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魔法の授業とはどんなものだろう。
歓迎会で魔法を見せてもらってから、私は漠然とした期待を抱いていた。
魔法使いになれるかは素質で決まると言うが、まさか魔石を持って呪文を唱えた途端に魔法を使えるようになるわけではないのだろう。そうだとすれば入試は石を握らせるだけで事足りるのだから。
きっと何か特別なことを教えてもらえるのだろう。わくわくしながら最初の授業に臨んだのだった。
魔法学校とはいえ学校は学校。教室は至って普通で、三、四人が座れる長机と黒板があるだけ。席は決まっておらず、各々適当に座っていた。
私は、興味のある授業は半分より前に座っていたいタイプだ。なぜなら質問しやすいから。まだ一番前の席があいていたので、端に腰かけると、隣にいた女子生徒がさっそく突っかかってきた。
「そこに座らないでちょうだい」
「なんで? あいてるじゃん」
普通の口調で返してしまったのが余計に相手の癇に障ったらしい。おでこを出していたその女子生徒は整った眉毛をきりりと釣り上げ、「なんて無作法なのかしら!」と鼓膜に刺さる甲高い声を上げた。めんどくさいなあ。
「はいはいごめんなさい。隣に座ってもいいですか?」
「よく見なさい。そんな場所などないでしょう?」
言いつつ、自分のノートをこちら側まで広げ、椅子に本を置いてきた。
あんまり幼稚な嫌がらせ過ぎて、怒る気も失せる。ま、いいさ。三十人ぽっちが入れる程度の広さの教室だ、まん前でなくたって十分授業は聞けるだろう。
ところがその後ろに座ろうとすると、次々と皆さん、同じことをしてくれやがりました。一つ飛ばして隣に座っている奴までめっちゃ頑張ってノート広げてきた。絵面はかなりアホっぽいぞ。
そろそろ相手にするのが面倒になり、無理やり座ったら後から来た奴に無理やりどかされた。なんでか知らないが、どうしても私を席に座らせたくないらしい。立ち見しろってか。上等だ、やってやる。
なかば本気で考えた時に、名前を呼ばれた。
「エメ、おいで。ここがあいている」
自分の隣を示してくれているのは、金髪碧眼の少年紳士。そういや味方がいたんだった。それも最強なのが。
周囲がどよめく中、文句が出る前にさっさと最後尾にいたアレクセイの隣に収まる。ちなみにアレクセイの反対側の隣にはお供の少年がいる。常に傍にいて青白い顔して、まるで背後霊みたいだ。
「ありがとうアレクセイ。助かったよ」
同級生ということで、学内では彼に敬語を使わないことにした。アレクセイも咎めてこず、むしろどこか嬉しそうに微笑みを浮かべていた。お供には睨まれたが。
「で、殿下、そのような下賤な者をお傍になど・・・」
周囲のうろたえっぷりはなかなかのもので、前に座っていた貴族の少年が動揺しつつ気の利いたことを言おうとしていたが、アレクセイ自身が黙らせた。
「私は本を一冊広げる場所があれば十分だ。それから、ここでの私は一生徒に過ぎない。よって気遣いは無用のことだ」
と言われて本当に気にしないのは私くらいのものだろう。厳格な階級社会を生きてきた彼らは、はいそうですかと頷けない。逆にアレクセイが異常なのだ。
ともあれ、周囲はそれ以上、彼に対して何も言えなかった。
「初日から苦労しているな」
声をひそめて、アレクセイが同情の言葉をくれたので、笑って返す。
「大したことないよ」
実はこの前にも、朝起きたら梯子が外されていたんだよね。普通に飛び降りたけど。そんな高くないんだよ。微妙に困らない嫌がらせにもやっとする。
「あのさ、そっちの人はなんていうの?」
私の話は置いといて、お供の少年のことを聞いておく。あっちは一言も話しかけてこないが、さすがに無視はできない。
「ロデリック・バスティード。私の、まあ幼馴染のようなものだ」
「私は殿下の従者です」
幼馴染では気安過ぎるとでも思ったのか、アレクセイの紹介を本人が訂正してきた。なんにせよ、かなりの身分ではあるんだろう。
よく見れば、端正な顔立ちの主にもなかなか負けていない容姿であるのだが、ずっと睨み顔なので台無しだ。私が気に入らないのはわかるが少し抑えろ。それと、彼もやっぱり金髪だった。アレクセイより若干赤みが強い色をしている。
従者と言うがロデリックはアレクセイに付き合って入学したのだろうか? わざわざ受験して? いずれ機会があれば、なぜ王子が魔法学校に入ろうと思ったのかも含めて聞いてみよう。
自己紹介もそこそこに、始業の鐘が鳴り先生が教室にやって来た。
白いローブの魔法使いは教壇で古びた本を開き、訥々と魔法の起源について語っていた。使い方よりもまず先に、私たちは魔法がなんたるかを知らねばならなかった。
世界で魔法が見出されたのは百年ほど前のことだ。意外と最近だ。しかしこの百年というのは、あくまで現在の国を成している人々にとっての話であり、本当はもっとずっと昔から、魔法は特定の民族の間で使われていた。
それが《ミトアの民》。または《魔族》と呼ばれている。
別に人外の存在などではない。他と違う独自の言葉と文化を持って、森の奥深くにひっそりと暮らしていた謎の民族なのだ。
彼らがどうやって魔法を得たのかは、はっきりとはわかっていない。一応、今も各国で広く信仰されている天空の神ヴィシュヴェレイア(噛みそう)の恩恵だと言われているらしいが、私はそれで説明できているとは思えない。しかし、その存在如何はともかく、神に授かったものを魔の法と称するのは正直どうなんだ。魔も聖も同じってことか。
百年前の戦乱期にミトアの民は他民族に侵略され、それによって魔法が諸国へ広まった。知識を奪われたミトアの民は現在、完全に滅び去ってしまったと言われている。
魔石はミトアの民の言葉に呼応し、彼らの文字を刻むと石の性質が変化する。歓迎会で先生が唱えていた呪文はミトア語で、ギートの義眼に刻まれていたのはミトア文字だったのだ。
よって、私たちがここで学ぶべきはミトアの言語。彼らの言語がわからなければ呪文など唱えようもないし、呪文が唱えられなければ魔法は使えないそうだ。
逆に言えば、それだけでいいのか? という話だ。言語を理解するだけならば誰でも勉強すればできそうなことに思う。他に魔法使いを魔法使いたらしめるものがあるはずなのだが、先生は詳細を語らず、ひとまず一年間、私たちにはミトア語を勉強してもらうと宣言した。
「魔法使いになれるかどうかは、その後に決まります」
ぽかーんとする生徒にかけられたのは、意味深な言葉だけだった。
なんだか想像していたのと違う地味なスタートだったが、それからさっそく語学授業が始まるとそんなことは考えていられなくなった。
ミトア語、ものすごく複雑な言語だった。
やたら母音が多い。もはやどこをどうすれば出るんだって音や、今のとさっきのは何が違うんだって発音がある。耳が聞き分けられない。
そして単語。そもそも概念がなくて理解しがたい語彙が多く、それに伴う不可思議な形の文字が千以上ある。この難しさを例えて言うなら、英語圏の人間が漢字を覚えようとしているようなものだろうか。
正確な発音を補助する発音記号も新たに覚えるという二度手間っぷり。さらには、こちらにない彼らの概念を理解するため、彼らの文化も同時に学ぶ。
魔法使いに知性が求められる理由、試験がほぼ暗記テストだった理由が、今、わかった。これは記憶力大事だ。
まったく初めて触れる言語を、果たして一年で習得できるものなのか・・・?
しかし不安に思おうがどうしようが、栄光の扉を開くためには、地味で過酷なこの修行をこなしていくしかないのだった。




