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学校に戻った私はすぐ、談話室へ向かった。
大きな暖炉と背の高い本棚と、ふっかふかのソファにテーブルに給仕まで付いてる喫茶店のような場所で、アレクセイが一人掛けのソファに座り、本を読みながらお茶を飲んでいる。その後ろにロデリックが影のごとく控えている。そこからだいぶ離れたところに他の生徒もちらほらいる。なんとか今日中に課題を終えられた彼らがようやく一息ついているところなのだ。
アレクセイは私が部屋に入るとすぐ気づいて本を置いた。
「やあアレクセイ、休憩中? ぜひ教えてほしいことがあるんだけど、少し時間をもらってもいい?」
「構わないが、どうした? エメが悩むほど難しい課題があったかな」
「課題はとっくに終わってるよ。そうじゃなくて、アレクセイはオーウェン将軍という人を知ってる? 実は」
「おい、少しはわきまえないかっ」
私を遮り、ロデリックが刺々しい口調で咎めてきた。
「殿下がお寛ぎになられているところに押しかけ、まくし立てるとは無作法も度が過ぎるぞ」
「これは重大な問題なんだよロック!」
思わず、私は心の中でこっそり呼んでいた彼のあだ名を叫んでしまっていた。いや、あの、常に主の三歩後ろに控える忠誠心の権化みたいな彼を、反骨精神溢れる名前で呼ぶのが個人的にツボに嵌まってしまったのだ。普段は気をつけているんだが、リル姉に関することで余裕なくなってたもんだから、つい、ぽろっと。
本人は案の定ぽかんとして、だが怒り出す前に彼の主が笑い声を立てた。
「ロックか。幼い頃を思い出すな」
「い、今さらそのような呼び名は・・」
「ここに通う間はいいじゃないかロック」
からかう主に、従者は閉口してしまいました。これは、ロック呼び解禁ということか? 彼とも少しは仲良くなりたいものだ。なにせ、全員に無視をくらっている私の話し相手はアレクセイたちしかいないのだから。
「それで、なんの話だった?」
「あ、うん。オーウェン将軍がどんな人か知りたいの。実は前にも話した私の姉が―――」
きちんと事情を説明してから、アレクセイの返答をもらった。
「詳しく知っているわけではないが、オーウェンと言えば代々将軍職を担っているソニエール家の跡取りだな」
「やっぱりすごい家のとこの人なんだ?」
「そうだな。いい加減な相手ではない」
「それは素姓という意味で? 性格的にはどうなの?」
「一見した限りでは真面目そうな男だったよ。以前、賊の征討を指揮した際には見事な手腕だったと聞いている」
仕事は一応できるのか? しかし誇張がないとは言い切れない。
「あとここが重要。その人は独身?」
「たぶんな。ソニエール家は三大名家の一つで王族の血筋を引いているから、跡取りに結婚話があれば王家にも聞こえてくるはずだ」
・・・今、さらっとアレクセイは言ってくれたが、ちょっと待て。いい加減なところの人ではないどころか、最高ランクの貴族じゃないのか。
これは・・・色々、まずくないか?
「馬鹿な想像をするな。そのお前の姉とソニエール家の跡取りが、万が一にもどうにかなるわけがないだろう」
ロックが冷静な指摘をいれてくるが、甘い。
「貴族だろうが庶民だろうが、裸になったら男は男、女は女だよ」
「っ、なん・・・!」
簡単に赤面している純情ロックは置いておき、私は頭を抱えた。
「厄介なのに目を付けられちゃったんだなあ、リル姉ってば。もし関係が進んじゃったら茨の道だよね。あんまり苦労させたくないんだけどなあ・・・」
玉の輿も高過ぎれば乗るのに並々ならぬ労力が必要で、乗って落ちたら死ぬかもしれない。できれば地上で踏みとどまってほしいところだ。なんとかならんもんか。
「まあ、こういうことに周囲が口を出しても仕方がないとは思うが」
アレクセイ、大人の意見だね。他人事だったら私もその態度でいたさ。
「まだ何がどうこうなっているわけではないんだろう? まさか名門の子息が女性に無体をはたらくことはないはずだ。落ちついて、しばらく様子を見てはどうだ?」
「・・・うん、わかってる。それしかないよね」
諭されて私の心にも落ちつきが戻ってくる。オーウェン将軍がアレクセイのような紳士であることを祈る。しかしそのうち偵察には行きたいな。
「ありがとうアレクセイ。ごめんね、身内のことで相談に乗らせちゃって。また課題で難しいところがあったら手伝うよ。ロックもね」
「その呼び名を固定する気か」
「もちろん学校から一歩でも出たらロデリック様って呼ぶよ」
「・・・卒業したら覚えていろよ」
なんだよ、怖いよ、奥歯ぎりぃってやるなよ。愛称で呼ぶのは普通のことじゃないか。私なんて元が短いから略称ないんだぞ。
「ずるいな」
ふと、アレクセイがそんな台詞を漏らした。見やるとなぜか拗ねたような顔をしている。
「どうかしたアレクセイ?」
「私も愛称で呼んでくれないか? ロックばかりずるい」
あらら? いつも大人な彼が急に子供らしいことを言い出した。仲間はずれにされていると思ったの?
「殿下! これ以上この者に調子に乗らせてはなりません!」
「お前ばかりエメと仲が良さそうで妬けるじゃないか」
「ご冗談を! 大体、私は呼び名を許したわけではありません!」
「今だけだ。許せ」
自分の従者には笑って、私のほうには上目使いで(座っているから)、アレクセイは懇願した。
「だめか?」
そんな顔されたらだめとは言えないでしょう。おねだり上手か。別に上目使いを駆使しなくても呼んであげるよ。うっかり変な気分になりそうだからやめてくれ。
「アレクセイなら、アレク、アレックス、レックスでもいいのかな? 何がいい?」
「エメが好きなのでいい」
「じゃあ、アレク。一番短いから」
「それでいい。ありがとう」
嬉しそうに微笑むアレク。王子な彼を愛称で呼んでくれる人はいなかったのかもしれない。幼馴染すら従者として畏まりまくってる身分だものな。
アレクがここでの自分を一生徒に過ぎないと言ったのは、普通の友達が欲しいということなのかもね。哀愁漂うなあ。
「―――そうだ、無礼ついでに質問も一個追加していい?」
「もちろん。なんでも聞いてくれ」
人差し指を立てて申し出てみるとあっさり許可が降りた。
「アレクはどうして魔法学校に入ったの?」
「国の切り札である魔法のことをよく知りたかったんだ。あわよくば、私も魔法使いになって戦力が増えるかもしれないだろう?」
「戦力ねえ・・・でもアレクならわざわざ学校に来なくても王宮で教えてもらえたんじゃないの?」
「試験に落ちていたら大人しく部屋で勉強するつもりだったよ。幸いにも受かった」
満足気な顔してる。単純に学校に来てみたかっただけなんじゃないのか、君。
「ロックはアレクに付き合って入ったの?」
「ああ。殿下をお一人にするわけにいくか」
「いらんと言ったのだがな。王宮管理の施設で滅多なことがあるわけないだろうに」
「いいえ、現に生意気な虫が一匹おります」
もしかしなくても私のことかい。虫呼ばわりしてくれちゃって、お前こそ卒業したら覚えてろよ。
しかし今気になるのはそんなことより、アレクの発言だろうか。
「ねえアレク、私は、魔法はもっと素晴らしいことに使える力だと思うよ?」
彼が魔法を戦力だと言うのは、上級の魔法使いとなれば兵士千人分にも相当する凄まじい威力の攻撃魔法を使えるからだ。国が魔法使いを増やしたいのは主にそのためなのだろう。
しかし、その魔法には一体なんの意味があるのか。
「戦争に使うなんて馬鹿げてるよ」
「貴様、口が過ぎるぞ! 国を守る戦いが馬鹿げてなどいるものかっ」
ロックが殺気を放ち始めた。だが私だって冗談で言っているつもりはない。
「破壊の後には何も残らないよ」
「勝利者には恩恵がもたらされる。魔法だとて戦いによって得られた力だ」
「そうだね。かわりにミトアの民が滅び、魔法の謎は永久にわからなくなってしまったかもしれない。そして彼らが住んでいた美しい森が消えてしまった」
激しく抵抗したミトアの民がどんな魔法を使ったのか、百年経った今でも戦場跡地は不毛の荒野であるらしい。
「いつか、私たちはそのことで手痛い目に遭うかもしれない。力の使い方はよく考えなくちゃ。取り返しのつかないことはあるよ。千年経とうが後悔することはある。アレク、もし君が将来この国を導くなら、どうか子孫に恨まれるようなことはしないでね。最後まで繁栄するのは圧倒的な強さを誇る生き物じゃなく、争わずに他者と共存できた生き物だと私は思うよ」
結局、世渡り上手がいつの時代もどの世界でも強いのだ。皆と仲良くしましょう、そしたら無敵だ。
ただし、なかなかうまくいかないことは、嫌というほどわかっているけどね。生物界にある食物連鎖、弱肉強食の掟は人の間でも適用されているものだから。だが理想を失ってはならない。
「一意見として頭の隅にでも覚えといて。魔法の力はもっと生産的なことに使うべきだ」
「・・・わかった。よく覚えておこう」
ロックを黙らせ、アレクは深く頷いてくれた。この調子ならおそらく、彼はとても良い王様になるのではないだろうか。
しばらく雑談してから、やがてそろそろ部屋に戻って勉強しようと思い立ち、まだゆっくりするつもりのアレクらと別れて談話室を出た。
その時、たまたま扉の近くにいた男子生徒がすれ違いざまに、舌打ちしてきた。
見上げると紫色の瞳がすごい剣幕で睨んできていたが、足を止めなかったので一瞬のことで終わった。
この日の後、私は世界平和など論じるよりも先に、自分の周りの平穏を手に入れるべきなのだと思い知ることになった。




