第七章 夜空に告げる、ずっと好きだった
「――蓮!」
振り返った瞬間、そこに立っていたのは、あの夜と同じ浴衣姿の天音だった。
提灯の灯りと、夜空に広がる花火の輝きが重なり、その瞳は一瞬の煌めきのように希望を宿していた。
蓮は不思議だった。
以前なら、胸をかき乱されるほど感情があふれ出し、声も出せなかったはずだ。
けれど今は違う。胸の奥が静かに落ち着いていて、むしろ彼女に再び会えたことに安堵していた。
「……天音」
その名を呼んだ声は震えていなかった。
まるで花火が夜空を照らすように、彼女の存在が自分の中の迷いを静かに溶かしていくのを感じた。
蓮は一歩、彼女に近づき、柔らかく微笑む。
「せっかくだし……今日は俺が案内するよ。天音が行きたいところ、全部一緒に回ろう」
天音は一瞬きょとんとしたが、すぐに頬を染めて笑った。
「蓮からそういうこと言うの、珍しいね」
「……たまにはいいだろ?」
少し照れくさそうに言いながらも、蓮の声はどこまでも穏やかだった。
天音は小さくうなずき、花火に照らされる横顔に嬉しそうな影を浮かべる。
「うん。なんだかすごく楽しみ」
二人は並んで歩き出した。
屋台の明かりが揺れる通りを抜けると、天音がふと足を止める。
「……金魚すくい、やってみたいな」
水面に反射する灯りを見つめる天音の声に、蓮は頷いた。
「いいね。行こう」
天音がポイを受け取り、身を乗り出す。水に網を沈めるが、金魚はするりと逃げる。
「むずかしいなぁ……」
蓮は横にしゃがみ、優しく声をかける。
「焦らなくていい。金魚が自分から寄ってきた時を狙えば、きっと捕まえられる」
天音は深呼吸し、もう一度挑む。すっと網を上げると、小さな赤い金魚が揺れていた。
「……やった!」
その瞳が輝き、嬉しさが溢れる。
「ほら、できたろ」
蓮の声は落ち着いていて、誇らしげだった。
「天音なら大丈夫だって思ってた」
その言葉に、天音は頬を染めて笑った。
やがて歩き疲れた頃、冷たい甘い香りが二人を誘う。
「かき氷、食べようか」
蓮が声をかけ、屋台に並ぶ。
「いちごとブルーハワイ、どっちが好き?」
「えっと……」
天音が迷うより早く、蓮は氷を受け取り振り返った。
「いちごは天音に。俺はブルーハワイにする」
「……ありがと。なんか、気が利くんだね」
「当たり前だろ。今日は天音に楽しんでほしいから」
赤い氷を一口食べた天音は、ひんやりとした甘さに目を細める。
「ん、おいしい……」
蓮は自分の氷を差し出す。
「良かったら一口、交換しよう」
「え、いいの?」
「もちろん」
二人はスプーンを交換し、笑いながら氷を口に運ぶ。
「さっぱりしてるね」
「うん。でも……天音の笑顔の方が、甘いかも」
唐突な言葉に、天音は耳まで赤く染めて俯いた。
その横顔を見つめながら、蓮の胸の奥は静かに満たされていく。
夜空に咲いた大輪の花火が、二人の影を重ね合わせていた。花火の光が夜空を切り裂き、川面に揺れる。提灯の温かな灯りと、屋台のざわめきが遠くに溶けて、二人だけの時間がゆっくりと流れているようだった。
蓮は歩きながら、胸の奥でざわつく何かを感じていた。――天音の時間が、少しずつ、確実に迫っていることを。
楽しい夜の中にあっても、心のどこかで焦りが混ざる。だけど、今日は逃げずに、ちゃんと伝えたい。
「天音……ちょっと、見てほしいものがある」
蓮はそう言うと、ポケットに手を滑り込ませ、小さなブレスレットを取り出した。
月明かりと提灯の光に照らされ、淡い金色の輝きが指先で震えている。 (編集済)
天音は、きっとこれまで一人で心の奥に孤独を抱えていたのだろう。誰にも言えない気持ちや、不安な夜、迷いながら歩いた日々――それを蓮は知っている。
「このブレスレット、君がお父さんにあげたものだろ?」
蓮の声は静かで、でも確かな温かさを帯びていた。
「ずっと、お父さんも大切にしてたんだ。君が渡してくれたあの日から、ずっと手放さずに、心の中で抱き続けてた」
天音は指先でブレスレットをそっと触れる。淡く光るその小さな輪は、蓮の言葉と重なり、胸の奥で小さな温もりを生んだ。
「……そんなふうに、思ってくれてたんだ」
小さな声が夜風に溶ける。けれど、その響きは確かに蓮の耳に届き、二人の間に柔らかな空気を生み出した。
川面に映る花火が、二人の影と手元のブレスレットをやさしく照らす。
ひときわ大きな光が夜空を裂いた瞬間、天音は初めて、孤独ではなく、愛されているという確かな感覚に包まれた。蓮はそっと天音の手にブレスレットを差し出す。光に照らされたそれは、小さな希望の灯火のように揺れていた。
「天音……君のこと、ずっと考えていたんだ。お父さんも、あの日からずっと。君がくれたこのブレスレットも、手放さずに残してくれたんだ」
蓮の声には揺るぎのない真実と、優しさが込められていた。
天音は一瞬息を呑む。胸の奥で、ずっと抱えてきた孤独や不安が、まるで霧が晴れるように溶けていく感覚があった。
「……ありがとう。そんなふうに思ってくれてたんだ……」
小さな声が夜の空気に溶け、川面に反射した花火の光とともに、二人の時間を柔らかく包み込む。
蓮は目を細め、天音の顔をそっと見つめた。
「今日は、ただ一緒にこの夜を楽しみたい」
その言葉に、天音の瞳は一瞬、花火のように輝いた。胸の奥がじんわりと温かく満たされていくのを感じる。
夜空に上がる大輪の花火が二人の影を川面に映し出す。音と光に包まれながら、蓮は心の奥でそっと言葉を紡いだ。
――次は、僕の気持ちだ。花火が夜空で破裂し、光と熱が一瞬世界を染める。
その眩しさの中で、蓮は天音の手を強く握った。
「天音……あの時、言えなかった。本当に、ごめん。
ずっと、ずっと伝えたかったんだ――君のことが、好きだってことを」
胸の奥が張り裂けそうになりながらも、言葉を止めずに吐き出す。
「ずっと、黙ってたこと、全部……今なら言える。天音が好きだ……!!」
天音は一瞬、手を握り返す力を弱め、瞳を大きく見開いた。
言葉が胸に届くたびに、頬が熱く染まり、目に涙が滲む。
「……蓮……私も……ずっと、ずっと……好きだった」
その声はかすかに震え、でも確かに、蓮の心に届く強さを持っていた。
天音の手が蓮の手をしっかりと包み込み、二人の間に静かで熱い時間が流れた。
[15:27]
花火が夜空で破裂し、光と熱が一瞬世界を染める中、天音は小さく笑いながら囁いた。
「来年も……一緒に見ようね」
蓮はその言葉に自然と頷き、答えた。
「うん、行こうね」
けれど、胸の奥にざわつくものがあり、自然と涙が頬を伝った。
――もう二人で、この景色を見ることはできない。
それを感じ取った心が、溢れる涙を止められなかった。
天音は蓮の様子に気づき、少し眉をひそめた。
「……蓮、なんだか様子がおかしいよ?」
普段なら決して見せない、蓮の感情の揺れが、今日だけは露わになっていた。
「……ああ、ちょっと、こみ上げてきて……」
蓮は顔を伏せ、涙を拭いながら、心の奥で迫る時間を押さえ込んだ。
天音は胸の奥で、言葉にならない予感を覚えた。
――普段は自分の気持ちを隠す蓮が、今日だけ全てをぶつけてくる……。花火が夜空で破裂し、光と熱が一瞬世界を染める中、天音は少しふざけた口調で笑った。
「ねえ、蓮ー、来年も一緒に見ようねー……って、もう私が来年いないみたいな雰囲気出さないでよー」
蓮はそれに微かに笑おうとしたが、胸の奥がざわつき、笑いは声にならなかった。
――否定できない、これは真実だから。
蓮は小さく唇を噛み、視線を少し逸らした。
「……そうか……来年は、見れないのか」
天音の声は少しだけ静まり、彼女の瞳が蓮を見つめる。
「……そっか……」
ふざけた調子を保ちながらも、どこか諦めにも似た響きが混じる。
その瞬間、蓮は天音の手をそっと握り、胸の奥で迫る時間を感じながらも、最後まで目を逸らさずに見つめた。夏祭りは終盤に差し掛かり、夜空の花火は徐々に消え、屋台の店員たちは片付けを始めていた。
提灯の明かりがゆらりと揺れ、祭りの喧騒は静まり返りつつある。
「もう、夏祭りも終わりだし、帰ろうか」
天音はいつも通りの無邪気な笑顔で話しかけてくれる。
だが蓮には、その声がまるで遠くから聞こえてくるようで、言葉は耳に入ってこなかった。
胸の奥がざわつき、心臓が高鳴る。――この時間が、もうすぐ終わる。
やがて二人は分かれ道に辿り着く。
「じゃあ……おやすみ。また学校でね」
天音は笑顔で手を振る。「……うん」
蓮は小さく答えたが、天音の表情を見て、少し元気がないように感じる。
蓮の胸に、早くこの時間が終わってほしいという焦りと、
同時に「本当にこのままでいいのか」という未練が渦巻いた。その瞬間、蓮は振り返り、大きな声で叫んだ。
「天音!」
蓮は駆け寄り、強く抱きしめた。
夜風が浴衣の裾や髪を優しく揺らし、提灯の明かりが二人の影を細く長く伸ばす。
川の水面には、夜空の花火の光が淡く揺れ、虫の声や屋台の片付けのざわめきが、遠くで混ざり合っている。
蓮は涙で視界が滲むまま、天音の体にしがみつき、声を震わせながら胸を押し当てた。
嗚咽が混ざる息とともに、心の奥で渦巻く後悔や切なさが体中に溢れ出す。
夜風が浴衣を揺らし、夏の匂いと花火の残光が周囲を包む中、蓮の必死な想いだけが、天音に向かってぶつかっていく。
「臆病でごめん……いつも素直に気持ちを伝えられなくてごめん。
君と生きたかった。君と一緒にいたかった。
君が居なくなってから、ずっと辛かった……。
君が生きているうちに、伝えたかった……頼む、許してくれ」蓮の涙が止まらず、嗚咽混じりに天音にしがみつく。胸の奥の痛みも、後悔も、すべて押し付けるように抱きしめた。
それに応えるように、天音は静かに両手を蓮の背中に回し、優しく抱き返してくれた。柔らかく温かいその感触が、涙で濡れた蓮の頬に伝わる。
「ありがとう……本当の気持ちを伝えてくれて。もう、いいんだよ」
天音の声はかすかに震えていたが、確かな強さを帯びていた。「そろそろ帰らなきゃ……」
天音がふわりと呟く声に、蓮は重く頷く。胸の奥で、結末は変わらないことを再び認識した。しかし、天音の言葉は強く響き、絶望に押しつぶされることはなかった。
提灯の光に照らされた天音の背中が、少しずつ遠ざかっていく。
数十メートル先、夜空の残照の中に猛スピードで走るトラックの影が見えた。
耳をつんざくクラクションと共に、天音がふと振り返り、口元で小さく「バイバイ」と口ずさむのが見える。
その瞬間、光と音が一気に弾けるように消え、蓮の意識はふっと現実に引き戻された。
目の前には、静かに流れる映画のエンドロール。ああ、現実に戻されたのだ――と、改めて実感する。
胸の奥には、切なさとともに、天音の温もりと言葉がまだ残っている。映画のスクリーンの光が、かすかな希望のように揺れていた。
「苦しまなくてもいい。自分を責めなくてもいい。私はいつまでも、君の中にいるから」「そろそろ帰らなきゃ……」
天音がふわりと呟く声に、蓮は重く頷く。胸の奥で、結末は変わらないことを再び認識した。しかし、天音の言葉は強く響き、絶望に押しつぶされることはなかった。
提灯の光に照らされた天音の背中が、少しずつ遠ざかっていく。
数十メートル先、夜空の残照の中に猛スピードで走るトラックの影が見えた。
耳をつんざくクラクションと共に、天音がふと振り返り、口元で小さく「バイバイ」と口ずさむのが見える。
その瞬間、光と音が一気に弾けるように消え、蓮の意識はふっと現実に引き戻された。
目の前には、静かに流れる映画のエンドロール。ああ、現実に戻されたのだ――と、改めて実感する。
胸の奥には、切なさとともに、天音の温もりと言葉がまだ残っている。映画のスクリーンの光が、かすかな希望のように揺れていた。




