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 談話室のテーブルで私がノートを写す作業を、アレクは神妙な表情で眺めていた。ノートを池に投げ込まれたこと、別に隠すことでもないから話して、気にするなとは言ったのだがまあ、気にするか。

「私から言うべきか」

「やめて」

 向こうにいる生徒たちを睨むアレクの袖を掴んで止める。今日は珍しく課題が出なかったため、授業を終えた多くの生徒がここに集まって歓談していた。しかし彼らの意識の一部は常に私たちへ向いているのがわかるので、こっちは小声で話している。

「このままでは困るだろう。勉強も満足にできないのでは」

 アレクは不服そうな顔をしている。直接私が話したわけではないが、他の嫌がらせについても彼は知っているみたいだった。それでも自分の前では何も起きないから咎められず、そのことにいらん責任を感じてるっぽい。私の担任か何かか。

「アレクが口出すと子供の喧嘩に親が出るみたいになるからいいよ」

「・・つまり?」

「こじれる」

 あ、しゅんとなっちゃった。いやいや感謝はしてるんだよ?

「アレクはいつも私を助けてくれてるよ。このノートも、本当にありがとう」

「こんなのは大したことじゃないさ」

「十分だって。あとロックもね。ありがとう」

「思い出したように言わなくていい」

 ほとんど彼を無視して喋っていたので気を使ってみた。不機嫌そうな顔して実は彼、本を隠されて困っていた時に見つけて届けてくれたりしたのだ。

 ロックも私を気に入らないには違いないが、弱いものいじめは好きじゃないみたい。

「あまり殿下を頼りにするな」

 完全に頼るなではなく「あまり」と付けるのは一応同情してくれてるのか。

「私はまったく頼られていない。エメ、本当に無理はしていないのか? 私にできることがあれば教えてほしい」

 私よりもアレクのほうが必死な顔をしてるのはなんでだろ。つくづく友達甲斐のある人。

 でもそんな深刻にならないでほしいんだよな。ここは場を和ませる話題に変えたほうがいいかな。

「んーと、あ、じゃあ今度王宮に連れてってよ!」

「・・・なに?」

「リル姉の様子が見たいんだ。気分転換にもなるし、運が良ければオーウェン将軍を偵察できるかもしれないし。医療部のところだけでいいの、アレクに頼めば入れてもらえる?」

「それはできるが・・・そういうことではないんだが」

「アレクにだからこそ頼めることじゃん」

 まだ何か言いたそうだったアレクは、やがて溜息を吐いた。

「君は強いな」

 ま、伊達に二回も人間やってませんからね。


 大声で、王宮に連れてって、なんて生意気なお願い、即座にロックに怒られるかと思ったが、その前にいつの間にか静まっていた周りから、一人の少年が歩み出てきた。

 紫色の瞳の少年。彼はアレクにまず話に割って入る非礼を詫びてから、私をまっすぐ睨みつけた。

「図に乗るのはこれまでにしろ!」

 潔癖そうなその顔を歪めて、彼は本気で怒っていたのだ。今さら冗談だった(半分は本気だったが)とは言い訳できない雰囲気だ。

「今のお前の態度は、殿下のご慈悲で許されているだけなのだぞ! それを忘れっ、尊き人への敬意さえ忘れっ、我らのみならず殿下にまで無礼な口を利くとは何事だ! 暗がりを這う汚らわしいネズミにも等しい平民の小娘が、急に王侯貴族になったつもりでいるのか!? ならば教えてやる! 学校に入ったとてお前の卑しい血は変わっていない! その傲慢な振る舞いこそが証だ! どうだ、私の言葉がわかるか! 理解できるだけの頭があるなら今すぐそれを地に付けて示せ! 今までお前が犯してきた数々の蛮行について赦しを乞うがいい!」

 要は土下座しろと。

 私にとって普通の態度は、敬われるのが当たり前の彼らにとっては侮辱以外の何物でもないわけだ。嫌がらせにも近かったのかもしれない。

 アレクの前であるにも関わらず、彼がこれだけ饒舌になってくれたのは、我慢が限界を突破したということだろう。


 ――――待っていた、私はこれを。


 彼は謝罪を要求している。周囲もそれを期待して注目している。今、彼らは私の言葉を聞く気になっている。場は整った。

 この議論、受けて立つ!

「君の名前は!?」

 戦いの前に相手の名を確認する。私が勢いよく席を立ったので彼は一瞬驚いたらしく、そのせいで素直に答えてくれた。

「クリフォード・リーヴィス」

「クリフォード、謝罪をさせたかったら私を言い負かさないといけない。ちなみに私の頭はきちんと君の言葉を理解できる」

 ルールを決めて、さあスタートだ。

「君は私を不敬だと責めた。だが砕けた口調で話すのは人を侮るからではない。君たちが私に対して取っていた態度よりも丁寧に接していたつもりだ。逆に礼儀を知らないのは君たちだと責めたい」

「我らと己を対等であるかのように語るな! 苗字も持たぬ下賤の者と由緒正しい尊き血統を並べる考え自体が不敬なのだ!」

「尊さとはなんだ!?」

 ここに来てから、ずっと考えていた疑問をついに叫ぶ。

「私に流れる血と君に流れる血、例えば今ここでお互いに床に垂らしてみた時、その血痕がどちらのものであるか誰に判別が付くと思う? 私たちの体を構成するものは共通だ」

 個人の設計図たるDNAはたった数種の成分で構成され、動物ばかりでなく植物や微生物とさえ共通する。そして元素まで分解すれば水素、酸素、炭素、窒素、リン・・・無数の構成成分がすべての生物間で変わらない。当たり前だ、私たちは同じ地に生き、互いを食べて暮らしているのだから。

「血とは・・・そういう意味ではない!」

 わかっている。今の私の発言は屁理屈だろう。

「偉業を成した祖先の偉大な血を引く者は生まれながらに優れ、尊くあるのだ! 絶対的な差がそこにある!」

「なるほど! 君の持つ尊さの由来は先祖の偉業、ならば偉業を成した者が尊い、というのが君の意見だね!」

「?・・・あ、ああ」

 クリフォードは若干迷いながら、頷いた。その反応は自分でも薄々、矛盾に気づいたせいだろう。

「ならば尊さは、血筋とは無関係のことじゃないのか? 偉業を成した君の祖先のさらに祖先、国ができる前にも生きていたその祖先がどんなことをしていたか、君は知っているの?」

「っ・・・」

 クリフォードが言葉に詰まった。

「君の祖先のうちの誰かが偉業を成したから、その後の子孫は皆が尊い者とされた。だったら最初の人は偉業を成す前は尊い者ではなかったと言える。なぜなら彼の祖先には偉業を成した人がいないから。だったら彼は、私のような者であったと言える」

「そんなわけがあるか! 尊い者の祖先はどこまで遡っても尊い!」

 本当の最初の最初まで遡ったら人間は皆、共通の祖先を持つことになるのだが、まあそこまでは言っても仕方がない。

「わかった。君は偉業を成した者を尊いと思い、何も成さなくてもその血を引くだけの者のことまで尊いと言うならば、クリフォード・リーヴィスという人間の価値はリーヴィスの家名にしかないということになるね?」

「な、なにを・・・」

「君の理屈で言えば、君の尊さは、価値は、その血の元たる家にしかないということになってしまう。君の人格、能力、意志はすべて家に帰属し固有のものは否定される。クリフォードは無意味な名前だ」

「な、な・・・」

「君が自分で口にしたことだ。さらにはここにいる貴族の子供、王族のアレクにさえ、お前らの価値は家にしかないと宣言したんだよ。個人を否定して」

「! そんなつもりはっ」

 なかったとしても、理屈ではそういうことになる。だってまだ十代の彼らは、人に尊敬されるような何事も成してはいないのだから。クリフォードも反論の途中で気づき、言葉を失ってしまった。他にも彼と似たような青い顔をして手元を見つめている人がいた。

「君たち自身にはなんの価値もない。君たちは尊くない―――」

 これらの言葉は、まだ家と完全に同化しきっていない、若い彼らにどれだけの絶望を与えるだろう。沈んだ空気に、重ねて語りかける。

「―――否、私はそう思わない」

 明るく、笑みを浮かべてみせた。

「ここからは私の意見ね。――――私は、尊い人というのは懸命に努力を続ける人であると思う。そういう人を見ると自然と尊敬の気持ちが湧くもの。少なくともここにいる全員は」

 両手を広げ、ぐるりと周囲を見渡す。

「大変な勉強をがんばって、努力した上で自分の足でここに立っているんだ。偉大な祖先から受け継いだ血は関係ない、確かに君たち自身の努力と才覚でここにいる。立派に誇っていいことだ」

 彼らが己の血筋を誇るたびに、私はそれが卑屈であるように感じていた。自らの努力を自らで否定し、すべて血統がいいからだと持っていく強引な論理だと思った。

 おそらく彼らは自分自身を褒めてもらうことを知らないのだ。「さすが○○家のお子さんは」って感じでね。良家の子女は何事もそつなくできて当然なのだ。失敗したら個人を貶されるが、うまくできても褒められるのは血筋だけ。

 そう思うのは、前世の私も似たような環境にいたためだ。家族が優秀で恵まれている子供はなんでもできて当然。努力や苦悩を見せることは恥ずかしく、軽くやってのけましたよみたいな顔を作らねばならない。誰にも褒められないでいるうちに、自画自賛する癖がついた。

 それが大きくなってから、私を知らない人ばかりの場所へあっちこっち飛び回って、一から私を見てくれる人に出会って、ようやく自分がどんな者であるかを知れた気がした。結局、他人の目でしか自分のことなんてわからない。


「あとね、どんな立場でも生きるってそれなりに大変なことだ。絶対に努力が必要。がんばってない命なんてない。ゆえに命は、すべてが尊い。君たちも私も、比べるべくもなく。だから他者を貶める必要はない。むしろその行為こそが自分を貶めることになる」

 たぶんさ、真のナルシストは絶対に他人をくさして落とす真似はしないと思うんだよね。なぜなら外部に関係なく、自己完結した揺るぎない誇りを持っていて、人より上とか下とかない。そもそも次元が違うから比べない。

「クリフォード、私は君を誇り高い人だと思ってる。努力していることもそうだし、それから君は私を睨んだり罵倒したりしてきたけど、全部正面からで卑怯な真似は一切してこなかった。きっと君には君なりの信念があるんでしょう? どうかずっと誇り高い人でいて。他の人たちも」

 再び周囲をぐるりと見渡す。

「貴族であることを誇るのは構わない。ただしよく考えて。君たちが想像する尊い人とはどんな行動を取る人なの? どうか理想を持って、かっこよく生きてよ」

 この説得に感化される人もあればまったく意に介さない、不愉快に思うだけの人もいるだろう。どちらでもいい。大切なのは彼らが私の話を最後まで聞いてくれたことなのだから。



 とりあえずの成果として、土下座は回避できた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ここでの「尊さとはなんだ!?」 人間として一度は考える、或いは悩むことだと思います。 人の振り見て我が振り直せ⁉︎ 素晴らしいと思います。
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