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こっそり脱獄・ミッションクリア、というのは、どうやら最初から無理だった。鉄格子を魔法でぶち破った時点でわかりきってはいたけども。
「ツェルウォ!」
前方に立ち塞がる兵士の壁を風の魔法で割り、素早く駆け抜ける。追ってくるのは無視して、ひたすら先へ。
魔石のあった部屋と地下牢は同じ建物の中にある。連行された時の道を逆に辿れば、十分とかからず到着できるはず。だが、騒ぎを聞きつけた兵士がどこからともなく湧いてきて邪魔だ。「私たちの邪魔をする=国家滅亡」なんだけど、それを説明できる語彙力もなければ余裕もないのが非常に残念だ。
ただ幸いなことに、不意をついた脱獄であるおかげか、敵は慌てて駆けつけてきた体であり、統率がうまく取られていない。数だけは多いが、中には魔法にびびり、後ろでおろおろしているだけの奴もいる。
「よそ見すんな! 敵の態勢が整う前にケリつけんぞ!」
「わかってる!」
ほんの少し遅れただけで、目敏くギートが急かしてくる。その傍らで、彼は横の通路から出てきた敵を蹴倒し、死角から私を狙う切っ先を牢番から奪った剣で弾き飛ばした。
片目しかないことを心配していたものの、今のギートは目が八つくらいあるんじゃないかと思える戦いぶりだ。彼が戦うところを見るのは闘技大会以来。きっとあれからもたくさん努力して、あの時よりもずっと強くなっているんだろう。
よし。これなら勝てる。行ける。大丈夫。
こんなところでは終わらない。絶望的な状況の中に訪れた幸運は、滅び以外の未来を示しているはずだ。
目前に、石壁に嵌まった扉が迫る。
兵士は後方にしかいない。私はありったけの魔力を体に溜めて、先にギートが部屋の中へ飛び込んだ。
「ルクスさんっ!!」
私もすぐさま飛び込み、注意を引くつもりで叫ぶ。その一瞬の隙にギートが仕留めて――という計画だったが、部屋の中には誰もおらず、青い巨石が孤独に佇んでいた。
もともと石と作業台くらいしかない、閑散とした部屋だ。隠れるような場所もない。どこへ行ったんだろう?
ばん、と後ろで大きな音がした。
ギートが入口に戻って扉を閉めたのだ。両開きのドアノブのところに剣を閂がわりに引っ掛け、さらに背中で押さえてる。
「早くぶっ壊せ!」
そうだ、いないならいないで好都合なだけ。呆けている場合じゃない。
気を取り直し、右手を青の魔石へかざす。
「ヴァルカンタ!」
人頭大の炎球を放つ。魔石に接触した瞬間、激しく爆発し、風圧に思わず目を瞑った。床にまき散らされていた紙が飛んで、顔の前で防御した腕に張り付く。
それを取って、結果を確認すると――青い石は傷一つなく、そこにあった。
「あれ!?」
破壊できない? いや、できるはずだ。魔石は衝撃に弱い。
「どうした? 壊せねえのか?」
不安げにギートが訊いてくる。
私は嫌な予感に駆られ、青い魔石に手のひらを付けた。すると、何も聞こえない。
「・・・開封されてる」
開封の呪文、牢に入れられる前は確かに聞こえたそれが聞こえない。ということは。
「この魔道具はもう発動してるっ」
「は!? じゃ、俺ら死ぬってことか!?」
「ううん、だったらすでに死んでなきゃおかしいっ」
落ち着け。考えろ。冷静になれ。
魔道具が発動しているのなら、私たちはとっくに死んでる。でも実際は何も起きていない。不発、は違う。ルクスさんがそんな初歩的な失敗をするはずがない。
私の魔法が効かなかったのは、魔石の表面にコーティングの魔法がかかっているからだ。だとすれば、やはりこの魔石は開封されている。それは間違いない。
けど、どうしてだろう? たった一度使うだけの魔道具になぜコーティングが必要だった? 自分の留守中に勝手にいじられないため? だとしても、発動している魔道具がなぜ破壊の効果を発揮しない?
「っ、おい! なんとかできんなら早くしてくれ!」
激しく扉を打つ音がする。もう少しで押し破られるんだろう。だけど背後の危機よりも、私は魔法陣を読み解くことに夢中になった。
魔石の裏までびっしり描き込まれている、何十もの魔法陣。おそらくだが、牢に入れられる前と微妙に違っている箇所がある。一回削って彫り直したみたいに少しへこんでるのだ。
そこに、答えはあった。
「ぅおっ!?」
ギートが隣に吹っ飛んできた。
壊された扉から雪崩れ込んだ兵士たちに、あっという間に囲まれる。私を庇うギートは短剣しか持ってないし、魔石の魔力も尽きた。限界だ。逃げられない。
敵意の切っ先が迫る。
「寄るなっ!!」
私は、腹から一番大きな声を出した。ガレシュ語である。聞き取れなくても少し喋るくらいはできる。
うまく統率の取れていない兵たちは、強い指示口調に一瞬怯んだようだ。
「私を殺せばあなたたちは死ぬ!」
使い慣れない言葉がもどかしい。ガレシュ語でまともに話すのは初めてだから、兵士たちが私の言葉を理解できずに戸惑っているのか、理解できた上で狼狽えているのかが読めない。
説得しようにも通じなくては話にならない。だから、話の通じる人を呼ばなくてはならない。
「王妃に取り次げ!!」
ここがガレシュの王都なら、当然いるはずの、心強い味方。
ただ、これも伝わらないかもしれないし、仮に伝わっても易々と取り次いでくれるわけないだろうが。とりあえず口にしてみて損はない。報告だけは上まで行くだろう。
私の自慢の友達は、きっと期待を裏切らない。
「――呼びました?」
気品ある優美な声。部屋の外から聞こえた。囲みが奥から順に割れていき、金色の姫が傍に来る。兵の制止は扇子で軽くあしらって、優しく私の手を取った。
「お久しぶりですね、エメ」
「・・・はい、フィリア姫」
懐かしい微笑みに、ちょっと泣きそうになった。派手に騒いだら、もしかして駆けつけてくれるんじゃないかと思ったよ。
ますます美人になって、自然と威厳をまとう姿がオリヴィア妃に重なる。
ギートなんかはすっかり彼女の存在が頭から抜けていたのか、ガレシュ兵たちと同じくあんぐり口を開けていた。フィリア姫はそちらにもきれいに微笑みかける。
「一生懸命エメを守ってくれたのですね。ご苦労でした」
「は・・・あ、ども」
労われたギートはぎこちなく頭を下げた。その間に私は目元を拭う。
「姫が、どうしてこんなところにいるんです?」
「それはこちらの台詞ですけれど?」
フィリア姫はころころと笑う。
「近頃はおかしなことばかり。突然、部屋に閉じ込められたかと思えば、陛下が兵を引き連れて何処かへ行かれてしまったり。故郷にいるはずのお友達がお城で大暴れしていたり。一体何が起きているのか、あなたが教えてくれます?」
どうやらガレシュ王はその妻に野望を話していないらしい。っていうか、王は自ら出陣してるの? もしかして。
「姫も閉じ込められていたんですか」
「ええ。私としたことが、抜け出すのに少々手こずってしまいましたわ」
お恥ずかしい、って扇子で顔を隠すけど、恥ずかしがるポイントは脱走に手馴れてるところだと思うなあ。ほんと、お姫様なの見た目だけなんだから。
切羽詰まった状況下では、そのお転婆ぶりが頼もしかった。
「姫、私の知る限りを余さずお話しします。どうか力を貸してください」
「そんなの決まっています」
フィリア姫はさっと後ろに扇子を振る。
「剣を収めなさい」
短いガレシュ語で告げただけで、有無を言わさず刃を引かせてくれた。権威とはどんなに頑丈な盾にも勝る。
しかし安堵したのも束の間、また囲みの後ろが騒がしくなった。
金色の姫に続いて現れたのは、長い黒髪をうなじでまとめた貴族らしい格好のおじさん。眩しいの? ってくらい眉間に皺を寄せ、兵士の間をずかずか進んでくる。
「ホラント、ちょうど良いところに来ましたね」
服装的にも態度的にもおそらくお偉いさんと思われる人を、フィリア姫は笑顔で迎えた。
「誰です?」
「ガレシュの宰相ですよ」
姫に耳打ちで教えてもらった。三、四十代くらいだろうか。役職の割に若く見えるのは髭がないせいか。うちの国の宰相様と違って朗らかさもない雰囲気だ。
「妃殿下、お部屋にお戻りください」
ありがたいことに、ガレシュの宰相殿はトラウィス語で話してくれた。ちょっと息が上がってるのは、フィリア姫の脱走と、私たちの脱獄騒ぎを聞きつけ急いで来たせいだろうか。
王が城にいないのであれば、宰相の彼がここの留守役ってとこだろう。姫につられてあっちから出てきてくれたんだ、このチャンスを逃がすわけにはいかない。
フィリア姫は私の手をしっかり握り直した。
「喜んで戻りますとも。私の大切なお友達と一緒なら」
「・・・この者たちは何者です」
「私はトラウィスの魔技師です。ルクスさんに拉致されてきました」
一歩前に出て、私が直接話す。眉間に皺を寄せていたホラントさんは、「ルクス?」と反応して、私たちの背後にある魔石に一瞬目を向けた。
「もちろん彼のことはご存知ですよね? 姫もご存知です?」
「少し前に、陛下が連れていらした魔技師のことでしたら、知っていますよ。エメたちにもらった魔道具の調子が悪くなった時に、直してくれたことがありました」
ああ、あの婚姻の贈り物、不具合が出ちゃったか。やっぱり急いで作り過ぎたかな。と、反省は置いといて、青の魔石を指し示す。
「この魔道具についても、宰相閣下はご存知ですね?」
「お前は知っていると?」
「おそらく閣下のご存知ないことまで存じております。私はこの魔道具を完成させるために拉致されたので。協力を拒んだら牢に入れられてしまいましたが。あ、こっちのギートはおまけです」
「わざわざ言うな」
場の雰囲気に遠慮してか、ギートの突っ込みは小声だった。
「この石は魔道具なんですの?」
「ええ。百年前、ミトアの民を森ごと消した破壊の魔道具を再現したものです。ガレシュ王は、トラウィスやティルニの王都まで届く規模のものをルクスさんに作らせました」
「え・・・」
フィリア姫の表情が凍り付く。
「ですがこれを発動したら、ガレシュも含めた大陸全土が吹っ飛びます」
続けてホラント宰相が無言で目を剥いた。
「そもそも魔法の原則として、遠すぎる場所に位置指定はできないんです。この場所からトラウィスとティルニだけを狙って破壊するなんてことは、はじめから不可能なんですよ。ガレシュ王はルクスさんに騙されたんです」
「っ・・・そのような馬鹿な話があってたまるかっ」
「王は彼以外の魔技師の言葉に耳を傾けていましたか?」
声を荒げる人に重ねて訴える。
「彼の他に、この魔道具の製作に少しでも携わった人がいましたか? 便利な道具を次々に作り出す天才魔技師を信頼し過ぎて、すべて彼にまかせてしまっていたのではありませんか?」
私が喋れば喋るほど、宰相の黒い瞳が揺れる。何かを、迷っている。あるいは疑っている。
「ルクスさんの目的は、魔道具の効果を確かめること。トラウィスとティルニが降伏してもしなくても、魔道具は発動させる気です。いえ、正確にはもう発動しているんです」
「なに?」
さっき読み解いたばかり。見慣れない形式の魔法陣に、魔力量とは違う数字が刻まれていた。まだ確証はないけど、たぶん合ってる。
「《滅びの日》は十五日後。それまでにどうにかしなければ、私たちは全員死にます」




