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「百年前の《荒れ地》を作り出した魔道具を再現したものなんだ」
ルクスさんは嬉々として語り続ける。
「昔からずっと作りたくて、ようやく完成できた。たぶん、おかしなところはないと思うけど、君の目から見てどうかな?」
言いたいこと、訊きたいこと、それらがどんどん早まる鼓動に押し出されて喉の辺りで詰まってしまってる。
その隙間から、やっと零れ出たのはか細い呻き。
「・・・どうして」
どうして、こんなものを作ってしまったのか。
これがあるから、ガレシュは無茶な攻勢に出たのか。いざとなれば、土地ごと逆らう者を消してしまえるから? 最強の兵器をかざして降伏を迫れるから?
そんなものをこの人が作ったというのか。
何一つ信じられず、見つめれば微笑まれた。
「君のおかげだよ」
息を、呑んだ。
「これまで、この魔道具を作りたくても十分な魔力量のある石を見つけられなかったんだ。だけど、君が魔力を移す魔法陣を考え出してくれたおかげで、人工的に強大な魔力を内包する石を作ることができた。僕も知らなかったんだけどさ、とことん魔力を込めてやると魔石は緑を超えて青くなるんだよ。おもしろいよねえ」
ルクスさんは、私の問いかけを「どうして作ることができたのか」という意味で取ったようだった。
たまたま作ることができたから、作ってみたとでも言うのだろうか? 興味本位で。
それを可能にさせたのが、私が魔道具を普及させるために開発した魔法陣?
「この特大の魔石はね、ガレシュの鉱山から採れたものなんだ。もともとあっちが持ち掛けてきた話ではあるにせよ、ガレシュ王は本当によく僕を信頼して、協力してくれた。彼は君の王よりずっといいよ。若くて行動力があって、野心に溢れて、好奇心旺盛で、柔軟で、革新的で」
くすり、とルクスさんは笑む。
「途方もなく、愚か」
最後の言葉が重く胸に落ちてきた。まるで私自身に言われたような、気がして。
同時に、それまでなんの邪気もなかった人の顔に暗い影が差す。
言い知れぬ不安を感じ、私は再び魔石に目を向けた。知らない文字や術式がたくさん使われているから、何が書かれているのかすぐに読み解けはしない。けど、ざっと全体を眺めた時、必ずあるべきはずの文字群がないことに気づけた。
「・・・発動位置の指定がない」
魔道具でも普通の口頭魔法でも、魔法の発動位置を指定する文言を呪文や魔法陣に組み込む。組み込まなければ、魔法はその場で無軌道に効果を発揮してしまう。ということは、
「あなたはトラウィスでもティルニでもなく、ガレシュを破壊するつもりなんですか?」
背筋が凍った。
ガレシュ人を欺いて、彼が本当にしようとしていることは・・・
「破壊は現象の一部に過ぎない。目的とは違うよ」
拍子抜けするほどルクスさんの調子は変わらなかった。いつの間にか影も消えている。
私は落ち着きたくて、まず息を吐いた。
「あなたの目的はなんですか」
「異世界へ行くこと」
「えっ――」
「魔法陣をよく見て。単なる破壊にこんな面倒な術式はいらないだろう? 百年前もそうだ。ミトアの民は自滅のためにこれを作ったわけじゃない。《荒れ地》ができたのはあくまで不可抗力だったんだ」
何を言い出したのか。
ひたすら困惑していると、ルクスさんの説明は続いた。
「エールアリーで、僕らは神の存在について議論したよね」
それは、私の最大の発見である魔法陣を生み出した夜のこと。お互いの作業の合間に、息抜きで交わした他愛ない会話だったはずだ。
「君は、神とは別の次元にいる存在じゃないかと言ってた。僕らが普通には決して行けない場所にいる、いわば異世界にいる存在だとするならば、僕らより移動できる場所や扱える物理単位が多い分、彼は僕らの知り得ない多くのことを知り得るだろう。ところで」
ルクスさんは覗き込むように頭を傾けた。
「君の知識はこの世界のものではないよね?」
問いかけながらも口ぶりは確信に満ちて、彼は私の胸元にある魔石に指先を触れた。
「エメ、僕は魔石から『声』が聞こえる」
自らも秘密を明かすように囁く。
「開封の呪文や封緘の問いかけじゃない。いつでも好き勝手に人の頭の中で喚いて、その断片を繋ぎ合わせていくと、知識になる。意味のない耳鳴りじゃない。元素のこと、目の仕組みのこと、空を飛ぶ力、そしてこの魔道具のこと、僕は実験で確かめながら少しずつ理解していった。君もそうなんじゃないの? 『彼ら』に教えられたんだろう?」
「・・・『彼ら』?」
「地上から消えたミトアの民さ」
再び、言葉に詰まった。
「まだ気づいてなかった? 彼らは死んでない。いわゆる神と呼ばれるものになったか、あるいはそれに近しい存在になったんだ。この魔道具はそのためのもの。すなわち、高次の存在に成り上がるための道具なんだ」
百年前の魔道具が破壊兵器じゃなくて、神になるためのものだった? ミトアの民はいまだに別の次元に生きていて、魔石を通して語りかけてきていると?
信じるにはあまりに突拍子なさ過ぎる。
けど・・・頭の中で喚く声なら私も聞こえる。
そして一つ、思い出したのは、魔石から解き放った魔力がある地点で必ず消える現象。まるで、どこか別の世界へ行ってしまってるみたいに思えていたが、もし、その想像が合っているとしたら。魔力が、次元を超えて作用する力なのだとしたら。
私がリル姉に作った通信機みたいに、魔力を使えば別の次元の存在と交信できる? それが魔石の声の正体? だとしても。
「わかりません。どうしてミトアの民であると言えるんですか?」
「彼らの声をずっと聞いていれば想像できるよ。彼らは僕に対して妙に友好的で、なおかつ、しきりに『復讐』という言葉を口にする」
復讐。人間臭い言葉だ。
ルクスさんは嗤っていた。
「滑稽だろ? 高次の存在になって、世界の真理を多少は知ったんだろうに人間の本質は変わらないんだ。彼らは自分たちを蹂躙した異民族を憎み、復讐を望んでる。君も魔石から聞いたんだろう? 『滅びの日、夢を見るのは』。そして君は答えた。『人間』と」
滅びの日、夢を見る―――滅びの日を夢に見る、人間? つまりは、滅びを望むミトアの民?
それが私の魔石の開封と封緘の呪文になったのは、偶然か。
「彼らの目的は破壊しかないだろうね」
思案に沈みそうだったところ、ルクスさんの言葉に意識を呼び戻される。
「破壊・・・そうですよ。あんな荒れ地を生む程の威力を受けたら、人間の体なんか塵になります。別の世界に行くどころの話じゃない」
「うん、だからね、いわゆる『天』だとか『魂』だとかの正体って、そういうことじゃないかと思うんだ」
「え?」
「僕らの中に『魂』という『器官』が存在するとしよう。そこには人格や記憶が保持されている。そして目に見えないその器官は、異次元のものである魔力を感知し利用できる能力を持つ。ついでに言うと、魔法使いというのは、その能力が先天性かあるいは環境要因によって発達した者なんじゃないかな。――すなわち、この道具は魂に作用して、いわば意識だけを高次の世界に連れて行くものなんだ。その際、肉体は破壊されてしまうけどね」
それをもっと簡単に言い換えるならば、
「・・・死後の魂を天国へ運ぶ道具?」
「そうそう、そういうこと」
ルクスさんは満足そうに深く何度も頷いた。
「国中の魔石を掻き集めて魔力を詰め込んだから、計算上では大陸全土に効果は及ぶ。もし誰も次元を超えられなければ、彼らの復讐は完璧な形で果たされるだろうね」
「は!?」
大陸全土、だって? 本当なら百年前の比じゃない規模だ。ガレシュだけじゃなく、何もかもを破壊してしまうつもりなのか、この人は。
「どうして、そんな」
「確実に存在を別の次元に留まらせるためには、莫大な力が必要になるんだよ。それだけの力を発動させたら、どうしたって効果の範囲は広く、副作用も大きくなってしまう」
「でも、百年前だってそこまでの威力はなかったでしょう?」
「うん、だけど、確実な成功を求めるなら魔力量は多いに越したことはないよ。あと一応の雇い主にも、トラウィスとティルニの都まで届くものを作れって注文されたからさ、そっちの要望もちゃんと叶えてあげられるだろう?」
そういうことじゃないって、わかっているだろうに。
ちょっとした悪戯を告白するような、まったく深刻さを感じさせない雰囲気に、私は奥歯を噛み締める。
「・・・あなたの仮説は全部ただの妄想かもしれない。もしそうじゃなかったとしても、誰も次元なんか超えられないかもしれない。それでも試すと言うんですか」
「当然。万の失敗があっても一の成功があれば十分だ」
平然と、万人が死んでもいいと言う。
「確かな知識を得られている以上、この『声』は妄想なんかじゃないさ。だけど残念ながら、彼らの言葉を今の僕では理解しきれない。君も知の限界は感じてるだろう? 知りたいことを知るためには先へ進まなくてはいけない。古いものを捨てて新しい道を行く。すなわち進化だ。すでに僕らは一歩踏み出している」
ルクスさんは明るく未来を語る。
「変異は個体の中で常に少しずつ起きている。思うに、こんなにはっきり『声』が聞こえる僕らは、他の人たちよりもほんの少し、異次元に近い場所にいるんだよ。であればこそ、成功の可能性は大いにある」
さあ、と彼は腕を広げる。
「実験してみよう。君がいれば必ず辿り着ける」
その表情に見えるのは純粋な信頼と好奇心。
それらを正面から向けられ、胸の奥でうずくものがある。
魔法の謎、魔石の声の正体、そして私自身に起きた転生という現象の理由まで、この魔道具は解明してくれるのかもしれない。また、扱える物理単位が多くなるということは、計算式に組み込める項が増えるということで、より詳細に真理を読み解けるということで、私が二度の人生を通して知りたくても知れなかったこと、したくてもできなかったことの多くが、なくなるかもしれないということだ。
本当なら信じられないような仮説も、ルクスさんが言えば真実味を帯びる。彼の、この世界のレベルから逸脱した知識と、私自身の体験を併せて考えれば、根拠のない妄想だと切り捨てられない。
こういう時は、何よりもまず試してみればはっきりする。
私も、彼も、ずっとそうしたやり方で新しい道を拓いてきた。
だけど――だけど。
「・・・できません」
胸が苦しくて、振り絞るような声しか出ない。なぜこんなに苦しいのかはわからない。
でも伝えなければいけないから、腹に力を込めた。
「私は、あなたに協力できません」
ルクスさんから笑みが消えた。
驚いたように、口をぽかんと開けている。
「・・・どうして?」
その問いかけにまた胸が軋む。
どうして、なんて、どうして訊かなければわからないんだ。
「家族がいるからです」
痛みに耐えて、言葉を紡ぐ。
「友人がいるからです。大切なものがたくさんあるからです。この世界の誰もが等しく、それらを持っていることを知っているからです。ルクスさん」
呼びかける。
「これは復讐なんじゃないですか?」
一瞬だけ、彼の笑顔に差した影は、きっと幻じゃない。
「あなたの祖先を蹂躙し、奴隷のように扱っておきながら、反省せず過去を繰り返す人たちに対して、腹を立てているだけなんじゃないですか?」
想像してみた。過去に自分の家族にひどい仕打ちした国の者が、性懲りもなく協力を求めてきた時の気持ちを。
黒い感情が渦を巻き、思い知らせてやりたくなる。
あるいはもしかしたら、彼は魔石から聞こえるミトアの民の呪詛に、心を侵食されているのではないのか。彼らの憎悪がうつってしまって、過剰なまでの威力を持つ魔道具を作ったんじゃないのか?
だとしたら冷静になってほしい。本来の彼に、戻ってほしい。
ルクスさんは沈黙していた。至極冷静な表情で私を見つめ――小さく、肩を竦めた。
「うん、そう、復讐だよ」
静かに頷いた次に、
「――と言えば、君は納得するの?」
彼は、首を傾げていた。




