24:2両目
「きぃよせぇ!!!!」
「喜多川っ、なんで……!?」
あり得ない。喜多川は確かにあの巨漢の怪異に纏わりつかれて、逃げることなんかできなかったはずだ。
だというのに、僕の左脚には喜多川が縋りついていて、さらにその喜多川の下半身にはあの怪異がぶら下がっている。
あの怪異ごとここまで登ってきたっていうのか? いくら腕力のある喜多川だって、そんなことできるはずがない。
黒い液体を浴びているせいなのだろう。喜多川の顔面は半分近くが溶け落ちて、片方の眼球は剥き出しの状態になっている。
肩や腕だって骨が露出している部分もある上に、怪異のくっついた下半身なんて存在しているのかどうかすら定かではない。
「コ、ロシてやる……イカせナい……」
「お前ッ、どうかしてるよ……! マジでなんなんだよっ!!??」
喜多川はもはや、僕への執念だけで動いている。こんなのはもう怪異と変わりない。
「っ……ダメ、持ち上げられない……!!」
「清瀬っ、ソイツらを振り落とせ!! お前も死ぬぞ!!」
「わかってますよ!!」
先ほどと同じように顔面を蹴りつけるが、打撃を受ける度に顔が崩れていくというのに、喜多川が怯む様子はない。
もう痛みなど感じていないのかもしれないその姿は、僕の知る喜多川の面影などどこにも存在していなかった。
このままでは、僕だけではなく二人も一緒に落下してしまう。その前に、僕の腕がちぎれたっておかしくはない。
喜多川の背中におぶさるみたいに身体をよじ登って、怪異が僕の方を目指してくるのが見える。あれに掴まれたらおしまいだ。
黒い液体に喜多川の身体が焼かれる臭いと、弾ける出来物が放つ悪臭が混ざり合って気絶してしまいそうだった。
「離せっ!! 頼むから死んでくれ喜多川、死ねえっ!!!!」
僕はありったけの力を込めて、喜多川の顔面を蹴りまくる。骨が砕けて肉片が飛び散っても構わず、喜多川を殺すのだということだけに集中した。
それは頭部が原型を留めない状態になっても止まらず、ほとんど骨だけで繋がっていた状態の腕がちぎれたことで、ようやく終止符を打つ。
「……おまエが、しヌべきダ」
そんな喜多川の声が聞こえた気がしたが、彼の身体は怪異と共に、今度こそ車両の底まで落下していった。
嫌な汗が噴き出して、心臓が破裂しそうなほどに脈打っているのがわかる。
身軽になった僕の身体は、腕を掴み続けてくれていた二人によって上の車両へと引き上げられた。
「はぁっ……ハ……ありがとう、ございます……」
地に足をつけることができて、ようやく生きた心地がする。
未だズボンの裾を握り締めている喜多川の片腕をむしり取ると、それを下に落としてから扉を閉めた。
窓は真っ黒なので3両目の光景を見ることはできないが、さすがにもう喜多川が追いかけてくることはないだろう。そう願いたい。
「さすがに、今のは死んだと思ったぞ」
「僕も、そう思いました……でも、ここまで来て死ねません。やっとゴールが見えてきたんだから」
このまま座り込んでいたいと思うが、僕たちが目指してきた先頭車両はもう隣にある。
身体中がどうしようもないくらい痛い。喜多川に掴まれていた脚も、青紫色の痣になっている。
折れていないのが不思議なくらいだ。
それでも、やっと電車を降りられるのだと思うと、どうにか動くことができた。
「高月さん、足は大丈夫ですか?」
「平気だよ。私より、清瀬くんの方がずっとひどい怪我してる。歩けそう?」
「僕も平気です。そりゃ痛いけど……生きてる。だから、大丈夫です」
たった七つの車両を移動するだけで、仲間たちは大半が死んでしまった。
僕が今こうして痛みを感じられるのは、生きているという何よりの証拠だろう。
「……幡垣さんはすごいですよね」
「オレか?」
「はい。一人になっても2両目まで生きてやってきて、もうすぐ電車を降りられる。僕は一人じゃ無理でした」
「オレは運が良かっただけだよ」
「ハハ、なら豪運ですね」
人の持つ運勢なんて信じたことはなかったけれど、この悪夢を生き延びてきたのだから、僕も運はいい方なのかもしれない。
高月さんだってこうして一緒にここまで来られたんだ。
この電車を降りることができたら、他人に憧れるばかりだった僕の人生も、変えていくことができるだろうか?
そうして立ち上がった時、再び電車が大きく揺れる。またカーブとやらに差し掛かっているのかもしれない。
僕たちの知るカーブとはまるで動きが違うけれど、落下しているような浮遊感に襲われる。
「ッわ……!? つ、掴まれ……!!」
「ったく、運転荒すぎんだよ!!」
あり得ない方角に進んでいたのだから、今さらどんな角度に傾いたとしてもおかしくはない。その覚悟で僕たちは手近な手すりにしがみつく。
浮き上がる身体を吹き飛ばされないようにしていると、ズシンと大きな音を立てた車体が、通路を足元にして元通りの形に戻った。
正確には、先頭車両に向けて少し傾斜が残っている状態だが。また車両を登らなければならないと思っていただけに、進みやすくなってくれたのはありがたい。
それでも、改善された状況を喜んでいられる時間はない。
『次は、阿鼻駅。次は、阿鼻駅。お出口は両側です』
「もう次の駅なのか……!?」
「ねえ、この次って終点じゃない……?」
そう口にする高月さんが見ているのは、車内案内表示装置だ。
表示されている到着駅と交互に、終着駅までの駅名が並んでいる。電車のマークが示しているのは、終点の一つ前の駅名だった。
「つーか今、両側って言ったか?」
「両側って……扉、両方開くってことですか?」
現在地に気を取られていた僕は、幡垣さんの指摘によってその違和感に気がつく。
ホームに到着した電車が、左右両方の扉を開けるところなんて見たことがない。だというのに、アナウンスは確かに両側と言っていたように聞こえた。
「と、とにかく急ぎましょう。終点までに電車を止めさえすれば……!」
そう言いかけた時、急停車した車両の乗降扉すべてが一斉に開く。
そこから溢れ出した黒い液体が、濁流のように車内へと流れ込んできた。
「ッ……避けろーー!!!!」
咄嗟に叫ぶのが精一杯だった僕は、優先席の上へと身を投げる。目の前を黒い液体の川が流れていき、貫通扉にぶつかって飛沫が跳ね返った。
辛うじて飲まれることは避けられたものの、安心してはいられない。
傾斜のある車体のせいで、流れ込む液体が後方となる3両目側にどんどん溜まっていっているのだ。
今は避難できている優先席の上も、液体が増えれば沈んでしまうことだろう。
「い、急いで前に……!!」
僕と同じく優先席の上で難を逃れた二人も、状況を把握するのに時間はかからなかった。
僕は左手側、二人は右手側の優先席の上にいるので、分断されてしまった状態だ。
不安はあったが、ここまで何度も僕たちを助けてくれた幡垣さんがいれば、高月さんは大丈夫だろう。
まずは自分の身の安全を確保することが最優先だと判断した僕は、手すりにぶら下がる形で隣のロングシートへと飛び移る。
失敗すれば黒い液体の上にダイブすることになるこの状況は、3両目とどちらがマシなのだろうか。
飛び移ったロングシートの上を走りながら、僕は目の前の乗降扉から、液体ではない何かが飛び出してくるのを目撃する。
勢いがつきすぎてぶつかる寸前だったが、どうにか足を止めることができた。
「……マジか」
考えるまでもなく怪異であったそれは、これまでの怪異と比べれば人間に近い大きさをしている。それでも、見た目の不気味さは決して劣っていない。
四つん這いの体勢だと思ったのだが、よく見れば四肢はあり得ない方角に曲がっている。
四肢……正確には八肢とでも言うべきなのだろうか? 胴体から腕が五本、脚が三本不規則に並んで生えている。
不自然な方向に捻じれた頭は明後日の方角を向いていて、ぱっくりと開いた首元には歯並びの悪い大きな口が見える。
「澤部店長……っ」
まるで巨大な蜘蛛のようなその怪異は、僕を見てニタリと笑ったのだった。
Next→「25:殺意」




