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リル姉に処方してもらった薬が効いたのか、おかしな声はそれから聞こえなくなった。単なる一時的な疲労症状だったのかもしれない。
おかげで体調を崩すことなく私は出張前の仕事をてきぱき片付け、出発の三日前の今日にはもう、義眼の受け渡しを残すのみとなる。
「どう? 見え心地は」
再び魔道具店に来てもらい、できたばかりの義眼を嵌めたギートは、藍色の両目をきょろきょろ動かした。試験通りの良好な動作だ。ノートの検査項目にチェックを入れる。
「見える」
手鏡で見た目も確認し、ギートは二度頷いた。匠の業も相まって、じーっくり観察しなければ義眼とはわからない出来栄えだ。我ながら満足。
「遠近感は掴めてる?」
「問題ねえ」
ギートは作業台の中ほどに置かれたカップをスムーズに持ち上げた。よしよし。チェックを付け、ノートを閉じる。
「よかった。残りは戦闘時の使用感のチェックだけど、その辺は帰ってきてから感想を聞くよ」
「細かいとこまでどうも」
「いえいえ」
出張前の一通りはこれにて終了。
達成感に浸っていたら、急にギートが席を立ち、テーブルを回ってきた。
「? なに?」
「手ぇ出せ」
あまりいい予感はしない言い方だ。躊躇しているとギートはこちらの右手首を掴み、ポケットから取り出した小さな紙袋を手のひらの上で逆さまにした。
落ちてきたのは、銀細工の小さなイヤリング一組。
雪の結晶に似た花の形が意匠されていて、非常に小ぶりな分、その繊細さが際立つ。
なんなんだ一体。
「・・・貢ぎ物?」
「俺はこの義眼こそ、そうだと思ってるがな」
ギートは紙袋を丸めてまたポケットにしまい、返品は受け付けないとでも示すように腕組みをする。
「何度も言うが、お前を助けたのは仕事だ。勤務中でちゃんと金もらってるし、余計に苦労した分は昇進に繋がってる。本来は礼なんぞいらねえんだ」
「じゃあもしかして、これは義眼のお返し? そんなの」
「いらねえだろ? わかってるよ。そいつは餞別だ。そもそも義眼の対価になるほど上等なもんじゃねえ」
餞別とは、エールアリーへの出張の、ということだろうか。それこそ業務なのだからいらんことだ。
「どんなものだとしても、もらえないよ」
「わかった、やらねえ。貸す。戻ってきたら返せ」
いけしゃあしゃあと、聞いたようなセリフを。
「親切心で言ってやってんだ。雷、まだ怖ぇんだろ?」
ギートは意地悪く笑む。
そうか、金属。銀の通電性はなかなかに高い。すなわち、何より恐ろしい雷がこの身に落ちたとしても、銀細工のイヤリングを付けていれば、そっちに電気が流れて助かる。私が鉱山で言ったことを覚えていて、これを選んでくれたわけか。
「夏は雷も多くなるだろ。そんなんでいちいち錯乱して、周りに迷惑かけたくなけりゃ持ってけ」
私はいつもいつも雷が鳴るとパニックを起こすわけではないんだけどな。昔に比べれば、だいぶ傷も癒えてきている。雷剣作りをできたことがその証拠。もっとも、ギートには確かに鉱山で迷惑をかけてしまったので言い返せないが。
「別に、必ず付けろとは言わねえよ。嫌なら雨雲のある日だけポケットにでも入れとけよ。少しは落ちつけるだろ」
「・・・まあ、そうかもね」
ギートはいつの間にか笑みを消している。そんなふうに真面目な顔で言われると、純粋に気遣われているだけのようにも感じられる。さて、どうしたもんかな。
「借りていかないと、どうしても気が済まない?」
「済まない。俺の善良な心が痛んで、義眼も受け取れねえかもな」
これじゃあ脅しだ。結局損するのは自分なのに、必死だなあ。
それが妙におかしくて、今回ばかりは折れてもいい気分になれた。
「わかった、君の良心のために借りていくよ」
「そうしてくれ」
気持ち、ギートは肩の力が抜けたようだった。ほっとしたのかな。
「今度ばかりは、たとえ俺の運がどんなに悪かったとしても巻き込まれてやれねえからな。自分の身は自分で守れよ」
「大丈夫。もう何も起きようがないよ」
統治する人が変わって一時期混乱していたエールアリーだが、今はすっかり治安が良くなったと聞いている。少なくとも人為的な命の危機に晒されることはないだろう。
心配を軽く流したところで、今日は半休だったギートは、午後の仕事のため早めに帰ることになった。
私も店先まで見送りに付いて行く。すると、
「・・・」
不意に、ギートが入口で立ち止まった。
「? どうしたの?」
なんだかわからないが、店の前の通りを見つめて動かない。一体何があるのか、背中越しに覗き込もうとしたら、こちらを振り返った。
「――なあ。最近、周りで妙なことはねえか?」
これまた脈絡のない問いだ。
妙なことといえば耳鳴りがそうだが、聞かれていることとはおそらく違うだろう、と思う。
「特に何もないけど、どうして?」
するとギートは難しい顔になる。
「・・・いや。それならいい」
「なんなの?」
「なんでもない。じゃあな、気をつけて行って来い」
「あ、うん。ありがと」
ギートは足早に去っていった。
なんだろう、まだミュージカルファンのことでも警戒してるんだろうか。
改めて通りを見回してみるが、別に様子のおかしい人などはいない。それとも、さっきまではいたのだろうか。ギートは何を見ていたんだろう。
なんとなく違和感は残ったものの、本人がいなくては問い詰めようもないので、とりあえず仕事に戻った。
**
いつかのように、出発の日は晴れ渡る青空が広がっていた。
エールアリーへは途中まで船を使うため、天気の良い日が選ばれたわけではある。今度も大きな船に乗っていくが、派遣員は私と医療団の人が四名、護衛兼手伝いの兵士がせいぜい五名程度で、非常にコンパクト。
他の大勢の乗組員は、まったく関係のない貿易の荷運びと護衛の人たちばかり。私たちはいわば荷の一つとして乗っけてもらうのだ。
「ジェドさん、エメをくれぐれもよろしくお願いしますね!」
リル姉が元上司に向かって、さっきから何度も力強くお願いしている。
出発前の港、私を見送るためにわざわざ店を閉め、ジル姉とモモも来てくれた。いいって言ったんだけど、そういうわけにはいかないそうだ。
魔道具店の従業員たちも来てくれようとしていたが、そんな大勢に見送られても恥ずかしいから、そちらだけは断ったものの、案の定、リル姉の心配が爆発して結局恥ずかしい。
ジェドさんはすっかり辟易している。
「ようやくお前のお守りから解放されたってのに、なんで妹の面倒までみにゃならんのだ」
「だってエメはこんなに可愛くて美人なんですよ? 街で変な人に絡まれたりしたら大変ですっ」
「いや、大丈夫だから。ジェドさん、気にしないでください」
やれやれと首を振るジェドさんに一応言っておく。どうせ本気にはしないだろうけど。そんな律儀な人じゃないからな。
「薬は持ったか? 少しでも頭が痛む時にはすぐ飲むんだぞ」
ジル姉もまた何度も同じことを言ってくる。そろそろ苦笑してしまう。
「はいはい。お土産は葡萄酒でいい?」
「うまいのがあればな。ただし、お前は飲むんじゃないぞ。薬と酒をあわせて飲むのは危ないからな」
「わかってます」
「エメー、あたしのお土産は魔石な。緑の濃いやつ」
一方で、甥っ子のほっぺをふにふにいじりながら、まったく心配してくれない妹もいる。
「無理だってば。魔力切れのならいくらでもあげるけど」
「いらねー」
「ちゃんとしたのは魔法学校でもらいなよ」
「ちぇ。じゃあ、もうお土産はいらないから早く帰って来いよな。エメがくれた問題集、全部解いておくからさ」
「はいはい」
「エメねーちゃ、はやくかえってね!」
「うんうん、リオも良い子で待っててね」
なんだかんだで可愛い妹と甥っ子の頭を順番になでていると、
「あら? エメ、これは?」
ジェドさんに逃げられてしまったリル姉が、耳に触れてきた。
そこには、よく見ないと髪に隠れて気づかないくらい控えめな、小さいイヤリングがある。
「ああ、これ? 雷よけのお守り」
せっかくだし、付けないのももったいないので。
「それだけで雷をよけられるの?」
「うん。だから何もかも大丈夫だよ」
身を守る知恵も力もすでに十分持ってる。リル姉たちには心配し過ぎないで待っててもらいたい。
「じゃ、行ってきまーす!」
船が白い帆を広げ、青い海に繰り出していく。
家族に大きく手を振り返し、それが見えなくなったら、進路前方へ目を向けた。
「ほらよ」
すると、頬に何かを押し当てられた。
私と同じように船べりに腕を置き、ジェドさんが布の袋を寄越してくる。
「なんですか?」
「言っとくが、俺はガキの使いになった覚えはない。次は捨てるからな」
詳しい説明はなしで、なんでかいきなり怒ってきた。
ともかくも受け取った袋を覗いてみると、中には飴やクッキーなどのお菓子とカードが入っていた。
『旅のお供に。君の活躍と幸運を祈る』
簡潔ながら、優しい心遣いがカードに綴られている。署名はないが、アレクの字だ。すぐわかる。
見送りに来れないかわりに、たぶん王族の主治医あたりに手渡し、ジェドさんまで回って来たのだろう。このくらいのお使いで不機嫌にならないでほしいもんである。物のついでじゃないか。
「ありがとうございます。ジェドさんもお一つどうぞ」
「菓子は好かん」
ふいと背を向け、船内に消えてしまった。ほんと気難しい。
たくさん入っている袋から飴玉を一つ取り出し、口に放り込む。はちみつベースの甘く、幸せな味だ。
心配されたり色々持たされたり、つくづく私って愛されてるよなあ。
だからこそ、もらった以上のものを誰かに返していきたい。
エールアリーの人々の具合はどうだろうか。公害の後遺症を治す魔法はほんとに効くだろうか。彼らを今度こそ、曇りのない笑顔にできるだろうか。
不安もあるにはあるが、期待のほうが大きい。うまくいってもいかなくても、次に繋げられる。試行を続ける限り絶対に、なんとかできることを私は知っているから。
順風満帆な視界には希望だけが映っていて、例えば晴れ渡る空の向こうに、暗雲が忍び寄っているなんて想像は、まさか思いつくわけもなかった。




