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いわゆる地下牢という場所なんだろう。
これまでにも現代日本じゃできなかったあらゆる体験をしてきたが、まさか牢屋に入ることがあろうとは思いもしなかった。
広さはせいぜい四畳半程度だろうか。重苦しい色をした石壁に圧迫感がある。錆臭いのは鉄格子の匂いだろう。明かりは天井付近の通風孔からわずかに差し込む天然光と、牢の外の階段付近に設置された松明。階段の上に見張りの兵士がいるようだ。時々、物音がする。
この地下空間にある牢は一つだけ。独房だ。鉄格子の向こうの壁に、これ見よがしに恐ろしげな拷問器具が複数かけられているが、私たちに使われることはないと思いたい。
「さて、と」
監視の目がないことを確認し、その場にしゃがむ。
芋虫みたいに縛られたまま、埃っぽい床に放り出されている憐れな男を早く解放してやらねばなるまい。
「久しぶり、ギート」
「・・・おぅ」
まず口布を取ってあげてから、手首の辺りにある硬い結び目に取り掛かる。
「状況はどこまで理解できてる?」
「ほとんどまったく」
ということなので、私がここに至るまでの経緯とルクスさんから聞いた話をした。別次元のミトアの民とかいう話は理解してもらえなかったため流してもらい、とにかく天才魔技師が大陸を吹っ飛ばすとんでもない破壊兵器を作り、なおかつそれをガレシュ人は誰も知らず、トラウィスに意気揚々と侵略している最中であることを伝えた。
「・・・夢みてーな話だな」
「夢だったら良かったよ。ギートはいつさらわれたの?」
「あ? あー、最後にお前に会った日の夜。闇討ちされた。何日も前から誰かにつけられてる気配はしてて、警戒してたんだがな。笑いたきゃ笑え」
「ん、大丈夫。さっきお腹痛くなるほど笑った」
そしたら、「ちくしょう・・・」ってなんか小さく呻いてた。笑ってほしくないなら素直に言え。
「途中で逃げられなかったの?」
「ほとんど船移動だったからな。泳げねえ海に飛び込むほど馬鹿じゃねえぞ俺は」
「仮に泳げたとしても、飛び込まないほうがいいとは思うよ」
そういう無茶をしないところが彼の長所だろう。
仕事帰りに襲われたようで、今の彼の格好は鎧もないし剣もない。抵抗できず船では船室で監禁、陸では厳重に縛られて運ばれたそうだ。
「それでも何度か逃げようとはしたんだがな。奴らがお前の名前を言ってんのが聞こえてからは、まあ、諦めた」
「え?」
ちょうど縄が解け、ギートは上体を起こし、凝りをほぐすように腕を上や横に伸ばす。
「お前が絡んでる話なら、どうせとことん巻き込まれるんだ。状況がわかるまでは大人しくしてたほうが利口だろーと。ま、さすがにこんな事態になってるとは思わなかったが」
やーびっくりびっくり、みたいな軽い反応してるけど、私のほうはもう少し驚いていた。
「・・・自分から巻き込まれに来たの?」
「なんか手柄立てられそーな匂いがして」
ちょっと感動しかけたのに、ゲスい理由を言われてこけた。
「そこは私を助けるためとかさあ・・・」
「冗談だ。お前のため以外にあるか」
わ、急にかっこつけてきた。
「・・・ぐるっぐるに縛られてたくせになあ」
「うるせえ忘れろ」
その点は普通に恥ずかしかったらしく、縄をやや強めに壁際へ投げ捨てていた。
「――で、どうする?」
立ち上がって、ギートは階段のほうを覗く。
「まさか、ここで大人しく死ぬつもりじゃねえだろ?」
「もちろん」
私もギートの横に立って出口を窺う。
幸いにも二人まとめて同じ牢に入れられた。見張りの手間を省くためなんだろうが、こちらにとっても好都合。一人では何もできなくたって、二人なら様々なことができる。
「あの人の企みを皆に伝えて、魔道具の発動を阻止しなきゃ」
「んじゃ、まずはここから出るか」
「うん。でもその前に二つお願い」
袖を引いてこっちを向いてもらい、自分の左頬を指す。
「この辺を思いっきり殴ってくれる?」
「は?」
「ただし平手で。君に拳で殴られたら気絶しちゃう」
本当はそのくらいの衝撃がほしいが、さすがに気絶までしてる暇はないので妥協しとく。
「早く」
「ま、待てっ。どういう意味だ?」
何か警戒してるみたいにギートは後ずさる。っていうか、単純に引かれてるんだろうなこれ。
「深い意味はないよ。この後ちゃんと集中するために、いっぺん殴ってほしいだけ。せめてそうでもしないと私の気が収まらない」
「だからなんで」
「こうなったのは私のせいだから」
まだ、何かが胸にこびりついてる感じがする。それを一つずつ、吐き出していく。
「信用し過ぎたの。ほんとはよく知らない人だったのに、根拠もなく大丈夫だって、思いたくて思い込んだ。迂闊だった」
私は見つけたものを真っ先に彼に見せた。あの人がそれを見て何を思うか考えもせず、浮かれた心で安易に重大な技術を流出させてしまった。
「・・・あの人は本物の天才だから、私がいなかったとしても、いずれ自分で方法を見つけて魔道具を完成させてただろうとは思う。でも、実際に最後の一押しをしたのは私なんだ」
仮定の話なんか意味ない。起こるかもしれなかったことじゃなく、事実として起きたことだけが重要だ。
私にも等しく責任がある。
だけど、殴りたい一番の理由はそれじゃない。
「何よりも・・・あの人に失望されて、本気で落ち込んでる自分が許せない」
私だって失望した。軽蔑したんだ。なのに、そんな人の言葉がなぜか、つらい。
憤りが悲しみに変わって、重くまとわりつく。下手をすれば一歩も動けなくなりそうなくらいに。
それだけは絶対に嫌だし許さない。ぶん殴ってでも目を覚まさなきゃいけない。悲嘆も憧れも恩義も全部振り払って、身軽にならなきゃ私は―――
「どうどう」
抱き寄せられて、背中をぽんぽんと、優しく叩かれた。
赤ん坊でもなだめるみたいに。何を、と思ったが、彼の肩の辺りに目元が当たって、相手の服に沁みていくものを感じ、涙が浮かんでいたことに気づけた。
「お前が神じゃないことくらい知ってる」
少し呆れているような、ギートの声が降る。
「先のことまでわからなかったり、信用できると思った奴がそうじゃなかったり、そりゃあるだろうよ。どうしようもないことまで自分のせいにすんな」
まるで大したことない失敗を慰めるようなことを言う。私は洒落にならない事態を引き起こしたのに。
「・・・私のせい、だ」
「だから生意気だってんだよお前は」
優しく背をさすってくれていた手が、くしゃりと髪を掻く。
「そりゃこの頭は相当お利口なんだろうがな、てめえが他人の全部を操れるとまで思い上がるんじゃねえぞ。責任なんて人の分まで背負ってやるな。そういうのは余計なお世話っつーんだ。わかったか」
偉そうに言い放って、それが私の中にちゃんと沁み込むように、強く抱きしめてくれる。
「あの人だって神じゃねえんだ。むしゃくしゃしてたら思ってもないこと言ったりやったりするんだろ。たとえあの人が根っからの悪人だったとしても、それはそれだ。俺は一生、義眼をくれたことには感謝し続ける」
顔は見えないけど、ギートは笑ったみたいだった。
「好きな奴を無理して憎むな」
・・・ひどい人だけど、軽蔑したけど、あの人は間違いなく私にとって恩人で、憧れの人で。
その気持ちを否定しなくてもいいって、言ってくれるのか。
私のかわりに、私を許してくれるのか。
「・・・ギートのくせにかっこいい」
「文句あっかオラ」
頭をちょっとだけ強く掴まれた。
「こんな慰め方どこで覚えたの」
「錯乱してる時はこうしろっつったのはお前だろうが」
「そうだっけ」
「忘れんな」
力が緩んで、また優しく包まれる。
「いいから黙って泣け。泣き終わったらあの馬鹿ぶん殴りに行くぞ」
ああいいな、とても素敵な提案だ。
でもギートは気づいてないのかな。涙なんて、とっくになくなってるってこと。
「――ありがとう。もうやれる」
温かい腕の中から出て、顔を上げた。
希望の宿る藍色の瞳がそこにある。
「ギート」
両手をいっぱい伸ばして、彼の頬を包む。本当に、いつの間にこんな背が伸びて、頼もしくなったのだろう。
「他の誰でもなく、君がいてくれて良かった」
ギートは驚いた顔で固まっている。そういうところは、まだ可愛い。
私は微笑みのまま、もう一つの願いを口にした。
「左目ちょうだい」
「・・・は」
「君が私の作った義眼をしてくれてて助かったよ」
ルクスさんのじゃ封緘の呪文がわからなくて使えないからな。
私たちを連行したガレシュ兵はとことん頭が回らない人たちらしい。魔石と魔法使いを一緒に閉じ込めておくなんて迂闊の度を越してるぞ。
「誰も来ないか見張ってて」
「・・・わかった」
何やらがっかりした様子のギートから義眼を受け取り、鉄格子を正面にして座る彼の背に隠れた。そしてツナギのポケットから、小さな彫刻刀とやすりを取り出す。
「色々持ってんな」
「便利な服でしょ? あの人ら、ちゃんと身体検査しなかったもんね」
兵士から剣、魔法使いから魔石を取り上げさえすれば大丈夫とでも思ったんだろうが、魔技師の作業ツナギには、いちいち調べるのが面倒なくらい小さなポケットがたくさんあって、仕事道具が他意なく忍ばされている。彫刻刀とやすりさえあれば、義眼の魔石を加工し直すことができる。
「何すんだ?」
「トラウィスの王宮に事態を知らせる」
「は? どうやって」
「通信機っていうものがあってねー」
王都から持って来たものはエールアリーに置きっぱなしだが、刻んだ魔法陣は覚えてる。義眼の表面を一回削って彫り直せば、リル姉の持ってる通信機に繋がるはず。
果たしてガレシュまで繋がるのかどうか。通風孔の明かりを頼りに、小さいところになんとか彫ってみる。放出する魔力量を気持ち多めに調整し、これでいければ。
「アントルゥフ」
開封の呪文は《駆け抜ける》。
淡く光り出す緑の石を手の中に隠し、ありったけの願いを込めて呼びかけた。
「リル姉、助けてっ」
神に祈るみたいに両手を組んで、何度も繰り返す。
そして、
『――エメ?』
女神の福音が、聞こえた。




