287 谷川乃蛍 なんて風雅な名なんだ
また狐が案内してくれる。
「自慢のお風呂やねんで。じゃ、後で」
ランと別れ、屋敷の最奥部の反対側に向かった。
屋敷内を歩き回って気付いたことがある。
さぞ恐ろし気な連中もいるのかと思いきや、すれ違う者はみな柳としている。
男は誰もが凛々しい顔つきで、女はみなシュッとしている。
昨夜の救出作戦に参加してくれた連中のような、まさに獣、は稀だ。
そこここで談笑したりもしている。
九尾の狐もやるものだ。
月隠の白君。凛とした中に優しさの籠る名に納得もいく。
開かれた館。
民度の高い、進んだ妖界。
昨夜の出来事も、料理も酒も、そして医師や看護師も含めて、そんな気がした。
黙って前を行く狐は、獣としての狐姿だが、それでも二足歩行。
ただものではない。
加えて、すれ違う者たちの中には、はっきりとわかる礼をする者もいる。
立ち止まり、廊下の脇によけて、首を垂れる。
上位の狐、とでもいうべきか。
俺は客人として、特別の扱いを受けていることをまた実感した。
狐が板戸を開けた。
下に降りていく階段がある。
初めて狐が口をきいた。
「この下でございます。どのようにお過ごしいただいても結構でございます。備品類もご自由にご使用くださいませ。お身体に合いますかどうか、お召し物もご用意いたしておりますので。それではわたくしは、ここでお待ち申し上げております」
流暢な日本語だった。
やはり特別職の狐なのだ。
名を問うと、谷川乃蛍と申します、とのことだった。
なんて風雅な名なんだ。
階段を降りていくにしたがって、硫黄の匂いがしてきた。
温泉だ!
しかも、地下の!
まさに洞窟温泉! 地獄風呂!
広い浴槽に湯は溢れかえり、もうもうと湯気が立ち込めていた。
こっちは白湯でこっちは水風呂だな。
よし。
早速、かかり湯もそこそこに浴槽に手を差し入れてみる。
思いのほか、ちょっと熱めのいい湯加減。
狐も妖怪も、硫黄温泉に入るのか。猿は入ると聞くが。
などと、余計なことは詮索しない。
まして、これがまやかしの湯だとも思うものか。
ありがたく頂戴するのだ。
湯船に浸かりながら、何も考えないようにした。
これからどうするか。
この屋敷にしろ、コアYDにしろ、いつまでも隠れ住むわけにはいかない。
しかし、思考はやはりそこに向かう。
謎は一つ、半分解けた。
ノーウェがアンジェリナを殺した。
なぜ、どうやって、はまだ藪の中。
これを明快にしないと、警察は納得しないだろう。
死んだ人のせいにするのかと、言われるのがオチだ。
ノーウェの死、そしてルリイアの失踪については、まだまだ。
しかし、なんとなく、そうではないかという推論はある。
その推論を一歩ずつ確実なものにしていく方法。
これは、もう一つのまだ表面化していない謎を解けば、あるいは解いていくプロセスの中で見えてくるかもしれない。
おっと、いかん。
またのぼせてしまう。
と、板戸ががらりと開いた。




