20:3両目
「なんとかしろっつってんだよゴミ共!! 痛ってええええ死ぬ死ぬちくしょう!!!!」
恐怖と痛みで言葉を選んでいる場合ではないのだろう。引きつった表情をした福村は、なりふり構わず喚き散らしている。
「ひぎッ……がああああ、くんなっ!! ボサッと見てんな脳無しがああああ!! やめろ、やっ、早く助けろよお!!」
罵声交じりの悲鳴が酷くなっていく。それでも、助けを求める福村を救いに動こうとする者は誰もいない。
這い上がっていく怪異は福村の腰から胸元へと移動し、やがて真正面まで迫って顔を近づけている。
「いやだ、っ……嫌だ、死にたくない……!! いてえッ……いやだ、たすけ、んぐっ……!!??」
涙と鼻水を垂れ流しにした福村は、もはや僕たちに助けを求めているのか、怪異に赦しを乞うているのかわからない。
そんな彼の顔面に、怪異が噛み付いた。僕からは、二人がまるでキスをしているように見えてしまう。
「う゛……ぶぐッ、ご……ぼぉっ……!!??」
くぐもった声を漏らす福村の身体が、不自然にビクビクと跳ねる。
重なった口元からは黒い液体が伝い落ちていて、怪異の吐き出したそれを体内に注ぎ込まれているようだった。
「ごばッ……ぉぐ、ゴ……っぶ……」
福村の股間の辺りから、何かの液体が染み出していく。失禁しているのだろう。
その液体はやがて赤黒い色を帯びていき、不揃いの塊がぼとりぼとりと落下して
いく。
それは、溶け落ちた福村の中身なのだと直感した。
焦点の定まらない瞳は、もう機能していないことがわかる。
両肩から下を引きちぎられた福村の身体は、彼を抱き締めたままの怪異によって、巨大な口の中へと沈んでいく。
「……因果応報だろ」
聞いたことのない冷たさで、喜多川の呟きが聞こえた気がした。
「ふ、福村くん……そんな……」
福村が飲まれていった先を、高月さんが呆然と見つめている。
僕たちにも何かできることはあったのかもしれない。それでも、その手段を探そうとしなかったのは事実だ。
福村は最後まで変わらなかったし、あの怪異が雛橋さんだというなら、それを止める権利は無い気がした。
(僕だって、同じように思ったんだ。……因果応報だって)
人間は極限状態に置かれて初めて本性が出る。
だとしたら僕も、いずれは本性を暴かれることになるのだろうか?
「扉を開ける、お前らも急げ!」
「は、はい……!」
幡垣さんの声にハッとして顔を上げると、彼はすでに次の行動に移っていた。
不安定な体勢ではあるが、3両目に続く貫通扉を開けようとしてくれている。
福村はもういないのだ。怪異が襲ってくる前に……と思ったところで、僕はあることに気がつく。
「……扉、閉まってる」
これまでは怪異に追われて必死に隣の車両に移ることばかりだったのに、先ほどまで開いていたはずの乗降扉は、いつの間にか閉まっている。
電車は揺れ始めているし、あの怪異は福村だけを襲って去っていったということなのだろうか?
とはいえ、足元には黒い液体が水溜まりのようになっている。
僕たちは急ぎつつも慎重な足取りで、3両目に続く貫通扉を抜けたのだった。
「高月さん、これ。気休めですけど、巻いときましょう」
「……ありがとう」
扉を閉めた先の3両目は、横倒しになっていること以外は至って普通の車内だ。
僕は自分のシャツの裾を引き裂くと、火傷を負った高月さんの右足にそれを巻き付ける。
彼女は痛みに眉を寄せているが、素足のまま歩かせるよりはマシなはずだ。
「ここにも、千草はいないみたいだな……」
車内に人が隠れているかどうかは、念入りに確認するまでもなくわかる。
幡垣さんの妹の姿はこの車両の中にも無いようで、肩を落とす彼の背中を見て、僕は声を掛けるのを躊躇ってしまう。
僕たちですら満身創痍だというのに、女性が一人でここまで生き延びられるとは思えない。
この地獄をループしているのだ。彼自身もそのことはきっと、僕以上に理解しているはずだろう。
「先に、降りてるのかもしれませんよ」
沈黙を破ったのは喜多川だった。
桧野さんに手を貸していた喜多川は、普段よりも力のない笑みを浮かべている。
「俺たちだって、簡単じゃないけどここまで来たし。幡垣さんの妹さんだって、先頭車両に着いて、とっくに降りてるのかも」
「……そうだといいな」
「そうですよ、喜多川の言う通りだ。だから僕たちも、もうひと息です」
望み薄だとわかってはいるが、こんな状況ではそんな望みに縋ることが重要なのだろう。
傷だらけの指で顎髭を撫でつける幡垣さんは、小さく頷いている。
「オレは諦めるつもりはないが、千草がもう死んじまってるかもしれないとは思ってる」
「幡垣さん……」
「けどな、そうだとしてもオレ自身の目で確かめたい。もし手遅れだったとしても……その時は、オレも千草と一緒にこの場所で朽ち果てるつもりだよ」
「そんな、ダメですよ……!」
弱気な発言とも取れる幡垣さんの言葉に、高月さんが反論しようとする。
けれど、僕の目からは彼の表情は固い決意を持つように見えてしまって、安易に否定することが憚られる。
「生きろと思うだろうな。けど、こんな場所でアイツを一人ぼっちになんてさせられない。ずっと一緒だって約束したんだよ」
「……すごく、仲がいいんですね」
ぽつりと声を落としたのは、それまで押し黙っていた桧野さんだった。
「ああ、そのつもりだ。たった一人の大事な妹だからな」
「いいな……そっか、そうすれば良かったんだ……」
「桧野さん?」
ブツブツと何かを呟いていると思った桧野さんは、自分を支えてくれていた喜多川の手を突然振り払う。
どうしたのかと疑問を抱く間もなく、駆け寄ってきた彼女は僕に縋りついてきた。
「わっ……!? ど、どうしたの?」
「ずっと考えてたんです、どうしたらいいのかなって」
「考えてたって、何を……?」
「どうやったら、清瀬先輩はあたしだけのものになってくれるのかなって」
桧野さんが何を言っているのかわからなくて、僕はフリーズしてしまう。
俯いている彼女の表情は見えないのだが、僕の二の腕を掴む手の力が強まっているのがわかる。
「この電車って、ループしてるんですよね? このまま終点に着いたら、また最初からになるんですよね?」
「そうだよ、だから早く先頭車両に……」
「だったら、行かなくていいじゃないですか」
話が噛み合わない。僕たちはこの電車から脱出するために、必死に先頭車両を目指してきたはずだ。
だというのに、今さら行かなくていいだなんて発想になる理由がわからない。
「琥珀ちゃん、どうしたの? 落ち着いて……」
「あんたは黙っててよ!!!!」
「っ!?」
宥めようとする高月さんに、物凄い剣幕で桧野さんが怒鳴りつける。
いつもは気が弱くてふわふわとした印象のある彼女が、まるで別人のように見えてしまう。
「降りたいなら勝手に降りればいい……でも、清瀬先輩はダメです」
「桧野さん……?」
ようやく顔を上げた桧野さんは、まるで扉の向こうの闇にも似た瞳をしていて息を呑む。
狂気的な笑みを浮かべた彼女の指が、僕の頬を愛おしげにひと撫でした。
「清瀬先輩、あたしと一緒にここに残りましょう?」
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