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魔法の光がいくつも頭上を照る。
狭い小屋の中で、煌々とした明かりを植物たちが一身に浴び、艶やかな緑の葉や不思議な形の花を咲かせている。温度、湿度、ともに上々。養分を溶かし込んだ液体は滞りなく根の浸かる管を流れ、風も淀むことなく循環。生育は良好。
「薬効はどんな感じ?」
「変わりなしよ。少なくとも、他で売ってるものより効果が落ちる感じはないわ」
閉め切った小屋の中をぐるっと回りながら、リル姉の話をノートにメモする。
「じゃ、ハクト草はこれでいけるね。冬でも作れるよ」
「助かるわ。ランチェはどう? うまく育ってる?」
「だめ。ほら、そこにあるのがそうなんだけど」
リル姉の右手にある植物を示す。他の植物が青々としているなか、それだけが萎れている。
「あんまり水耕栽培は向かないかも。ずっと根を水に浸けてるとどうしても腐る」
「そう。薬に使う部分が腐っちゃうんじゃだめよねえ。うーん、ランチェはなかなか手に入らないから、家で育てられるといいんだけど」
「次は別のやり方を試してみるよ。もう少し空気に触れさせて、たまに水を吹きかける形でも育つかもしれない」
「ほんと? 期待しちゃうわよ?」
「まかせといて」
次の実験案についてもメモメモ。
今年のはじめ、自宅の裏に無理やり造ったこのほったて小屋は、かねてから希望していた《温室》だ。環境をすべて魔力で制御し、栄養溶液も手作りして、まずは薬草から年中生産できるような栽培方法を検討している。
ちゃんと王宮に申請を出してやっている半分趣味の実験だ。土でなく水を用いた栽培によって薬効に変化が出ないか、リル姉に協力してもらって調べてもいる。この成果を一年分まとめて上に報告すれば、もっとたくさんの野菜や穀物などの栽培にこの技術を使う研究をさせてもらえるかもしれない。先だって欲しいのは金である。
「リル姉、こっちの――」
続けて、別の薬草を指しリル姉に使い心地を聞こうとしたら、小屋の戸が思い切り開いた。
「ただいまっ!」
元気過ぎる声と共に、モモがひょこっと顔を覗かせる。
「リル姉おかえり!」
「ただいま。モモもおかえりなさい」
嬉しそうなモモに、リル姉もくすくす笑っている。こんな和やかな雰囲気に水を差すようで悪いが、言わねばならないことが一つ。
「モモ、早く戸閉めて。あと全開にしないで。環境制御してるんだから。そっと入りなさいそっと」
「はいはい。うるさいなあ」
と、こっちには顔をしかめる。十一歳、そろそろ第二次反抗期である。
そんなモモの肩には本やノートが詰まった鞄がかけられたまま。学校から帰って荷物も置かずにリル姉の顔を見に来たのだろう。
モモは去年から、王都に新しくできた庶民の学校に通っている。そう、ついにレナード宰相の野望が叶ったのだ。もちろん無償である。
自身の領地で作った教室一つのお試し学級とは違い、二階建てのなかなか立派な校舎ができて、教師も十数人、貴族のあてを辿って集め、多くの子供が朝から夕まで授業を受けている。
なお、そこではなんとミトア語も教えられている。もし魔法使いの適性がある者が庶民にいた場合に、魔法学校入学後、できるだけ早く魔法使いの訓練に移行させるという目的のためだ。
しかし教えるにしても、魔法学校の教師は半年ごとの試験と通常授業で、すでに多忙だ。よってレナード宰相がミトア語の教師として目をつけたのが、魔法使いにはなれなかった人々。
一年間、共にみっちりミトア語を勉強したかつての同級生の紹介を、私は宰相に頼まれた。あの頃、身分を越えて打ち解けられた人は少なかったが、すでに七、八年も前のこと、わだかまりは水に流して、記憶に残る優秀な人物の名を推薦状に書き、王都にいる人のもとへは直接説得に赴いたりもした。魔法使いの中でも、この件に関して切実な想いを込めて話ができるのは私だけだろうから。結果として、引き受けてくれる人が見つかった。
そんなんこんなで、どうにか開校に漕ぎつけられたわけだ。ただでさえ通常業務が忙しい中、レナード宰相のお手伝いは骨がへし折れるくらい大変だったが、毎日楽しそうに通っているモモや、工房の従業員の子供たちを見ていると、へし折った甲斐があったと思う。
植物を栽培している台を回って、やって来るモモはリオの手を引いていた。二歳児はよく物陰に隠れる大きさだ。
「ははうえ~!」
最初は物珍しそうに小屋を見回していたようだったが、リル姉を認識するや飛びついた。長いお昼寝から覚めちゃったか。
「ぐずってジル姉が困ってたから連れて来た」
「ありがとう。リオ、大丈夫よ。お母さんはちゃんといるからね」
「うぅ~」
抱っこされてもまだぐずってる。涙が浮かぶグレーの瞳は父親にそっくりだ。
こうなっては仕方がない。ノートを閉じ、私も小さな頭をなでてやる。
「リル姉、続きはまた今度でいいから外出よ」
「そう? ごめんね」
「いいよ、泣く子には敵わない。リオ、あっちで遊ぼっか」
すると、ぐずる声がぱたと止まる。
「・・・エメねーちゃ、まほーみせてくれる?」
リオは私を唯一、姉呼びしてくれる。おば呼びでも別に構いはしないが、けっこう嬉しいもんだ。モモなんかも姉呼びしてくれていいのに、そっちはどうも素直じゃないんだよなあ。
「いくらでも見せてあげるよ」
可愛い甥っ子の頼みを断る理由はない。泣いてたカラスはすぐに笑った。
外に出て、薬屋の正面に回る。空は茜色に染まり、もう店じまいの時間だ。道に立つ魔法の街灯が自動でともり、暮れなずむ景色をやわらかく彩る。他にも、各家庭や屋台の軒先に吊るされた魔法のランプが、王都を覆っていく闇を照らし、家路を急ぐ人々の導となる。
うちも玄関に吊るしたランプをつけて、看板をしまった。中ではちょうど、ジル姉が店内の片づけをしているところだった。
「泣き止んだか」
ジル姉は抱っこされているリオを見て、ほっとしたように言った。
「悪い、どうにもなだめられなくてなあ」
「たぶん寝起きでちょっと寝ぼけてたのよ。ごめんね、いつもリオの面倒をみてもらっちゃって」
「構わんさ。大して手もかからない。今日だってほとんどは大人しかった」
「よく寝てたもんねー。今夜は眠れないかもよ?」
今日は私も隣の店にいたため、少しリオの面倒をみてあげていた。
リル姉は貴族の家に嫁いだわけだが、結婚前から抱えていた患者の面倒を今も無償でみている。また、それだけでなく、皆に薬の知識や応急処置のやり方を広めるため、街の空き家で定期的に講習会を開いているのだ。そこで私が育てた薬草を試してもらっている。
講習会にはけっこう生徒が集まって盛況のようだ。なんせ、リル姉は今や王都の有名人の一人なもので。
というのも、闘技大会でのプロポーズ騒ぎや派手な披露宴もさることながら、オリヴィア妃が書いたリル姉モデルの小説がまさかの戯曲化され、庶民の娯楽である芝居小屋でも演じられるようになってしまったせい。近頃は収まってきたが、ファンが家を覗きに来たりもしてた。せっかくなんで、機に乗じて店の品物を宣伝してみたり。あんまりうるさい時はギートなど知り合いの兵士が巡回に来て追い払ってくれたものである。
そんなわけで、リル姉が忙しい時は家でリオを預かっている。今日も昼から預かって、講習会終わりに温室の植物の様子を見てもらっていたのである。
屋敷にも面倒をみてくれる使用人はいるのだろうが、ここなら講習会の直前直後までリオはリル姉に引っ付いていられるし、モモなど街の子供たちと一緒に遊べたりするから、屋敷で大人ばかりに囲まれて過ごすよりもおそらくいいだろう。
このことについて、リル姉は別宅に住んでいるヴァレリア夫人に会うとたまに苦言を呈されるらしいが、とりあえず孫に会わせりゃ機嫌が直るらしい。母はしたたかに自分の道を生きている。
「エメねーちゃ、まほー!」
こっちに手を伸ばして、急かしてくるリオをリル姉から受け取る。
「はいはい、どんなのが見たい?」
「ひーふくの! いっぱい!」
エメ姉ちゃんは火を噴いたことなどありませんし噴けませんが。私をなんだと思っているんだろう。
「おうちの中で火なんか噴いたらここ全部燃えちゃうよ? リオも熱いーってなっちゃうよ」
「ならない!」
なんの自信なんだそれは。
「でも、お母さんもモモ姉ちゃんもジル姉ちゃんも、熱いー痛いーってなるよ? いいの?」
すると、途端にリオは不安そうな顔になる。
「・・・なの?」
「なの。皆が痛いのは嫌でしょ?」
「うん・・・」
「別のもっと楽しいものを見せてあげるよ。それでいい?」
「うん!」
優しい子。家族を大切に思う気持ちは幼い心にもあるものなんだなあ。
「じゃあエメ、リオをお願いね。夕飯は私が作るから」
リル姉がそう言って台所へ向かう。
「早く帰らなくていいのか? じき夜になるぞ」
「大丈夫。うちの旦那様は今夜帰りが遅くなるらしいの」
「リル姉泊まってく!?」
一足飛びに解釈して、モモが喜び出した。私も賛成。
「そうしなよ。夜道を帰るのは危ないもん。部屋は掃除してあるしさ」
「ありがと。でも、たぶん迎えが来るんじゃないかしら」
リル姉はくすくす笑いながら予想していた。迎えとは言わずもがな、である。
「ありそうだね。モモ、玄関に鍵かけといて。がっちりね」
「了解!」
「二人とも、意地悪しないであげて」
リル姉にはそう言われたが、他に止める者はここにいない。ジル姉も。
「そういうことなら、ゆっくりしていけ」
久しぶりに二人で台所に立ち、私はその後ろでリオとモモ相手に、夕飯ができるまで新しい魔道具で遊んであげた。
石を叩くと、シャボン玉が空間にいくつも出現する。割れるとその中から飛び出すように空間に虹がかかり、光の花が咲き、蝶が舞う。それらが広がっていく。
以前、フィリア姫に贈った幻影灯のカラーバージョンである。リオは夢中で飛び跳ね、幻影のシャボン玉を割りに割っていた。
「・・・これ新作?」
頭上にかかる虹を見つめるモモのほうは、だいぶ冷静だ。彼女にはこれまでに色々な魔道具を見せてきたから、もうあんまりはしゃがなくなってる。でも落ち着きを身につけても、その目がいつも好奇心に輝いていることは知ってる。
「国どうしの贈り物に魔道具を入れたいって言われてね、試しに作ってみたんだ。どう思う?」
「・・・国としての贈り物なら、もっとトラウィスらしい幻影にしたほうがいいんじゃないの? きれいなだけじゃつまんないぞ」
そして、なかなか的確なアドバイスをくれる。
「なるほど。わかった、作り直すよ」
とりあえず当たり障りのない幻影を作ってしまったが、デザインについてはもっと細かいところまで上に相談したほうがいいのかもしれない。
「――あのさ、エメ」
さっそく明日の予定を頭の中に立てていると、急にモモが真面目な調子になった。
「なに?」
「来年、魔法学校を受験する」
モモはきっぱり宣言した。
「あたしも魔技師になる」
強い眼差しで、まるで一人前な顔してる。私はいきなりのことで驚いたが、次には自然に笑みが浮かんだ。
「――そっか。いいんじゃない?」
そう言ってあげたら、なんでかモモは不満げに口を尖らせた。
「ちょっと軽いぞ」
「いつか言い出すだろうと思ってたからね。予想よりだいぶ早かったけど」
「だってエメは十二歳の時に魔法学校に入ったんだろ?」
「え? うん」
「だからなのっ。ほんとは今年のうちがいいけど、さすがに勉強間に合わないからしょーがないけど・・・見てろ!」
ぶちぶち何か口の中で言っていたかと思えば、今度は指をさしてきた。
「エメより絶対いい成績で入学して、卒業して、一番優秀な魔技師になってやる! そしたら、エメの仕事なんかあたしが全部奪って、そしたらさ、エメはもっと色んな、好きな研究とか、自由にできるようになるだろ?」
おお? これはびっくり。
「なに? 私のために魔技師になるの?」
「・・・それもあるってだけ!」
やや目をそらして、怒ったように言うのは照れているせいなのかもしれない。
「あたしも・・・興味のあることで皆を幸せにできたらって、ちょっと思うだけっ」
ちょっと思っただけで、毎日休まず学校通って一生懸命、勉強を続けているわけか。で、私の助けにもなりたいと。
そんなこと聞いたら、頭をなでてやらずにはいられなかった。
「・・・なに?」
「や、うちの子は可愛いなあって」
「子供扱いするな!」
結局、怒られて振り払われた。
食卓に器を置きに傍に来たジル姉が、笑い声を漏らす。
「ほら、飯できたぞ。たらふく食べて明日もがんばれ」
「はーい!」
夕飯はリル姉お手製の麦の入ったスープに、ジル姉が直火で炙った羊肉。家族で温かい食事を囲み、食べ始めた頃、扉越しにくぐもって、「夜分に失礼する」との声がノックと共に聞こえた。
「早っ。もう迎え来た?」
「もっと遅くなるって話だったんだけど・・・」
「鍵はかけてあるぞ」
「入れて差し上げろ。たぶん急いで仕事を片付けて来られたんだろうから」
ま、さすがに仲間外れにするのは可哀相なので、一番内扉に近い位置に座っていた私が玄関へ義兄を出迎えに行った。
戸を開けると玄関灯の明かりのもと、まんま仕事帰りの格好で帯剣しているオーウェン将軍がいる。
「リディルたちはいるか?」
開口一番。
「いますよ。ちょうど夕飯を食べてるところです。どうぞ将軍もゆっくりしていってください」
「すまない。邪魔をする」
中に招き入れれば、仕事終わりの男をかぐわしい夕飯の匂いが包む。
「おかえりなさい」
「ちちうえー!」
妻と子の笑顔を見て、夫はだらしないほど表情を緩めた。
「ただいま。良い匂いだな」
「お夕飯まだでしたら召し上がります?」
「ああ、頼む」
リル姉に答え、足元に取り付いてきたリオを抱き上げる。六人も座れるスペースはないので、リオの席はお父さんの膝の上に移動だ。
「リオネル、良い子にしていたか?」
「うん!」
「よし。次の休みには剣の稽古をつけてやろう」
早くね? 二歳児は果たして剣を持てるんだろうか。しかし、リオは「やったぁ!」となんか嬉しそうにしていたので、内容はお遊びのチャンバラみたいなもんなのかもしれない。着実に兵士の英才教育がなされている。
「今日は遅くなるんじゃなかったんですか?」
リル姉がスープを掬っている間、正面に座った将軍に訊いてみる。
「その予定だったが、思ったより早めに仕事が片付いたのだ」
将軍はごきげんだ。そうこうするうち、妻の手料理が運ばれてきて、おいしそうに食べ始めた。相変わらずごった煮の貧乏飯だが、彼はあまり気にしない。貴族といえど軍人なので、盗賊退治に遠征したりすると、手早く食べられて、かつエネルギーの取れる雑な料理をしょっちゅう口にするらしい。よって慣れているとのこと。
そもそもリル姉が作ってくれるものなら毒だって喜んで食べるような人だ。屋敷でも時々、リル姉が調理場に立つことがあるらしい。
「本来であれば、残業など一瞬とてしたくはないのだがな」
そう言って、将軍は顔をしかめた。
「新兵が入ったばかりで仕方がないにせよ、愛しい妻子と過ごす時間が削られるのは如何とも耐え難い」
「はあ」
気持ちはわかるが耐えなさい、としか返しようがない。
「そういえばリディル、今日は髪を結んでいるのだな」
と、ポニーテールのリル姉を見やる。一の門の中にいる時はもっときちんとまとめているのだが、実家に帰って来ている時は比較的、リル姉はラフである。格好もドレスじゃなく庶民のワンピースだしね。
夫に指摘されて、リル姉は慌てたように髪に触った。
「あ、すみません。ちょっと忙しかったものですから」
「いや、良い。まるで少女のようで、そうだな、出会った頃のことを思い出す」
そうしてリル姉の髪をひと房取り、口付ける。それでリル姉の顔が赤くなる。
あーあ、始まった。
「いつまで経っても、そなたは愛らしい」
髪に触れたまま、将軍が微笑む。熱っぽい眼差しを愛妻に注いで。
「そ、んなことはないと、思いますけど・・・」
「夫の言葉を信じないのか?」
「そういうわけじゃ・・・ただ、そんな風に言われると、その、恥ずかしいです・・・」
リル姉が赤い顔をうつむかせると、すかさず顎に手が伸びる。
「下を向くな。可愛い顔が見えないではないか」
「・・・っ」
この辺で、私が挙手をする。
「すみませんが、子供もいるんでそこから先はおうちでやってください」
ほっときゃキスくらいしそうな勢いだったが、水を差してやったら渋々将軍は手を離して、リル姉は微妙に椅子をずらして夫と距離をとった。夫婦そろうといつもこう。
「砂糖吐きそう」
「どゆこと?」
「言わんとしてることはわかる」
賛同してくれたジル姉と二人、苦笑を浮かべる。
ともあれ、結婚四年目にして変わらず夫婦円満なのは、何よりなことで。




