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第1話 幽霊山のメラン

 山の中は案の定真っ暗で何も見えない。

 そして先程まで俺の足を絶え間なく濡らしていた斜脚の雨も、依然としてその勢いは続いていた。

 歩くたびに足元でポキポキ、サラサラという小枝の折れて落ち葉の踏みつけられる音だけはするのだが、しかし足取りは悪い。


…足取りが悪いのは、雨で湿った地面のせいだけでは無い。


 俺が今、奏の足にしがみついて無惨にも座ったまま目を瞑っているからな!

 観念しろ、奏!俺は泣いてないぞ!


 奏はズリズリと音を立てながら、地面に削り跡を残してその重い足を必死に動かしていた。


「…なあエイト、いい加減一人歩きしてくれないか」


「嫌だね!奏が帰るってんなら話は別だけど」


「帰るにもこのままだとお互い体力が無くなっちゃうだけだろ。少しは自分で歩いてくれないか」


「……分かったよ、一瞬だけだからな」


 俺は奏の足に抱きついていた心と体を同時に引き離す。


 10分ぶりぐらいだろうか、地に足をつけたのは。

 ちなみにこの「地に足をつける」は慣用句的な用法もあるようだが、ここではダブルミーニングでもなんでもない。

 それで言うと俺は今全く地に足をつけていないからな。


 久しぶりに自分の足で立った俺は、上半身は山の木々をくぐり抜けた微かな雨に打たれ、下半身は母なる大地のエキス(泥)が下着まで染み込んでいることに気がつき、全身にかつてないほどの不快感を覚える。


 ここで俺の現在の恰好を説明しておこう。

 上半身にはいかにも夏しか着れないような薄手の灰色のパーカーの上に、周りから見ると季節的には少し厚手すぎると思われるかも分からない黒のアウターを着ている。

 胸には白い星マークが輝いているこの上着も、今日程の寒さの夜にはちょうどよく感じられる。

 下半身には夏用の学校指定のジャージ(半ズボン)を着用しており、濃紺色のありきたりな体操服はいかにも運動に適していそうだ。


 ちなみに下着は泥まみれだ。


「立ったんなら行くぞ、エイト。

さすがにここまで来て引き返せないからな」


「まじかよ。こんなびしょ濡れ可哀想な恰好で行くのか…」


「自業自得だぞ」


 俺達はそんな雑談をしながら、さらに幽霊山の奥へと進んだ。




 しばらくすると、街からの明かりも全く無くなりいよいよ歩けないというほどにまで暗さが極まる。

 俺はびしょ濡れポケットから現代の防水ハイテクスマホを取り出し、懐中電灯代わりにその照明をつけた。


 まずは足元を照らす。

 後ろを振り返ると、地面にはもう既に俺が引き摺られて抉れた跡は無くなっていた。

 ここまで暗いと帰り道も迷うことだろう。行きで通った道が分かっていれば帰りは存外楽になるかもしれない。

 ならば意外とあの引き摺り大作戦もただの骨折り損では無かったのではないか?

 一度そう考えてはみたがやはり体力とのコスパが悪すぎるし何より泥下着は気持ち悪いので二度目はしない。


 そんな様子で俺が余所に考えを巡らせているときだった。


──どすっ。


「いってぇ…」


 俺のすぐ隣から、鈍い音とともに小さく呻き声が聞こえた。

 俺は考えるより先に体が、声が先に行動を始めていた。


「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 俺はこれまでの人生では出したことが無い程の最大限の音量で叫んでいた。

 落ち着いて考えてみれば、事態のからくりは隣の奏が転んだだけだというのはすぐにでも理解できることだった。

 しかし、「反射」というのは実にこわい。

 頭では分かっていても、何も考える前に即座に反応してしまうのだ。


 俺は心の底からホラーが苦手なのだ!


「うわ、びっくりした。なんなんだよエイト」


「なんなんだよ、じゃねぇよ!転ぶなら言えよ!」


「そんな無茶を言われたって無理なもんは無理だ。

俺は逆にエイトの声にびっくりしたんだから」


「……これだからホラー好きは。

危機感が足りなくて側にいると危なっかしい」


「危機感が足りないのはお前もだろ。

人の文句ばっか言ってないで、足元に気をつけてさらに奥に行くぞ」


「えー、やっぱりちょっと休憩しない?」


「黙って行くぞ、『幽霊山のメラン』の正体を暴きに行くんだろ!」


「『幽霊山のメラン』?」


「なんだ、エイト知らないのか?『幽霊山のメラン』の話」


「知らないな」


 どうやら奏はただのホラー好きの肝試しloverなどでは無いらしい。

 昔からこいつがマゾヒズムの類いの何かを持っていることは親友である俺は当然知っていたので、少々勘違いをしていたようだ。

 今日の遠足の目的は、俺へのいじめとも奏の性癖ともどちらも違うらしかった。


 そんなわけで。


『幽霊山のメラン』


 俺も奏と同じようにこの好奇心くすぐる話に釣られて….


…なんてことはなく、実のところ俺はこの話にあまり興味は無かった。

 もちろん全く気にならないわけでは無い。


 俺が中学二年生だったときには、

「学校の授業中に突如として現れた不審者。対する『実は最強!』的な俺があれやこれやと頭脳明晰かつ筋肉盛盛に事件・難題を解決し、学校中から褒め称えられながら好きな子とは嵐の後の静かさの中、ロマンチックにtalk to each other…」

なんて妄想は人並みにしていた。


 そんな俺にとって、『幽霊山のメラン』なんていかにも厨二心を疼かせる話題に興味0…というのは少々無理がある話である。

 しかし、そんなことよりも。


 俺は心の底からホラーが苦手なのだ!



 照らした足元に注意しながらゆっくりと足を進めていた奏は、またすぐに話の続きを語り始めた。


「最近な、俺らの学校で奇妙な噂が広まってるんだ。

それがさっきの『幽霊山のメラン』なんだけど、」


 先程まで足元を照らしていたスマホの光を、奏は突如として自分の顔の下から顔面を照らし上げるようにスマホを持ち直し、俺を嚇かすように少し怖い顔をしてこちらを見つめて言った。


「昔から幽霊山はその名の通り幽霊が出る山として心霊スポットになってるんだ。

かつてこの辺りは自殺の名所として有名で、自殺者が後を絶たなかったらしくてな、

そんなわけでその幽霊が未だにこの山に住み着いているらしい…」


「…じゃあメランってのは?」


「よくぞ聞いてくれた、エイト。

これだけだとただの心霊スポットの幽霊山の説明なんだが、実は最近になってまた肝試しで学校の連中が幽霊山に続々と行ってたらしいんだ」


「またどうしてそんな物騒なことを…」


「それで幽霊山に生徒達が次々と入ってったのね。

そしたらその生徒達が全員、同じ辺りで首吊りしようとしてる幽霊を見た、って叫んで泣いて戻ってきたらしくてさ。

結局あんまり情報は掴めなかったらしいんだけど、

その中の勇敢な1人が一度だけその幽霊に名前を訊いてみたらしいんだ。

そして返ってきた答えが──」


「──『メラン』か」


「そそ。

だから、今日俺はその『メラン』ってのが本当にいるのか、嘘じゃないかってのを確かめに来たってわけ」


「……それでその話の中のどこに俺を連れて行く理由があったんです?」


「そりゃあ、エイトが俺の親友だからに決まってんじゃーん。

言わせんなよ、恥ずかしいな」


「…まじでこれで本当に遭遇したらどうするつもりなんだよ」


「まあ、それが目的だからね。

出会えたなら本望さ。潔く蹂躙されよう」


「生憎とそんな危機感皆無のお前に俺の命を捧げた覚えは無い!」


(……全く、人の命を何だと思っているのだろうか…)


 暗闇にうっすらと見える奏の顔は、柔らかく戯けて笑っていた。

 俺はそんな態度の奏に少し怒りを覚えつつ、なんとなく周囲の温度が少し下がった気がして、両腕を交差させながら自分を抱くような形で体を擦った。

 俺達はさらに深い山の奥へと進む。


「まあまあ、そんな怒りなさんな。

この『幽霊山のメラン』の話はデメリットばかりじゃないからさ」


「何か俺にもメリットがあるのか」


「ああそうさ、君にもメリットがあるよ、エイトくん」


「変な呼び方は止めてくれ、寒気に磨きがかかる」


「実はその噂ではな、その『メラン』って幽霊は若くて可憐な少女らしくてだな──」


 奏がニヒルに笑ったときだった。

 一瞬、思わず目を閉じてしまう程の閃光が辺りを支配したかと思うと、すぐにその光は真っ暗闇に戻った。

 俺は何が起こったのか瞬時には理解できず、その場に倒れ込みながら「奏!」と短い雄叫びを上げたのち、必死に目を開けようとした。

 しかし、俺の視界はノワールなまま変わらない。


「奏!かなで!へんじじでぐれ…!」


 俺が泣いているわけでは無い。

 徐々に呂律が回らなくなってきていたのだ。


(…目を開けているはずなのに、視界が真っ黒のままだ。

まるで…目を…開けていな…い…ような………)


 瞼による必死の抵抗も露知らず、俺は魂を抜き取られるような感覚とともに、ゆっくりと意識を失った。

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