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今日の午後の授業は洗浄液先生、じゃなくてハロルド先生のゆるい講義だった。教壇に立つ時のこの人は気だるげで、いかにも面倒そうな語り口で、とてもじゃないがお昼を食べた後の眠い時間帯に持ってくるべき人ではないのだが、今日はちょっと事情が違う。
生徒の眠気を覚ましてくれている要因は、ハロルド先生の細長い指の間に挟まれて、掲げられている三つの石だ。
「魔石が内包している魔力は一定じゃあない。それはこのように、見た目の色で判断がつく。最も魔力を含んでいる純度の高いものは緑、次が黄色、最後が赤だ」
エメラルド、トパーズ、ルビーにも見えるが、それらはどれも魔石であった。なんか信号機みたい。
時々ミトア語講座の合間に、この国や他国の魔法使いの歴史や現状など、魔法使いという職種についてのあれこれを教えてもらえる授業が挟まる。課題の出ないこれらは生徒の間では息抜きとして位置付けられていた。
それにしても、この類の授業をするのはハロルド先生であることが多い気がする。またうまく立ち回って、教えるのも大変な言語の授業を避け、生徒に好かれる息抜き授業を担当しているんだろうか。だとすれば本当に器用な人だと思う。楽を勝ち取るその努力に脱帽。
「それから、採掘された時点では緑でも、魔力を消費すれば黄色、赤、と変化し、最後は光沢を失い、ただの黒い塊になる」
先生がポケットから取り出した四つ目の石は木炭の塊に見えた。透明感がなくなり、話の通り色も輝きも失せている。
なんか電池みたい。魔力が尽きる手前が赤というのが、もうなくなるよーと警告しているようでわかりやすいが、しかしなぜ色が変わるのだろう。
鉱物の色は含まれる元素に依存する。例えばコランダムという鉱物は、全体のたった1%がクロム原子に置き換わると真っ赤なルビーに、鉄とチタン原子だと青いサファイアになる。それがなければコランダムは無色の鉱物。宝石の価値ってなんなんだろ。
まあそれはともかく、まさか魔力を使うと魔石を構成する元素が変化するとか? まさか放射線、じゃないよなあ? 放射線を出す元素はどんどん自身が変化していくから。いやでも、だったら魔力を使わなくても石の色は変わっていってしまう。元素が放射線を出すことを止める術などないのだ。
そうじゃなくて、あくまで魔法使いが使用した時だけ色が変わると言うのなら、やっぱり魔力とは未知の力なのだろう。
ふぃー、いくら考えてもわけわからん。早く使い方を知りたいが、まだ教えてはくれないようだ。
「戦争にでもなんなきゃ、緑の魔石一つで大体、四、五十年は使っていられる。ただし大きさにはよる。小さい緑の魔石よりは、その倍以上大きな赤い魔石のほうが魔力量は多くなる。五十年使える大きさは、そうだな、でかめのブローチとか、そんくらいあればいい」
要するに、石の中にある力の密度が高ければ緑に、低ければ赤に近づく、ということだろうか。わりと小さいものでも節約すれば、かなりもつものなんだな。持ち運びに困らなくていい。
ハロルド先生に渡された魔石を生徒たちが回している間も、説明は続いているが、皆早く自分に回って来ないかすでにそわそわしてしまっていた。かくいう私も。
だが直前で隣の奴が私を素通りして後ろへ回しやがった。おい。
くっそー、とふてくされていたら、背中を叩かれて、振り返ったところに宝石の輝き。
クリフォードが「ほらよ」という感じで魔石を渡してくれた。
一瞬びっくりしてしまったが、感謝してそれらを受け取る。
「ありがと」
「ふん。下々に情けをかけるのも貴族の役目なだけだ」
素直じゃないなあ。意訳すると、困ってる人を助けるのは当たり前、ってことでしょ?
談話室での激論の後、私に対して態度を軟化させてくれる人はとても多くなった。あの場にいなかった人でも、もともと周りに引っ張られてなんとなく嫌がらせに参加していたようなのが手を出してこなくなり、近頃は格段に快適な学校生活を送れている。
それから、友達とまでは思ってもらえてないかもしれないが、例えばこのクリフォードのように、少しだけ会話をしてくれる人が増えた。
「君のそういうとこ、尊敬するよ」
彼は周囲に流されず自分の意志で行動を決められる人。だからこそ議論の相手として最適だった。
心からの言葉をかけたつもりだったが、なぜかクリフォードにぎょっとされ、さらには睨まれた。
「からかいは侮辱と受け取るぞ」
「からかってないよ。歴史に残る偉業でなくても、親切な行為は尊敬に値する」
だからありがとね、と小声で繰り返すが、彼はしかめっ面のままだった。あんまり納得していない様子だ。するといきなり、目の前に指を突きつけてきた。
「見てろ。いつかお前を跪かせてやる」
おうおう、言ってくれるじゃないか。こちらも不敵に笑い返してやった。
「じゃあ、クリフォードに跪かなくていいくらい偉くなるよ」
「その生意気な口も今に叩けなくしてやる」
どうやら私は、楽しい喧嘩友達を得たらしい。
彼のおかげで触れた魔石はけれどやっぱり、きれいなだけの宝石にしか見えなかった。
放課後に、廊下でアレクに呼び止められた。
「エメ、今度の休日はあいているか?」
「うん。リル姉が仕事らしいから、特に予定はないよ。どうかした?」
「その彼女の仕事場に行けるようにしておいた。エメの都合が良ければ連れて行く」
「え、ほんと!?」
半分は冗談だったのだが、律儀にもアレクは手筈を整えてくれたというのだ。言ってみるもんだ。
「行く行く! ぜひ連れてって! ありがとう、アレク素敵! さすが!」
リル姉に会えると思えば心が舞い上がり、口が滑る滑る。アレクには苦笑され、ロックには調子に乗るなと例のごとくに怒られてしまった。いやすまない。一通り喜んでから冷静さを取り戻した。
「ごめん。ありがたいんだけど、後でアレクが責められたりしない? だったら遠慮するよ」
「医療部長に許可は得ている。それに、私はすでに周囲に変人扱いされている王子だ。今さら少々の騒動は気にされない」
「そんな扱いされる何をやらかしたの?」
「直近ではここへの入学だな」
「過去に何やらかしてるの」
「大したことはしていないつもりなんだがな。ただ、どうすれば人は鳥のように空を飛べるのか、試していただけで」
発言が若干危ない感じだぞ。具体的に何をしたんだ何を。ロックが後ろで苦々しい顔をしているのは関係あるのか。
「・・・まさか、魔法使いになりたい本当の理由って、空を飛びたいからなんじゃ」
「あぁ、そうかもしれない」
冗談なのか本気なのかよくわからない。が、その良い笑顔は半分くらいマジな気がする。この世界の魔法使いは箒に乗っては飛ばないようだが、生身で飛ぶ魔法があるのかどうか。それにしても誰が考えたんだろう、箒に乗るって発想が斬新過ぎる。掃除用具でいけると思った心理状態が謎だ。
「確かに、アレクはちょっとだけ変かもね」
「君に言われるなら光栄だ」
どういう意味?
しかし彼ははぐらかすように、こちらの頭に手を置いてきた。
「単に友人を家に招くだけの話だ。気にすることはない」
大まかに言えばそうかもしれないが違うだろ。でもま、せっかく色々動いてくれたわけだし、今回はお言葉に甘えてみますか。




