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目目目  作者: 祇光瞭咲


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14/17

7話前 救援

 今宵は満月のようだ。

 カーテンの隙間から月光が差し込んでいる。

 史郎は男子寮の部屋に閉じ込められている。抜け出そうと試行錯誤しているが、今のところ脱出の糸口は見つかっていない。

 窓から脱出することは不可能だった。一枚の硝子窓を斜めにスライドさせて開閉する方式だったので、換気はできれど、どう足掻いても人は通れない。

 時間を置いて扉を押してみることもしてみたが、どうやら見張りは扉の前に椅子を置いて座っているらしい。扉が開けられないどころか、脱走しようとしているのがバレて注意されてしまった。

 それでも、亞慈那導会の人間たちは終始史郎に対して親切だった。憤る史郎を根気よく宥めすかし、時間になると食事も差し入れてくれた。食事は焼き魚の定食で、デザートに一口ゼリーまで付いてきたことに、史郎はなぜだか気が抜けてしまった。

 食事は二、三口でやめてしまった。食欲がない。

 弥奈子のことは心配だったが、食事を運んできた信者の口ぶりでは、もう何日か猶予があるらしかった。まずは数日様子を見て、体調を整えてから手術に臨むのだと言っていた。それならば、今夜急いで脱出することもないだろう。朝を待ち、もう一度弥奈子を説得してから、隙を見て二人で抜け出せばいい。

 史郎には、弥奈子を見捨てて逃げるという選択肢は存在していなかった。むしろ、何があっても彼女だけは助けたい。この命に代えたとしても。昨晩の幽霊を、そして今朝絵梨の夢を見たことで、史郎のその想いは決心へと変わっていた。

 これは絵梨に対する罪滅ぼしなどではない。かつての恋人は既にこの世の人ではない。彼女の死によって、史郎は永久に謝罪の機会を失ってしまったのだ。自分はこの罪を生涯背負っていかなければならない。

 でも、だからこそ。

 今度は絶対に逃げ出したくない。自己満足だということはわかっている。それでも、史郎は前を向きたかった。前を向いて、胸を張って未来を生きたかった。


「そうだ」


 史郎は額に手を触れて独り言ちる。


「ここで死ぬわけにはいかない。こんな、ふざけた呪いなんかで」


 その時、微かな振動音に気が付いた。

 一定のリズムを繰り返すその音に、はじめは何かわからなかったが、すぐに音の正体に思い当たる。

 史郎は飛び起きて机に駆け寄り、鞄を開いた。スマートフォンが振動している。

 これは個人用の端末だ。史郎は日頃会社用と私物と二つのスマートフォンを持ち歩いている。泉谷に電子機器の提出を求められた時、咄嗟に仕事用だけを預けたのだ。

 白く光った液晶には、「八塚」と表示されていた。

 驚いている間に電話は切れた。史郎はちらりと扉の方に目をやって、すぐにメッセージを送り返す。


「八塚さん、ご無事だったんですか。よかったです」


 返信はすぐに来た。


〈連絡が遅くなってすみません。大丈夫ですか?〉

「今、電話に出られなくって。亞慈那導会の施設にいるんです」

〈ええっ?〉


 史郎が返信を打つ間に、立て続けにメッセージが送られてきた。


〈そこは危険な宗教です。滅茶苦茶なことを言って手術をしようとしてきます〉

〈手術なんて嘘っぱちです。そんなので目目目の呪いは解けません〉

〈すぐに逃げてください。あなたの身が危ない〉


 史郎は呆気に取られて端末を見下ろした。


「危険って」

〈彼らは人の目を潰すことが善行だと信じてるんだ。しかも、その手術で取り出した目玉をどうすると思います?〉


 史郎は息を呑んで続きを待つ。


〈食べるんですよ〉

「まさか」


 ドッと汗が噴き出した。嫌悪感が込み上げる。

 史郎は八塚の言葉によって、亞慈那導会への疑いが確信に変わっていくのを感じた。やはり、弥奈子に手術を受けさせてはいけない。


〈逃げないと。すぐにそこを出れますか?〉

「無理です。俺は閉じ込められています」


 それに、と追加でメッセージを送る。


「弥奈子ちゃんも。彼女は手術を受けることを了承してしまいました」

〈駄目だ。逃げましょう〉

〈車で迎えに行きます。ちょうど近くにいるので〉


 八塚は史郎の返信を待たずに連投する。


〈裏門で待ち合わせしましょう。一時間後に着きます。そちら側から門を開けてください〉


 考えるまでもなかった。史郎は「わかりました」と送り返し、スマートフォンをズボンの尻ポケットに収めた。

 時計を見る。現在二十時三十八分。

 一時間の間に、弥奈子を連れて来られるだろうか。

 史郎は早速行動を開始した。まずは呼吸を整え、興奮が表に出ないよう気持ちを静める。それから脱出のための作戦を練ったが、手掛かりは壁に貼られていた。

部屋の扉をノックする。廊下からはすぐに応答があった。


「どうしました?」


 声から判断するに、今見張りをしているのは小山だろう。史郎は扉に手を当てて、哀れっぽく訴えた。


「あの……さっきは暴れてしまってすみませんでした。反省しています」

「ああ、そうですか。どうぞお気になさらず。誰だって動揺することはありますよ」


 小山は優しく返事をしてくれる。史郎は大きく息を吸い込んだ。


「実は、お願いがありまして」

「なんですか?」

「外に出してほしいんです」


 小山はすまなそうに声を落した。


「それはちょっと。もう夜も遅いですし、お部屋でお休みください」

「お願いします。そのぅ、煙草が吸いたいんですよ。一服しないと落ち着かなくて」

「煙草ですか……」


 史郎は傍らの壁を振り返る。そこには禁煙を示す紙が掲示されていた。


「この部屋、禁煙ですよね。部屋の中で吸えないなら、せめて庭に出て吸わせていただけないかと思いまして。煙草が吸えたら、もう少し気持ちが落ち着くと思うんですけど」

「ああ……ううん……」


 小山は悩んでいるようだ。史郎は扉に頬を付けたまま、祈るような気持ちで返事を待った。

 椅子を引く物音がして、扉が細く開く。史郎は急いで後ろに飛び退いた。小山が顔を覗かせる。彼は探るように室内に目を走らせてから言った。


「それじゃあ、少しだけですよ。私が一緒に行きますから、付いてきてください」

「ありがとうございます!」


 小山が付いてくるのは想定外だが、部屋から出られただけでもまずは前進だ。史郎は逸る気持ちを押さえながら、必死で安堵の笑顔を繕った。


「こちらですよ」


 向かったのは渡り廊下の方ではなく、反対側の突き当りだった。非常口の表示が掲げられた扉があり、小山が鍵を開けて外に出るよう促す。窓に集まっていた蛾が一斉に飛び立った。


「そこの出たところでお願いしますね」

「ありがとうございます。あの、待ってなくてもいいですよ。煙たいでしょうし……」

「いえ、待ってます。一本だけにしてくださいね」


 二人は外に出た。

 さて、どうしたものか。

 史郎は素早く思考を巡らせる。煙草が吸いたいというのは噓八百だ。史郎は喫煙者ではないので、そもそも煙草を持っていない。

 ぐずぐずしていると、小山が疑いの目を剥けてきた。

 斯くなる上は。

 史郎は覚悟を決め、振り返りざまに小山に殴り掛かった。


「うっ……!」


 小山が壁に倒れ込む。驚愕の眼差しに射抜かれながら、史郎は立て続けに拳を振るった。三発ほど顔面を殴打すると、小山は鼻血を出して動かなくなった。

 荒い息を吐く。

 全身が震えていた。

 人に暴力を振るったのは初めてだ。できれば、これが最後にしてほしい。

 史郎は小山のポロシャツで手を拭い、辺りを見回した。少し離れたところに畑があり、傍に物置小屋が建っている。小山を閉じ込めておくには、あそこがちょうど良さそうだ。

 史郎は小山の体を担ぎ上げ、物置小屋へと運び入れた。中には農具の類が収められている。細いがロープもあったので、念のために小山の手足を縛っておいた。これなら目が覚めてもすぐには助けを呼べないだろう。

 寮の方へ取って返す。

 月が眩しい。月光に照らされた自分の体が他人のもののように感じられた。

 時計を見る。なんだかんだしていたら、約束の時間まで残り三十分ほどになってしまった。それまでに弥奈子を連れ出さなくては。

 女子寮に近づく。中に入るのは危険だと判断し、外を回って窓から中を確かめることにした。多くの部屋はカーテンが閉まっていたので、その隙間から覗き込む。

 寮を一周してみたが、弥奈子の部屋を見つけることはできなかった。覗けなかった部屋も多くある。この方法では彼女を見つけることは難しいかもしれない。

 悩んだ末に、史郎は先に八塚と落ち合うことに決めた。彼に会い、明日の昼間に改めて迎えに来てくれるよう頼む方がいいだろう。

 八塚が言っていた裏口は簡単に見つかった。敷地を囲む塀の一角に白い扉がはめ込まれている。この辺りでも塀には赤い線が引かれており、扉を横断して敷地のさらに奥へと続いていた。

 扉に近づこうとして、史郎はハッと建物の影に身を潜める。塀の内側を巡回するようにして、信者の集団が歩いていた。十人くらいはいるだろうか。声を合わせてぶつぶつと経のようなものを唱えている。

 史郎は息を殺して集団をやりすごすと、急いで塀に駆け寄った。サムターンキーを回して扉を開ける。


「うわっ」


 途端に声が上がり、史郎は腰を抜かしそうになった。同じく驚いている八塚と目が合う。


「ああ、びっくりしたぁ。声くらい掛けてくださいよ」

「すみません……。もう来てたんですね」

「はい。案外早く着きまして」


 月光を浴びて、八塚の髪が金色に輝く。相変わらずラフな格好で、目立つ怪我などはしていないようだったので、史郎は胸を撫で下ろした。


「よかった。ご無事そうですね」


 八塚は一瞬何を言われたのかわからない様子だったが、すぐにパッと破顔した。


「あー! なんとかね。でもまあ、予想以上に相手が強くて、祓いきれなかったんですけど。まだ呪い、残ってるでしょ?」


 そう言われた途端、額にズキリと痛みが走った。史郎は額を押さえる。


「そうですね……」

「心配しないで。ここから出たら改めてちゃんとお祓いしましょ。お金はまあ……後払いってことにしとくんで」


 八塚は史郎の肩越しに塀の中を覗き込んだ。


「で? 弥奈子ちゃんは?」

「それなんだけど……」


 史郎はまだ彼女を見つけられていないことを話した。


「――だから、明日改めて迎えに来てもらうことはできませんか?」

「いやいや! それは無理でしょ。昼間になったら人の目が増えるもん。ていうか、ちょうどいいっすよ!」


 八塚は勢い込んで言うと、史郎を押し遣って敷地内へ入ろうとした。


「自分も行って一緒に探します。人手がある方が早く見つかるっしょ」

「えっ! それは危険ですよ」

「そう、危険なんですよ。弥奈子ちゃんの身が」


 八塚は史郎の言葉を遮ると、ずいと身を乗り出した。長い前髪の隙間から、真剣な面持ちで史郎を見据える。


「あんなに若くてかわいい子をこんな得体の知れないところに放り込んで、無事で済むと思います? 今頃何されてるかわかりませんよ?」

「……っ!」


 史郎が表情を険しくしたのを見て、八塚は大きく頷いた。


「そうです。だから、一緒に行きましょ」


 史郎は逡巡し、結局体を引いて八塚を招き入れた。


「すみません……。八塚さんまで危険に晒してしまって……」

「いいですって! 困った時はお互い様ってね」


 八塚は人懐こく歯を見せて、史郎の前を通り過ぎた。


「手前の二棟はなんですか?」

「右が女子寮で、左が男子寮です」

「ってことは、奥がメインの建物かな?」


 彼が大股で歩き出すので、史郎は慌てて腕を掴んだ。


「気を付けてください。信者たちが巡回しています」

「あ、りょうかーい」


 笑う八塚には緊張感がまるでない。酷くなった頭痛のせいも相まって、史郎は顔を顰めずにはいられなかった。


「そしたら、自分はあっちの大きい建物に行ってきます。安宅さんは女子寮の方をよろしく」

「え? でも――」

「二手に別れた方が早いでしょ? それに自分、ずっとここを調べたいと思ってたんすよね。ここの人たち、なんかヤバいもの信仰してるみたいなんで」


 八塚はそれ以上史郎の言葉を待たず、本部棟へと行ってしまった。残された史郎は心配そうにその背を見送り、女子寮へと引き返す。

 建物を前にして史郎は考えた。弥奈子も史郎と同じく来客用の部屋を宛がわれているはずだ。二つの棟が同じ造りであるのなら、部屋の場所も同じなのではないか。

 早速目星をつけた部屋の前に移動する。史郎が泊まっている部屋と同じ位置の部屋を含め、両隣の部屋とも電気は点いていなかった。

 少し躊躇ったけれど、意を決して窓を叩いてみる。すぐに脇に退いて様子を窺ったが、誰も窓の方へ出てくる気配はない。

 やはり留守なのか。

 史郎が次の手を考えていると、再び塀の方から人の足音が聞こえてきた。信者たちの巡回がこちらに近づいてきているようだ。史郎は建物を回り込んで身を隠した。

 幸運は史郎に味方した。

 ふと本部棟を見上げると、二階の窓に電気が点いていた。窓から見える黒い後頭部に覚えがある。弥奈子を見つけた。

 ということは、あそこは舞原の書斎に違いない。二人は後で話をすると言っていたから、夕方案内されたあの部屋で面会しているのだろう。

 そうとわかれば、史郎は速足で渡り廊下を通り抜け、本部棟に忍び込んだ。

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