表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

第一章 夏祭りの夜

 蒸し暑い夏の夜。寝苦しさに耐えきれず、蓮はシーツの上で何度も寝返りを打っていた。

 額を伝う汗が枕を濡らす。

 ――あの夜から、一年。

 夏が巡るたびに、同じ夢が彼を苛む。


 夢の中、蓮は夏祭りの帰り道に立っていた。

 夜店の喧騒から離れた分かれ道。街灯の下で、浴衣姿の天音が小さく微笑み、手を振っている。


「じゃあ……おやすみ。また学校でね」


 それが彼女の最後の言葉になった。――その瞬間。

 暗がりの死角から、猛スピードの車が現れる。


 背を向けて歩き出した天音に、蓮は衝動的に声を張り上げた。


「天音ッ!」


 呼びかけに、彼女はふと足を止め、ゆっくりと振り返る。

 花火の残光に照らされた横顔。

 そして――天音の唇が小さく動いた。

 まるで、何かを伝えようとするかのように。


 だが、その声は届かない。

 次の瞬間、視界を切り裂くように車のライトが閃き、轟音が全てをかき消した。


 ――ハッ。


 蓮は跳ね起きた。呼吸は荒く、全身が汗で張りついている。

 心臓の鼓動が耳の奥で、うるさいほど響いていた。


「ああ……また、夢か」


 一年前の夏祭りの夜。幼馴染の天音が事故で奪われた、あの光景。

 最後に振り返った彼女は――いったい何を伝えようとしたのだろうか。


 ―― 一年前の夏祭り。――


夏の夜は、まるで夢の中みたいだった。

 川辺を包む提灯の明かりは、どこか懐かしい橙色で揺れていて、打ち上げられる花火がその空を一瞬ごとに塗り替えていく。ざわめく人の声、屋台の鉄板から立ちのぼる煙、金魚すくいの水面に落ちる小さな光。

 ――すべてが、幻みたいにきらめいて見えた。


 その中で、蓮は隣を歩く天音を何度も盗み見てしまう。

 浴衣の裾がふわりと揺れ、頬に映る光はまるで星の粒みたいだった。


「ねえ、蓮。金魚すくいやろうよ」

 天音の声は、花火の音にも負けないほど真っすぐで澄んでいた。


「お、俺は……見てるよ」

 答える声は弱々しく、夜に溶けてしまいそうだ。


「またそれ? ほんと臆病なんだから」

 天音は唇を尖らせ、すぐにいたずらっぽく笑う。


 蓮は思わず呟いていた。

「……天音は、強いよな」


 言った瞬間、心臓が跳ねた。

 天音は驚いたように目を瞬き、それから少し照れたように笑った。


「強い? 私が?」

「うん。俺にはできないことを、笑いながらやってるから」


 その言葉に、天音はほんの少しの間だけ黙り、やがて小さく頷いた。

「じゃあ、来年は一緒に挑戦してね」

 その笑顔は、夜空に咲いたどんな花火よりも、蓮の目に焼きついた。


 ――言いたい。

 今こそ、伝えなければ。

 心の奥で繰り返し響く声に突き動かされながら、蓮は唇を開いた。


「天音、俺……」


 けれど、最後の言葉は声にならない。

 花火の音が胸をかき消していく。


「ん? なに?」

 天音は首を傾げる。その仕草さえも、やけに遠く感じられた。


「……いや、なんでもない」

「またそれ? 本当に臆病なんだから」

 天音は笑い、蓮の肩を軽く叩いた。


 やがて二人は分かれ道にたどり着く。

 蓮の家は左へ、天音の家は右へ。


「じゃあ、ここで。おやすみ」

 天音が浴衣の裾を揺らしながら、手を振る。


「……おやすみ」

 蓮も手を上げたが、その声は小さすぎて届かない。


 天音の背中が遠ざかっていく。

 ――待って。

 このまま行かせたら、きっと後悔する。

 蓮は一歩踏み出そうとした。


 その瞬間だった。


暗がりの向こうから、不意にライトが閃いた。


 ――キィィィィッ!


 甲高いブレーキ音が、夏の夜を引き裂いた。

 眩しいライトに照らされた天音の姿が、一瞬宙を舞い、そして砕けるように地面へと叩きつけられる。


「……っ!」


 浴衣の袖が揺れ、赤い色が夜ににじみ広がっていく。


「天音! 天音ッ!」


 蓮は駆け寄り、その体を抱きしめた。

 震える手で何度も名前を呼ぶ。

 けれど、彼女の瞳は静かに閉じられたままだった。


 花火はまだ夜空を彩っている。

 けれど、その光も音も、蓮にはもう届かなかった。


 ――どうして、言えなかったんだろう。

 ただそれだけの言葉が、こんなにも遠い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ