28
「ほんっっとにやめろよな!!!」
私は泣いていた。いつかの時のように、ぼろぼろ泣いていた。まだちょっと青い顔をしている男を睨みつけながら、錯乱して叫んでいた。
「だ、だから違うのよエメっ。お願い泣かないで?」
リル姉がさっきから頭をなでてくれているが心はまったく落ちつかない。
とんだサプライズもあったもんだよ!
まさか例の将軍が、庭でリル姉を組み敷いているとは。その光景を見た途端、幼い頃の恐怖の夜を思い出し、なんかもう色々と爆発した。私にとって激しくトラウマになっていたのだ、あの出来事は。
「誤解なのよ、ほんとに。私がオーウェン様を巻き込んで転んでしまっただけなのよ」
典型的なラブハプニングというやつか。どうして立ってるだけで転べるの? あんまり転ぶようなら脳に異常があるのかもしれないよ。そしてなぜその場にいたんだ将軍様は。仕・事・中・だ・ろ!
「お願いだから・・・リル姉は、男の人の前で転ばないで・・・」
「え? う、うん、気をつけるわ?」
こんな注意を人にするのは初めてだよ。マジで頼むよリル姉。意味わかってなさそうだけど。私も言ってて意味わからんわ。
「じゃあ、エメはオーウェン様にごめんなさいしなさい」
リル姉に促され、一応、将軍に頭を下げる。果たしてごめんなさいで許してもらえる所業だったか怪しいのだが、というか下手すると牢屋に入れられるレベルなのではと考えもしたが、「い、いや、問題ない」と、か細い声であっさり許しをもらえた。
アレクたちがいるから器を示したとも考えられるが、私はもっと穿って見る。
こいつ、倒れたついでに何かしたのでは。あるいは、何かしようとしたのでは。
その罪悪感から私を許す言葉が出ているんじゃないのか? じゃなきゃ、完全誤解で急所蹴り上げられたことに黙っていられるか? 今も昔も女の私にはその痛みがどのくらいのものなのか実感できないが、どうにも例えようのない辛いものらしいからな。内臓が体の外に出ているようだと前世で兄が言っていたっけ。我を忘れてさらに連打しそうになった私を、ロックにアレクまで出て来て必死に止めていたもんな。
まあ、許してくれたのはとりあえず良かった。将軍の股間を蹴り上げた罪で捕まるとか死ぬほど嫌だ。絶対変な歴史に残る。
「そなたが、妹のエメか」
顔色は悪いながら、オーウェン将軍はいくらか穏やかな眼差しを私に注ぐ。背が高いので私が相手だと若干話しにくそうだ。聞いていた通り確かにまだ若い。王族の血が入っているせいなのか、アレクに似た黄色に近い明るい金髪をしており、面立ちも美形に属する部類だろう。体も軍人らしく締まっている。
見目は悪くないが、はてさて他はどうなのか。
「リディルからそなたの話はよく聞いている。一度会ってみたいと思っていた。――――目も髪も姉と同じ色をしているのだな。リディルの子供時代を見ているかのようだ」
そりゃ姉妹ですからね、多少は似てるさ。だが私を妄想の材料に使われても困る。
「魔法学校に通っているとは聞いていたが、まさか殿下と懇意にしているとは。リディルの言う通り、才気ある娘なのだな。殿下のお目にも留まるほどに」
「私も将軍のお話は姉から聞き及んでおります。色々とお気をかけてくださっているそうで、大変感謝致しております」
精一杯お褒めいただきありがとう。そろそろこっちから攻めますよ。
「先程はまことに失礼致しました。なにせ、私にとって生まれた時より苦楽を共にして参りました姉は何より大切な存在であるため、無頼漢に襲われでもしたらたまらないといつも案じていたのです。しかし王宮にそのような輩がいるわけがございませんでしたね。そうでしょう?」
「・・・あ、ああ、もちろんだとも」
「ましてあなた様は将軍職に就かれている立派なお方。まったくもって浅慮でございました。無礼の段をなにとぞご容赦ください」
「問題、ない。もう気にしなくてよい」
目が泳いでいるぞ。動揺し過ぎだろう。上に立つ者がそんなに表情に出していいのか。
「ありがとうございます。とてもお優しい方なのですね。いいえ、わかってはおりました。お忙しい中でもわが姉を気にかけてくださる方なのですから。今日も姉の傍にいてくださって助かりました。本当にお忙しいのでしょうに!」
追撃にたじろぎ、オーウェン将軍は一歩下がった。二歩下がれば名が泣くぞ。
彼が下がった分、私が前に出る。
「本気じゃなくて覚悟もないなら全力で妨害しますよ」
彼だけに聞こえる小声で素早く告げる。オーウェン将軍の表情が変わった。
「先にあなたに確認しておきます。本気ですか?」
何にと詳細は言わなくても伝わるだろう。将軍もまた小声で答えた。
「・・・私は、彼女ほど美しく清らかな女性を他に知らない。身分など関係あるものか。むしろ彼女のほうこそが神にも近く崇高で、常人が侵してはならぬ存在だ。だが、私は、一目見て落ち、接するほどに溺れていく―――」
夢でも見るかのように、彼の目線は私の後ろ、リル姉のほうへ。
本気であり、夢中ってことか。なんか発言がポエムになってるし。
リル姉に惚れる男って痛い人が多い気がするなあ。徐々にそうなっちゃってくんだとしたら、やはり恋とは恐ろしい。
どうやら、オーウェン将軍はすぐに飽きてしまう感じではない。性格もまあ、基本真面目そうではあるか。今は頭にお花が咲いちゃって変な人だが。
寛容さもなくはないし、何より身分が気にならないほどにリル姉を好いているのが重要だ。
もしリル姉もその気になったなら、あとは覚悟だな。玉の輿は乗るほうも乗らせるほうも苦労しそうだ。やれやれ。今からすでに溜息を吐きたくなる。まあ、何も起きない可能性もまだあるけどね。どちらかと言えば後者を希望。ひとまず経過を観察。今後、要注意だ。
「―――ところで、どんな感触でした?」
「柔らかかった。少し手に余って・・・」
夢見心地で口走っていた将軍は途中で我に返り、ぎこちなくこちらへ向き直った。
それを無言で見返す。
お前、乙女の胸をしっかり触りやがったな。
「いや、違う、違うんだ」
誤魔化そうとしているが、無駄だ。実はちょっと見えていたんだよ。たぶん手を付いた時の偶然だったのではあろうが。
「二度目の偶然は故意になりますからね」
最後に釘をきっちり刺しておいた。
オーウェン将軍が仕事に戻った後で、リル姉に何を小声で話していたのかと聞かれたが、まあ言わないよね。
「うちのお姉ちゃんってば最高に可愛いでしょ、って話をしてたよ」
そしたらぺちんと、おでこを叩かれた。
「へ、変なことを将軍に言っちゃだめ!」
照れてるリル姉が可愛くて、あの人がどんな痛いことを言っていたか教えたい衝動に駆られたが、いやいやそんなアシストはしてたまるものか。
まだリル姉は自分を何もない人間だなんて思ってるんだろうし、将軍の好意をまともに受け取っていないはずだ。リル姉のほうからも手を伸ばす気持ちが生まれないならやっぱり、私はまだ応援できない。
ただ一応、焦らされ過ぎて将軍が暴走した時のために、フランツさんとジェドさんにもかなりしつこくリル姉のことをお願いしておいた。フランツさんは快諾してくれて、ジェドさんはうんざりした表情を見せていた。
詳しくは尋ねなかったが、リル姉と一緒に仕事しているジェドさんはすでに色々と苦労があった様子だ。意外とここにもガード役はいたのかもしれないと少し安心。
そんなこんな、数人と軽く話して、あまり仕事の邪魔にならないうちに早めに見学を切り上げて帰路についた。わずかの時間であったはずなのだがすごく疲れた。
「大丈夫か?」
馬車の中でぐったりしている私をアレクが気づかってくれたので、大丈夫だと答えておく。
「君が泣くところは初めて見た」
そんなことがアレクにとっては意外で驚きだったらしい。確かに知り合いが泣いてるとこ見ると結構びびるよな。
「リル姉の一大事だったからね。私はリル姉のことだったら泣くし怒るし暴れるよ」
周りにロックしかいなくなったので、口調は元のように戻した。気味が悪いと言われたからな。
「アレクは兄弟いないの?」
「私も姉が一人いる」
「へえ! じゃあ同じだ。アレクのお姉さんなら美人だろうね」
「それはよくわからないが」
「とてもお綺麗な方だ。国の至宝とまで言われている」
身内の評価が難しいアレクにかわってロックが説明してくれた。一姫二太郎、とすればやっぱりアレクが王様になるのか。この国の歴史に女王はまだない。
「仲良し?」
「まあな。エメたちには負けるかもしれないが」
「そりゃ私たちは二人で力合わせないと生きられなかったからね。ほんと、生まれてすぐから大変だったからねー・・・リル姉には幸せになってほしいし、苦労もなるべくさせたくないんだ。もちろんリル姉の気持ちが一番だけどもさ、難しいところなんだよね。気持ちを優先させることが必ずしも幸福に繋がるとは限らないし、立場を無視しては考えられないもの」
結婚は周囲と共に幸福であるのが理想だ。当事者たちの問題だけじゃないというのが面倒なんだよな。
この意見にはアレクの賛同を大いにもらえた。
「私の姉も、近いうちに政略結婚に使われる。心が選ぶ相手と共にいられるのが一番だと思うが・・・何もしてやれない自分の無力さが呪わしくなる」
誰しもに傅かれる王族でさえ感じることは同じか。私も彼も、所詮ただの人。
状況には流される。生き物は基本、環境に刃向かわず適応し、生き長らえるものであるから、どうしようもないのだと諦めて受け入れなければならない時はあるだろう。
「せめて祈ること。それから、もしもの時にはすぐ助けてあげられる力をつけることだよね、私たちにできるのは」
「そうだな」
アレクは深く頷いた。
彼とこんなに共感できる部分があるとは思わなかった。あくまでも王室、気を使ってあまりプライベートに突っ込んだことはこれまで聞いてこなかったが、今日は良いきっかけになった。
「ところで、エメ。聞いていいことかどうかわからないのだが・・・一つ、いいだろうか」
「なに?」
会話が途切れた際、不意に改まってアレクが尋ねてきた。
「その、ギートが最初に叫んだ言葉が少し気になっている」
ギートが? ・・・あ、変態女ってやつか。気にしないで忘れてほしかったなあ。
まったく不名誉な呼び名であるため、アレクにはきちんと説明させてもらった。魔石を観察する以外に意図はなく、うっかりほっぺに口が当たってしまっただけなのだと。
「・・・そうか、うっかりか」
そうか、そうか、とアレクはぼんやりとした様子でしばらく繰り返す。
なんだろう、ちょっと怖い。
「ねえ、どうかしたの?」
「・・・いや。それなら、いいんだ」
何がいいんだ。友達が変態じゃなくてほっとしたってこと? だったらある意味失礼だぞ。
そしてロック、引きつった顔をやめてくれ。なんか嫌だ。




