18
「あんたらは本当に運が良い!」
熊のようなひげ面の老兵が、豪快に笑い飛ばしながら御者のおっちゃんの背中を叩いていた。その力があまりに強くておっちゃんは痛そうにしているが、同時にほっとした表情でもいた。
危機一髪、私たちを助けてくれたのは、たまたま通りがかった兵士の一団だったのだ。なんでも、こことは別の場所で大規模な山賊退治の応援に行き、王都へ帰る途中だったらしい。商業都市の多い国において道の安全を守ることは何より優先される事項なのだ。
私たちを襲った山賊は十数人の比較的少数グループであったため、速やかに引っ張られていきました。こっちは本気で殺されるかと思った相手だったが、彼らにかかれば秒殺だ。ジル姉を見てわかってはいたものの、改めて、兵士は頼りになる。おかげで、私もリル姉も大した怪我なく無事に済んだ。
溝に嵌まった馬車を屈強な男たちが押し出してくれるのを待つ間、私はどうしても、どうしてもじっとしていられず、散らばった荷物を回収している一人の少年兵士のところへ駆け寄った。
「ねえさっきはありがとう! その目はどういうことなの!?」
「・・・あ?」
間一髪で凶刃から助けてくれた少年は、作業の手を止め、私をぽかんと見上げていた。
彼は、年の頃なら今の私と同じくらいではないかと思う。おそらく十二歳か、離れていても一年か二年程度だろう。年下には見えない。短めの白っぽい茶髪頭で、引き締まった兵士らしい体つきをしている。今はしゃがんでいてわかりにくいが、背も私よりは高かった。
そして何よりの特徴が左目にある。いや、目というか、石。
ジル姉の魔剣にあったのと同じ、エメラルドグリーンの輝きを放つ魔石が、彼は瞼の下に収められていたのだ。
右目は普通の、暗い藍色をした眼球が入っている。左だけがつまり義眼なのだろうが、石はまったく瞳の形を模していない。ただ表面を磨かれて埋められているだけなのだ。それになんの意味がある? なぜわざわざ貴重な魔石を使っている?
そんな疑問が湧いて居ても立ってもいられなかった。
「そいつは魔技師に入れてもらったかわりの目だよ」
教えてくれたのは本人ではなく、さっき御者のおっちゃんを叩いていた豪快な老兵だ。おそらくは彼がこの隊の長ではないかと思われる。
「驚くなよ? その石の目は見えてるんだぜ」
「ええっ!?」
驚かないなんて無理! 意味わからん! どゆことなのおじいちゃん!
「なんで? どうして!?」
「魔法だよ魔法。すげえもんだよなあ?」
がっはっは、と暢気に笑ってる場合じゃないぞ! 事の真偽を確かめるため、さっそく少年の右目を手で塞いでみた。
「っ、てめなにする!」
「いいからはい! これ何本!?」
しつこく左目の前に指を突きつけると、少年は舌打ちしてから渋々答えてくれた。
「・・・一本」
「これは!?」
「三本!」
うわ、マジか。
「じゃあこれは? 見えなくなった位置で見えないって言って!」
正面から顔の左斜め横、側面、そして後ろまで一本立てた指を移動しても、彼は何も言わなかった。
「見えなくなったら言ってってば!」
「見えるんだよ!」
マジかーっ! 確認したところ、彼の左目の視界はほぼ真後ろ、百八十度まで広がっていた。普通の目のように見えるどころか普通以上に見えてるぞ!?
魔法って、こんなことまでできるの? これじゃ再生医療がなんなんだか・・・
「おい、いい加減にはな」
なんか少年が言っていたが、それどころじゃない私は彼の顔を両手でがっちりホールドして、魔石を覗き込んだ。
「おい!? こっ、おい、放せってっ!」
見た目はエメラルドにとても似ている。エメラルドを構成する主要元素はベリリウム。緑はクロムやバナジウムの色。なんにせよただの鉱石。魔石も天然に産出する鉱石だという話。石を埋め込んだだけでなぜ見えるようになる? 神経と繋がっているのか? そういえば視覚障害者のために、カメラに映した映像を電気パルスに変換して舌に伝え、脳内で白黒の映像として認識させる技術が開発されているというのを聞いたことがあるけど、この魔石が一つでカメラと電気パルスの役割を担っているとか? しかし石に映らない顔の反対側まで見通しがきくとはどういうことだ。意味わからん。めっさ気になる。魔法すごい。すご過ぎる。私もこんなことができるようになりたい。
「―――?」
石の下辺に傷がついていると思った。が、よぉく見ると、細かく彫られたこれは・・・文字、のような? さらに観察すると、下辺だけでなく、ぐるっと一周、文字で縁取られていた。
なんて書いてあるんだろう? もっとよく見ようとした途端、いきなり少年に突き飛ばされた。
「うわっ!?」
危なく転ぶところだったのをなんとか踏みとどまった。ややむっとして彼を見ると、そちらはなぜか片腕で顔を覆っていた。
なんだ? と思っていたら、背後にいた老兵が豪快な笑い声を上げた。
「美女を助けてキスをもらうたあ、お前も男になったもんだなあ?」
周りの兵士たちまで妙にやらしい笑みを浮かべていた。
・・・ええっと、もしかして、近づき過ぎて唇付いちゃってたか? うわ、ごめん! 突き飛ばしたのはそういうことね! 全然気づかなかった!
少年は真っ赤になった顔を上げ、冷やかす周りに抗議しようと立ち上がったが、
「~~~っ」
何を言っていいかわからなかったらしく、拳を握り固めただけだった。ほんとごめん。
「ごめんね? 夢中になってて気づかなかったよ。まさか、口に付いちゃった?」
部位によっては本格的な謝罪が必要になるため、一応確認を取る意味で聞いてみると、少年はすごい勢いで「付いてねえ!」と否定してくれた。ま、左目を覗いていたんだから、付いててもせいぜいほっぺだよな。良かった純情少年の唇を奪わなくて。精神年齢が実年齢だったらほぼ犯罪だったよなあ。反省。
「ほんとにごめんなさい。私の言うこっちゃないかもしれないけど、虫にでも噛まれたと思って忘れて」
「ほら、てめえがもじもじしてっから、嬢ちゃんに気ぃ使わせちまってんぞ。普通は逆だろうに」
「この女が変なんだ!」
いいさ、なんとでも言ってくれ。すまなかった少年よ。君の犠牲のおかげで私は好奇心を満たせたよ。
って、そういえば私たちまだ互いに自己紹介もしてなかったな。まあ、もうあんまり彼の記憶には残らないほうがいいのかもしれないが、彼らが王宮の兵士である以上、特にリル姉は確実に再会するだろうから、一応ね。
「すみません、ちょっとだけ自己紹介の時間をください。私の名前はエメ。そしてこっちが姉の」
「リディルです」
私の横にリル姉が並んで、隊長にご挨拶をした。
「今度、王宮の医療部の面接を受けることになったんです。採用になるかどうかはまだわかりませんが、もしそうなった時には、どうかよろしくお願いいたします」
「へえ! そうかい、嬢ちゃんみたいな別嬪さんは大歓迎だぜ」
「いつでもよろしくするぞ!」
他の兵士が下品なヤジを飛ばしてきた。あー、非常に不安。だめもとで釘を刺しておこうか。
「私も! たまに姉の様子を見に行くと思うのでよろしくお願いしますね!」
「んあ? 嬢ちゃんも王宮で働くのか?」
「エメは魔法使いになるんですよ」
リル姉が私の肩に手を置いて、もう決まっているかのように言ってくれた。まだわかんないけどね。
さすがに、これには兵士たちも驚いて目を丸くする。
「私は魔法学校の試験を受けるために王都へ行くんです」
「嘘つけ。お前は貴族じゃねえだろ」
なぜかあの少年兵士がつっかかってきた。ほっぺチューくらいでそこまで不機嫌になるなよ。軽く落ち込むわ。
「試験自体は貴族じゃなくても受けられるよ。ずっと昔の魔法使いたちの中にだって、貴族じゃない人はいた。後から爵位を授けられただけで」
「嘘くせえ」
「嘘じゃないよ。魔法使いになれるかはともかく、試験に受かりさえすれば学校には入れる。――ま、信じられないなら見ててよ。貴族の箱入り娘息子どもを押さえつけて、一位で入ってやるから」
少しばかり大きな口を叩いておくと起爆剤になっていい。自分と周囲のテンションが上がってやる気になる。
「君は将来、ここで私を救ったことで勲章をもらえるかもしれないよ!」
「どんだけ成り上がるつもりだ」
そうしたらやっと、不機嫌な少年も意地悪そうな笑みを見せてくれた。
「せいぜい期待しとくぜ。未来の大魔法使い様よ」
「まかせといて。良ければ命の恩人の名前を教えてもらえる?」
「ギート。ギート・アクロイド」
苗字があるということは、貴族でないとしても素姓確かな家の出身なんだな。私たちのようなスラムに生まれた子だとそもそも親に苗字がないのだ。よし、名前だけは絶対に忘れないでおこう。
無事、馬車が道に戻り、散らばった荷物を積み終えたら私とリル姉も荷台に乗りこみ、兵士たちとは山中で別れることになった。彼らはこれから、山賊たちが住処にしていた場所を掃除しに行くそうだ。強奪品の押収ということだろう。
「では、縁があればまた王都で!」
互いに手を振り、姿が見えなくなったところで一息吐くと、隣でリル姉がなぜだかくすくす笑い出していた。
「どうしたの?」
「だって、エメったらほんとに大胆っ。おかしくって」
う・・まだ蒸し返すか。兵士たちの冷やかしは平気だったのに、なんだろうな、身内に笑われると無性に恥ずかしい。
「あ、あれは不可抗力だから。別にキス狙いじゃないから」
「どんどん近付いていくんだもの、はらはらしちゃったわ」
「いやだって、すごいと思ったからさ。魔技師が作ったって言ってたけど、魔技師もきっと魔法使いではあるんだよね」
「そうなの?」
「たぶん」
魔石を魔法使いでない人にも使えるように加工する者が、魔法を知らないわけがない。『魔石の力を引き出す=魔法を使う』ということなら、実際に使う人のかわりに石から魔力を取り出す魔技師だって魔法使いであるはずだ。
「私、ただの魔法使いじゃなくて、魔技師になりたいなあ」
この素晴らしく不思議な力を、自分だけで使うなんてもったいない。ギートの目を作った魔技師のように、誰かを救える人になれるものなら、ぜひなりたいと思った。