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魔道具の停止に必要なのは、封緘の呪文。しかし、それをこの世で唯一知っている製作者は未だ行方不明。
よって私たちは当初から二方向に対策を進めていた。
一つは、魔道具にかけられたコーティングの魔法を解除し、魔石を再加工すること。魔法陣の中で破壊を担う部分を削り取ってしまえば、魔道具は機能しなくなる。
実はマティに防御壁の呪文を見せてもらった時、私の中でコーティングを破るアイディアは浮かんでいたのだ。あの防御壁はもともとコーティングの魔法陣を原案にして考えられたものだったから。
漠然としたイメージでしかなかったそのアイディアを、ここで改めて魔法として組み立てた。本来、新しい魔法を創るなら年単位の期間が欲しいところ、超特急で仕上げた魔法陣で魔道具を作り、何度か試した結果、ほんの一瞬、コーティングを剥がすことができそうになった。
でもそれだけ。その後もチャレンジを繰り返したが、うまくいかなかった。想像と現実の間には常に深く広い川が流れており、飛び越えることはなかなか容易でない。
そこまでわかったのが昨日こと。《滅びの日》は明日に迫り、これ以上、試行錯誤している猶予はなかった。
代替案は至ってシンプルだ。
魔石のある塔の周囲を、マティの原案からさらなる強化を試みた魔法の防御壁で覆い、威力を抑え込むというもの。付近の住民や城に勤める人たちを避難させ、その時を待つ。
正直に白状してしまえば、これは完璧な作戦に程遠い。ルクスさんの魔道具の威力が実際どれ程のもので、防御壁がどの程度まで耐えられるのか、未知数であるのだ。城に残っている魔石の数には限りがあり、十分に検証するには圧倒的に資材も期間も人も足りなかった。
早朝から避難は開始されている。準備自体はずっと前からホラント宰相に進めてもらっており、おかげで大きな混乱は今のところ生じていないようだ。
巨大な防御壁を張るのは大変難しいことだが、位置指定のされていない魔道具の暴発範囲を考慮すれば、せめて王城の中枢を守る内の城壁までは覆いたい。件の塔がその内側にあるのだ。
だが、そのくらいのことができる強力な魔法使いは城に残っていなかったため、魔道具を各所に置いて壁を張ることにした。その準備は私も手伝う。なにせ魔技師は私を含めても七人しかいないのだから。
避難誘導させる将兵も同じく不足している。そこで民衆の統率に大活躍していたのが不愛想な宰相、ではなく愛嬌たっぷりの王妃様だった。
彼女がケープを肩に引っ掛け自ら先頭に立ち、民衆の誘導を行った。軍旗でも持たせれば、さながらジャンヌ=ダルクのような。うちの国のお姫様は嫁ぎ先でも大人気であるらしく、惹かれるように人々が彼女に付いてゆく行列を、私は城壁に魔道具を設置しながら眺めていた。
こうなる前に、私は一度フィリア姫と二人きりで話をした。
仮に破滅を回避できたとしても、ガレシュの行為は明らかな盟約違反で、今後この大陸の情勢はどうなってしまうかわからない。うまくいかなければ、トラウィスの王女だった身が、ガレシュでどう扱われるようになるか。姫のほうも、故郷を攻め滅ぼうそうと目論んだ相手と夫婦を続けていくのは心情的に難しいだろう。
要するに、逃げるなら今のうちだと話したわけだ。
説得ではなくて提案、もしくは確認の意味で彼女に訊いたのだ。でも、フィリア姫は一瞬だって悩まなかった。
「エメ、私はガレシュの王妃なのですよ」
まったくもって、愚問だった。
ガレシュはとっくの昔に、彼女にとって守るべき愛しい我が家になっていたらしい。さらに、「私が人質になっていれば、きっとお父様も戦争にはなさらないでしょう」と太陽のような微笑みを浮かべて、そんなことまで言っていたのだから、この人には敵わない。ガレシュ王はせいぜい、この優しい姫君に土下座して感謝すればいいんだ。
「ギート、ちょっと」
梯子を降りながら、下で支えてくれていた彼を呼ぶ。蹴とばされたりするといけないから、防御壁の魔道具は城壁の上面に一つ一つ固定している。
「私のほうの作業は大体終わったからさ、君、フィリア姫の様子を見に行ってよ」
「あ? なんで」
さすがにギートは怪訝そうだった。フィリア姫はもう民衆と一緒に王都の端まで避難しているだろうから、ちょっとひとっ走り、と気軽に行ける距離にはないのだ。
アレクに頼まれてから、ずっと彼は私の傍にいてくれてる。私が魔法陣の組み立てに夢中になって、寝食を怠ればそれを無理やりさせたり、いつの間にか見張りの兵にガレシュ語を習って、簡単な意思疎通ならできるようになっていたりと、自分にやれることを探しては何かとサポートしてくれた。
なので、私としてはもう十分だ。
「だってガレシュは一応、トラウィスを攻めてるわけでしょ? 今はこうして協力してるけど、状況がどう転ぶかはよくわかんないじゃん。だから様子見といてよ」
「・・・まあ、言いたいことはわかるが、考え過ぎじゃねえか?」
「用心はし過ぎて困るものじゃないよ。どっちにしろ、もうここの作業は終わり。あとはディータさんに報告して、魔道具を発動してもらうだけ。君、暇でしょ? ついでに梯子も片付けといてよ」
「あのなあ・・・」
「じゃ、よろしく。私も発動するまで見届けたらすぐそっちに行くよ。本気でやばそうな時は姫を連れてトラウィスまで逃げられるように、朝まで作戦会議するから寝ちゃだめだよ」
返事を待たず、私はランプを手にギートを置いて、さっさとディータさんが作業している辺りへ向かった。
もう真夜中をだんだん過ぎる。
ルクスさんの魔道具は明日の朝に発動すると推測されるため、夜明け前から防御壁を張っておく。設置した魔道具はディータさんの持っている魔石を使って、一斉に発動できる仕組みだ。
魔道具の最終確認を行っている彼を見つけて、私の担当分は設置とチェックが終了できたことを報告し、他にやることがなければ、フィリア姫のところに行きたいと告げた。それなら城の傍に設置された軍の野営地に行って、馬を借りるといいと彼は親切に教えてくれ、私は言われた通りそちらのほうへ一旦向かい――途中で方向転換した。
野営地のある城外には出ず、東にある内門の勝手口を、さっさと開けて奥へ行く。
この辺はもう魔技師しかいないから人目に気を配る必要はなく、内門の中に入ってしまえば本当に人っ子一人存在しない。
そうして私は、青い魔石の待つ部屋へ戻った。
どうせ破壊されるので、中は全然掃除していない。十数日のうちに書き殴った魔法陣の設計書が散乱している。そこで、青い魔石だけが変わらず静かに、美しい、輝きを帯びて存在していた。ランプの明かりもあまりいらないくらいだ。
「え~っと・・・」
ランプはその辺の床に置き、壁際にある棚の後ろを探る。
無造作に手で掻けば、ごろ、っと拳大の緑の魔石が一つばかり転がり出た。開発の最中に支給してもらえた魔石を、こっそりくすねたものだ。ホラント宰相にバレたら殺されていたかも。
「さあ、どーしたらいっかなー」
あらかじめまとめておいたコーティングを破る魔法陣の設計書たちを、机の上から取る。誰もいないこの部屋は妙に独り言が響く。
ディータさんたちと侃々諤々議論していた時には感じなかったが、石壁の、まるで牢屋みたいなこんな部屋に、一人でずっといたなら気が塞いでしまいそうだ。
ま、私がここにいられるのはせいぜい夜明けまで。あと数時間足らずの勝負だ。それまでになんとか、
「一人でどうにかしようって?」
マジで、心臓が止まるかと思った。
魔石と向き合って座り込んでいたから、ちょうど背後から声をかけられたのだ。動悸の収まらない胸を押さえて、溜め息まじりに振り返る。
「そのいきなり出て来るの、やめてよ」
「だったらお前は、いきなりいなくなるのをやめろよ」
ギートは隣にどっかと座る。これを動かすのは、たぶんテコでも無理だろう。
あーあ、うまく追い払えたと思ったのに。勘が鋭くって、本当に可愛くない。
「私と心中する気?」
「なわけあるか。お前が単に死ぬつもりだってんなら、引っ叩いて連れ帰るがな」
「死ぬ可能性は高いよ。それでも私は、最後まで足掻かなきゃ気が済まないからここにいる。別にギートは付き合ってくれなくていいよ」
これは半分意地だ。もう少しでどうにかできそうなのに、できないまま終わりたくないだけ。私の勝手な心情に誰かを巻き込みたいとは思ってない。
「防御壁がうまく魔法を押さえ込んでくれるかもしれないし、ギートは外に出てなよ。ちなみに私は大丈夫、死んでも生き返るから」
「馬鹿言ってんなよ」
ギートはまともに取り合ってくれなかった。片膝を立てた上に腕を置き、すっかりくつろいだ体でいる。
「防御壁が破られる可能性のほうが高いから戻って来たんだろ? お前がどうにもできなくて、どうせ死ぬなら俺は俺の死にたい場所で死ぬ。お前はお前のやりたいように勝手にやってろ」
なんだそれ。思わず笑ってしまう。
告白ならもっと素直にしてほしいもんだ。
「――うん、ありがとう」
不満は多分にあったはずなのに、自然と口に出たのは感謝の気持ちだった。
信じてくれる人が傍にあると力をもらえる。それは本当に、助かることだから。
そして彼が来てくれたことで、一つ、私の中にアイディアが生まれた。
「どうせ付き合ってくれるなら、ギートにも手伝ってもらおうかな。暇だもんね?」
「まあな」
「じゃあ剣を使わせて。で、柄のところに、このくらいの魔石を嵌められそうな窪みを簡単に作っててくれる? ぴったり嵌まるものじゃなくていいよ」
彼の普通の片手剣を使って、ちょっと工夫をしてみよう。
部屋に最初から置いてあった、おそらくルクスさんの工具箱をそのままギートに渡した。
「なにすんだ?」
「魔剣を作りたい。あのね、コーティングの魔法に穴を開けることは、たぶん少しの間ならできそうなんだよ」
惜しい時があった。ほんの一瞬、針が一本通る程度の隙間を開けられたのだ。
コーティングの魔法は目に見えない透明な粒子が高密度に集まって壁を形成する。その粒子の結束を一時的にでも切り、わずかな隙間でいいから、ほんのしばらく、それを維持できればどうにかできる、と思う。
「ギートに魔剣で切り込みを入れてもらってる間に、私が魔石を加工し直す。もっとも、それができても魔道具は関係なく発動しちゃうから、本当に助かるかはやっぱりわからないんだけどね」
「ま、やってみるしかねえだろ」
ギートは鑿を取って作業をはじめ、私も魔法陣の設計をもう一度練り直す。
三日月がすでに西へ消えた夜、青い巨石だけが、諦めの悪い私たちの行いを見つめていた。




