58 だめだな、こいつは
集中できないままパドック周回は終わりそうになっていた。
もう誘導馬が前を行く。
そこに、
「ダメだよ。フウカちゃん」
と、近づいてくる青年。例の背広組。
「そう?」
「仕事中だぜ」
「恥ずかしい?」
仕事中だと言いながら、恋人に声をかけてくる刑事。
いかにも裕福な家庭のお坊ちゃん。フウカを一回り小さくしたような背格好。
顔を少し固くして、リオンと名乗った。
「ちょっとお伺いしたいことがあります」
「ん? なんでしょう」
「三か月前になりますが、倭の国ワールドカップが開催された日、競馬場に来られていましたか?」
「ええ」
あの日。
忘れもしない。
とんでもないことが目の前で起きた。
しかし、この刑事。
あのノーウェの事故のこと?
その聞き込み?
今更?
「あの日、ある女性が亡くなりました。ケイキの着ぐるみを着て。あの事故、ご存知でしょうか」
教え子であり、サークルのメンバーだったノーウェ。
ケイキの着ぐるみのまま、階段から落ちて死んだのだ。
すぐそこに見えているあの階段で。
この刑事が今、最初に声をかけたのが自分だったことには、意味があるのか。
フウカがクスクス笑っている。
思わずブスリとした。
「ええ」
「その時のことをお聞き……」
「ちょっと待ってください」
「はい?」
「その日のうちに、警察には十分話しましたが、まだ何か?」
あっ、という顔をして刑事は、恋人の顔を見た。
「リオン君、知らないかもしれないけど、競馬サークルの先生」
刑事は、また、あっという顔をして、ぺこりと頭を下げた。
「失礼しました」
記憶力の乏しいこの男に、刑事が勤まるのか。
気を取り直して言った。
「何か新しい動きでもあるんでしょうか。事故という結論でしたが」
刑事は恐縮して、体を縮こめながら、またフウカに顔を向けた。
しっかりしろと、喝を入れてやりたくなる。
恋人の顔を見て元気が出たのか、
「再調査をすることになりまして」と、愛想笑いを浮かべる。
フウカにゃ悪いが、だめだな、こいつは。
あんたが聞く相手は他にいるだろ。
例えば、後ろにいる片目の白髪の年寄りとか。
しかし、振り返ると、もうあの男の姿はなかった。




