214 俺にも用があったのか
あなたが。
「待て。ハルニナ。オマエが話しているのは、俺、つまりミリッサか? それとも俺の知らない誰かか? ややこしいから、そいつの名前で呼んでくれないか。明かせないのが掟なら、偽名でもなんでもいい」
「そうね。その方が私も話しやすい。先生に向かって、恋人みたいに話しかけるのは気が引けるし」
じゃ、そうね、んー、えっとぉ。
バロック、ってことにする。
よし。
じゃ、今から、ミリッサと呼ぶときとバロックと呼ぶときと、使い分けてくれ。
バロックと呼んで話しているときは、俺は聞かないようにする。考えないようにする。
「なんだか、それも寂しいなあ」
「勝手なことを言うな。こっちが困ってるんだ」
しかし、それからはたいへんなことになってしまった。
完全にハルニナは恋人に話しかけているつもり。
のろけ話よりたちが悪い。
まともに聞いていられない。
なんとかハルニナの潤んだ瞳から逃れ、全く関係ないことを考えた。
妖怪話、PH話、ノーウェ話、学校話ではないこと。
かねてから考えている、琵琶湖一周、徒歩の旅ビワイチ。
全工程約二百七十キロ。
どこからスタートする?
やはり景色もよく水もきれいな奥琵琶湖からがいいな。
近江今津か、それとも永原もいいかもしれない。
時計回り? 反時計回り?
中年男の一人旅。
開始は春、桜の季節にスタートし、次の花見で満願だ。
そんなことを言わず、この秋から出発してもいいかな。
それでもハルニナの声を完全シャットアウトとはいかない。
何しろ目の前で超美人が金色の長い髪を弄びながら、甘く切ない声で話しかけてくるのだから。
ほとほと嫌になってきたころ、ハルニナの声に変化が起きた。
もう待てないよ。
待てない私が悪いんじゃない。
他の人を好きになりかけてるのよ。
怒らないでね。
別れ話?
それとも、男を靡かせる手練手管?
愛してる、の逆説的表現?
残念ながら、俺には経験が乏しい。
こんなに近くで、目と目を合わせ、言い寄られたことも、別れ話を持ち出されたことも。
何でもいいがよくわからんな、と思った時、ハルニナがミリッサと呼んだ。
やれやれ。
俺にも用があったのか。




