に留め、やがて必要量を引き出せたら組み立てておいた呪文を唱える。
「イグナシーファ!」
同時にかざした手の先へ一気に力を押し出す。大声を出すとやりやすい気がする。
呪文によって魔力は熱に変換され、発火点を超えて炎となる。人の頭くらいなら飲み込めそうな大きさの炎を維持するため、集中して一定量の力を注ぎ続けていく。この辺は個人の感覚に依存。
注意点は自分の手を燃やさないように、炎の現れる位置をあらかじめ呪文に組み込み、定めておくこと。ミトア語に距離の単位はないのだが、例えば《拳一つ先》みたいな言葉を組み込んでおけば、私の中を通った後で、力がワープするように指定した位置で発動する。
魔力をどんな力に変換するか、どの位置で発動させるか(距離には限界がある)、の二つが基本的な呪文を構成する要素である。
魔力はそれ自体がある決まった作用を及ぼす力ではなく、呪文によって様々なエネルギーに変換しうる性質を持った力である。エネルギーどうしの変換は、私たちが太陽のエネルギーで動いているように、自然界でも普通に起きていることではあるが、言葉だけで変換できるとは不思議なものだ。
発動させることはさほど難しくないのだが、術の維持には神経を使う。力を注ぎ過ぎれば暴走して予期せぬ事態が起こり、抑え過ぎれば術が切れる。呪文に組み込む命令がもっと複雑になると、より制御は難しいものになるらしい。まだそこまで大変な呪文は習っていないが。
「やめ」
やがて先生の合図が聞こえたら、封緘の呪文を唱える。
「アルマ」
主電源が落ちるように力が途切れ、炎が消えたら終了。
あー、気持ち悪かった。
「遅いなあ、お前は」
終了後は先生からアドバイスを受ける。
二人の先生が見てくれる魔法の実技の授業で、運悪くハロルド先生の指導に当たってしまうと単なる悪口を言われている気分になるが、我慢して聞かねばならない。
「大して素質がないんだろうなあ。残念残念」
にやにやするな。
魔法の発動も制御も不得意ではない私だが、魔石から力を引き出す作業が平均より極めて遅い、というのが何度か授業を受けて判明した欠点だった。
なんかもう、とにかく気持ち悪いのだ、魔力が体に入ってくる感覚が。
どうやら私は魔力にうまくなじまない体質らしい。理屈は電気抵抗に似ている。
魔力が体の中の回路を通る時、抵抗の少ない者はスムーズに力が行き渡り、ところがそうでない者は、回路内の摩擦が大きく、その感覚が『気持ち悪い』原因になっているのだそうだ。しかも摩擦が生じているということは、途中で力をロスしているということであり、実質使える力の絶対量が少なくなる。つまりは強力な魔法が使いにくい、あるいは発動までの準備に非常に時間がかかる。
それでも魔法を使い続けていれば、体が適応して魔力が通りやすくなってはいくらしい。しかしあくまで徐々にであり、限度はある。
ここから導かれる結論。私は戦闘向きの魔法使いではない。
それはまったくもって構わないのだが、ほんと気持ち悪いのだけ早急になんとかなってほしい。
この体質のただ一つの利点としては、一度に引き出せる力が少なく流れもゆっくりであるため、制御が容易であることだ。暴走とは縁遠い。むしろ、するほうが難しい。
そんな私と対照的なのがメリーである。彼女は実に素晴らしい魔法使いとしての素質を持っていた。
「イグナシーファ!」
まったく同じ呪文を唱えて、彼女の作った炎はドーム状の吹き抜けの天井まで焦がさん程の火柱となった。
力を注ぎ過ぎて何かの副作用を起こし、火柱の周りでばばばば、っと細かい爆発が生じている。即座に避難する生徒たち。先生が大声で制止を呼びかけ、自分でもなかば放心していたメリーは慌てて封緘の呪文を唱えて術を切る。
うん、危ない!
魔法練習は何もない石壁のホールで行われているので、建物はそうそう燃えないが人は燃える。実技の授業の間はメリーに近寄れない。早く制御の仕方を覚えてほしい。
「お前ら足して2で割るとちょうどいいんだがなー」
黒く焦げた天井を見上げ、ハロルド先生がぼやいていた。できるもんならそうしたい。
今のところ、そのちょうどいい位置にいるのがクリフだ。炎の大きさは安定し、大きくしろと言われればすぐできるし小さくもできる。石の声を聞くのに一番苦戦した彼が一番成長が早いという。
アレクはたまに暴走させる。だが彼は冷静で、制御がきかなくなる瞬間が自分でわかるらしく、「あ」と声を上げた後で、封緘の呪文を唱えて術を止めるため、メリーのように被害を広げることはない。
メリーやアレクは気持ち悪さなど感じないらしい。羨ましい。何よりも真っ先に、それがひたすらに羨ましい。早く慣れてくれ私の体よ。
一日のスケジュールは大体において午前に座学、午後に実技である。
座学では、実用化されている呪文の構成や作用を教わる。それを午後の授業で実践するという形だ。実技の時間は、魔法使いでない生徒にとっては自習時間であるが、見学も可能。ロックは毎度護衛としてアレクの傍にいるし、マティも頻繁に見に来ては何やらメモを必死になって取っていた。
座学で頭を使い、実技で神経を使い、加えて課題も出される。次に習う予定の呪文の構成を解析し、どんな作用をもたらすかを予想したレポートを、必ず授業前に提出させられるのだ。
へとへとでも、この課題は謎解きのようで結構おもしろい。友人たちと互いの予想を言い合うのも楽しい時間だ。
これから習う、実用化に至っている呪文はすでに一覧にして配られている。授業の進みに合わせずさっさと先を予習して課題を片付けてもいいというわけ。
「空を飛ぶ呪文はなさそうだね」
まだきちんと解析できてはないが、ざっと見たところでは、そんな命令が組み込まれていそうな呪文は見当たらなかった。談話室にアレクといる時、その話をすると彼は「仕方がないさ」とすでに諦めていたようなことを言っていた。
「地の者が空を飛ぶのは難しいことなんだろう」
まあ、ね。生身でとなると大変だ。鳥と違って人は骨からして重過ぎるし、風を受ける翼もない。魔力をどんなエネルギーに変換させて作用させれば自由に飛べるのか、考えても現段階ではわからない。しかしせっかく魔法使いになれたのだ、夢のようなことを叶えないでどうする。
「諦めるのはまだ早いよ」
「そうか?」
「空想が現実になる瞬間はきっと爽快だよ。そのための努力は時に不毛で滑稽なものだけど、失敗ですら世界が進むためには必要なことだ。諦めるのはもったいないし、昔のアレクの努力にも申し訳ないじゃない?」
鳥のように飛んでみたいと夢見た幼い子が、どんなことをしたかは想像に難くない。
「自分に羽付けて飛び降りたりした?」
言ってみるとアレクは笑いながら頷いた。
「曲げた棒に布を張って翼を作ったんだ。それが一番うまくいった。二階から飛び降りた時、偶然、風が下から強く吹いて、少しだけ浮けたよ。最後は私を受けとめようとしたロックを踏み潰してしまったが」
大事に至らず何より。そしてロックはご苦労様。
「そっか、風かー。風を使うのはいいかもしれないね」
航空力学みたいなことは専門外だが、話を聞いていたら、ぼんやりイメージが浮かんできた。風を起こすこと自体はさほど難しい魔法ではない。反重力が魔法でできればもっと話は早そうだが・・・さすがに無理だろうな。
「何か良い案が?」
「なんとなく。もう少し勉強したら詰めていってみよう」
「楽しみだ」
そう言われると、特段空を飛ぶことに興味があったわけでもない私も、わくわくしてくるのだから、不思議なものだ。
それからも私の頭の中は方法を考えることでいっぱいで、そもそも研究のスタートにあるべき目的の背景―――なぜアレクが空を飛びたいと思ったのかについては、この時まったく、質問することにすら思い至らなかったのだった。




