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 高らかに、魔女が命じた。

「イグウォスっ!」

 彼女の手のひらから業火が生まれて突き進む。渦を巻き、石壁の建物全部を飲み込まんばかりの威力。その狙いの先に、待ち構えるはクリフだ。

 炎は目標にぶち当たって爆発を起こした。術者、メリーの銀髪が熱風に踊り、結い上げている私の赤髪や、周囲の魔法使いたちの白いローブも激しくなびく。容赦ねえ。

 やがて爆風が収まり、炎の影が失せると、しかめっ面で両手を前に突き出したままのクリフが無傷で立っていた。

「おぉ」

 私と、周囲からも低めの歓声が上がる。一方でメリーは意外そうに言った。

「あら。生きてるわ」

「殺す気か」

 クリフのほうは盛大に詰めた息を吐き出した。さすがの彼も緊張したのだろう。なにせ、トラウィス最強の魔女の魔法を、逃げも反撃もせずに受けなければならなかったのだから。

 それを彼は見事にやってのけた。

「殺そうとしても殺せないわ。マティの魔法だものっ」

 でしょう? となぜか一番得意げに、メリーがこちらを振り返る。自信満々の笑顔は眩しいばかりで、きれいになったなあと、私は場に関係のない感想を抱いた。

 そんな笑顔は、私の横で控えめながらも頷いた人に、向けられているものである。

「完成おめでとう」

 私も隣へ心からのお祝いの言葉をかけた。学生時代の名残のそばかすがようやく消えた顔を、ほんのり紅潮させて、マティは気弱げに笑い返す。

「君の協力のおかげだよ。出張前の忙しい時に付き合わせてごめん」

「ううん。出かける前に結果を知れてよかったよ」

 クリフへ近づき、彼に触れようと手を伸ばすと、指先が何かにぶつかる。目に見えない、だけど不思議と触れる透明な壁。爆発に巻き込まれても熱を持たず、叩いても音は鳴らないが分厚いガラスのような硬さがある。

 これは、魔技師が魔石をコーティングする時に使う魔法陣を口頭呪文に応用した、魔法の防御壁。マティが何度も何度も、それこそ気が遠くなるくらいの試行を重ねて少しずつ創り上げていった、完全新作オリジナルの魔法である。

 今、行われたのが強度実験。現在のところ所内で最大威力の魔法を使えるメリーは実験の助っ人に駆り出され、折に触れて相談を受けていた私もお呼ばれし、その素晴らしい成果を目の当たりにできた。

「一度にけっこうな魔力量を使うから、このくらいが実用的な範囲の限界でね・・・」

 マティの説明を聞きながら、他の研究員とともにぺたぺた触っていくと、大体クリフを中心に横は直径一メートル程度の範囲、真後ろとなると防御壁が届いていない。それでも前面と左右、頭上を守れているのでわりと十分ではないかと思う。実際、火にまかれてもクリフは服に焦げ目一つ付いてない。

「できれば、もっと大規模に展開できるようにしたいんだけど、そうすると、どうしても使える人を選んでしまうことになって」

「それにしたって画期的な魔法だよ。今まで誰も身を守るための魔法を考えてこなかったもんね。あのクーイーですら」

 過去の偉大な研究者の名前を出すと、マティは恐縮していた。

「彼の創ったものに比べたら、僕の魔法なんて地味で弱気なもんだけど」

「そんなことない。他を傷つけず身を守る、君らしい素敵な魔法だよ」

 成し遂げた人には無限大の称賛を。

 マティが制作に携わった呪文はこればっかりじゃない。一つずつ功績を積み重ねていく彼を、友人として誇らしく思う。

「僕の力じゃないよ。僕がしたことなんて、先人たちが築き上げた塔の上に、ほんのひとかけら、石を乗せた程度のものだから。ほんとに、それだけだから」

 謙遜でもなく、マティは心からそう考えているように至極真面目な様子で話してくれた。彼の謙虚さには頭が下がる。

「もっと自慢してくれていいのに」

「あはは・・・そうだね。僕には、僕の拙い思いつきに協力して、実現してくれる頼もしい仲間がいるんだって、よその人には自慢しておくよ」

 マティは、メリーや同じ研究チームの人たちを眩しそうに見つめていた。そういう君だから、誰もが力を貸してあげたくなるんだ。


「ところで、最終的な呪文はどんな形になったの?」

 クリフが呪文を唱えた時、ちょっと私のところまでは声が聞こえなかったのだ。するとマティは肩かけ鞄の中を漁り始める。

「そうだった、前に相談してからまた色々変えたの言ってなかったね。ええと、詳しくはここに・・・」

 マティがぼろぼろのノートをめくり、該当箇所を探しているうち、他からも彼を呼ぶ声が上がった。

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」

「マティ、ノートだけ貸して。勝手に見てる」

「あ、う、ごめんよ」

 私にノートを預け、マティは慌ただしく呼ばれたほうへ駆け寄っていく。

 適当なページを開くと、細かい字でびっしり書き込みがなされている。彼の字は往々にして小さく、大事なところだけ太字で示されている。

 通常より長い防御壁の呪文の単語ごとに下線を引いて、なぜこの文字が構成要素として選択され、なぜこの場所に配置されたのかが詳細に記されていた。最初からめくっていくと、魔法陣を分解し、呪文へ変形していく過程での、彼の思考の軌跡がよくわかる。下手な物語よりもずっとおもしろい。

「・・・」

 読み進めるうち、私の中にある考えが浮かび上がってきた。

 これは、だけど―――

「――っ!」

 途端、こめかみに痛みが走った。

 何か、耳の奥でわんわん鳴っている。そこで誰かがけたたましく、必死に叫んでいる。

 罵倒するような、称賛するような、そして急かすような声。男とも女とも、老人とも子供ともわからない声が幾重にも響く。

「ちょっと、どうしたの?」

 たまらず耳を押さえてうずくまったら、メリーが傍に膝をついた。

 彼女の声が間近に聞こえると、頭の中の声は急激に遠ざかる。やがて軽い頭痛のみを残し、完全に失せた。

「まさか私の魔法が当たってた?」

「・・・いや」

 もしメリーの魔法が当たっていたのならば、すでに全身火だるまだ。心の中でつっこんだら、ちょっと笑えた。よし、なんとか大丈夫。足に力を入れて立ち上がる。

「なんなの? 貧血?」

「あー、うん。そうかも」

「己の体調管理もできんのか」

 防御壁の魔法を切ったクリフからは容赦ないお言葉を頂戴した。決して心配されることが愉快なわけではないけども、彼は一回くらい心配そうなフリをしてくれてもいいんじゃないかと思う。

 にしても、今のはなんだったんだろう? 空耳というよりも耳鳴り。しかもとびきり激しい。頭がくらくらした。

 体調はすこぶる良好なはずだが、知らず知らずに疲れが溜まっていたのか。単なる幻聴なのか。

 しかし、あの声は、どこかで・・・。

 私は胸元の魔石に手を触れた。ルクスさんにエールアリーで半分渡してから、ろくに使っていないため、それはまだトパーズのような黄色。

「――ねえ、メリーとクリフは誰かの声がうるさいくらい聞こえたりしない?」

 試しに訊いてみると、二人は顔を見合わせた。そしてメリーが憐れっぽい目をこちらへ向ける。

「あなた病気なんじゃない? 出張やめなさいよ」

「行けるよ。大丈夫だよ」

 残念、はずれ。二人には経験のない現象らしい。もしかしたら、魔法使いに共通して起きるものかと思ったんだが。

 なぜって、けたたましさのどこかに、この胸元の石の声が、まざっていた気がしたから。



 その後、具合が悪いならさっさと帰れと試験場を追い出され、あえて居座る理由もないので大人しく工房に戻り、そこでノートの内容を思い出しながらメモに書き殴った。ティフが私の周りをうろちょろして何か訊きたそうにしていたが、ごめん、一旦無視させて。

「・・・なんじゃ、これは」

 私が作業台に放り出したメモを、老師が無造作に取り上げた。

「マティが創った防御壁の魔法を見て、思いついたことがありまして」

 言いながらもメモを書き続ける。新しい呪文や魔法陣を書いているわけではなく、とりとめもなく湧いた思考を片っ端から書き出し整理してるだけ。

 隣の椅子に老師が腰を降ろす。私が投げるメモを次々に受け取り、無言で読んでいるようだった。

 十枚辺りで、私はようやく気が済んだ。ペンを置き、老師を見やる。

「読み終わったら返してください。燃やすんで」

 それは実現する気のない、しても価値のないアイディアだから。

「・・・防御壁を壊す魔法か?」

 一読で老師にはバレた。

「ええ。でも創りません。マティに泣かれちゃいますし」

「そうしとけ」

 呪文を唱え、手のひらの上で老師がメモを燃やす。

「お前さんは、その上等な頭を制御する必要があるんだろうよ」

「そんなに褒めなくても」

「褒めとらんわ。思いつくことを片っ端からやるなと言っとるんじゃ」

「わかってます」

 試しに手を出してみることはあるにしても、そこで発見できた技術などを世に知らしめるかは別の話。世の中に言って良いことと悪いことがあるのはほんと。未来は常に警戒しなくてはならない。

 残りのメモをまとめて掴み、火をつける。

 跡形もなく燃やしてしまい、ついでに尋ねた。

「老師は目眩がするほどの耳鳴りを経験されたことはありますか?」

「なんだって?」

 結局言い直しても、そんなの知らんと返された。

 うーん、一体なんなんだろうなあ。


**


「疲れが出てきたんじゃないかしら」

 一通り問診を終え、リル姉は悩みながらも診断を下した。

 空が茜色になってきた夕刻、まだ旦那が帰ってきていない屋敷にお邪魔し、リル姉の部屋で私は軽く診察を受けていた。王宮からの帰り際に寄ってみたのだ。ちょっと野暮用があったもので。診察はそのついで、念のためだ。

 なんでか執拗に肩車を求めてくるリオのことは屋敷の使用人に頼み、二人向かい合って椅子に座っている。リル姉はテーブルに薬草の本と膝に手書きのノートを広げて、私が訴える症状に効くものなどをあれこれ調べてくれていた。

「神経過敏になってるのかも。一番いいのは少し休むことでしょうね」

「そっかぁ・・・早めに寝るようにする」

 そういうことじゃなくて、一度がっつり休みを取れということなんだろうとは自分でわかってる。そしてリル姉はたぶん、私がわかっていることもわかっていて、何も言わずに「仕方ないわね」って感じに肩を竦めていた。

「精神を落ちつけるのと、体力を回復させる薬草をメモしておくわ。全部お店に在庫があるはずだから、ジル姉に調合してもらって。くれぐれも無理は禁物よ」

「うん。ありがと」

 診察は終わり。メモを受け取り、ポケットにしまう。そして、かわりに石を取り出した。

「リル姉、これが例のもの」

 妙な言い回しを使ってみたが、別になんてことはない、片手で隠せるくらいの小さな魔石だ。ただし濃い緑色で魔力量はそれなりのもの。さらに、特殊な魔法陣を刻んである。

 リル姉はわざわざ両手で、石を慎重に受け取った。

「ええと、なんて言ったかしら。これ」

「《通信機》だよ」

 もう一つ、同じ魔法陣を刻んだ石をポケットから取り出し、開封する。そして両手で覆い隠し、隙間に囁きを落としてやると、

『今日の夕飯は何?』

 リル姉の手元にある石が喋った。

「っ、今の、エメの声?」

「おもしろいでしょ?」

 これは石どうしを繋ぐ魔法陣を応用した、いわゆる電話だ。呼び出し音などの気の利いた機能はなく、今のところ同じ魔法陣でマーカーされた石どうしでしか通信できず、ダイヤル回してあちこちに連絡なんて器用なこともできないが、電話線も電波状況も関係なく話せる。

 でも、まだ完成品じゃない。

「この魔道具の通信距離の限界を試験したいんだ。エールアリーから王都まで繋がったら、実用的って言えると思うんだよね」

 魔法の原則として、その効果を及ぼせる距離には限界がある。たとえどんなに巨大な魔力を操れても、あまりに遠く離れた場所は位置指定することができず魔法が使えない。ミトア語に距離を表す単位がないせいである。

 だが、魔石どうしを繋ぐ改良型魔法陣には位置指定がない。よって、もしかしたらこの通信機、どんなに遠くからでも通信できる可能性がある。それを、出張がてら実験してみようというわけだ。

「これでリル姉にもエールアリーの状況を伝えられるでしょ?」

 本当は今回の出張、リル姉も行きたがっていた。でもリル姉はもう王宮の薬師ではないし、リオもいるから行けるはずもない。なので通信機がうまく機能すれば、一石二鳥。

「ばっちり実況するからアドバイスちょうだいね。頼りにしてる」

 リル姉はくすくす笑って、頷いてくれた。

「わかったわ。まかせて」


 それからもう少しだけリル姉と話し、体調についてはよく気をつけるよう再度注意されつつ、暗くなる前には屋敷を出た。

 リラックスしてお喋りしたおかげだろうか、気づけばわずかに残っていた頭痛は完全に吹き飛び、薬も飲んでないのに調子がずっとよくなっていた。

 私にとって一番の特効薬はリル姉なのかもしれない。どこぞの将軍様じゃないけども。

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