表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/34

32:地獄


「たか、つき……さん……?」


 下半身だけになった彼女の断面からは血が噴き出していて、内臓のようなものがはみ出している。

 よたよたと歩く両脚は不規則な動きを見せた後、バランスを失って僕の方に倒れ込んできた。


 その拍子に、器に収まっていた中身(・・)がビチャビチャと音を立てて飛び出す。


「うっ……うわああああ!!??」


 それを避けようとした僕は足がもつれて、その場に尻もちをついてしまう。

 立ち上がろうと床に手をついたのだが、溢れる血液でずるりと滑って無様に倒れ込む。僕の身体を支えるための右手は、無くなってしまっていた。


 どうして? なんでだ? たった今、目の前で喋っていたというのに。

 湧き上がる疑問の数々は、すぐ近くから聞こえる不快な咀嚼音によってあっさり解決された。


 二メートルほどはあるかと思われる、歪な丸い形をした巨大な肉塊。鮮度の悪い生肉を無理矢理に押し固めたようなその塊は、黒い液体を纏っている。

 グチャグチャと音を立てて動くそいつの肉の合間から、こちらを見ている高月さんと目が合った。けれど、その瞳に生気は宿っていない。


 あの塊が階段の上から、物凄い勢いで転げ落ちてきたのだ。その勢いのまま、僕の右手ごと高月さんの上半身を食いちぎっていった。


 一緒に帰ると約束したのに、こんなにもあっさりと高月さんを殺されてしまったのか。

 彼女を口に(くわ)えたままのそれが、ゆっくりと僕の方を向く。あり得ないだろう、その目に見覚えがあると感じるなんて。


「喜多川……ッ」


 そんな姿になってまで、僕を追いかけてきたのか。僕に絶望させる目的で、高月さんを殺すために。


 肘を使ってどうにか起き上がると、僕は肉塊となった喜多川に背を向けて走り出す。

 高月さんを殺した仕返しをしてやりたい。その気持ちよりも、対抗手段が無いことに焦りを感じたのだ。


 両手が使えない以上、どうにかして逃げなければ。捕まれば僕は抵抗することすらできず、嬲り殺しにされるのだろう。


「うがっ……!!」


 けれど、僕の足は何かに躓いて思いきり顔面を強打してしまう。痛みに悶えながら足元へ視線をやると、悲鳴にもならないような情けない声が漏れた。

 線路の下から何かが這い出していて、僕はそれに足を取られたのだ。


 異常なまでに細長い腕、ぱっくりと開いた頭部からは人間の顔が覗いていて、黒い液体を纏うそれは桧野さんのものだと理解する。


「セン……パイ……」


 頭の中の顔が喋る。身体を捻って距離を取ろうとしたところで、僕は壁のようなものにぶつかった。

 振り向くと、そこに立っていたのは全身がぶよぶよに腫れ上がり、溶け落ちた皮膚が悪臭を放つ異様な怪異で。面影など無いというのに、それが誰であるかを直感する。


「ふ、くむら……?」


 名を呼ぶと、腕を伸ばしてくる怪異が僕のことを捕まえようとしてきて、床を転がるようにして回避した。

 けれど、その先では肉塊が僕を待ち構えている。


 肉塊の一部がぐぱりと開いたかと思うと、そこから小さな黒い何かがこぼれ落ちてきた。

 内側にみっちりと詰め込まれていたのは、5両目で見たあの大量の羽虫だ。


 肉塊の内部で不快な音を篭らせていた羽虫は、僕がそれと認識した途端に、一斉に外に飛び出してくる。


「わああああっ!!?? 来るなッ、やめろ……!!」


 這いずるようにして逃げる僕をあざ笑うみたいに、羽虫は次々と身体にまとわりついてくる。

 痛みと羽音の不快さが()()ぜになって、頭がおかしくなりそうだ。


 どこに逃げればいいかもわからないのに、本能的になのか階段の上を目指していた僕は、ゴキンという音と共に両脚に強烈な痛みを感じる。


「ッぎゃああああ!!!!」


 肉塊となった喜多川が、僕の両脚を掴んで力任せに骨を砕いたのだ。骨だけじゃない、脚自体がグチャグチャになっている気がする。


 涙や鼻水で汚れた顔を拭う余裕すらなく、僕はあまりの痛みに胃の中身をすべて撒き散らした。

 夕食は口にしていないから、消化されきっていない昼食かなんて、なぜか冷静に考えてしまうのは現実逃避なのだろうか。


「おげッ……げえっ、うえっ……!!」


 吐瀉物の臭いが気にならないのは、福村の怪異が放つ異臭が辺りに充満しているからなのだろう。

 そんなことを冷静に考えていた僕の目の前に、次々と怪異が姿を現していく。


 いつの間に囲まれていたのか。いや、このホームに足を踏み入れた時から、怪異たちは息を潜めていたのかもしれない。


 現れた怪異たちは、これまでの車両で遭遇してきた、かつての仲間たちだった。

 仰向けになった僕にはもうこの場を逃げ出す力もなく、恐怖で浅くなる呼吸を鎮めようとすることしかできない。


「たす、けて……」


 誰に求めているのかもわからない助けは、もう来ないのだろうと理解している。

 それでも、この怪異たちに命乞いが通じたらいいなんて、バカなことを考えたのか。


 ズル……ベチャ……と、何かが這いずるような音が聞こえてくる。

 それは僕の足元から近づいているようで、頭を持ち上げてみると、肉塊の中から羽虫ではない何かが生み出されているのがわかった。


 同じような肉塊にも見えたそれは、少しずつ形を変えて人のようなものになっていく。

 ただし、首からは両腕が生えているし胸元に頭がついていて、全身に空いた小さな穴から黒い液体が漏れ出しているのが見えた。


「う、そだ……高月さん……」


 身体を這い上がってくるその怪異が、僕の胸元までやってきた時、初めて表情を見ることができる。

 そこには僕を冷たく見下ろしている、高月さんの顔があった。


 頬の肉は抉れて口の中が丸見えになっており、片方の眼球も抉れたみたいに闇が覗いている。恐ろしい顔をしているが、これは間違いなく高月さんだ。


 たった今死亡したばかりの彼女が、もう怪異になってしまった。

 二人で一緒に生き残ろうと約束した高月さんは、逆の立場となって僕の命を奪おうとしている。


「きよ、せ、くん……」


「っ……高月さん、僕がわかるんですか……!?」


 ぎこちなく言葉を発した高月さんは、間違いなく僕の名前を呼んだ。

 もしかすると、まだ彼女の意識はそこにあるのかもしれない。そう思って伸ばした腕を、彼女の手が容赦なく掴む。


「あ゛あああああッ!!!! やめ、っやめてくださ……!!」


 女性のものとは思えないほどの強い握力で、手首を失った僕の腕の断面が砕かれていく。

 半ば引きちぎるようにして引っ込めた腕からは、黒い液体を纏う血液が溢れ出す。


 そんな僕を見た高月さんが、綺麗に口角を持ち上げたのが見える。僕の苦しむ姿を見て、笑っているのだ。


「アハハハハッ! ねえ、つらい? 痛い?」


「っガ……つ、らいです……ッ」


 聞くまでもないことだと思うのに、どうしてそんな質問をするのか。

 怪異となった彼女の考えることなんかわかるはずもなくて、僕は必死に頷いて見せる。


 そうすると彼女はますます上機嫌になって、今度は力任せに僕の左耳を引きちぎってきた。

 悲鳴を上げることもできないまま、僕は両目を見開いて彼女を見上げている。


「良かった」


 高月さんの両手が、僕の頬を包み込む。優しいその仕草ですら、黒い液体のせいで痛みを伴うのだが。

 輪郭をなぞっていた彼女の親指が、僕の左右の下瞼に触れる。


 瞼が溶かされることの痛み。それよりも、彼女がやろうとしていることを察して、僕は暴れ出そうとした。

 それが叶わなかったのは、高月さんの方が先に行動を起こしたから。


「簡単には死ねないから」


 眼孔に彼女の長い指が押し込まれた時、僕は察したのだ。


 この地獄のような苦しみは、これからが始まりなのだと。


Next→「33:エピローグ -前編-」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ