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目目目  作者: 祇光瞭咲


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4話前半 霊能力者

 二度目に恵山寺を訪れてから数日後、史郎は再び弥奈子と待ち合わせていた。今度は駅に隣接した商業施設の三階にあるファミレスで、二人はボックス席に並んで腰掛けている。時刻は夕方。弥奈子は学校帰りだ。

 真っすぐに姿勢を伸ばして座る弥奈子を盗み見ながら、史郎は彼女の顔の怪我について訊ねるべきか悩んでいた。頬骨の高い位置には赤黒い痣が、頬には長い引っ掻き傷ができている。


「……気になりますか」


 マスクをはずしてしまいながら、弥奈子が言う。


「あ、まあ……。どうしたの? 転んだってわけじゃなさそうだけど」

「猫です」


 弥奈子はカーディガンの上から右腕を撫でた。制服姿を見ると、改めて彼女がまだ高校生であることが実感されてしまい、史郎は彼女と一緒にいることに罪悪感に似たものを覚えた。


「気性の荒い猫を飼っていまして」

「……そういうの、映画とかでよく聞く台詞だけどさ。実際に猫であることって、まずないよね」

「そうですね」


 彼女は何食わぬ顔でストローに口を付けた。彼女は今日もアイスティーだ。


「今日は人に会うんですよね?」

「うん」

「どんな人ですか?」


 史郎は落ち着かなげに尻をずらす。


「あー。俺も今日はじめて会うんだけど、知り合いの紹介で……」


 知り合いについての説明は割愛した。なにしろ、通っているスナックのママからの紹介なのだ。やましいことはないけれど、なんとなく未成年にそういう話をするのは憚られる。


「なんか、すごい霊能力者らしいぞ」

「霊能力者……」


 自分で言っておいて胡散臭さに馬鹿らしくなる。弥奈子の表情は変わらなかった。

 数分後、店の入り口に若い男が現れた。男は店員に「待ち合わせだから」と断って、キョロキョロと店内を見回していた。史郎は事前に彼の風貌を聞いていたので、控えめに手を挙げて合図した。男はこちらに気付いて、ニッと歯を見せる。

 歳は二十代前半だろう。髪は金に染めており、顔立ちは中性的で整っているものの、如何せん前髪が長くて鬱陶しい。耳には銀のピアスをいくつも開けている。今日はファストファッションらしいラフな格好をしているが、夜の仕事に就いていると言われても違和感は抱かない風貌だ。

 彼は二人のいるボックス席まで来ると、躊躇なく向かいに腰掛けた。


「どうもー。安宅さんですよね?」

「あ、はい」


 史郎は彼の馴れ馴れしい態度に面食らいながら答えた。


八塚(やづか)です、よろしくー」


 彼は弥奈子の方を向いた。


「そちらのお嬢さんは?」

「……水仙寺弥奈子です」

「弥奈子ちゃんね。よろしくー」


 八塚は素早くメニューに目を通し、チョコバナナパフェを注文した。


「ミキさんの紹介だっけね」

「そうですね」

「えーっと、急に幽霊が見えるようになったとか? 呪われてるかもしんないって話?」

「はい、あの――」


 史郎は苦い顔で声を潜めた。


「すみませんが、もう少し声を抑えてもらえませんか……? あまり人に聞かれたい話ではないので」

「あ、すいません」


 軽い。史郎は早くも不信感を募らせていた。そんなこちらの胸中を見透かしたのか、八塚はニヤリと口角を上げる。


「大丈夫っすよ。自分、力だけは本物なんで」

「……はあ」

「まあ、信じらんないっすよね。でも、信じてもらった方がいいですよ。二人とも、かなりヤバい感じですから」


 八塚は困ったように笑いながら、前髪越しに自分の額を叩いた。


「ここ、入ってますよ」

「入ってるって……」

「心当たり、ありますよね?」


 史郎はゴクリと唾を呑む。

 額の違和感については誰にも言っていない。八塚自身にはもちろん、八塚を紹介してくれたスナックのママや、弥奈子にさえも。


「なんで……わかるんですか」

「自分、そういうの見えるんですよ。で、お二人に憑りついてるモノの正体もわかってる」


 八塚はスマートフォンに文字を入力すると、史郎と弥奈子に向かって突き付けた。


()()()の呪いって聞いたことあります?」


 表示されたメモアプリには漢字の「目」が三つ並んでいる。史郎は弥奈子と目を合わせたが、彼女も怪訝そうに首を傾げていた。


「め、め、め?」

「そう」

「知りません」


 八塚はスマートフォンを手元に伏せた。


「じゃあ、第三の目は? スピリチュアルとか好きな人なら、聞いたことあると思うんだけど。チャクラでいうところの、第六チャクラって呼ばれるやつね」


 露骨に胡散臭がる史郎を見て、八塚は愉快そうに説明を続ける。


「ヒンドゥー教とかヨーガとかで、チャクラって呼ぶやつあるじゃないっすか。漫画とかでもたまに出てくるの、知らないっすか? 体の中心線に沿って七つのエネルギーの核があるってやつ。中でも第六のチャクラ、アージュニャー・チャクラと呼ばれる眉間の少し上にあるチャクラは、世界を『見る』力を司ると言われているんです。ここが開花すると、直観力や洞察力が冴え、秘められた世界への感覚が開かれるそうですよ」


 彼は再び額を指で叩きながら言った。


「んで、そこに入り込んで悪さをする怪異がいる。それを『ボウ』といいます」

「ボウ?」


 八塚は紙ナプキンを一枚取ると、史郎に向かって物を書く仕草をした。意図を察してボールペンを貸してやる。


「どうもっす」


 彼はナプキンの端で試し書きをしてから、目の字を三つ並べて書いた。


「これが目目目の呪い。そして、『ボウ』は漢字でこう書きます」


 ■


 目へんに横倒しにした漢字の目。その下にもうひとつ、目の漢字。

 つまり、三つの「目」で構成された字だ。


「こんな字、見たことない」


 史郎が唸る。弥奈子もようやく好奇心を出し、僅かに身を乗り出していた。


「常用漢字ではないんでね。モウとも読むそうで、目が見えないという意味になります」

「それが俺たちの眉間に憑りついているんですか?」

「憑りついているっていうか、寄生しているっていうか。まあ、そういうことっすね。目目目の呪いを掛けられた人は、ボウが額に入り込んでしまうんです」


 史郎は無意識に眉間の上を押さえた。傷跡もなく、ただ皮脂がぬるりとした感触を残すだけだが、話を聞いているうちにムズムズしてきた。まるで何かが皮膚の下を這い回っているかのように。


「それが憑りつくとどうなるんです?」


 八塚は長い前髪の下で気の毒そうに眦を下げる。


「まず、見えないものが見えるようになりますね。お二人はもう体験していると思いますが。それが進行すると、最終的に額に第三の目が開化します。そうなると、宿主自身がボウになる」

「ボウになるって……」

「バケモノになっちゃうんですよ。安宅さん自身が」


 史郎はゆっくりと目を見開いた。唾を呑み込もうと思ったが、口の中が乾いていた。平静を保とうとアイスコーヒーを一口飲むも、まるで氷の塊を呑み込んだような異物感を覚えただけだった。


「バケモノになるとどうなるんですか?」

「どうって言われてもねぇ? バケモノはバケモノですよ。自我が残るかはわからないっすけど、少なくとも見た目は気持ちの悪い怪物になって、人間を襲うようになります」

「人を、襲う……」


 史郎は何も言えずに弥奈子を見た。彼女はいつもの通り無表情だ。怯えた様子はなく、むしろ八塚の言葉をそのまま受け止めているように見える。

 八塚は届いたパフェを突きながら続けた。


「まあね、普通はその前に気が狂います。今もそうでしょ? 結構メンタル的にキツくなってきたんじゃないですか?」

「あ、ああ」


 史郎はテーブルの上で両手を握り合わせた。掌は汗で湿っている。本当なら「馬鹿馬鹿しい」と一蹴したいのに、手の震えが本心を物語っていた。

 史郎は唇を湿らせ、精一杯平常心を繕おうとした。


「それは、どうしたら治りますか。呪いを解く方法があるんですよね?」

「あー」


 八塚が背もたれに身を預ける。視線はドリンクバーの方へと泳いでいた。


「あるにはあります、けど」

「けど?」

「ひとり当たり、二百万いただきます」

「にひゃ……」


 史郎は組んでいた手を解いた。見開いた目で八塚を凝視すると、彼はすまなそうに見返してきた。


「高いでしょ? でもね、こちとら商売っていうか、ボランティアでできるようなことじゃないんで。解呪ってのは、失敗した場合に、こっちに跳ね返ってくるもんですから」


 命懸けなんすよ、と言って八塚は肩を竦めた。


「それでもよければお祓いしますけど。どうします?」


 史郎はしばらく絶句していたが、考えるまでもなく首を振った。

 呪いのせいで困っているのは事実だが、二百万は大金だ。そう易々と払える金額ではない。それも、こんな見ず知らずの人間に。

 見た目で判断するのは失礼かもしれないが、どうしても八塚には大金を預けられるまでの信頼を抱けなかった。彼に頼むくらいなら、もっと格式高い神社などに依頼した方がマシではないか。そもそも、史郎はお祓いなんてもの自体に半信半疑だったが。


「ま、そうですよね」


 彼は場の空気を和ませるように軽く笑いながら、今度は弥奈子の方を見た。


「弥奈子ちゃんも、やめとく?」

「そうですね」


 弥奈子は史郎を見ながら言った。


「二百万はさすがに用意できません。できたとしても、史郎さんがやらないなら、私もやりません」


 史郎は慌てて彼女を見た。


「いやそんな、俺に合わせる必要はないんだよ?」

「はい」


 弥奈子は頷いただけで、その返事の意図は答えなかった。史郎は彼女の態度に困惑しつつ、八塚に向き直る。


「あの、こんなことを訊くのは申し訳ないんだが……。お祓いの他に方法はないんですか?」

「うーん」


 八塚はトートバッグを漁り、小さな紙の袋を取り出した。


「お守りとか? どうです?」


 袋から滑り出たのは『厄除け』と刺繍された赤いお守りだった。白い紐を指に掛け、二つのお守りをぷらんぷらんと揺らしながら、八塚が言う。


「これ、自分が霊力を注ぎ込んで作ったお守りっす。呪いを払い除けるまでの力はないけど、悪夢くらいだったら見ないで済むようになると思いますよ」

「ちなみにそれは」

「ひとつ二十万。って言いたいところですけど、まずは効果を信じてもらいたいんで、破格の五万でいいですよ」


 史郎は呻いた。五万でも十分高い。弥奈子の分と合わせたら十万円。十万あれば何ができるだろうかと、考えずにはいられなかった。


「どうします? やめときます?」

「あ、いや……」


 縋るように目を上げて、史郎は改めて八塚の容姿を見回した。

 地味でお堅い人生を歩んできた身としては、八塚のように派手な格好をしている人間は、それだけで人を騙しそうに見える。だが、この男が額の違和感を当てたのも事実なのだ。二百万の価値があるかはわからないけれど、十万くらいであれば、賭けてみてもいいかもしれない。

 史郎は悩みに悩んだ結果、キツく目を瞑って首を縦に振った。


「……買います。すぐに金を下ろしてきます。俺の分と弥奈子ちゃんの分、二つください」


 驚いて振り返ったのは弥奈子だ。続いて八塚も目を瞬いて、それからにっこりと微笑んだ。


「まいど」


 その一言で早速決意が揺らぎそうになったけれど、史郎は近所のコンビニまで走り、金を下ろして戻ってきた。ずりずりとテーブルの表面を擦るようにして、十万円が入った封筒を差し出す。


「はい。確かに十万円いただきました」


 八塚は手際よく札を数えると、封筒をトートバッグに放り込んだ。


「それじゃ、こちらは差し上げますんで。肌身離さず持っていてくださいね」

「……はい」


 手にしたお守りはまったく重さを感じないくらいに軽い。こんなものに効果があるのか、または云万の値打ちがあるのか、と疑いそうになる心を必死で黙らせて、史郎はそれをポケットに収めた。弥奈子にもひとつ手渡す。


「繰り返しになりますけど、そのお守りだけで呪いが解けることはないと思います。言うなれば気休めですね」


 八塚が言った。


「なんで、しばらくはそれで様子を見てもらって。どうしても駄目だなって思ったら、また連絡ください。いつでも相談乗りますんで」

「ありがとうございます」


 話が一段落したと見て取って、八塚は真剣にパフェに向かい始める。彼は弥奈子に「一口食べる?」と訊ねたが、あっさりと首を振られていた。細長いスプーンを器用に使ってクリームを頬張る姿は幼くて、やはり実力ある霊能力者には見えない。

 酷い後悔を覚えつつ、史郎はスマートフォンで時間を確認した。時刻は十八時を回っている。そろそろ弥奈子を返さなければならない。


「じゃあ、俺たちはお先に失礼します」


 史郎は会計札に手を伸ばしながら言った。


「あ、そう? 了解ですー」


 八塚は気楽に答えつつ、手の代わりにスプーンを振った。


「今日はありがとうございました」

「いえいえー、こちらこそー」

「弥奈子ちゃん、行こう」


 史郎が席を立つ。弥奈子は掌に載せたお守りをじっと見つめ続けていたが、呼ばれると無言で八塚に頭を下げ、史郎の後に従った。

 三人分の会計を済ませて店を出ると、冷房で冷え切った体を熱気が包んだ。ようやく日が傾き始めたけれど、まだまだ街灯がいらないくらいに明るい。


「ごちそうさまでした」


 弥奈子が史郎を見上げる。


「あの、お守り代……」

「ああ。いいよ、あれは」


 史郎は込み上げる後悔を振り払うためにガシガシと頭を掻いた。


「胡散臭いことこの上ないけどさ。まあ、物は試しってやつ」

「……ありがとうございます」


 二人はどちらからともなく歩き始めた。

 気の早いヒグラシが鳴いている。並んだ影が長く伸びた。


「あの、史郎さん」


 史郎は弥奈子を見下ろした。黒々とした綺麗な髪。彼女は俯いていた。


「なに?」

「帰らなきゃ駄目ですか?」

「え」


 弥奈子が足を止める。史郎も数歩先から振り返った。


「あー……、いつもそれ言ってるね」


 史郎は「うーん」と天を仰ぐ。

 マスクで隠された彼女の顔。白い肌に浮かんだ痛々しい痣が訴えている。

 史郎は目を逸らす代わりに笑顔を作った。にっこりと笑えば前を見なくて済むことを史郎は知っていた。


「送っていってあげるからさ。行くよ」


 弥奈子は長いこと黙っていたが、顔を上げずに答えた。


「……はい」


 そして、再び歩き始める。史郎は彼女が追い付くのを待って、並んで歩き出した。

 互いに口は利かなかった。

 自転車が二人の横を通り過ぎていく。籠にパンパンに膨れたエコバッグを載せた母親と、その前を蛇行しながら爆走する小さな男の子。不格好なヘルメット頭が揺れるたび、史郎の中で正体不明の罪悪感が込み上げた。

 お前はまた逃げるのか。

 記憶の彼方で誰かが言う。

 逃げているわけじゃない。ただ、その役割は自分でないと思うだけだ。

 彼女には彼女の面倒を見るべき大人たちがいる。学校の先生や、親族や、近所のおばさんとか、誰でもいい。誰かが傍にいるはずだ。少なくとも、それは自分のように偶然が重なって知り合っただけの、行きずりの人間の役目ではない。

 黙々と住宅街を歩きながら、史郎はそうやって自分に言い訳を重ねていた。

 市営住宅の入り口に着く。

 弥奈子の家が見えたところで、史郎は立ち止まって彼女を見下ろした。


「じゃあ、ここで。今日はありがとうね」

「……こちらこそ」


 帰りたくないと打ち明けてから、弥奈子は一度も顔を上げていない。結局、史郎の顔を見ることもなく、頭だけ下げて行ってしまった。

 史郎は彼女の華奢な後ろ姿が遠ざかっていくのを見つめ続けた。なんとなく、彼女が家に入るまで見届けなければならないような気がしたのだ。そうでもしないと、彼女がそのままいなくなってしまうような気がして。

 小さくなった弥奈子の影がメゾネットのひとつに消えていく。甲高い声が住宅街に響いた。


「あんた! どこ行ってたの!」


 立ち去りかけていた史郎は、ビクリとして足を止めた。

 振り返る。

 扉は開け放たれたままになっていた。その向こうに立っているのか、弥奈子の姿は視認できない。しかし、声は明らかに彼女の家から聞こえていた。


「はァ? 嘘吐くんじゃない。どうせ男のとこだろ? わかってんだよ!」


 声の主は女性だ。それもまだ若いので、弥奈子の母親であることは察しがつく。


「何度も言ってんだろうがよ、このアバズレ。そんなに出て行きたいならさっさと行けよ。二度と帰って来るんじゃねえ!」


 史郎は足を踏み出しかけた。が、通りがかった自転車が理性を取り戻させる。

 ここで自分が出て行くのは逆効果だ。それに、自分は弥奈子にとって赤の他人でしかないのだから。

深く関わるべきではない。

 史郎は自分に言い聞かせると、踵を返した。

 西日が眩しい。入道雲に日が当たり、雲の隙間から光の筋が放射状に伸びている。光に縁どられた輪郭はハッとするほど鮮やかで、この世のものとは思えない神々しさがあった。

 その美しい光景を史郎は直視できなかった。

 立ち止まる。

 引き返す足は、先程よりも軽やかに動いた。

※■は環境依存文字です。漢字としては実在しますが、サイトの仕様上に載せることができませんでした…

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