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あと、どれだけ時が残っているだろう。
静寂の満ちる夜の世界は、なんの変化もないように見えて徐々にその姿を変えようとしている。明けない夜はない、という言葉がこんなにも絶望的に感じることは、おそらく後にも先にもないだろう。
つまり、どんなことにも終わりはあって、それは往々にして都合良く迎えられるものじゃないってこと。
例えば、私が雷に打たれて死んでしまったように。今、わけのわからん魔道具で再び死にかけているように。
「あのさー、ギートー」
「なんだよ」
もう何度か試作品を作った。魔石を剣に嵌めたり取ったり、魔法陣の微調整を繰り返し、たぶんこれで今度こそいけると思える設計が見つかった。くすねた魔石の魔力にも限界があるし、気づけば窓の外が明るくなってきてるし、次でいい加減決めなきゃならない。
泣いても笑っても、朝日がこの部屋に差し込んだら勝負あり。
最後の魔法陣を石に彫り込みながら、私はとりあえず口を動かしていた。
「この世界にはまだ人知の及んでない法則があるよね。そのせいで、なんの関係もないと思える行為が、何かの引き金になったりする。池に小石を投げ込んだら波紋が広がって、障害物なんかに当たったら跳ね返って重なって、またそこに強風が吹いたりなんだりして複雑な模様を作るみたいにね。世界の真理を完全に把握できてない人間が、未来を正確に予測するのはとても難しいことなんだよ。私や君がこんなところでこんな目に遭うとはまったく想像できなかったように」
「・・・ああ、まあ、そうだな。いや、なんの話だ?」
「ギートに話したいことがあるって話。もしかすると、非常に恐ろしい事態になるかもしれないんだけど、やっぱり言っておこうかなー、と」
「怖ぇよ。なんだよ」
気味悪そうにしつつも聞いてくれるらしい。では遠慮なく。
「実は私、もともと《エメ》じゃなかったんだよね」
魔石の彫り込みも同時にしなきゃいけないから、手元から目は離せない。よってギートがどんな顔をするかはわからない。
「はじめ、私はこことはまったく別の世界に生まれたの。そこは魔法がないかわりに、《科学者》と呼ばれる人がいて、知恵だけで魔法のようなことを実現している世界だった。私は平和な国の裕福な家の子供で、立派な両親がいて、優秀な兄がいて、友達にも恵まれてたし、恋人がいたこともあった。不幸の欠片もない人生を送ってたんだよ。でも仕事中に雷に打たれて死んじゃった。そして気づいたら、この世界で《エメ》として生まれ直してた」
前世に未練はないし、もうあの場所へ戻れないことに悲しみを感じることはないが、胸の奥がなんとなく、じんと響くのは懐かしさのためだろう。
たくさんの幸福で爪の先まで満たされていた。その時間があったからこそ、私はどんな苦境にも挫けずいられたんだろう。
「三十・・・ちょっと細かい数字は忘れたけど、そのくらいは生きたよ。エメとして生まれた時点で私には三十数年分の記憶と経験の蓄積があったんだ。この世界の人が知らないことを知っていたのは、もともといた世界で何百年も研究されてきたことを勉強したからで、私が年の割に世慣れしてるのもそういうこと。私自身に特別なことは何一つない」
そこまで一気に喋ったら、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
もし私がギートの立場であれば、きっと突拍子がなさ過ぎて理解不能だ。こいつ、とうとう頭がやばくなったんじゃと思ってしまう。
「この話、信じても信じなくてもいいよ。わけがわかんないなら、それでいい。ただ誰にも話したことがなかったから、この世界の誰かには一応伝えておこうと思っただけで大して深い意味はないんだ」
とりあえず変な奴だと思われることは自覚してますよってことを、申告するつもりで言い添えた。ギートに信じてもらえようがもらえなかろうが、本当にどっちでもいいので。こういうのを自己満足と言うんだろう。大概、私はいつもそう。相手の心情はわりとどうでも良く、そこを無神経と言われるわけだ。
「・・・お前がわけわかんねえのは今さらだろ」
ややあって、ギートがぼやくように言った。
「けど、俺だけにそれを話したっつーんだったら、信じてやるよ。つか、それ聞いてむしろ色々納得できたわ」
驚くべきことに、彼は冷静に話を受け止めていた、どころか信じてくれた、らしい。
案外こんなものなのか? 私の了見が狭かっただけ?
それとも、ギートにとって予想外のことばかり私が引き起こすから、感覚が麻痺してしまっているんだろうか。
――うん、そうだな、そうかもしれない。あはは、毒されちゃって可哀相に。
心の中の笑い声はそのまま漏れて、危うく手元がぶれそうになった。雑談の間に、こちらも仕上がってきた。
「ギートのそういう、私に関して諦めてるところ、けっこう居心地いい」
「そりゃよかった」
「うん。私、君のこと好きだよ」
それは本当に、自然に漏れた。
「・・・は?」
さあ、どんな顔をしてるだろう。魔法陣は最後の仕上げに取りかかる。
「信じられないかもしれないけど、ちゃんと恋愛の意味で好きって言ってるよ。私も君もとっくに子供じゃないもんね」
「・・・はあっ!? いや、だって今まであんなっ・・・はあっ!? いつから!?」
「芋虫みたいに縛られてる姿にときめいた」
「そこか!? もっと他に惚れるべき場面があっただろ!? あったよなあっ、なあ!?」
「特に思いつかないかな」
「嘘だろ!?」
おもしろいくらい絶叫してる。あはは、可哀相に。
「そんなに落ち込まなくてもいいじゃん。かっこ悪いところも好きだって言ってるんだよ? むしろそういうところが一番好きっていうか」
「お前それで俺が喜べると思ったら大間違いだからな・・・」
「そう? かっこ悪い思いをしてでも助けてくれる君が、愛しいって意味なんだけど」
からかっているつもりは、実は微塵もなくて。ただ本心だけを話している。
「ほら、私ってけっこうなんでもできちゃうから、もうどうしようもない! って事態には滅多にならないんだけどさ、知ってる? ギートって、私が本当にどうしようもなくて、絶望しかけてる時に必ず現れて私を救ってくれるんだよ。もし狙ってやってたなら気持ち悪いの通り越して尊敬するレベル」
「なあ、俺、告白されてるんだよな? それは間違いないよな?」
「うん間違いないよ。たぶんね、私の人生を数式で表した時、ギートは私の未来を大きく決定づける重要な項なんだと思う。絶対に削除してはいけない、それがなければ望む答えには辿り着けない、とても大切な」
「・・・だいぶ意味わからん」
「じゃあもっと単純に。例えば、これから長く危険な旅に出るとして、果てまで辿り着くために、たった一人だけ連れて行く人を決められるとしたら、私はギートがいいと思ったの」
顔を上げる。部屋はだいぶ明るくなってきていて、ランプの灯が届かなくても、片目を丸くしているギートの表情が思ったよりもよく見えた。
腕を伸ばしてその膝元にある剣を取り、柄の窪みに魔石を嵌め、布を巻いて固定する。
それをギートに渡したら、柄に添えていた右手を掴まれた。
「――エメ」
「あ、待った」
神妙な顔で何か言おうとしてたので、素早く左手を突き出し止める。
「告白の返事ならいらない。っていうか、お願いやめて」
「は? いや・・・」
「いや本気で今はやめてほしい。先に言ったように、世界にはまだ人知の及んでない法則があって、なんでかこういう状況でこういう感じの話をすると、最悪の結末を迎えることが多いんだよ。もう私が半分フラグを立てちゃったからさ、君まで何か言い出したら完成しちゃうと思う。ということで続きはまた後日」
俗に言う、死亡フラグってやつだ。わかってるのに話したくなってしまうんだから、やっぱりこれはなんらかの真理が根底にあるのかもしれない。
「お前なあ・・・っ」
「ごめんね、ギート」
疑問やら不満やら、消化不良な気持ちが全部籠った呼びかけには謝っておく。
「極論を言っちゃえば、君の気持ちはどうでもいいんだよね。大体わかってるし、もしそれが私の勘違いだったとしても構わない。生きてさえいれば機会はいくらでもある。――期待しててよ。私は、攻めるほうが断然得意だ」
にやりと笑ってみたら、ギートは息を呑んだ。
傍から見れば、きっと大型犬が小型犬にビビってるかのような構図だろうから、それがまたおかしくて、私は随分明るい気持ちで青い魔石に向き合えた。
横でギートが溜め息を吐き、剣を構える気配がする。
「この話、後でなかったことにはしねえからな」
「もちろんだよ」
未来への約束は生きる希望。どんなにささいでもそれを失わずいる限り、歩み続けて行ける。
「――行くぞ!」
ギートが両手で剣を振りかぶる。私が指定した、ただ一点を狙い、突く。
魔石に剣先が触れた瞬間、血飛沫のように白光が四方へ飛び散った。その眩しさに負けず、私は限界まで両目を開く。右手に握った錐で光を掻き分け、刃の先にわずか開いた隙間にねじ込んだ。
先に硬い感触。少し動かせば石を引っ掻く感覚。
「届いたっっ!! そのまま維持してっ!」
「おう!」
コーティングを破った! ほんのわずか、やすりも入れないほどの隙間だけど、錐の先は届いた!
ありったけの力を込めて、石に傷をつける。
するとそれに応えるように。あるいは対抗するように。
青い魔石が突如、その輝きを増した。
「おいっ!?」
ギートも察して焦り出す。
朝が来た。
魔法が、発動する。
思っていたよりも早かった。でも逃げない。もうできる。もう終わる。私は文字を消すんじゃなく、ただ一つの言葉を、下方の余ったスペースに足すだけ。
本来は発動位置を指定する文字群を書き込むはずだった場所に。
ミトアの民の恨みだか神の導きだか知れないが、こんなにも迷惑な破壊の力は、そっくり奴らに返してやるんだ。
位置指定は―――《天》。
空よりも遥か高く、彼らのいる《天》へ。
「離れて!!」
腕を石から引くと同時に、ギートを突き飛ばす。
より強くなった白い光が視界を覆った。目を閉じたはずなのにそれでも白く、自分の状態がわからなくなる。
何も見えない。何も聞こえない。何も感じられない。
生きてるのか、死んでるのか、まったくわからない不可思議なこの感覚を、一方で私はどこか懐かしく思い出していた。
**
トラウィスの朝はガレシュよりも少しばかり早い。東にすっかり顔を出した太陽をルクスがぼんやり眺めていると、懐でまたうるさく魔石が喚いた。
『降りて来いっ!』
「やだ」
上空にいる彼にはよく見えている。どうやら下で何かしらの動きがあったらしい。
続く小競り合いが中断された夜の間に、トラウィスの陣からガレシュの陣へ何度か使者が走っては追い返されていた。
当初からトラウィス軍は不自然なまでに戦意が希薄であり、正面対決に挑みながらガレシュ軍の突撃をのらくらといなしてばかりだ。
そして今朝、なぜかトラウィス陣営の最前列に、この軍の総指揮官である王子が姿を現し、何事かを主張したようだ。
その時にはルクスは事態のすべてを悟っていた。
『トラウィスが妙な情報を吹き込んできた』
ルクスがどうしても降りて来ないため、仕方なくウィルムヘルトはそのまま話し出す。
『件の魔道具に関することだ。俺は今さら疑わないが、兵に動揺が出ている。お前、一度あれを発動してトラウィス軍に当ててみせろ』
本人は目の前にないが、ルクスは首を傾げてみせた。
「・・・君はさあ、友達いる?」
『は?』
相手の反応などお構いなしに話を続ける。
「僕は一人いたよ。少なくとも、僕のほうはそう思ってた。だけど、冷静になってみれば、まったく同じ考えを持ってる人間なんているわけないんだよ。当たり前だ。なんで忘れてたんだろ。馬鹿な夢を見ていたんだね。わかってもらえるなんてさ、そんなの望んだこともなかったはずなのに」
『・・・何を言ってる?』
「要するに、君は僕の友達じゃないってことだ」
通信用の魔石を手放す。静かに落下してゆき、あとは知らない。
朝日を背にして、ガレシュ王国の方角を見やる。
その時、白い光が一筋、天に昇った。




