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目目目  作者: 祇光瞭咲


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7話後 一つ目の神

 外へ出た途端、視界を覆い尽くす幻覚の狂瀾が僅かに薄くなった。天を仰いで理由を悟る。月光だ。月光が幻覚を緩和してくれているのだ。

 それとも――月光の下を走りながら、嫌な考えが史郎の頭を過る――自分は少しずつこの映像の奔流に慣れてきてしまったのだろうか。

 このまますべてを受け入れた時、自分はどうなってしまうのだろう。

 怪物に、なるのだろうか。

 思わず弥奈子の手を引く手に力を込めると、彼女が手を繋ぎ直してきた。その存在に、「守らなければ」と史郎は決意を新たにする。

 月光の傍らに、巨大な何かが聳え立っていた。それは天を突き破りそうな大きさで、全身が赤く塗られていた。額に開いた白金色の瞳を輝かせながら、二対の腕で手招きを続けている。


「なんだよ、あれ……」


 史郎が慄くと、傍らで弥奈子が呟いた。


「亞慈那様……」

「亞慈那様?」


 史郎は吐き捨てた。


「ってことは、あいつが諸悪の根源か。ふざけんなよ」


 どちらに逃げるべきか躊躇っていると、背後から絶望の声が聞こえた。


「何だあれは!」

「大変だ……舞原導師は無事なのか?」


 それらの声は、すぐに断末魔の叫びへと変わった。

 ボウが人を襲っているのだろう。幻覚だらけの視界では個人を識別することはできなかったが、サーモグラフィーのように色を塗られた人影が本部棟に走っていくのは視認できた。ボウが首を跳ねるたび、発光する人影から燐光を纏う蝶の大群が噴き出した。


「ここはもう駄目だ。すぐに離れないと……」


 史郎が周囲を見回すと、前方に赤い帯を見た。それはぐるりと辺りを囲んでいたが、ある一点で千切れている。千切れた帯はリボンのようにひらひらと天へ泳いでいた。

 あれが結界だ。舞原が張っていたという結界の残骸。史郎が八塚を招き入れたことで破壊してしまったもの。

 結界の割れ目を抜けながら、史郎は唇を噛み締める。

 悔やんでも悔やみきれない。舞原ははじめから自分たちを救おうとしてくれていたのだ。本当の敵は八塚だった。にもかかわらず、史郎は八塚の方を信じることを選び、自らを窮地に陥れてしまった。

 考えてみれば、おかしなことばかりだった。住宅街で襲われた時も、今夜寮で連絡をくれた時も、八塚の登場は狙いすましたようにタイミングがよかった。

 舞原と八塚、両者の話から考えるに、二人は端から対立していたのだろう。舞原は亞慈那、つまりバクという神を信仰しており、目目目の呪いが無闇にボウを増やすことを防ごうとしていた。ボウである八塚は、同類を食って力をつけるためにボウを増やそうとしていた。だから、舞原の存在が疎ましかった。

 八塚は史郎を誘導して、中から彼を招き入れさせた。そして、見事舞原を手に掛けたのだ。

 舞原を失って、これから自分たちには何ができるだろう。どうすれば八塚を退け、目目目の呪いから自由になることができるのか――第三の目が開いてしまった以上、もうどうすることもできないかもしれないが。


「史郎さん」


 考え事に耽っていた史郎は、弥奈子の声で我に返った。

 いつの間にか山の奥へと分け入っていたらしい。燐光に縁どられた草木が行く手を塞いでいる。ぬるりとした感触に気が付いて腕に触れると、全身が傷だらけだった。


「史郎さん、どこに行こうとしてるんですか。このままじゃ……」

「あ……ここはどこだろう?」


 それほど遠くない場所で、大勢の人間の叫び声がする。亞慈那導会の信者たちが怪物に襲われているのだろう。その悲鳴の凄惨さに耳を塞ぎたくなったが、彼らのおかげで時間が稼げているのも事実である。史郎はきつく目を閉じて、悲鳴の数々を意識から遠ざけた。

 呼吸が整うと、様々な知覚を取り戻した。手足の打撲、擦り傷の痛み。汗と血の不快な湿り気。煩いばかりの虫の声。むわりと立ち昇る土と草の匂い。そして、指先に伝わる弥奈子の震え。

 咄嗟に史郎は彼女の体を抱き締めた。


「史郎さん?」


 弥奈子が驚いて身を固くする。


「ごめん! 本当に、ごめん……」


 史郎は震える体を掻き抱き、悔しさに声を張り上げた。


「俺がいけなかった! 素直に舞原を信じていれば、こんなことにはならなかったんだ。俺が八塚を引き入れたせいで、君が助かる道まで奪ってしまった!」

「そんな……違いますよ、史郎さん」


 弥奈子の手が恐々と背中に回された。火照った史郎の体に比べると、彼女の腕は冷え切っていた。


「もとはと言えば、私のせいです。私が史郎さんを巻き込もうとしたんだから」

「だけど、君だってこんなことになるとは知らなかっただろう? だから、君は何も悪くない」


 史郎は嗚咽交じりに言った。


「事態を悪化させたのは俺なんだ。俺は、取り返しのつかないことをしてしまった……」

「やめてください」


 弥奈子は体を離し、史郎の顔を覗き込んだ。

 木々の隙間から月光が差し込む。こんな時でさえ、弥奈子は美しかった。長い睫毛の下で輝く、宝石のような双眸。額に開いた異形の眼さえも、その美しさに一役買っている。


「史郎さん、私は何も怒ってないです。あなたのせいだなんて思ってないんです」


 彼女は史郎の頬に触れ、ふ、と微笑んだ。


「大丈夫。大丈夫です。だから笑って。私、あなたの笑顔が見たい」


 史郎は彼女を見つめた。目の奥が痛み、涙が溢れそうになる。それを必死で堪え、史郎は彼女に向かって微笑みかけた。ぎこちなく、血に塗れていたけれど、精一杯優しく微笑んだつもりだった。


「……弱気になってごめん。君は、必ず俺が助けるから」


 弥奈子は微笑を浮かべるだけだった。

 下界の声が止んだ。

 慧眼の開眼によって研ぎ澄まされた五感が、怪物の移動を知覚する。


「……来る。行こう」

「行くって、どこへ? 行く宛てなんて――」

「どこでもいい。でも、山の中を歩くのは危険だ。どこか隠れてやり過ごせる場所を見つけないと」


 まるで願いが通じたかのように、史郎の視界が開けた。光る水連の花が浮かび上がり、行くべき道を照らしてくれる。草木が邪魔をし、時には岩や木の根に躓いたりもしたけれど、二人は躊躇わなかった。

 幻影の道に沿って突き進み。

 やがて、目の前に古い建物が現れた。

 倉庫だったのか、何かの設備だったのか。コンクリート造の平屋で、窓も扉もなくなっている。蔦が外壁を覆いつつあり、半ば草木に埋もれていた。

 二人は手を取り合って廃墟に足を踏み入れた。景色は相変わらず幻影に塗れていたが、靴底には瓦礫の凹凸を感じた。史郎は弥奈子を支えながら、廃墟の中でもまだ座れそうな場所を探した。

 二人で縺れるように座り込む。弥奈子が史郎の胸に頬を預け、大きく息を吸い込んだ。

 しばらく、そうしていた。

 互いの呼吸を聞き、上下する肺の動きを感じ、混じり合う体臭を嗅いだ。走って汗を掻いたからか、立ち止まると徐々に冷えが二人に押し寄せた。より体を強く押し付け合い、熱を分かち合う。

 遠くに怪物の気配を感じる。こちらが怪物の位置を知覚できるように、相手もこちらの位置を正確に把握できるのだろう。進む速度は速くはないが、怪物は真っすぐにこちらへと歩んで来ていた。

 建物の中に入って月光が遮られたために、視界を蝕む幻影は酷くなっていた。もはや悪夢が繰り広げるサーカスを見ているようだ。人が生まれ、死に、虫に喰われて朽ちていく様が繰り返し再生されている。

 その中には、結城梨絵の幻もあった。

 梨絵が微笑む。

 史郎は、梨絵を、犯して、首を、絞めて。殺して。

 次は弥奈子を手に掛ける。


「やめてくれ……っ! もう、沢山だ……っ!」


 とうとう耐え切れなくなって、史郎は叫び声を上げた。怪物に気付かれることを恐れて口を覆ったが、それも今更だった。怪物が木々を圧し潰す音は着実に近づいている。

 滂沱の涙を流して目を見開くと、弥奈子がこちらを覗き込んでいた。


「つらい?」

「つ、ら……?」

「私もね、赤ちゃんの声が聞こえるの。沢山の顔のない赤ちゃんがね、体に這い上って来るんです」


 弥奈子は笑っていた。呆然と見つめる史郎を前に笑顔が歪み、彼女はゆっくりと手を上げた。握られていたのは、太くて長い錆びた釘。


「これ、使ってください」

「……は?」

「舞原さんが言っていたじゃないですか。『一つ目で神。二つ目で人。三つ目で妖』って。左右の目のどちらかを潰せば、人間に戻れます。幻覚も治まりますよ」


 史郎は目を見開いた。


「そんなこと、できるわけ……っ」

「心配しないで。私もやりますから」


 弥奈子は言った。


「あいつに食べられて、栄養にされるなんて御免です。史郎さん、私、死ぬなら人間として死にたい」


 弥奈子は史郎に釘を握らせた。ざらりとした手触り。僅かに湾曲したそれは、手の中でもまだ冷たさを保っていた。


「無理だ、そんな!」

「史郎さん」


 低い声音に息を呑む。

 彼女の目は、まだ生を諦めてはいなかった。

 そうだ。自分は弥奈子を守らなければならない。

 このままでは怪物に食われるよりも先に、精神が壊れてしまうだろう。そうなったら、弥奈子を最後まで守ることができなくなってしまう。

 取るべき道はひとつしかない。

 恐怖で吐き気が込み上げたが、胃液以外に吐くものはなかった。

 史郎はゆっくりと釘を掲げた。左目の前で水平に構えてみる。ブレた焦点が時間を掛けて像を結ぶと、錆びた切っ先は小刻みに震えていた。

 心が折れそうになる。痛みを想像するだけで涙が溢れた。それなのに、見開いた目は痛いほどに乾ききっている。

 目玉の弾力を想像する。手元が狂って外れたらどうしようと恐怖する。眼球の外側を滑った釘は、きっと粘膜を突き破って、脳髄に――……。

 バキリ、と一際大きな音が近くで聞こえた。建物のすぐ外まで怪物が迫っている。それに急かされるように、史郎は覚悟を決めた。

 膝で挟んで肘を押さえ、頭を大きく仰け反らせる。勢いよく振りかぶって、頭を手に打ち付けた。握り込んだ釘の先端へ。


 ぶちゅり。

 感触が掌に、そして眼窩に伝わる。


 感じたのは圧迫感が先だった。咄嗟に目を瞑ってしまったために、釘は瞼を貫通して眼球に刺さっていた。このままでは引き抜けない。思い切って釘を下に動かすと、錆のザリザリした手触りと共に、瞼が裂けて鋭い痛みが走った。

 嗚咽とも悲鳴ともつかない声を上げながら、史郎は無我夢中で釘を引き抜いた。眼球のぬるりとした動き。軋むような感覚がしたのは一瞬で。ちゅぽんと小気味よい音を立てて、眼球が抜けた。

 視神経が千切れ、激痛が走る。

 史郎は絶叫した。

 怪物が戸口に現れたのは、史郎の叫びと同時だった。膨れた体から突き出した無数の触手。黒々としたその腕には、数えきれないほど沢山の目が開いていた。

 ボウが迫る。

 史郎は目玉の刺さった釘を捨てると、血みどろの目で怪物を睨み付けた。


「失せろ、バケモノ。弥奈子ちゃんには指一本触れさせないぞ!」


 弥奈子の見立て通り、左目を潰したことで史郎の視界から幻影は消えていた。狭まった視界で素早く室内を見回すと、砕けたコンクリートの中から転がり落ちた棒綱が目に入る。錆が掌を傷付けたが、史郎は構わずそれを握り締めた。


「史郎さん、駄目!」


 弥奈子が制止を叫ぶが、史郎は棒綱を振りかぶり、怪物に向かって突撃した。

 しかし残念ながら、彼の攻撃はほとんど意味を為さなかった。どれほど怪物を強打しても、不快な弾力のある皮膚に阻まれて、大きな衝撃を与えることはできない。ついには棒綱の方がひしゃげてしまった。

 史郎は諦めなかった。棒綱を投げ捨てると、今度は手当たり次第に殴り付ける。蹴り、引っ掻き、目玉に指を突っ込んだ。目玉を攻撃される瞬間だけ怪物は怯んだが、目玉は数えきれないほどある。すぐに別の目が取って代わり、史郎を鋭くねめつけた。

 不意に触手が伸び、史郎の体に纏わり付く。抜け出そうと藻掻くけれど、それは瞬く間に彼の体を締め上げた。


「あ、うあ……」


 怪物の力は凄まじく、全身から骨が軋む音がする。息ができなかった。


「史郎さん!」


 弥奈子が悲鳴を上げている。史郎は残った右目で彼女を捉えた。


「弥奈子ちゃん……逃げ、ろ!」

「でも」

「いいから、行くんだ!」


 怪物が触手の一本を持ち上げた。先端部が種子のように膨らんだかと思うと、それは十字にぱっかりと割れた。赤黒い肉に覆われた内側には、人間のものに非常によく似た臼歯が何重にも生えている。粘りけのある唾液が滴り落ちた。

 食われる。

 史郎は死を覚悟した。

 その時。


「ああっ」


 近くで苦痛の声がした。

 途端、鐘を打つような音が辺りに響く。


「な、なんだ……っ?」


 怪物も動きを止めていた。花のように咲いていた口を閉じ、ぶるぶると震えている。怪物は明らかに動揺を見せていた。


 鐘の音。

 鐘の音。

 感じたのは光だった。光は温もりを伴って、史郎の頬を照らしていた。


 弥奈子が前に進み出る。

 彼女の両目は血に塗れていた。代わりに額の目が爛々と輝き、美しい閃光を迸らせている。彼女は手にした釘を掌から滑り落としたので、釘が床に中って小さな音を立てた。

 史郎の視界は再び極彩色に彩られる。ただし、今度のそれは不快さも混沌もなく、ただ幾千の色が共存しているだけだった。

 どこかから光の川が流れてきた。音楽だ。弦楽器の音色が光に乗って宙を舞い、弥奈子の体を取り囲んでいる。蝶は金粉を撒き散らし、小鳥が命の尊さを歌う。

 天女たちが降りてくる。

 彼女らは弥奈子を取り囲むと、恭しく傅いた。


 一つ目で神。二つ目で人。三つ目で妖。


 弥奈子は両目を潰し、慧眼に打ち勝ったのだ。

 彼女は、神になった。


「そんな……弥奈子ちゃん……」


 史郎は呆然とし、うわ言のように彼女の名を呟くことしかできない。

 触手の拘束が緩んだ。膨張していた怪物の体は見る見るうちに収縮し、黒い塊になっていく。やがてそれは人間の姿に戻った。

 八塚は狼狽えていた。三つの目すべてから滂沱の涙を流し、弥奈子を見つめている。


「行きましょう」


 弥奈子は八塚に歩み寄り、彼の手を取った。


「弥奈子ちゃん、何を……?」


 史郎が呼び掛けると、彼女は額の瞳を細めて笑う。


「この人は私が連れて行きます。現世にいては、この人は救われないから」

「な、何を言っているんだ……」

「史郎さん。ほら、見て」


 弥奈子が手を伸ばす。

 天井は消えていた。頭上には満月が燦然と輝いている。

 その月光に導かれるようにして、彼方に佇んでいた巨大な影が身を乗り出す。

 赤い二対の腕。額に開いた第三の目。

 それは祭壇に安置されていた亞慈那の像そのものだった。


「亞慈那様が迎えに来てくださいました。私たちはもう行きます」

「弥奈子! 駄目だ!」


 史郎は必死で叫んだが、振り返った弥奈子の顔には深い慈愛と恍惚が刻まれていた。


「行っちゃいけない……! 行ったらもう戻ってこれなくなるぞ……!」

「いいんです。史郎さんが無事なら、それで」

「俺はよくない! 弥奈子、待て。ダメだ……頼む……っ!」


 追い縋る史郎。

 弥奈子は微笑んだ。

 かつて見せたことのない、心からの笑みで。


「史郎さん。私、あなたと不幸になれて幸せでした」


 光が薄れていく。

 すべての光が消えた時、そこには亞慈那も、八塚も、何もかもいなくなっていた。

 水仙寺弥奈子という少女もまた、この世から消えてしまった。

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