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 忙しくて私に構ってる暇なんてない。誰もがそのはずだったのだ。

「うーん・・・」

 朝から唸っている理由は眼下にある。

 真っ二つに折られた梯子。

 窓から投げ落とされて、壊れてしまったのだろう。でかい梯子を持ち上げて、お嬢さん方は相当にがんばった。久しぶりの嫌がらせはずいぶんと手口が荒くなったもんだ。

 ひとまず回収して脇に寄せておき、飛び散った破片を掃除。修理は放課後にやるとして、授業へ行った。寮の使用人が私の世話も焼いてくれるのならば、大工まがいのことをしなくて済むのだが。


 それを皮切りに、途絶えていた嫌がらせが毎日一つずつ増え始めた。

 完全無視を決め込んでいた奴らが急に私の生まれを聞いてきて馬鹿にしたり、足を引っ掛けようとしてきたり、わざと靴を落として拾えと言ってきたりするので、今度はこっちが無視してやった。

 面倒なのが屋根裏部屋に生ゴミを投げ込んでくること。夕飯の嫌いなおかずを使っているのだ。食べ物粗末にすんなよお前ら! 数年前の私なら喜んで喰ってるとこだぞ!

 寮での嫌がらせは女子によるものだが、校舎にいる間は男女問わずだ。

 ただし授業中は問題ない。隣にも座らせてくれる。アレクが見ている時は彼らは何もしないのだ。翻って言えば、いない時にはやりたい放題。

 例えば自習室で課題を片付けていた時だ。

 部屋の床に染みついた汁物の腐敗臭がなんとも不快だったので、寮に戻る時間までは校舎のほうで勉強するようにしていたのだ。

 ところが私の広げている本を横から取り上げる者があった。その男子生徒は机に乗って薄笑いを浮かべており、仲間のような少年が数人、傍の席に座って私たちを見ていた。その中には紫色の瞳の少年も混ざっていた。

「返して」

 なるべく抑えた口調で、表情も無にし、静かに手のひらを差し出す。いじめに対して過度な反応は禁物だってことが最近わかった。何よりこっちが疲れる。

「部屋に忘れたんだ。お前のような下賤の者が、高貴な人の役に立てることを喜ぶがいい」

 なんのこっちゃ。どうして手ぶらで自習室に来てんだよ。人を舐めるのも大概にしろ。

「役立たずで結構。返して」

 とっととこの場を終わらせようと思い、立ち上がって詰め寄ったら思いきり突き飛ばされた。あっちはパワーの余りまくってる十代半ばの男子、まだまだ細っこい私の体では簡単に尻もちをつかされてしまう。くっそ、地味に痛い。笑い声がムカつく。

 生ゴミを投げつけられようが突き飛ばされようが構わないが、勉強の邪魔だけは黙っていられない。

 ほとんど衝動的に喰ってかかろうとしたら、ちょうど先生が通りがかった。扉が全開だったので、中の騒ぎを見つけ、注意しに寄って来た。

「何をしているのですか。静かになさい」

「彼が私の本を返してくれたらすぐに静まります」

 相手より早く、はっきりと向こうの非を主張した私。だが。

「少し借りるだけですよ。なのに、この者がまるで私を盗人であるかのように騒ぎ立てるのです。下賤な己の尺度でしか人を測れぬのでしょうね」

 先生が頷くのは貴族の息子の言葉だけなのだ。

「エメ、大人しくお貸ししなさい」

 ここにいる先生たちは教育者ではない。王宮の魔法使いが交代で教えに来ているだけで、熱意も愛もなければ平等精神などあるわけないのだ。わかっていたが、納得できているわけではなかった。

「彼が部屋に戻ればいいことでしょう。どうして私が貸さなければいけないんですか」

「お前は己の身分を自覚しなさい」

 問答無用である。だから嫌なのだ。言葉を交わす気のない者とは一生わかり合うことができない。

 本は取られて、最後はゴミ箱に捨てられた。それを拾って、部屋へ帰るとネズミの死骸が投げ込まれてあった。これはさすがに使用人に頼んだんだろうな。やれやれだ。そういや昔はこれも食べてたっけな。


 また別の日、授業後に質問のためわずかの間席を離れた隙に、ノートの束が消えており、さんざ探し回った挙句、中庭の池に一枚一枚ばらされて浮いているのを見つけた。

 もはや溜息しか出ない。ローブを脱ぎ、スカートをまくって淀んだ水の中に入る。底に溜まっている泥が、うにゅう、と足の指の隙間を通る感覚が最初気持ち悪いが慣れると気持ち良い。池は私の膝上ほどの嵩で深くなく、回収は困難でなかったがどうせもう読めない。

「ひでえ、ひでえ」

 笑い声が背後に聞こえ、いじめっ子たちかと思ったら違った。

 白いローブを羽織った、黒い髪の男が窓枠に肘を付いて、くつくつ笑っていたのだ。

「よくも飽きずにやってるなあ?」

 この人はハロルド先生。三十路を越えていくばくかしたくらいの年齢で、背が高くてひょろ長く、細い顎に汚らしい無精ひげを生やしている。何が楽しいのか、いつもにやにやしている変な人だ。

 先生たちは王宮での仕事もあるため、通常、授業以外ではほとんど生徒に関わろうとしないのだが、この人は比較的よく私に話しかけてくる。

「手伝ってくれてもいいですよ」

「馬鹿言え。誰がやるか」

 ま、話しかけてくるだけで、優しくはしてくれないのだ。ノートの回収作業を続けることにした。

「そんなもんを拾ってどうする。もう読めないだろう」

「ポイ捨て厳禁です」

 農学部出身としては環境保全に努めずにはいられない。または元日本人の精神として、かな。

「意外と耐えるもんだな? お前みたいなのは誰かれ構わず、すぐに噛みつくんだと思ってた」

 一体私の何を知っているというのか。勝手なことを言う。私はもともと平和主義者だ。

 それに彼らの気持ちも、わからないではないから。

「先生たちのせいですよ。生徒に負担かけ過ぎなんじゃないですか。その鬱屈とやっかみが全部私に来てるんです」

 自分で言うのもなんだが、早々に課題を終えて休日は街に出かけたり、王子殿下たる人と楽しくお喋りしたりして余裕に見える私が、ムカつくし生意気だし何もかも気に入らないのだろう。

 学校という閉鎖環境がまた悪い。閉じ込められた集団はとかく弱者をいたぶりたがる。そいつを取り除いても、今度は次に弱い者が被害に遭う。強弱は相対値だからキリがない。

「自業自得だろう。ノートはどうする気なんだ?」

「アレクのを写させてもらうつもりです」

「ほら、火に油を自分で注いでるじゃねえか。不敬者め」

「愛称で呼んであげるとすごく喜ぶんですよ。敬語も使ってほしくないらしいし。仰せの通りにしてますよ」

「馬鹿正直に真正面から相手にする奴があるか。何も持たない者は持たないなりに賢い立ち回り方がある」

「卑屈になるのは嫌です」

「自分は劣らぬ者だと思うのか?」

「どこが劣っていますか?」

 池から顔を上げ、ハロルド先生をまっすぐ見つめる。彼は変わらずいやらしい笑みを浮かべたまま。彼以外の先生であれば、調子に乗るなと怒られているところだろう。

「いいことを教えてやろう。入試の成績な、お前は満点だった。過去まで遡ってもそんな点数を取った奴はいないんだとよ」

 いきなり、言われたことはかなり意外で驚いたが、やがて腑に落ちた。確かに満点の自信はあった。

「ここにいる生徒の誰よりお前の頭の出来はいいらしい。なのにお前はここにいる誰よりも劣る者なんだ。意味わかるか?」

 からかうような、試すような口ぶりだ。何が目的なんだか。

「わかりません。ところで、先生は賢く立ち回ったから今の地位にいるんですか?」

 彼のペースに巻き込まれるのは不愉快なので、さっさとこちらから話題を変えることにした。

 ハロルド・ブルーイット。 

 貴族でありながら彼の容姿は庶民のものと同じだ。

「取り入る相手と順序を間違えないことだ。小さく段階を踏んで行けば出世はさほど難しいことじゃない。お前のように何段か抜かして行こうとする奴がいらん苦労を背負うんだ」

「最初に貴族の養子にでもなったんですか?」

「俺は賢いからな」

 ああそうですか。だと思ったよ。普通に考えて、魔法学校に入学するためには、勉強ができる環境がなくてはいけないのだから、先に貴族の家にでも潜り込まなければどのみち魔法使いにはなれていない。胡散臭いこの人は、果たしてどんな汚い手を使ったのだろう。

 生徒の中にはハロルド先生を蔑視する人もいる。だが彼の確固たる地位は少々罵倒されようがすでに揺らがぬものなのだ。

 安泰の域に達し、似たような境遇にいる私を、助ける気もなく上から眺めてにやにやしているのだ。正直この人が一番腹立つ。

 ノートを回収し終え、身なりを整えている間も先生はまだそこにいる。そして私をおちょくるような焚きつけるようなことをあれこれ言ってくるのだ。いい加減うるさかったので、

「先生の苗字って一文字変えるとトイレの洗浄液ですよね。置くだけの」

「・・は?」

 相手がきょとんとしているうちに、急いで逃げた。

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