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その日、私はきれいなほうのローブを羽織り、正装をしてトラウィス王宮の軍部にある塔の階段を上っていた。
罪人を入れるために作られた刑務塔では、より逃げにくい上へ行くほど罪の重い人が収容される。案内してくれた兵士を廊下に待たせ、最上階の独居房に繋がる重い扉を開けた。
「あ、エメ! ちょうど良かった、見てこれ一瞬で大陸を破壊できる魔法陣でぅっ!?」
鉄格子の隙間から、再会のアッパー。あっちから尻尾振って寄って来たので非常に当てやすかった。いや、別に殴りに来たわけじゃないんだけど。性懲りもなく物騒なこと言ってるもんだから、つい。
「舌噛んだよ!?」
ルクスさんは尻餅をつき、涙目になりながら口を押さえていた。その手元に軽石が転がり、背後の壁には隙間なく魔法陣が描かれている。久しぶりに会ってもこの人は、まったく相変わらずだ。
私は半分欠けてる胸元の魔石を開封し、小さな水塊を壁にぶつけて魔法陣を洗い流した。
「あ、ひどい!」
「うっさい反省しろっ! そんなことばっかりやってるから、こういうことになるんでしょう!? っていうか、やっぱり世間に何らかの恨みがあるんですか!?」
「そういうんじゃないけど、考え出したらおもしろくなってきちゃって・・・」
床に座り込んだまま、ルクスさんは肩を竦めていた。
ついつい頭を抱えてしまう。悪気がないからなお性質が悪いんだよな、この人は。
「とにかく、こういうことを考えるのはやめてください」
私もルクスさんに合わせ、牢外の床に座る。
「無茶言うなあ。生きている以上、思考を止めることは不可能だ。どうしても止めたければ僕を殺すしかないだろう」
「なんでそう極端な話になるんですか。私は、物騒なことを考えるなって言ってるだけです。せっかく恩情で助けてもらった命を簡単に手放そうとしないでください」
「それって、そんなにありがたがらなきゃいけないこと? かわりに僕一人を悪者にして、めでたしめでたし、にしたんだろ? 割に合わないよ」
「いやいやいや。あなた処刑されてもおかしくないくらいのことを余裕でしでかしてますからね?」
ガレシュの王をそそのかし、世界の破滅を目論んだ《大罪人》ルクス。
彼の負った責めが、その不名誉な呼称と、終身刑の実刑だ。
トラウィスを侵略したのは紛れもなくガレシュ王の意思であり、ルクスさんが黒幕というわけじゃないが、盟約違反にせめてもの言い訳を添えて三国の同盟を維持し、平和を保つためにはそれが方便として必要になったのだ。
ガレシュ王はしばらくトラウィスに身柄を拘留された後に、本国へ移送された。さらにその後の話し合いで、破壊した街の修繕費用等の賠償金をガレシュが負い、王の謝罪を入れて事は解決となったのである。
王を捕らえ、それを機にガレシュを滅ぼそうという流れにならなかったのは、やはりフィリア姫がガレシュに残ってくれていたことが大きく影響した。
今回の失態でガレシュ王の国内での人望は薄れていると聞く。しばらく、姫は大丈夫なのかとこちらは心配していたが、旦那と反比例して妻の人気はうなぎ上りであるらしいことを最近聞いた。避難誘導を率先して行ったり、ガレシュを見捨てなかったことがポイント高かったようだ。
少し前に私宛に姫から手紙が届いて、「陛下は私が責任をもって躾け直して参ります」と書いてあったので、きっとガレシュは安泰だろう。いっそ彼女が王になればいいんじゃないかとも思った。
ま、そんな感じで外交問題は片付き、残った問題のルクスさんの身柄は、まさかそのままガレシュに置いとくわけにもいかないので、トラウィスで預かることになったのである。
王を騙し、大陸を混乱に陥れた罪は重く、当初は危うく首を切られるところだったのだが、結果的に魔道具は不発に終わったし、彼の才能は悪い方向に使わなければ本当に素晴らしいものなんだってことを、私は何度も王へ証言した。その甲斐も少しはあったのか、なんとかルクスさんは殺されずに済んだわけである。
この選択が未来に良い結果を生むのかは、わからない。ガレシュ王のように彼を利用したがる人が現れるかもしれないし、彼自身の興味があらぬ方向へ暴走しないとも限らないから。でも少なくとも私は、またこうして話ができるようになったことを、純粋に嬉しく感じている。
「でも、僕に罪があったのかは本当のところわからないよね」
リラックスした感じでルクスさんは胡坐をかき、どこか楽しそうに無事に残った首を揺らす。緑白色の髪が肩に触れてさらさら揺れている。
「人間が争うのは限りある大地を奪い合っているからで、もし、僕の魔道具で皆をより広い世界へ連れて行くことができたのだとしたら、本当の意味での平和をもたらせたかもしれない。君がしたことと、僕がしようとしたことの、どちらが世界にとって正しかったのか、真実はわからない」
「そうですね」
素直に同意する。魔道具は狙い通りの効果を発揮したかもしれないし、しなかったかもしれない。何も定かなことは言えない。
ただ、あの白い光の中で、私にはわかったことがある。
「――少し、夢の話をしてもいいですか?」
「うん?」
ルクスさんが赤い双眸を瞬く。
「夢?」
「昔、死んだ時に見たんです」
私はまず、彼にも前世の話を聞かせた。知識はそこで得たということと、それから、雷に打たれて死んだということも。
ルクスさんは真顔になり、途中で疑問を挟むこともなく聞いてくれていた。
「雷って、とてつもなく大きなエネルギーを持っているんですよ」
時に億を超える高電圧、大電流が凄まじいエネルギーとなって、瞬時に人を殺すのである。
これってなんだか、ルクスさんが作った魔道具に似ている。だから思った。もしかして、私は落雷を受けたことで次元を超えたのではないか? と。
「・・・私の魂は、一時的にミトアの民のいる次元まで上がりました。私は彼らとは違う世界で生きていましたが、同じ三次元ではありました。その上の次元どうしでは、世界が繋がっていたのではないでしょうか。でも私の魂はそこで安定して存在できるだけのエネルギーを蓄えておらず、もしかすると、そういう魂はそこで崩壊してしまうものなのかもしれません」
それらしい記憶がある。体の形が端から崩れて、意識はあるが痛みなどの感覚はない。真っ白な世界で、苦しむこともなく消えていく。
きっと私はそこで完全に死ぬはずだったんだ。
「でも誰かが、消える前に私をもとの次元に落としたんです。そしてこの世界の、《エメ》という女の子の体に入った」
今の自分の胸に手を当てる。
「おそらくその時、《エメ》はすでに死んでいたんだと思います」
何らかの要因で魂という器官を失った肉体に、私が移植され、《エメ》は生き返った。
あの日、魔道具が放った白い光の中で、そのことを思い出したのだ。でも、本当は幻覚を見たのかもしれない。客観的な証拠は何もないから、だからこれは夢の話。
「・・・その記憶が正確であるとするならば、君を生まれ変わらせたのはミトアの民?」
呆気に取られている間もなく、ルクスさんはすでに私の話を吟味している。
「かもしれません」
「それなら彼らは何がしたかったんだろう? 魔石を通じて僕に働きかけながら、君を送り込んで・・・あ、でも待てよ。君がいなければ僕はあの魔道具を作れなかった。そして君がいたから実験を阻止されてしまった――そっか、そっかわかったぞ」
独り言から一気に、ルクスさんは結論を出せてしまったらしい。
「結局、彼らは全知全能の神の領域になんか達してなかったわけだ。そしてたぶん、一枚岩でもなかったんだろう」
「だと思います」
より高い次元に行って、より多くの物理単位を扱うことができるようになれば、正確に未来を予測することが可能になる。小石を池に投げた時、どんな放物線を描き、どんな角度で水に入り、どのタイミングで風が吹いて、どのような波紋を描くか、細かい偶然まで計算できるのである。
それは人の未来も同様に。
「ミトアの民の中には、異民族たちに復讐を望む人と、望まない人がいたのだと思います。そしておそらく、私をここに落としたのは復讐を望まない人々だった。彼らにとっては賭けだったかもしれません。私はルクスさんに魔道具を作るきっかけを与えてしまう存在で、実験を阻止できない可能性もきっと皆無ではなかったはずですから」
未来は複数あったろう。私がどんな選択をして生きるかまでは、別の次元にいる彼らが容易に干渉できることではなく、全知全能の域に達していなければ未来はやはり不確実で、あくまで可能性の高い低いがわかるという程度のものだったろう。
復讐を望む人々が私の転生を邪魔しなかったのであれば、破滅と救いの可能性は五分五分だったのかもしれない。魔石から聞こえた歓喜の声と、悲嘆の声は、望みが叶った人と叶わなかった人の声だったのだろう。
「――もっとも、ルクスさんの魔道具が本当に人類の救いに繋がるものであったなら、私を転生させたのは逆に復讐を望む人たちのほうだったのかもしれませんが」
「かもね。どちらにしても、僕らは彼らの都合に随分と振り回された、っていう結論だけは変わらないんじゃないのかな」
「もしくは彼らも、さらに別の存在に振り回されていたのかもしれませんよ。例えば神とか、そういうものに」
「キリのない話だね」
「ええ」
考え始めれば果てしなく、そしてどうしようもない。すべては仮定の話。この世界で証明する術はないだろう。
私たちはこの矮小な身でわかる範囲を、少しずつ確認しながら生きていくしかないんだ。
「――耳鳴りは、もうしませんか?」
片耳を示すと、ルクスさんは頷いた。
「魔石と離れているからかな。捕まった日から聞こえなくなって、頭痛も収まったよ」
「それは良かったです。あれ私もよくなってたんですけど、魔石を付けていても一つだけ、すぐに声を止める方法があったんですよ。気づいてました?」
「いいや。どんな方法?」
「この世界に生きている人の声を聞くんです」
頭の中に直接響くあの声たちは、誰かに話しかけられると途端に遠く、聞こえなくなった。
つまり、誰かと一緒に生きていれば悩まされることもない、あれはひどく弱々しい死者の声に過ぎなかったのだ。
「これからも定期的に来ます。あなたとは話したいことがいっぱいあるんです。ルクスさんも、また物騒なこと考えたくなった時は私を呼んでください。そんなことよりもっと楽しい話をしてあげますから」
そう言ったら、ルクスさんは不思議そうな顔になった。
「君は僕のことが嫌いなんだと思ってたけどな。これからも会ってくれるんだ?」
「あなたが嫌と言っても来ますよ。道を踏み外している友がいれば、殴り倒してでも引きずり戻すもんです」
するとルクスさんは腕組みまでして、何やら深く考え込んでいる。
「・・・僕らって友達なの?」
その聞き方、普通だったら傷つくぞ。
「ルクスさんにとって私がそうじゃなくても構いません。私は勝手に思ってますから」
軽蔑したり失望したり、絶交レベルの大きな喧嘩をすることも時にはあるが、その人が私にもたらしてくれたものは変わらない。生きてくれていることが嬉しくて、話している時間を楽しいと感じられるなら、友達のままでいいだろう。
「・・・あのさ、エメ」
ややあって、ルクスさんが口を開いた。
「僕は今でも、なんで君があんなに怒ったのか本当に理解はできてない。君はきっと喜んでくれると思ってた。真理を知りたいって気持ちが一番だったのは確かにそうだけど、あの時の僕は単純に、君に『すごい』って、言ってほしかっただけなんだよね」
彼は悩むように眉根を寄せながら、話してくれている。
「・・・今も、そうだね。できれば君に認められたいと思ってる。それって、まだ君の友達でいたいってことなんだと思う」
そうして彼が格子の間から右手を差し出したから、私は笑って、それを握り返した。
仲直りの握手だ。
「君の分厚い友情に感謝するよ」
そう言った彼は、たぶん気のせいではなく、心から安堵して微笑んでいたのだった。
「君に話したいことなら僕のほうもたくさんあるけど、今日はこれから何かあるの?」
ルクスさんは私の正装を見て言ってる。思えば、彼の前では作業中の薄汚れた格好でいたことしかなかったな。ならば気づいて当然だ。
「はい。この間の戦いで手柄を立てた人たちの表彰式があるんです。もうそろそろ行かないと」
表彰式では王から直々に勲章を授けられる。それが終わったら昼食も兼ねての祝勝パーティーの予定だ。
開始時刻までちょっと間があったので、ルクスさんのところに顔を出してみたのである。
「また明日にでも来ます。それでは」
「うん。待ってるよ」
牢越しに手を振り合う。
いつか隔てるもののないところで、再び彼と議論できるようになることを祈って。
**
エメが帰り、しばらくすると牢に別の人間が訪れた。
ルクスはうろ覚えの鼻歌をやめ、双眸をわずかばかり大きくする。その彼と同じ色の瞳を、老人が毛の長い眉の下から向けていた。
「やあ」
ルクスは片手を挙げる。
「老けたね」
「お前もじゃろ」
フィンは、先程エメのいた辺りに、体を横に向けて腰を降ろす。十二で家を飛び出した息子は、腰の曲がった彼よりもずっと背が高くなっていた。
ルクスのほうは、記憶よりもだいぶ縮んでしまった父の変化を、興味深げに観察している。
「もう会わないかと思ってたよ」
「お前にまた会うまでは死ねんと思っとったよ」
「何か僕に言いたいことでもあった? 説教でも謝罪でもなんでも、あなたから聞きたい言葉は特にないんだけど」
するとフィンは息を吐いた。
「・・・わしに説教する資格はない。謝罪も、今さらじゃろう。ただ、お前が生きとることを、この目で確かめたかったんじゃ」
「そう。確かめられて良かったね」
ルクスの声音にはどうという感情もない。観察も切り上げ、フィンと同じほうを向き、壁に背を付ける。
しばらく、親子は黙していた。
「・・・一つだけ教えてくれ」
ややあって、フィンが顔を息子のほうへ向ける。
「お前があの魔道具を作ったのは、わしらの仇を取るためか?」
「全然違うよ。僕は先祖や親がどんな目に遭わされてようが、自分自身がされてもないことでは恨めない。そんな心は理解できない」
ルクスはそこまで言って、ふと口を噤む。老人と目を合わせ、首を傾げた。
「――だけど、少しはすっきりした?」
フィンは、小さく肩を竦めた。
「いいや。もうお前は大人しくしとれ」
「エメやあなたが構ってくれるなら、そうするよ」
ルクスは顔の向きを戻す。
王宮が祝賀に湧いている隅で、親子はそれから途切れ途切れに、他愛のない話をして過ごしたのだった。




