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「・・・ヴォルファ」
開封の呪文を唱えると、魔石の中で光が渦を巻く。表面に魔法陣を彫ったそれを作業台に置き、続けてもう一つ、何も彫られていない魔石を開封する。
「サーンムェ」
それも台に並べて置き、少し離れたところから観察を始める。
何も彫られていない魔石からは紅の煙のようなものが上がった。もやもやと部屋を漂い、顔の横まで来た煙の破片に指先を触れさせれば、一瞬で私の中に吸い込まれた。
「なんなの? これ」
魔道具店の奥の作業場に、見学に来たモモが首を傾げた。私は煙から片時も目を離さないでそちらに応じる。
「魔力を可視化したの」
片方の石の魔法陣には、もう片方のまっさらな魔石が空間中に放出する魔力に、色をつける効果を持たせた。さながら、風の流れを煙で知ろうとするように。
「この煙が魔力そのものってこと?」
「そう。魔力に反応して発光するようにしてる」
「・・・なんのために?」
「この力がどこへ行くのかを知るため」
人類が利用できる大部分のエネルギーは太陽を起源とする。そして物質と違い、エネルギーは循環しない。最終的にはすべて熱エネルギーに変換され宇宙へ拡散する。
では、ミトア語を介してしか変質しない魔力はどうなのか。
この力の起源を辿ることは難しい。地中深くから魔石が出てくることを考えれば、惑星内部に存在するなんらかのエネルギーなのかもしれない。地球であればコアにあるのはマグマだが、魔石は火成岩などとは違う。あらゆる方法を駆使して分析しても構成元素が判然としない、もっとふざけた物質だ。そんなわけのわからない物質が内包している力について、定かなことが言えるはずもない。
よってどこから来たのかの議論はひとまず横へ置いといて、どこへ行くのかを考えてみる。
呪文や魔法陣によって、何か別のエネルギーに変換された場合は、おそらくそれらは最後に熱エネルギーとなって彼方へ行くだろう。
だが、ただの魔力として放出された場合は?
魔力はミトア語に触れなければどんな力にも変換されない。その原則が守られるのならば、この紅の煙は魔法が解けるまで消えないはずだ。
しかし。
「――あっ、消えた」
魔石から放たれてしばらくすると、煙は一瞬で掻き消える。徐々に薄まっていくのではない。ぶっつり切られてどこかに持っていかれたかのように、いきなり消えるのだ。
「・・・やっぱり。何度やっても同じだ」
場所を変え日を変え、反復が取られた現象ならば、そこには意義がある。
封緘の呪文を唱え、実験を終える。
「なんで消えるんだ?」
私はようやく見開いた目を緩めて、首を傾げるばかりのモモを視界の真ん中に入れた。
「魔法陣に不備がないとすれば、今のところ考えられる可能性は二つ。まず、魔力が空間を漂ううちに、魔力ではない別の力に変換された可能性」
「もう一つは?」
「私たちが認識できない場所に移動したのかもしれない」
「認識できない場所?」
「例えば、天国とか」
冗談を言っているつもりではないが、つい口元には笑みが浮かんでしまった。
「神の力は神の御許へ還るのかもしれない。―――根拠の薄い考察だけどね。ただ少なくとも、魔石から解放された魔力がそのままの形で存在し続けることはなく、もれなく私たちの世界から消えてしまうことは確かだと思う」
起源のわからないこの力はもしかしたら、別の世界からやって来て、また別の世界へ消えていくものなのかもしれない。
なんてことを考えながら喋っていると、モモが珍妙な顔つきになっていた。不可解な話をどうにか理解しようとして、頭の中をこねくり回してる最中って感じ。当の私自身、何を理解できているわけでもないのだが。
「はい、実験は終わり」
ぱん、と手のひらを打ってやり、モモの意識を取り戻す。
「友達と学校で勉強するんでしょ? そろそろ行ったら?」
「まだ待ち合わせまで時間あるもん」
今日は休校日であるものの、学校の書庫が解放されているそうだ。あまり十分な蔵書があるわけではないが、辞書があるため、単語の意味など調べ物をしながら勉強したい際には便利ならしく、モモは休日もよく友達と一緒に入り浸っている。
「他に何かやんないの?」
「見てて楽しいことはやんないよ。後は彫りこみとか書類仕事」
「手伝う?」
「いいから勉強してなさい。言っておくけど私は魔法学校の入試の成績、満点だったからね」
「え!?」
「負けたくなければ死に物狂いでがんばりなー」
「・・・っ、ムカつく!」
素直に憤慨を吐き出すモモ。その負けん気があれば受験なんて楽勝さ。
「エメさん、お客さんですよ」
ヴェルノさんが呼びに来たのはそんな時。わざわざ客と言うのだから、単なる店に品物を見に来た客ではない。すなわち私に用があって来た客だ。
咄嗟に頭に浮かんだのはギートである。上空から声をかけて三日、思ったより早い訪問だ。
そうして、さっさと相手を特定できたものだから、私はヴェルノさんに詳しいことを聞く前に店先へ出た。
すると、入口付近に立っていたのは思いもかけない相手。
「――よぉ!」
明るい笑みと共に、気さくに片手を挙げる好青年。年の頃なら私と同じくらいだろう。すっかり大人っぽくなった顔に、昔日の面影が残っている。
「セオっ!?」
ほとんど悲鳴に近い声を上げてしまったのは仕方ない。
かつて、教室が一つだけの小さな学び舎で、共にフェビアン先生に習った仲間。
私が全身で驚喜するように、彼も満面の笑みを浮かべた。
「覚えてたか」
「覚えてるよ! 君に石をぶつけられたことは忘れない!」
「嫌なこと覚えてるなぁ・・・」
セオは弱ったように短い黒髪を掻く。あのやんちゃなガキ大将が、なんだかほんとに大人っぽくなった。変なの。
「楽しかったことも覚えてるよ! まさか君が来るとは思わなかった!」
「昔馴染みと新しい商売やるって時に、俺が行かないでどーするよ?」
このセオの来訪は、私の野望実現の第二歩目。
すなわち、近頃急激に普及していっている魔道具の販路拡大。
王都ですでに市販されている魔道具に、今まで大きな不具合は一度も生じていない。よって、もっと遠くに出しても大丈夫なのではないかと思い、上へ説得に説得を重ねて、各地のいくつかの商家へランプを卸してみることになったのである。
その一つとして、私はセオの家に声をかけた。彼の家が、色んな商品を手広く扱っていたことを思い出したのだ。
ロッシが王都へ最速で着く運搬経路を開拓してくれたおかげで、輸送費でかさむコスト分がかなり抑えられる上、もし不具合が生じた際には速やかに王都へ送り返せるということで、セオの家も新事業に乗り気になってくれた。ロッシには感謝しなければならない。ちなみに風の噂によれば、最近の彼は何かを忘れようとするかのように、一心不乱に仕事に打ち込んでいるらしい。いつか幸せが来るといいね。
というわけで私はセオの家と手紙のやり取りをして、その中で、先方から一度実物を見たいという話になったため、店主であるセオのお父さんか番頭か誰かが近く王都へ来る予定だったわけだが、まさかセオがよこされてくるとは思わなかった。
でもよく考えてみれば、私の体や周囲の人がいつの間にか成長しているように、彼ももう立派な青年だ。店の代表をまかされていたって何も不思議はない。
なんにせよ、嬉しい再会には違いなかった。
「ジル姉にも顔見せていってよ」
仕事の話をする前に、隣の薬屋へセオを引っ張っていく。
「あいにく、リル姉はいないんだけどね」
「そういや貴族と結婚したんだって?」
「知ってたの?」
意外に思い、ちょっと足を止めて後ろを振り返る。
「知ってるも何も、めちゃくちゃ噂になってたぞ。なんだったか、将軍夫人になったんだって? それ聞いたフェビアン先生が腰抜かしてた」
あの先生ならありそうな話だ。容易に想像できて、笑えてしまった。
「フェビアン先生は相変わらず?」
「うん。良くも悪くもしょっちゅう生徒に泣かされてる。俺も体があいた時に手伝いに行くんだけどな。そうそう、二年前に増築してさ、今は教室が三つになってんだ。先生も二人増えた。どっちも元生徒なんだぜ」
「へえ!」
平民の中に教師という新しい職業が生まれたわけか。なんて素晴らしい変化だろう。
「お前のとこも盛況みたいだな」
薬屋と魔道具店を交互に見やってセオが笑む。
「おかげさまで」
そう返して前を向くと、薬屋の店先におかしな奴がいた。
なんだか間抜けな顔でこちらを凝視している人が、店に入るか入らないかの位置で突っ立っている。
「あ、ギート」
傍まで近寄って私たちが足を止めるまで、彼はその場から動かず声も発さずにいた。彼の格好は私服だったので非番だとわかる。この間の件で訪ねてきてくれたのだろう。
うーん、バッティングしてしまったか。タイミング悪いなあ。どちらの客を優先させるべきかと言えば、やはり、ここは遠くから来ている者のほうだろう。
「ごめん、例の件だよね? せっかく来てくれたのに悪いけど、来客中だから少し待っててもらえる? あ、時間ある?」
「・・・そいつは?」
私の声が聞こえているのかどうなのか、ギートはセオをガン見してる。それからちょっと下方に右目がとまる。たぶん、セオの袖を掴んでいる私の手が要因かな。
見つかってなんらやましいことはないが、もう店の前まで引っ張って来られたので手は放しておく。そして二人の間に立ち、それぞれを紹介することにした。
「今度、魔法のランプを卸すことになった商家のセオだよ。私の故郷の街で同じ学校に通ってた、幼馴染みたいなもんかな」
「・・・へえ」
「で、こっちは王都で色々お世話になってる兵士のギート。魔道具のことで用があって呼び出してたんだ」
「兵士か。そりゃいいな」
何がいいんだか、セオはなぜか楽しそうにギートへ話しかけた。
「はじめまして、俺はセオ。紹介の通り、ここには純粋に仕事の話をしに来ただけで、あんたの女にちょっかい出しに来たわけじゃないんで仲良くしてくれよなっ」
のっけから勘違いをかましてくれるもんだ。どこにそんな雰囲気があったんだか。
「セオ、この人は私の恋人じゃないよ」
「つれないことを言ってやるなよ。先約があったんなら俺のほうが後でいいぜ。つい驚かせたくて、いきなり来ちまったしよ」
「でも」
「気にすんな。ロッシの店とか他に顔出しに行かなきゃなんねえところに先に行くよ。ここにはまた明日にでも来るわ」
「そんな気を使わなくていいのに。泊まるところは決めてるの? なんならうちの客間使えるよ」
「心配しなくても宿は取ってある。兵士の兄さんに間男と思われちゃたまんないよ。俺は奥さんいるっつーのに」
「え、セオ結婚してたの? いつ? 誰と?」
「一昨年。ほら、エイブのとこの妹と」
「・・・ああ! 学校で見たことあるよ。そっかそっか、おめでとう! これは盛大にお祝いしなきゃだね」
「いいって、一昨年の話だぜ?」
「細かいことは気にしないの。何か欲しい物があったら教えて。あと奥さんが好きなものとか。お祝いに贈るよ」
強引に押していくとセオは苦笑するようだった。
「わかった、明日までに考えとく」
「よろしくね」
それからセオはジル姉に軽く顔を見せ、運送屋の王都拠点があるほうへ雑踏を進んでいった。
「なんか、悪かったな」
セオを見送った後、ギートがぼそっと謝ってきた。
「気にしないで。ただ、友達を威圧するのはやめてほしいかな」
「いや、ほら、お前の家にはたまに変な奴が来るじゃねえか」
「君とか?」
「やめろ。傷つくだろ」
冗談冗談。ギートは不躾なミュージカルファンをよく追い払ってくれたものである。それだけ家にちょこちょこ通っているということでもある。
「大丈夫だよ。リル姉ブームは一通り収まった」
「エメ目当ての奴は来るけどな」
と、伏兵は背後に潜んでいた。
まだ学校に行っていなかったモモが、指折りしながらつらつら喋る。
「この間は客からデートに誘われてたし、出入りの鍛冶屋は息子の嫁にってしつこく言ってくるし、あと新しく入った従業員にも、なー?」
「それ詳しく教えろ」
「五千でどうだ?」
「そこ、取引しない。ギートも手持ちを確かめない」
悪知恵が働いて困ったもんだ。カモにされるなよ、ギート。
「・・・君、最近ノリがいいっていうか、ちょっとカルロさんみたいになってきてるけど、そういう方向性でやっていくことにしたの?」
「うるせえ。お前が全部かわすせいだろうが」
そっぽを向いて、なんか唸ってた。簡単にかわせるようなことしか言えない奴が悪いと思うけどなあ。もう少し度胸をつけないと。なので、やはり放置で。
ギートからモモに視線を移す。しかし私が何も言う前に、
「あ、そろそろ約束の時間だった。行ってきまーす!」
わざとらしく宣言して走り去りやがった。さすがの逃げ足である。
「で、俺になんの用だって?」
モモのことは後でぎっちり締め上げるとして。
この場はギートの促しに応じることにした。
「時間はあるんだよね?」
「非番だからな」
「よかった。じゃ、魔道具店のほうに来て」
店に戻り、ヴェルノさんにしばらく打ち合わせをすると伝えて、ギートを奥の作業場に招く。従業員が彫り込み作業をやっている部屋を通って、さらに奥の小部屋へ。魔道具店も従業員の増加に伴い、増築している。
小部屋には大きめの作業台と椅子が四つ。柱と壁には私が書き留めた魔法陣のメモがびっしり刺さっており、それをギートが見回して眉間に皺を寄せていた。その間にさっきの実験道具を片付け、作業台をきれいにする。
「座って」
椅子を勧め、新しい紙と、すでに書き込みをしてあるメモとペンを用意し、私はギートの正面に座った。
「――さて、長らくお待たせしました」
まずその言葉から始めると、ギートが右目を瞠る。
「・・・何が始まる?」
「なんでちょっと怯えてるの」
「なんとなく」
「なんで。私は約束を果たしたいだけです」
「約束?」
不安そうな顔に、にっこり笑いかける。
「君の新しい目を作ろう」




