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閑話―リディル視点―

 王宮の軍部に併設されている医療部で、リディルは今日も忙しい。


「リディルー、包帯が緩んだー」

「リディル、水くれー」

「お腹が痛いよリディル、さすってくれ」

 厳つい負傷兵たちが、次々とどうでもいい用事でリディルに傍に来てもらおうとする。医療部には他にも女は働いているのだが、中でも一番若くて新入りのリディルに人気が集まっていた。

 だがその下心に本人は気づかず、「兵士は子供みたいな人が多いのね」などと微笑ましく思っていた。

「リディル」

 数ある声の中から、しかし彼女が一番に反応しなければならないのは、顔に傷のある偏屈な上司の声だ。兵士たちの元へ向かおうとしていた足を止めて、引き返す。途端に彼女の背後で舌打ちの音が複数鳴った。

「包帯でも洗ってこい」

「今すぐですか? まだ予備が残っているはずですけど」

「馬鹿どもの相手をさせるくらいなら他の仕事をさせるほうがマシだ」

 ジェドはいつも兵士たちを十把一絡げに「馬鹿」と呼ぶ。兵士が特別嫌いなのではなく、誰に対しても見下した態度を取らないではいられない、癖のようなものなのだ。おかしな上司の性格をリディルはすっかり承知している。一つ一つの言葉に大した悪意は含まれていないから、自分が言われてもいちいち傷つかないし、事実、上司から見れば足りないところばかりなのだろうと素直に思うので反抗の気持ちも特に湧かない。

 最初は高圧的な態度に委縮したものだが、慣れたら普通に口ごたえもできるようになっていた。

「兵士さんたちのお世話だって仕事ですよ?」

「ここは盛り場じゃない」

 唸るようにジェドは返す。盛り場の意味はわかるが、なぜそんな単語が急に出てくるのかリディルはよくわからなかったのだが、「いいから行け」と不機嫌な上司に追い出される。

 ところが入り口で医療部長のフランツに呼び止められた。いつも穏やかな微笑みを浮かべている老紳士はリディルの面接を担当してくれた時から優しく、王宮で何かと戸惑うことばかりの彼女をフォローしてくれたり、言葉の過ぎるジェドに鉄拳制裁を加えたり、柔と剛でもって癖のある部下や気性の荒い兵士たちまで押さえつけ、医療部をまとめている。ここでは誰よりも頼りになる上司だ。

「なるべく早く済ませておいで。もう少し後で用事ができるから」

「? はい、わかりました」

 フランツに直接用を言い渡されることはあまりなく、リディルは若干気になりつつも籠に入った包帯を持って外に出た。



 リディルの主な仕事は怪我人の手当て、薬の調合、薬草庫の管理、包帯の洗濯、掃除、その他上司に言い付けられる様々な雑用。やることは尽きず、必要とされて忙しいのが楽しい。

 真っ白になるまでがんばって洗った包帯を干しながら、リディルは充実した日々に感謝していた。

「リディル」

 一人でいる時、呼ばれるこの声に今のところリディルは一番大きく反応してしまう。

 振り返ったその先にいる将軍に慌てて頭を下げた。

「包帯を干していたのか」

「はい、今日はいいお天気ですから。オーウェン様はご休憩ですか?」

 ジェド同様こちらにも最初は戸惑ったものの、何度も話しかけられるうち、リディルは自然と笑顔を浮かべて会話ができるようになっていた。

 貴族なのに、年上なのに、自分とはまったく違う人間なのに、オーウェンはリディルにとって不思議と話しやすい相手だった。それは彼がとても優しい人だからだと思っている。

「次の訓練開始まで少し間があいたのだ。構わず作業を続けてくれ」

 そうは言われてもなかなか難しい。じっと見られているのだ、オーウェンに、微笑まれながら。時々、深い溜息のようなものを吐かれながら。用もないのにどうしてここにいるのかなと思わなくもない。何か話でもしていないと居心地が悪過ぎた。

 しかしリディルは貴族がどんな話を普段するものなのかわからない。彼でも楽しめる話題をと考えていつも浮かぶのは非凡な妹のことしかなかった。

 魔法使いを目指し、見事学校にも入学を果たしたエメの話題はオーウェンも興味を示してくれるのだ。だが今日は最初に少し笑われた。

「また妹の話か」

「え? あ、ご、ごめんなさい、つい・・・同じ話ばかりで退屈ですよね」

「そんなことはない」

 慌てるリディルをオーウェンは殊更に穏やかな口調でなだめた。

「自慢の妹なのだろう? 妹のことを話している時の、そなたのとびきり嬉しそうな顔は、王の庭に咲く花々よりも可憐で美しい。見ているだけで心癒される。唯一無二の花を摘むことを天空神が許したもうならば、誰の手にも渡らぬうちにすぐさま持ち帰りたい・・・」

「あ、あの?」

 リディルは半分以上、男の言うことがわからず困惑していた。

 思わず口が滑った後でオーウェンが我に返り、意識せず前に出ていた手を急いで引っ込めた。その動作にもリディルはきょとんとしている。オーウェンといると度々こういうことがあった。

「なんでも、ない。気にしないで、くれ。・・・妹の話であったな」

 オーウェンは咳払いして話を元に戻した。

「こうもよく話を聞いていると、ぜひ会ってみたくなるな。リディルに似ているのか?」

「うーん、どうなんでしょう? 髪や目の色は同じなんですけど・・・」

 他はまったく、似ていないようにリディルは思っている。自分は妹のように頭が良くないし、機転も利かない。知恵と勇気でいつも先へと引っ張ってくれるのはエメなのだ。薬草のことだって、エメの力を借りなければ習得できなかった。

 本当に血が繋がっているのかなあと首を捻ることさえある。

 妹には確かに才能と呼べるものがあるが、自分はどこまでも平凡で何もない。だから誰かの目に留まることなんかもない。

 しかしそんなことはどうでもいいのだ。

 自分の無能さなど昔からよく知っている。それより、才気溢れる妹が、これからどんな素晴らしい人生を歩むのか楽しみで仕方がない。優秀な妹の名に恥じぬよう、姉として、リディルは平凡なりにも胸を張れる人生を歩もうと決めていた。


「エメは私と違ってとっても賢いし、それに可愛いですよ。きらきらした目をする子なんです。でも可愛いだけじゃなくて、何があってもめげないし、いつも堂々としていて、とってもかっこいいんです」

 妹のことを語る時にリディルは饒舌になる。それを顎に手を当てて聞いていたオーウェンは、

「ならばやはり、リディルによく似ているのではないか?」

と、意見を挟んだ。

「え?」

 リディルは一瞬呆けて、それから慌てて首も手もぶんぶん横に振った。

「全然です! 私はエメみたいにかっこよくないですから!」

「負傷兵を次々と手当てしていた姿は勇ましいものだったぞ?」

 オーウェンは、初めに彼がリディルに遭遇した時のことを言っていた。その時は混乱の中で直接話すことはなかったが、すでに彼のほうはリディルを見つけていた。

「また、普段の甲斐甲斐しく働く様子は健気で可愛らしい。話を聞く限りでも、そなたら姉妹は互いに同じことを考え、互いを思いやって生きてきたのであろうとわかる。よく似た姉妹だ」

「・・・そう、でしょうか」

 リディルは半信半疑であったが、エメが何かにつけて自分を心配してよく考えてくれていることは知っている。互いを大切に思い合っている、それが似ていると言われれば、否定するものではなかった。

 エメに似ている、そのことはどんな褒め言葉よりも光栄である。

 リディルは花の蕾がほころぶように、ふわりと笑った。

「ありがとうございます。とても、嬉しいです」

 オーウェンの体がびしりと固まった。目を見開いて凝視してくる、その様子にリディルは無意識のうちに危険を感じ、体が本能的に後ずさったのだ。

 そして足元に置いてあった包帯の入っている籠に躓き――――

 咄嗟に手を伸ばしたオーウェンを巻き込んで芝生の上に倒れた。


 この直後、彼女の自慢の妹が将軍の股間を急襲し、しばらく、リディルはオーウェンの顔を見るたびにその部分の具合を尋ねるようになっていた。

「妹が本当にごめんなさい。痛くないですか? 変なふうになったりしてません?」

「問題ない。問題ないからどうかもう気にしないでくれ。頼む」

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[良い点] おもしろい。 [一言] お姉ちゃん...危ういなぁ。
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