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目目目  作者: 祇光瞭咲


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1話 出会い

 無難で安全な人生を送るために第一に守るべきことは、ずばり、他人の抱える問題に関わらないことだ。これは安宅史郎(あたけしろう)が高校時代から胸に刻んでいる教訓であり、信念である。それは厄介事に巻き込まれないためということもあるし、そもそも自分ごときが他人の問題に口を挟むべきではないのだ。

 しかし、史郎は今日、この信念に反することをした。

 事の発端は、華もくそもない金曜日。季節は八月、夏真っ盛りであった。久しぶりの定時退社の解放感に浸りながら、自宅の最寄り駅に降り立った時だった。

 先に下車した乗客が黒い波となって史郎の前を歩いていた。その波に従って、史郎も自動改札を通り抜ける。視線が改札横のコンビニに彷徨い、それから正面に向かうのもいつものこと。

 駅の正面には水の枯れた噴水のある広いロータリーがある。この時間はひっきりなしに自家用車が出入りして、帰宅する家族を拾っては去っていく。

 そのロータリーの前に、ひとりの女子高校生が立っていた。

 夜でも蒸すような暑さだというのに、彼女の佇まいに涼を感じて目が留まる。夏物の白いセーラー服にカーディガンを着こみ、きちんと両手で学生鞄を持った姿は、どこか作り物めいていた。

 見惚れてしまったのもつかの間、目が合ってしまった気がしたので、史郎は慌てて下を向いた。わざとらしく無線イヤホンを付け直す。

 ところが、足早に立ち去ろうとしたところで、少女が声を掛けてきた。


「すみません」


 澄んだ声だ。風鈴に喩えたいが、それにしてはどこか物悲しい。

 史郎はぎこちない動作で顔を上げた。少女はわざわざこちらの前に回り込み、顔を覗き込むようにして行く手を塞いでいた。


「あ、はい」


 史郎はイヤホンを片方外した。


「なんですか?」


 無関心さを前面に押し出して言う。

 史郎自身にやましいことはなかったが、かつてこの駅でも何度か援助交際らしき現場を見たことがある。彼女もそういう手合いだとすれば、関わらないに越したことはないと考えた。間違って知り合いにこの現場を見られ、あらぬ噂を立てられても面倒だ。

 チラリと少女を窺うと、彼女はマスクをしており、表情は読めなかった。背は高い方だし、目元だけ見れば大人びて見える。真っすぐに垂らした黒髪の間から、形の良い耳が覗いていた。


「お話があって。少しだけいいでしょうか」

「はあ」


 史郎は周囲の目を気にして視線を泳がせた。帰宅する人々はほとんどがこちらに目を向けないが、時折好奇の視線を感じる気がする。


「車の運転はできますか?」

「は?」


 あまりに唐突な質問に、史郎の注意は目の前の少女に引き戻された。呆気に取られて目を瞬くと、少女はゆっくりと繰り返す。


「車です。持っていないなら、レンタカーでもいいんですけど」

「いや、あの。運転はできるけど……何? 何の用?」

「行きたいところがあるんです」


 少女は長い睫毛を持ち上げて、じっとこちらを見つめている。

 史郎はもう一度自分たちを見ている者がいないかどうか確かめた。制服姿の女子高校生と三十代半ばのサラリーマンなんて、どう考えてもいかがわしい関係にしか見えないだろう。家族だと言い張るには、二人の態度はよそよそしすぎる。


「え、何? そういうのなら他を――じゃない、やめなさい。こんなこと」


 史郎は彼女を無闇に怖がらせないように、それでいて威厳を見せようと、軽く彼女を睨み付けた。すると少女は首を振る。


「違います。援助交際じゃありません」

「違うの?」


 史郎は拍子抜けした。


「じゃあ何?」

「一緒に胎内廻りに行ってくれる人を探しています」

「……はい?」


 聞き間違えかと思ったが、彼女は大真面目に「胎内廻りです」と繰り返す。史郎はもう片方のイヤホンも外した。


「胎内廻りって……お寺とかにある、暗いところを歩くやつ?」

「そうです」


 胎内廻りについて、史郎はテレビで紹介されている程度の知識しか持ち合わせていなかった。ざっくりと言えば、お寺の地下にある真っ暗な道を手探りで進むというものだ。どういう原理かまでは知らないが、それを行うと願いが叶う等の御利益があるらしい。

 しかし、なぜそんなものをわざわざ。

 史郎は少し考えて手を打った。


「あ、もしかしてあれ? 新手の隠語?」

「隠語?」


 少女はきょとんと目を見開いて、それから小さく笑ったような素振りを見せた。


「違いますよ。本当にそういうのではなくて、ただお兄さんと胎内廻りをしに行きたいんです」


 史郎は眉を顰めた。


「よくわからないけど、それこそ他をあたりなよ。家族でも友達でも誘ったら?」

「家族も友達もいません」


 彼女は即答してから、目を細めて付け加えた。


「そうじゃないんです。私、あなたと行きたいんです。一緒に行ってくれる人を探してるっていうのは嘘で。この一週間ずっと、お兄さんに話し掛けるためにここで待っていました」


 史郎はあんぐりと口を開けた。それから素早く周囲を見回して、仕掛け人の姿を探す。ドッキリにしろ美人局にしろ、すぐにでも誰かが現れて自分を嘲笑うのではないかと思った。

 けれども、少女はまたしても首を振った。


「本当にそういうのじゃないです。信じてください」

「いや、あのさ」


 史郎は片手で髪を掻き毟りながら言った。


「何が目的なのかわからないんだけど……。率直に用件を言ってもらってもいい?」

「わかりました。じゃあ」


 少女は史郎に向かって身を乗り出し、マスクをずらして素顔を見せた。


「私のこと、覚えていませんか?」

「……ええ?」


 どこかで見たことがあるだろうか。普段高校生と接すること自体がないから、会っていれば記憶にあるはずだけれども。心当たりはない。

 史郎がなおも悩んでいると、少女は鞄の中から折り畳み傘を取り出した。茶色いチェック柄の大振りの傘は、間違いなく史郎のものだ。


「あ」


 忘れていた記憶が蘇る。

 半年か、もっと前のことだろうか。やはり同じこの場所で、史郎は彼女に会ったことがあった。

 冷たい雨の降る夜だった。

 少女は駅舎の脇でしゃがみ込んでいた。人目を避けるために、あえて軒下から外れた場所を選んだのだろう。彼女はずぶ濡れで、そして泣いていた。

 まさにドラマや小説のような出来事だった。忘れるわけがない。


「もしかして、あの時の?」

「はい。傘、ありがとうございました」


 その時は私服姿だったし、夜で顔もよく見なかったから、一目であの子だとわからなかった。ようやく話し掛けられた理由の合点がいったことで、史郎は彼女に対して僅かに緊張を解いた。


「なんだびっくりした。ひょっとして、傘を返すためにわざわざ?」

「はい。だから、胎内廻りに行くなら、お兄さんと一緒がいいなって思って」


 そこが繋がらない。

 単にお礼を言いに来たならまだ話がわかるのだが、どうして胎内廻りなのか。

 無表情でこちらを見続ける彼女に、史郎はますます困惑した。


「全然話が読めないんだけど。なんで胎内廻りに行きたいの?」

「好奇心です」


 それはそうか、という回答だ。史郎は質問を重ねる。


「なんで俺と?」

「ひとりだと怖いからです」


 少女は口角を上げたが、目は笑っていなかった。

 史郎はまじまじと彼女の顔を見つめ、そこではじめて彼女が大層な美人であることに気が付いた。整った形の鼻。染みひとつない白い肌。その面貌は、儚さと共に妖しげな魅力を秘めている。切れ込みのような目頭が印象的で、見ていると昔隣人が飼っていた猫を思い出す。

 それにしても、なんと瞳の暗いことか。

 史郎はその瞳に魅せられて、彼女から目を逸らせなくなってしまった。


「……ちなみに、その胎内廻りってのはどこにあるの?」

「恵山寺です」

「どこ?」

「隣の県になります。電車で行くにも不便な場所で、車じゃないと行けません」

「なるほど。つまり足が欲しいんだな?」

「そういうことじゃないんですけど……それでいいです」


 少女は煮え切らない答え方をする。はっきりそうと認めることに抵抗を感じたのかもしれない。

 胎内廻りに興味を持って、いざ行ってみようと思ったら足がなかった。そこで隣県まで連れて行ってくれそうな「お人好し」の存在を思い出し、声を掛けてみることにした――大方、そんなところだろうか。確かに御利益だとかパワースポットだとかそういうものは、女子が好きそうなイメージがある。

 史郎は少し考えた。


「いつ行くの?」

「よければ明日にでも。お兄さんのお休みの時で」


 こちとら妻子もいなければ恋人もいない、暇を持て余した独身貴族だ。土日の予定などもちろんない。

 散々悩んだ挙句、史郎は少女の頼みを了承することにした。


「まあ、日帰り旅行だと思えばいいか」

「ありがとうございます」


 少女はぺこりと頭を下げた。長い髪が肩に零れて広がる。作り物のような美しい顔に、ようやく本心と思える安堵した笑みが見えた。

 少女の名前は水仙寺(すいせんじ)弥奈子(やなこ)というそうだ。彼女の花のような佇まいによく似合う名前だと思った。

 弥奈子とは明日の十時にこの場所で待ち合わせることになった。史郎が車を持っていないと言うと、事前にレンタカーを借りてきてほしいと頼まれた。


「お手数をお掛けしてごめんなさい。お金は後で払いますので」

「それは別にいいよ」


 レンタカー代は安くないが、趣味に乏しい史郎にはこれといって金の使い道がない。気前よく支払うことに悪い気はしなかった。


「それじゃあ、また明日。よろしくお願いします」


 弥奈子はもう一度頭を下げて、史郎とは別の方向、駅の反対側へと帰って行った。足音もしない儚げな後ろ姿に、今の出来事は夢だったのではないかと錯覚をしそうになる。

 いつの間にか次の電車が到着し、駅舎から人が流れてきた。帰宅する人々に圧されるようにして歩きながら、史郎は暑さを思い出していた。


「なんか、変なことになっちまったなぁ……」


 史郎はどこか夢見心地のまま、帰路に着いた。

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