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「この術式です」

 青い魔石に刻まれた魔法陣のうち、該当箇所を指し示す。

「ほー?」

 部屋に残されていた、ルクスさん直筆と思しき資料を片手に、ガレシュの魔技師は蓬髪を掻き毟る。年の頃は三十辺りか。なんとなく不潔感のある男性だが、王に仕えるれっきとした公務員であり、ホラント宰相が連れて来た検証人である。

 賢明なる宰相は他国の魔技師の忠告をないがしろにしなかった。おそらくはもともと、ルクスさんに対しいくらか疑念を持っていたのだろう。そして私の話も鵜呑みにすることはなく、然るべき行動を迅速に取ったのだ。

 人払いがなされた後、連れて来られた魔技師は一人で、ディータさんと名乗った。彼がうちで言うテオボルト所長のような責任者なのか、詳細はよくわからないままとっとと本題に入ってる。

 私はガレシュ語がわからず、ディータさんはトラウィス語がわからなかったが、魔法使いには共通言語のミトア語がある。意思疎通は問題なく行えた。

「魔道具自体はすでに開封されています。けれど魔法陣は一部しか発動していない。肝心の破壊をもたらす魔法陣には発動条件が追加され、いわば鍵がかけられている状態なのです」

 魔道具の利点は複数の魔法を同時に発動させられることだが、この場合はわざと別々に発動するようにプログラミングされている。

 破壊の魔法の発動条件は日数経過。現在発動されているのはコーティングの魔法のみで、魔力もその分しか解放されていない。魔道具は刻まれた魔力量の分だけ魔力を消費していくが、石全体の魔力量から推測すれば、期限までの消費量は微々たるものだろう。

 つまり、待っていれば自然に魔力がなくなって、滅びの魔法の発動を防げる、ということにはならないのだ。

「ふむふむですなー」

 ディータさんは独特な相槌を打ちながら、魔法陣を虫眼鏡で熱心に覗いている。彼は少し目が悪いようだ。

「どうだ」

 ガレシュ語での宰相の尋ねには一拍、二拍、間をあけてから、ディータさんは身を起こす。

「よくわかりませんな」

 にへら、と悪気なく笑ってみせた。おいおい。

 宰相の眉間の皺が深くなる。まずいな、検証人に真実を承認してもらえなければ、私たちは牢に戻されてしまう。

 恐々としている人の内心を知ってか知らずか、ディータさんはミトア語で続けた。

「ただの攻撃魔法でないことは確かだが、詳細を明かすには魔法陣が複雑過ぎる。これをいきなり連れて来られて、どんなものか一見のうちに読み解けと仰せになられても無理に決まっておりますよ。されど、今は真実をすっかり明かす必要はない」

 ディータさんは石に触れない程度に、人差し指を私が先程示した魔法陣へ伸ばす。

「発動位置を表す文字がない。また、この赤毛の彼女の言う通り、トラウィスやティルニは遠い。位置指定はできません。どんな魔法であるか定かでなくとも、あのミトアの子孫が王の御心に適うものを作っていないことはわかります」

「では?」

 優秀な宰相はミトア語すらマスターしているらしい。結論を促す言葉もミトア語だった。

「城に残っている魔技師を全員召集してください。トラウィスの魔技師殿も交えて、魔道具を停止する策を練るが最良かと」

 ディータさんは笑顔をこちらへも向けてくれた。

 私はそこにまた一つ希望を見た。この国にはまだ賢者たちが残っている。

「良い結論が出ましたか?」

 傍で見守ってくれていたフィリア姫に頷く。

 滅びの日を震えながら待つことには決してならない。なぜルクスさんが十五日という猶予を設けたのかはわからないが、きっと彼はそのことを後悔するだろう。



**



「リル姉? リル姉、いる?」

 諸々の状況が落ちついた夕暮れ時に、私は窓辺で魔石に話しかけていた。

 それは横に佇む青い巨石にではなく、幼稚園児の拳サイズの魔石に。現状報告や相談のため、石をもらって通信の魔法陣を彫ったのだ。

 応答は間もなくしてあった。

『――エメか?』

 それはまったく予想もしていなかった低い声。

「あれ? えーっと・・・あ、もしかしてアレク?」

『そうだ。無事か?』

 良かった、合ってた。でもいつもの彼より口調が少し早い。

「無事だよ。ギートも私もちゃんと生きてるし怪我もない。フィリア姫に助けてもらった」

『姉上もそこにいるのか?』

「ううん、部屋に戻ってる。ついさっきまで一緒にいたけどね。話す?」

『・・・いや、ともかく君の無事がわかれば十分だ』

 安堵したような息遣いがかすかに聞こえた。彼も心配してくれていたのだろう。それでも、あくまで冷静な声を聞けて、私のほうもほっとした。

『今は落ちついて話せる状況なのか?』

「うん。ガレシュの宰相閣下の監視付きでね」

『宰相がいるのか』

 実は肩が触れそうなくらいの近距離で、ホラント宰相が私たちの会話に聞き耳を立てている。協力関係になったとはいえ、彼の王は現在トラウィスに侵攻中なのだ。なんでもかんでもペラペラ喋られるのは許可できないということで、王が前線に出てることとか、城に残された魔技師がたった六人しかおらず、ほとんどの魔技師と魔法使いが戦場に連れて行かれていることなど、漏らしたら喉潰すぞって感じのプレッシャーをかけられている。

 一方で、会話に交ざる気はないらしく、私が名前を出しても沈黙を続けていた。

「ところで、なんでアレクが通信機を持ってるの?」

『もしまた連絡があった時に、私が応えたほうが話が早いのではないかと思って、リディルから預かっておいたんだ。君の無事は必ず彼女たちにも伝えるよ。それで、そちらの状況はどうなってる?』

 アレクのほうも宰相に触れる前に、状況把握を優先したようだ。

 隣に気を使いながら、事の一部始終を話す。姿が見えない分、アレクは相槌を多めに打ってくれていた。

『――魔道具を止めることはできそうなのか?』

「やってみせるよ。でもわからない」

 正直なところも彼には話しておく。

「コーティングの魔法がかかってるから物理的に破壊はできないし、そもそも開封されている魔石を無闇に壊すのは本来危険だよ。変なふうに割れて魔法陣が誤作動する可能性が高い。今回みたいに石の魔力量が多い場合、下手なことをすれば大惨事になりかねない」

『一番安全な処置は封緘の呪文を唱えること、か?』

「その通り。それができないから悩ましい」

 封緘の呪文をこの世で唯一知っている人は行方不明。思いつく言葉を片っ端から石に吐き、呪文を探り当てるような不毛な作業は、十五日ではまったく足りないだろう。

 ルクスさんがふらりと帰って来たら即座に捕まえて吐かすつもりでいるが、わざわざ時限装置を作って行ったのだから望み薄だ。

「期限までに船で沖に捨てて来る案も出たけど、規模が規模だからね。どれだけ急いで遠くに持って行っても安全の保障はない上に、船を操縦する人が確実に犠牲になる。やっぱり一番は発動前に停止させたい。それができなければ、発動してもせめて人的被害の出ない方法を考える」

『・・・そうだな。わかった、エメはガレシュの魔技師と協力して対策を頼む。こちらではルクスの捜索を行おう』

 さらっとアレクは何気に難しいことを言う。

「捜索って、心当たりでもあるの?」

『単に推測だが、ガレシュ王は彼をよく信頼しているんだろう? もし彼が発動の時まで王を欺こうとしていれば、忠臣を装うために戦場で傍にいるかもしれない。王としても有能な者を手元に置きたがるだろう』

 なるほどー、と納得する前に一つ。

「待ってアレク、ガレシュの王が戦場にいること知ってたの?」

 ホラント宰相のほうをちらりと見やれば、彼は片眉を跳ね上げていた。

『物見の報告があったからな。ああそうだ、エメが作ってくれた飛行用魔道具と、この通信機が役に立ったよ。こんな活用方法は君の本意ではないだろうが・・・』

 アレクは少しだけ申し訳なさそうだ。

 ガレシュ軍はまだきっとエールアリー近辺にいるんだろうから、文字通り現場に飛んで行き、通信機で遠く離れた王都に様子を伝えたってところか。きっと老師やコンラートさんが整備してくれたんだろう。

「役に立ったなら良かったよ。この期に及んで軍事活用は嫌だなんて駄々こねないからさ、使えるものはどんどん使って。そもそもこういう状況にしたのは私だもんね」

 ギートは私の責任じゃないと言ってくれたけど、やはり、そんなことはないはずだ。

『エメ、そう思っているのならお願いがある』

 すると唐突に、アレクは言った。

「なに?」

『今回のことで、自分のしてきたことの何もかもを後悔してしまうことだけは、どうかやめてくれ』

「え・・・」

『君に救われた者は大勢いる。私もその一人だ。それを君は忘れてはいけない』

 強く言い聞かせるような口調だった。

 今朝は生まれたことすら悔いた私だ。事態が解決しないうちはまだ、その考えが頭の片隅にこびり付いたままで、たぶんどうやっても取れない。

 アレクは気づいたんだろうか。私が自信を失いかけていることに。

『いつも前ばかり見ている君だから、過去を忘れてしまう時は何度でも訊いてくれ。エメという人物がどれほど偉大であるか、そして彼女はどんなに魅力的か、一晩でも二晩でも語ってあげよう』

 その大げさな言い様に、私は呆れてしまった。

「さすがに途中で話が尽きるでしょ」

『そう思うなら、君は自分のことをわかってない』

 アレクは無駄に自信満々だ。気恥ずかしいけど、心が温かくなった。

 崩れ落ちた自信の跡を、彼は信頼で埋めてくれたんだ。

「――ありがとう。アレクにそこまで言ってもらえるんだから、私はきっと何でもできるね」

 助けられ、励まされる度、これまでに得てきたものの大きさを知る。それらを失わないためにも、気合を入れ直さなきゃ。

「魔道具は必ず止めるよ。それでお願い、アレクの持ってる通信機をフィン老師に渡してくれる? 老師の頭も借りられたら百人力だからさ」

 通信を試みた一番の目的はそれ。そもそもそういうことでホラント宰相を説得し、新しい魔石をゲットできたのだ。

『わかった。では今後こちらからの連絡も老師を通して伝えよう』

「ありがと。あとさ、もう一つ無茶は承知の上で、叶えてほしいことがあって」

 多少歯切れが悪くなってしまうのは、本当に無茶で、しかも今さらで、私が言える立場でもないから。だけど、どうしても言わなければならなかった。

「できれば、戦争にしないでほしい」

 すでに火蓋は切られている。トラウィスは領地の一部を占領され、刃を合わせずにはいられない状況だ。その上でこんな願い、何言ってんだお前状態になるのは当然。

 黙って占領されろと言いたいわけじゃない。どうすればいいのかの具体案はない。我ながら無責任だ。でも、無事に魔道具を止められた後、これをきっかけにまた長い戦争が始まってしまったら元も子もない。

 それだけは、誰も望んでいないと思うから。恨みの連鎖を生まないために、どうか、一つの命も奪わないでほしい。

 アレクは沈黙していた。トラウィスの王子としてやるべきことが彼にはある。私のように好き勝手に物を言うことも、軽はずみに約束することもしない。彼はとても誠実で、優しい人だから、沈黙するしかないのかもしれない。

 願ったことは撤回しない。だけど困らせてしまったのなら、そのことは謝ろうと思って口を開くと、

『ガレシュの宰相殿』

 アレクが声を張った。

『私はこれより兵を率い、貴殿の王に戦場にて交渉を申し込む。そこで王に真実を伝える』

 ぎょっとした。っていうかアレク出陣するの!?

 困惑し、驚くばかりなのはホラント宰相もそう。トラウィス王子の名前を彼は知っているはずだ。

『王がどのようなご決断をなさるかはわからない。いずれにせよ我々は貴国に罪を問うが、それを王の命で贖っていただくことは望まないし、ガレシュの民を理不尽な要求で苦しめたいとも思わない』

「――」

 宰相は絶句していた。アレクのほうは、至って気さくに、明るい声音で続けた。

『何はともあれ、まずは魔道具を停止できなければ話にならない。貴殿には引き続きエメの支援をお願いする。すべてが収まった後に、ガレシュに居づらければ我が国へ来られると良い。歓迎しよう』

 勧誘までされた宰相殿は、口をへの字に曲げる。

「・・・お気遣いは無用のことにございます」

 そして苦虫を噛み潰したような顔で返すのだ。

「お若い殿下には、我が王がさぞや愚か者に映っておるのでしょうが・・・先代の亡霊に憑かれてさえおらねば、あの方は如何なる傑物よりも聡明な王であらせられる」

 亡霊に憑かれていなければ・・・それはなんだか、私がルクスさんに思ったことに似ていた。

 状況、周囲の想い、手にした物、様々なことに人の行動や意思は影響されてしまう。それを思えばその人の本質などどこにあるのか、そもそも存在するのかすら怪しい。

 それでも信じて仕える。ホラント宰相は、きっとガレシュで最も忠実な臣下だろう。だからこそ私に協力してくれたのか。王と王の民を守るために。

「まことに勝手ながら、陛下をお頼み申します」

『承知した』

 願いに対して、アレクははっきりと応じた。

「アレク・・・」

『戦争をしたい者など、どこにもいないよ』

 思わず名を呼べば、柔らかく微笑んでいるような声が返る。

 私もアレクを信じよう。彼がそうしてくれるように。互いの立場で、力の限りを尽くす。

「気をつけてね。怪我しないでよ?」

『エメもな。そういえば、そこにギートはいるのか?』

「え? いるけど」

 実は。最初からずーっと、部屋の隅のほうで手持無沙汰にして、こちらの会話に聞き耳を立てていたのが、いきなり名前を出されて目に見えるくらい体を跳ねさせた。

 よく聞こえるように、私はそちらのほうに石を差し向けた。

『ギート、何があろうと決してエメの傍から離れるな。まかせたぞ』

「・・・はっ!」

 一瞬呆けた様子のギートだったが、ぴんと背筋を伸ばして承った。何かまかされてしまった。ギートの護衛が必要な状況には、もうしないつもりではあるんだけども。

 アレクは短いギートの返事に満足できたらしい。

『ではエメ、トラウィスで必ず会おう』

「うん。必ず」

 通信を切り、私は魔石を握りしめた。


 ――やろう。

 行動し、やり遂げること。過去にも未来にも、私たちにできることは常にそれだけなんだ。



**



 一日が終わり、また一日が始まる。

 夜明けの薄闇の中、柵の内で無数の影が蠢く。紫色の雲が伸びる空に、翻る群青の旗はまだ黒い。兵士の纏う鎧はなお黒い。

 エールアリーの住人は家屋の中で息をひそめ、武具の擦れる音と軍馬の嘶きを聞いている。それらがなければ静かな朝であった。

 兵士らは黙して主の号令を待つ。

 やがて。

 紅の日が穴だらけの山肌を染める頃、黒い眼の青年が馬上で剣を抜き放つ。天に掲げた刃は日の力を宿したように赤く燃えていた。

 兵の前に立ち、王は高らかに叫ぶ。

「行くぞっ!!」 

 地響きの如き男たちの鬨が、先んじて柵を出で平原を疾駆する。その轍を、これから彼らが蹂躙してゆくのだ。

 静けさを破り突き進んでゆく群れを、赤い眼の魔技師は上空から、どうという感情もなく眺めていた。

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