難を逃れた一二三たちだが……
一二三の家はもともと帝都でも高級住宅地域に古くから屋敷をかまえているのだが、一二三にとってははじめての弟、兄弟にとってはじつに五番目の末っ子を出産するため、母が帝都郊外にある彼女の実家に里帰りをしており、一二三と十七郎がこれに同行。
ここしばらく伯父一家のもとでのびのびと日々を暮らしていた。
そのおかげもあって、兄や母、生まれて二か月ばかりのかわいい弟が大火に直面することは免れたし、こうして大火のようすを眺めるだけで同居している母方の実家には何も変事が起こっていないため、もしかするとこれまで暮らしていた帝都の家が燃え、住みなれた町が燃えていると言われてもなかなか実感がわかない。
――しかし。
「兄貴と蔽九郎のやつは無事か……?」
十七郎がぽつりとつぶやいて、一二三もはっとする。
十七郎が案じるのは、自分たちにとって長兄にあたる暁久と、十七郎にとっては双子の兄である次兄の蔽九郎の身。
――ふたりは若くして、出世栄達がかがやかしい大日本帝国海軍の軍人。
士官を目指すのであれば入学必須の海軍兵学校はもちろん、有能な指揮官将校を教育する海軍大学をすでに卒業し、順調に出世しているのが家族や親戚にとっても誉れの兄たちだ。
とはいえ、一二三も十七郎も兄たちの所属先や日ごろの任務は詳しく知らない。
ふたりが海上勤務に就いているのであれば大火に関して心配はないが、その話は聞いていない。だとしたら陸上勤務だろうふたりはいまも、帝都の自宅で暮らしていることになる。
もしこの深夜、帝都の自宅で就寝していて、万が一にも大火が自宅地域まで及んでいたとしたら……。
それとも緊急事態に召集されて、現場の混乱から帝都民たちを救出や誘導、あるいは消火活動に務めているのだろうか。
それとも――明らかに人為的に引き起こされたであろうあの大火の原因を探り、あるいは遭遇し、それらを相手にしているのだろうか。
「あのふたりのことだから、きっとだいじょうぶだとは思うけど……」
目に映る帝都の大火は、すでに業火――煉獄と言ってもいい。
あの惨状に、果たして何十万という帝都民に逃げ場はあるのだろうか。
兄ふたりの安否に絶望など抱きたくもないが、遠目から見ても帝都の現状は心のどこかに親しき者たちやなじみの町の風景との別離に覚悟をきめなければいけない、それを否応なしに伝えてくる。
「あんな桁ちがいの火の海……さすがにはじめて見るけど、町ってあんなにも簡単に燃えるものかよ?」
「ふつうは燃えないの?」
「――燃えてたまるか」
十七郎のひとりごとに尋ねると、冗談ではないと舌打ちが返ってくる。
「だいたい……」
あそこは自分たちが暮らしている大日本帝国の中枢、帝都、だ。
国ははるか神代より粛々とつづき、中枢は長く京都に御所が置かれていたが、幕府時代の終わりとともにこの東京に遷都。
開国からしばらくは欧米諸国らの不利な外圧、目指すべき国の未来に意見定まらぬ内戦に苦しんだが、明治中期のころから外圧大国との大きな戦争をいくつか経験し、奇跡的に国土を失うような敗北を経験することがなく、そのたびに欧米列強国のような近代化に乗り合わせることができ、いまでは世界五大国の一席に座するまでに驚異の成長を遂げている。
――その大日本帝国の帝都が、ああも易々と燃えているなんて……。
「そんなこと、あってたまるもんか……っ」
帝都が燃える。
すなわちそれは、神代より築かれてきたこの大日本帝国が亡国になりかねない事態を意味している。
――あの大火は帝都だけですむのか?
――それとも、あの勢いで今夜中に帝国すべてが炎にのみこまれてしまうのか?
考えただけでも恐怖に肌が粟立つ。
けれども幸いなことに、思考と同時に見上げた夜空には一二三や十七郎のいる地域を目指す戦闘機の機影は見あたらず、恐怖をあおる振動音も心なしか遠ざかっているように感じられる。
すくなくとも一度の攻撃では飽き足らず、二度も三度も攻撃を行おうと再度帝都を目指しているような気配も感じられない。
――きっと。
不覚にも敵国の飛行戦闘機部隊の侵入と初手攻撃を未然には防げなかったが、もしかするとすぐさま反撃体制をととのえ、帝国海軍や陸軍の飛行部隊が敵国の飛行戦闘機部隊と現在応戦して撃破、これ以上の被害が出ないよう防衛に努めているのかもしれない。
だとしたら先ほどはとんだ非礼を口にしたものだと十七郎は心中で詫び、安堵して、冷や汗に濡れた額をかるく浴衣の袖で拭うものの……。
――でも、なぜ敵国の飛行戦闘機部隊がこうも容易く帝国帝都上空に侵入できたのだろうか。
――そもそも「敵国」とはどこの国を指すのだろう?
いや、それ以前に島国である大日本帝国の国防には帝国海軍が務めている。
設立は明治初頭。すでに近代化と利権問題の勢いで、大日本帝国を含む大東亜地域に植民地や占領支配地域を多く持つ欧米列強国から帝国を守護するため、追いつけ追い越せと日々切磋琢磨。
わずか十数年で驚異の成長を遂げた軍事力で、大国ロシアとまさに皇国の興廃をかけた日露戦争――当時世界最強と謳われたバルチック艦隊を日本海海戦で見事撃破したのが帝国海軍。
指揮をした聯合艦隊司令部、他に類のない緻密に計算し尽された海戦作戦書、それを完璧に実行できる機動力、統率力。軍人としての誇りの強さ、高潔さを世界中が知ることになる。
その帝国海軍が……。
――大日本帝国の守護を第一義としている帝国海軍がいるというのに、なぜ……。




